世界の『王』
それから美男子は、特に自分から指定して何かを頼むこともなく、オススメされるがままに二杯ほどカクテルを頼んだ。
最初の一杯はサリーに、次の一杯はフィルに注文を。
注文を頼まれた二人は、口が軽いためフラフラと脱線しがちな美男子の好みを聞いて、無難なカクテルを作っていた。
サリーが作った一杯目は【ジン・トニック】。
フィルが作った二杯目は【ボストン・クーラー】。
共に炭酸、というのはお客様の数少ない要望。
店に来て初めの言葉で、ウチの噂を聞いて尋ねてきたのだとは思っていた。
それに加えて、どうやらウチが、最近世間を賑わせている『炭酸飲料』の開発元であることも、知っていたようだ。
「私はそういった情報には少し敏感でして。もっとも私が一番知りたいのは、あなたのような美人を笑顔にする方法なのですが」
「はあ」
そんな美男子が、今は話の流れでスイを口説いていた。
いや、なんでそんな流れになったのか。
俺の把握している限りでは、美男子が来店してからお客さんが続いて、そちらの対応にバーテンダーが当たった結果ではある。
客として来てはいるが店側の人間であるスイに、お客さんと会話をしてもらうのは自然な流れだ。
俺が不思議なのは、少し目を離していた隙に、ただの日常会話をしていた男がスイを口説き始めているという現状である。
俺が対応にあたっている若い男女が交わす、熱に浮かされたような言葉よりも、更に恥ずかしい言葉をほぼ素面の男が口にしているとはどういうことだ。
多分会話を初めて一分も経っていないのに、流れるような早さで女性を口説く男である。バーテンダーとして、見習うとまでは言わないが、尊敬できる話術の持ち主だ。
まぁ、口説かれているスイにはその気が全く見えないのだが。
「私、笑顔が苦手なので。ごめんなさい」
「いや、良いですね。笑顔が苦手と言い困り顔を浮かべていても、やはり美しい。私は思い違いをしておりました。確かに女性の笑顔は魅力的ですが、あなたに一番似合うとは言えないかもしれません。ふとした瞬間の涼しげな横顔、瞳に映るほんのりとした熱、そういった細やかな仕草に、抑え切れない美が垣間見えている。さながら、雲間から差す光のように、あなたの魅力は見る人の心を震わせる」
「……はぁ」
スイが、何を言われているのかが分からないと言いたげに、困った顔をしていた。
俺もちょっと心配で、スイの様子を窺ってしまう。
会話から逃げるように、グラスに手を伸ばし【スロージン・フィズ】を一口。
それから、助けを求めるように少し視線を巡らせる。
ふと、俺が様子を見ていることに気づく。
一瞬だけほっとしたような目をする。
が、俺が様子見していたという事実に思い当たり、今度はちょっとムッとした。
「……次」
「はい。失礼致しました」
まだグラスの中身に余裕はあったはずだが、俺を巻き込むためにスイが声をあげた。
俺は先程まで接客をしていた若い男女に断りを入れて、スイと美男子の方へと向かった。
「ご注文は何に致しますか?」
「とりあえず、静かに飲めるカクテルを」
「えっと、それは」
隣に現在進行形で話したくてウズウズしている男がいるところで、はっきりと言ってみせる『オーナー』であった。
いや、気持ちは分かるけど、もう少しお店に貢献しようとは思わないのか。
俺の微妙な表情を見て取ったか、美男子がさっと声を上げた。
「いえいえ、自分のことはお気になさらず。先程もお話しましたように、美人が静かに盃を傾ける様を間近で見られるというのも、これまたなんと、素晴らしいことか。大地の裏側に隠れてしまった月が、明日のお色直しをする瞬間をこっそり覗き見るような、美しき背徳感に胸が踊りましょう」
「…………はぁ」
スイは、相変わらず興味なさそうに男の言葉を流していた。しかし男は、そんな対応をされたことなど気にもせず、ニコニコと笑みを浮かべている。
そんなあからさまな対応をされても、まったくめげていないところは、流石美男子か。いや、これは美男子関係ないな。
スイへの次の一杯のために手を動かしつつ、あまり深刻にならないように、さりとて失礼にもならない程度に謝った。
「すみません、彼女、結構気難しくて」
俺が謝ることでもないかと思うが、一応店のオーナーの態度である。
とはいえ男性は、そんなスイの態度を本当に気にもとめていない様子だった。
先程フィルに作ってもらった【ボストン・クーラー】を一口含み、相変わらずにこやかな笑みを浮かべて言う。
「いえいえ。美しい女性の表情はどんなものでも美しいもの。特に、あなたと目があった時の彼女の表情など、美しさの中に少女らしい愛らしさが垣間見え、それはもう」
「なっ!」
驚きの声は俺のものではない。ひとりそっぽを向くようにグラスの氷を眺めていたスイが、ばっとこちらに向き直っていた。
俺は、スイの視線から逃れるように、苦笑いを美男子に返す。
「ええと、実は彼女とは親しい仲でして。彼女、あまり男性との会話に慣れていないが故に、ついつい困って自分を見てしまったみたいです」
「なるほど。つまり、彼女はあなたが予約済みです、と」
「はい?」
作業の手が、止まった。
いやそんな話はしてない。
何を言っているんだこの男は。
「……おや?」
馬鹿げた発言をした男だけが、不思議そうに首を傾げている。
それ以外の人間はと言えば、俺を見ているか、俺から目を逸らしているかの二択だ。
そして、俺は一度大きく深呼吸。作業を再開しつつ、営業スマイルを取り繕っているところである。
「自分が、とかではなく……その、店の関係者ですので」
「ふむ? でもあなたはこの店のマスターでしょう?」
「それは、はい」
どこか納得の行っていない顔をした男が、俺に確認を取り、再度重ねる。
「店のマスターということは、従業員はすなわちあなたのモノということでは?」
「あはは」
咄嗟に否定しようか迷ったが、何も答えずに笑うに留めた。
確かに、従業員一同は店のモノであり、それ即ち店の責任者である俺のモノという考えもなきにしもあらず。しかし、それは同時に俺自身もまた店のモノであり、この店で働いている皆がある意味、皆のモノなのだ。
つまり、イエスともノーとも言える。言えるが、どちらを選んでもこの場で面白いことは起きない。この美男子だけを喜ばせるならともかく、注目が集まっている中で、ウケを狙って言うべきことはない。
そのあたりを考えると、美男子の発言については、ノーコメントで。
「笑うということは、つまり?」
「いやいや」
俺が誤魔化したことに気づかなかったのか、それとも気づかなかったフリをしているのか、とにかく美男子は追及してくる。
俺は彼の言葉への返答を保留するように、スイに出来上がったカクテルを渡した。
作っていたのは【チャイナ・ブルー】──南国の果実である『ライチ』のリキュールに、青色の『ブルー・キュラソー』を1tsp。それらをグレープフルーツジュースでアップする、甘めのカクテルである。
「……ん」
スイが、誤魔化した俺を咎めるような視線を送ってくる。だが、特に何か言うつもりはないらしい。
なんか昔、誰かに向かってスイを俺のモノ発言した記憶が甦ったが、忘れる。
これで会話が終わってくれてないかな、とほんの少し思いつつ美男子を見る。が、どう見ても彼は俺の返事待ちであった。
というか彼の目が嫌に真剣に見えるのは気のせいか。
俺の返答次第で、これから店員をどれだけ口説くか決めるつもりじゃないだろうな。笑えないレベルのガチ口説きはできれば止してくれないだろうか。
「あはは、お次はどうします?」
勘弁してくれ、という言葉を呑み込んで、少し早いと思ったが次の注文を尋ねていた。
「うん? 次か」
尋ねられて、彼は自分のグラスに目をやる。まだ少々残っているが、次を作るのに早過ぎるというほどでもない。作っている間に飲みきれる量だろう。
グラスに沈むカットライムの緑に目をやってから、彼は顔を上げる。
「ではご店主。あなたは既に気づいていると思うけれど、私は今日初めて、カクテルというものを口にしているのです」
先程までの、嘘か本音か分からない顔ではない。真剣な表情であった。
俺はもう一度、背筋を正した。
彼は、表情の使い方を知っている。自分の表情が相手にどういう影響を与えるか、常に考えて生きている人間だ。
だから、彼の真剣な表情には、真剣に応えねばなるまい。
「はい、存じております」
「今日ここに来たのも、風の噂で聞いたからです。民衆の噂には広まりつつ、この街の外では知られていない『カクテル』の存在を」
男性の言葉に納得する。やはり彼はこの街の外から来た人間だった。
これほど美麗で目立つ人間が近くに居たら、噂の一つも立つはずだ。この美男が何度か飲み屋に現れたら、どこかで話題になるだろう。
飲み屋と客のネットワークは、そういうものだ。
つまり彼は、最近どこか他の街から、カクテルの噂を聞いてここに辿り着いた。
では、どんな噂を聞いたのか。
「色々聞いてきましたとも。中身は知りませんが、様々な名前を。特に聞いたのは、ポーション品評会で特別最優秀賞に輝いたという【ブルー・ムーン】かな」
「……でしたら、ご注文は【ブルー・ムーン】でしょうか」
尋ねると、男性は首を振った。
「確かに興味はある。でも、私が一番気になったのは。『王』だね」
「……王、というと」
「そう。カクテルには王が……【マティーニ】という王がいるらしい」
カクテルの王様【マティーニ】。
地球に無数の派生レシピと、更に無数の愛飲家を持つカクテル。
二人のバーテンダーがどれだけ同じように作っても、決して同じ味になることはない、とまで言われることもある、頂点の一つ。
……更に言うと、新規のお客様に頼まれたとき、最も緊張するカクテルの一つでもある。
しかし、あくまで個人の意見ではあるが、カクテルを初めて飲むというお客様にいきなりはオススメしない。
ジン──ジーニの切れ味鋭い辛さと、ドライベルモットの独特の香味や風味は、飲む人間を選ぶからだ。
しかし、お客様がそれを望むのであれば、作らないという選択肢がないのも事実ではある。
「でも、私はその話を聞いて思ったことがあったのですよ」
「はい?」
と、俺がどう【マティーニ】の説明をしようかと頭を巡らせていたところで、男は続ける。
彼の言葉を待つと、その美しい顔を面白そうに歪めて、俺に言った。
「カクテルに『王』は一人なのか、と」
少しだけ、挑発の色が混じっていた気がした。
俺はその予感を押し込めつつ、努めて穏やかに男性の言葉を待つ。
「……といいますと?」
「決まっていますとも。仮にカクテルの世界に王がたった一人しかいないのだとしたら、それはなんとも、狭い世界だなと思ったまでです」
「……狭い、世界ですか」
狭い世界。言い換えれば、つまらない世界。奥行きのない世界、といった所か。
なるほど、彼からしてみれば、つい最近生まれた筈のカクテルに、既に『王』が存在しているという現状。
それは、この短時間で『天井』が見えてしまった、というように思えるわけだ。
ぐっと、男性には見えないカウンターの内側で、拳を握った。
「かしこまりました」
「ん?」
俺は、注文を承ったときの言葉を返す。
それに男性は、拍子抜けしたかのような声を出し、言葉を続けた。
「君は、カクテルの関係者だろう? 何かしらの、反論はないのかい?」
「はい、反論はあります。ですが、お客様の意見に反論の言葉をぶつけるのは、バーテンダーの仕事ではありません」
俺は最後まで、穏やかな笑顔を崩しはしない。
カクテルには無限の可能性がある。少なくとも俺は、そう信じている。
だが、それを今日店に来た人間に、言葉で説いたところで、なんの意味がある。
言葉を尽くす前にやるべきことがあるだろう。
「お客様のカクテルへの疑問には、カクテルでお答えいたします」
俺の宣言に、美男子はまた面白そうに目を細めた。
「つまり、王は一人ではない、と?」
「定義にもよりますが、そうですね」
確かに、カクテルの王様、と共通認識があるのは【マティーニ】だけかもしれない。
しかし、今の男性の言葉は、シンプルに否定することができる。
「取り急ぎ、もう一人の『王』をご用意いたします」
王をご用意とは、自分で言っておいてなんだが、なんとも不遜な言葉に思えた。
だが、言葉遊びを始めたのは美男子の方だ。
俺は粛々と、カクテルにてそれに応えるのみである。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
開幕から更新が遅れてしまって申し訳ありません。
六章の最初に書いたように、次回の更新は、月曜日の予定です。
少し間があいてしまいますが、お待ちいただけると幸いです。




