【スティンガー】(1)
「……ふん。言っておくが、僕がこの程度で腹を立てると思ったら大間違いだ」
ギヌラは、あからさまに嫌そうな顔を隠しもせず、しかし、そう口にした。
ギヌラの噴火を予想していた俺と女性は、そんなギヌラの態度に面食らう。
「言っておくが、僕はこれでも大人なんだ。気に入らないこと全てにいちいち反論したりはしない」
「お、おう」
ギヌラのそんな態度に、俺は未だに動揺が隠せていない。
あれだけ口に出してカクテルを否定していたギヌラが、そのカクテルの話題では、声を荒げない。
そんな不思議を追及した俺が答えに辿り着いたのは、旦那さんとほぼ同じタイミングだったらしい。
「ああ、なるほど。ギヌラ君はそこの彼とは張り合うけど、彼の作るものとは張り合うつもりがないんだね」
「…………は」
ギヌラから再び乾いた声が出ていた。
また旦那さんが何か失言を重ねる前に、ついに女性の手が彼の口を塞いでいた。
「ごめんなさいね。この人こんな感じだから話半分で聞いてて頂戴ね」
「……ま、まったくだね。というか別に張り合ってなど」
「そうよね。ギヌラ君は自分のことで忙しいものね」
「そうだ。いちいちユウギリのことなど気にしていられるものか」
女性の言葉はまるで子供をあやすようであった。だがそれでも、ギヌラには一定の効果があったようだ。
やや気分を回復させたらしいギヌラは、俺に対しては若干失礼な感じで言葉を続けた。
「だから、僕は全く気にしていないから。お前がどうしてもと言うなら、カクテルを飲んでやっても良いぞ」
「……ええ……」
昔、少しだけ思ったことがある。
俗に言うツンデレキャラに「別にあんたの為に作ったんじゃない」とか言われたとき「あ、そうなんだ、じゃあ別にいらない」って返したらどうなるんだろう、って。
試しても良いけど、今の問題はその相手が全く可愛げのない男なところだ。
とはいえ、俺の立場としては状況を含めてやんわりと断るべきだろう。
「いやでも、ここは他所様なわけだから」
普通に考えて、他所のお店で営業やそれに準じる活動を行うのはNGだ。ギヌラが相手とはいえ、他の客が来ないとも限らない。
他所のお店のお客さんを奪うような行為は、少なくとも避けるべきだ。
「あら良いのよ。見ての通りウチはこんな感じだから」
と、俺が逃げようとしたところで、女性が引き止めた。
こんな感じというのが、客が少ないという意味なのか、緩いという意味なのかはイマイチ掴めなかった。多分後者だと思いたい。
「そうは言いましても」
「良いじゃない。私も気にはなるし。ここで作ってくれたら、同業者だって黙ってたことを大目に見てあげるわよ」
「……それは、その」
そういう風に言われると、ちょっと負い目を感じてしまう。
こういう仕事をしていると、同業者はなんとなく分かる。いかに上手く隠していても、作業の手際だったり、会話の運び方だったりを見ているのが分かるからだ。
だが、それはそれとして、やっぱり黙っていられるのは店側として少し困る。変な緊張感がずっと続く感じと言えば分かるだろうか。
というので、女性は遠回しに俺を非難してきているのである。
「……それじゃ、お言葉に甘えて」
「ええ、どんと甘えなさいな。生憎と、その『カクテル』? の材料になりそうなものはなんにもないけどね」
女性の、それまでのことを水に流すような物言いだ。俺は少しだけ安堵しつつカウンターの中に入らせて貰うのだった。
カウンターとは言っても、軽い料理を出していることもあってウチとは大分趣が違う。
外側から見ている景色ともそれほど大差はない。質素な厨房に、カウンターバーを併設しているようなイメージだろうか。
機械化の進んでいる『イージーズ』と比べると、どことなく素朴な印象は拭えない。
「エールとワインに、あとお茶くらいならあるけど」
「ああ、いえいえ、そこまでご迷惑かけられません。お気持ちだけで結構です」
女性は材料になりそうなものを提示するが、俺はやんわりと遠慮した。
ちょっとした変わり種を作るのなら、エールなんかは良い。だが、今俺がターゲットにしているのは新規二人と、クレーマー一人。
クレーマーはどうでも良いが、新規の二人にはなるべくスタンダードなものを出したい。
変わり種は、一通りカクテルを楽しんだくらいに出すのが俺のイメージだ。
「お二人の、それぞれの好みなどお伺いしても?」
そうやって俺は二人にそれぞれの嗜好を尋ねるが、女性の方が笑って返した。
「三人とも一緒ので良いわよ。別々に作るのも大変でしょう?」
「そう言って頂けるのは嬉しいですが」
「大丈夫よ。美味しいお酒なら、何でも好きだもの」
俺に気を使っている、というよりは本音らしかった。
個人的には、それで気を抜くような真似はしないが、材料が潤沢でないのも事実。心は込めつつ、ここはお言葉に甘えさせて貰うとしよう。
「では」
そうなったら、あとは何を作るかだ。
味の系統は、初めての人も居るし爽やかな方が良いだろうか。そうなると、基本はベースに柑橘の組み合わせだろうが、さて。
頭の中でいくつかの候補を出していたところで、ふと目の前のギヌラと目があった。
ギヌラは、興味ないと宣言しつつ、がっつりと俺の方を見ていた。
「……なんだよ?」
「なんでもない。悩んでいる暇があるならさっさと作れば良い。どうせ何を作ったって大して変わらないだろうに」
こんな風に言われて腹の立たないバーテンダーは居るだろうか。いや居ない。
だが、ギヌラはそんな風に言いながら、チラチラと俺の作るものを気にしている様子であった。
今思うと、ギヌラが最後にカクテルを飲んだのも、研修に行っていたときだろうか。
だから、という訳では無いが、俺は一つだけアルバオと話していたことを思い出した。
その一点を思い出しただけで、頭の中に浮かべていた候補が掻き消えて、新たに一つの候補が現れた。
そしてそれは、なんとも目の前の男にピッタリであった。
「よし」
俺は軽く声を出し、意識的にバーテンダーのスイッチを入れた。
俺の雰囲気が変わったのを敏感に察したのか、女性は一歩、俺から離れる。
まず、腰のポーチから必要な弾薬を抜き出した。
シェイク用の道具一式、氷、そしてアルバオに以前託された、もう一つの『オールド』──『ブランデー』を取り出した。
それにプラスして、透明なリキュールの弾薬も一つ。これで材料は全てだ。
それら弾薬を掌に乗せ、一つずつ元の姿へと戻して行く。
《生命の波、古の意図、我定めるは現世の姿なり》
俺が詠唱と共に弾薬を材料へと戻すと、隣で見ていた夫妻は驚いた顔をした。
「えっと、実は自分は、これ一つだけ使えるんですよ。便利ですよ」
「そ、そうね。確かに便利そうだわ」
俺がなるべくなんでもなさそうに言えば、女性は一つ頷いて平静に戻った。
スイあたりと一緒に居るとついつい忘れがちだが、この世界では基本的に魔法は特別な技術なのだ。
どれくらいの人が、どれくらいの術を使えるのかまでは知らないが、実用的な魔法まで扱える人間はそう多くないだろう。
だからこそ、誰にでも扱える魔力を用いた魔法装置が普及しているのだから。
「グラスだけは、お借りしても?」
「ええ。良いわよ。何のグラスかしら」
「ワイングラスを三つ」
立ち直って間もない女性にワイングラスを用意してもらった。
本当はカクテルグラスと言いたいところだが、今日は手持ちがない。ワイングラスで代用させてもらおう。
清潔な布を借りて軽くグラスを拭いたあと、三つのグラスを並べた。
当然冷凍庫もないので、弾薬から戻した氷をグラスの中に入れて、下準備は完了だ。
カウンター裏の作業スペースを借りて材料を展開する。
シェイカーを中心に置き、左手側にメジャーカップと氷。右手側にはボトルを置く。
初めに俺は『ブランデー』ではなく副材料のリキュール──『ホワイト・ミント・リキュール』へと手を伸ばした。
一人分は20ml。それを三人分で60ml、シェイカーへと注ぎ込む。
ここまで材料が出揃うと、詳しい人であればもう答えは見えるだろう。
残る材料は『ブランデー』のみ。俺はメジャーカップの45ml側で40mlを三回、素早くシェイカーへと流し込んだ。
液体は淡い琥珀色へと染まり、ゆらゆらとシェイカーを満たす。手持ちの中では一番大きいシェイカーを選んだが、それでも三人分となるとやや量が多い。
加えて、どちらの材料も常温だ。この季節とは言えあまり冷えているとは言い難い。シェイクをする際には、氷の状態をいつもより強く認識しなければならない。
軽くバースプーンでステアして味を見る。ブランデーの甘いコクと、ミントのすっとした清涼感が絶妙に鼻から抜けて行く。
問題はないと判断して、あまり角が尖っていない氷をいくつか選択し、トングでシェイカーの中へ。
ゆらゆらと揺れる湖面に、いくつもの氷の塊が沈む。黄昏に沈む氷山の一角、なんて洒落た言い回しが浮かぶが見蕩れている暇はない。
シェイカーの蓋をしめ、ここんと二度ほど、カウンター内側の作業台に打ちつける。
そして、静かにシェイクへと移った。
気を付けることはいつも同じだ。
早さと正確さ、それにシェイカーへの想像力。指先の感覚と、耳と目と経験を使って、頭の中に思い描いたカクテルの完成形へと、シェイカーを近づけて行く。
いつもと勝手が違う店内ではあるが、その作業をしている間は変わらない。
規則的に響く金属音は俺の意識を外界から切り離し、シェイカーの中へ中へと誘う。音を介して世界に溶け合うような時間は、しかしすぐに終わる。
シェイカーからの情報が、カクテルの完成を告げ、俺は静かにシェイクを終えた。
ことり、とシェイカーを置き、氷で冷やしていたグラスの準備をする。
氷を取り除き、軽くだけ口を拭いて、グラスの準備は整った。シェイカーのトップを外して、右側から順にまずはおよそ30mlずつ注いで行く。
左端まで進めば、そこから折り返してまた30ml。三つのグラスそれぞれ、均等に60mlずつを注いだ。
「お待たせしました」
最後の一滴まで切ったシェイカーを置いて、俺はその三杯をそれぞれに進めた。
旦那さんと女性は、初めて見るカクテルの作業に少しだけ気を奪われている。そんな中で、決してカクテルが初めてではないギヌラが、真っ先にグラスに手を伸ばす。
一つグラスを手に取り、それと同時に尋ねた。
「これは?」
何を尋ねられているのか、考えるまでもない。
俺はバーテンダーらしい自身に溢れた顔で、名前を言った。
「【スティンガー】です」
「【スティンガー】……毒針、か」
ギヌラは、静かに答え、チラリと他二人を見る。
ギヌラの視線で石化を解かれた二人も、またそれぞれグラスに手を伸ばす。
そんな二人の準備を待って、ギヌラは静かにグラスを掲げた。
「では乾杯」
ギヌラがカクテルにそんなことを言うのがちょっと驚きだった。
だが、俺はそれをおくびにも出さず、彼らが液体を口に含むのを眺めていたのだった。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
なんとか間に合えば、今夜中にもう一話投稿いたします。




