選択の自由(12)
※昨日更新分をまとめて一話に構成し直したため、かなり長くなりました。申し訳ありません。
幸か不幸か、ギヌラとの会話が終わり、女性と主人を呼び戻したあたりで来客があった。
落ち着いた雰囲気の男性で、恐らくはリピートのお客さんだ。あまりギヌラと面識はなかったらしい。軽く会釈をするだけで、彼はカウンターの反対の端の方に座る。
女性はその新規のお客さんに付き、俺とギヌラは隣り合った席でお互いの目も見ず前を向いていた。
お互い、二度は乾杯しなかったエールのグラスを揺らし、すっと喉に苦いものを感じながら流し込む。
「それで、君はどうしたいんだ? どう、思っているんだ?」
ギヌラの問いかけで、やっぱり言葉に詰まった。
ギヌラはそんな俺に呆れたような顔をしたまま、はぁ、とため息を吐く。
「誰も答えなんて求めちゃいないさ。ただ、どういう風に考えて、何を悩んでいるのかだけ言えば良い」
「…まぁ、な」
それが簡単にできるのなら、迷ってはいないのではないか。
まとまっていない考えを誰かに話すのは苦手だ。だけど、まとまらないから悩むのだ。
そしてそんなことで迷った挙句に、結局俺は俺がなんとなく感じていたことを、包み隠さず話すことにした。
「…正直に言えばな。俺は『カクテル』が広まればなんでも良いと思ってた。それで今まで、来た」
「それは知っている」
「スイと人を救うっていうのも、ベルガモとコルシカを助けたのも、双子が吸血鬼と人の架け橋になる手伝いをするのも、なにもかも。隣に『カクテル』があったから、やってこれたんだ」
綺麗な言葉を並べるのは、バーテンダーの時だけだ。
人を助けたいという思いはもちろんあった。だけど、隣にカクテルがあったから、俺は迷わなかった。
「でも、ここに来て初めて、迷った。俺の知っている『カクテル』じゃない──それでもこの世界に存在する『カクテル』が、生まれそうなんだ」
「ああ」
「俺は『新しいカクテル』を、祝福すべきなのか、わからない」
これまで散々頼ってきたくせに……そう俺は自嘲気味に付け足した。
ギヌラは俺の表情に何も言うことはない。俺の情けない姿を見ても、笑うこともしない。
ただ、遠い何かを見るような目で俺を見ている。
「飲み物のカクテルだったら、結局誰かを傷つけることなんてないはずだ。誰かの助けになるだけのはずだ。だけど『新しいカクテル』は違う。誰かを救うときはあるだろうし、誰かを傷つけることもあるはずだ」
「…………」
「その選択が、誰かを傷つけるかもしれない選択が怖い。俺の選択が、未来の争いの火種になるんじゃないかと思うと、ちっぽけなバーテンダーには荷が重すぎる」
言いながら、俺は手元のグラスを握りしめた。
新しい一杯は確かに冷えていて、俺の中の淀んだ熱を吸ってくれる。
しかしそれを口に含むと、さっきまで吐き出していた苦いものが体の中に帰ってきた気がした。
ギヌラはそんな俺に、ふっと冷ややかな笑みを返した。
「ならば、そんな君に僕が一つだけ、言ってやろう」
俺は身構えた。ギヌラの真剣な表情をこんな間近で見たのは初めてな気がした。
かつては争い競いあったこともある、同じ部屋に寝泊まりしたこともある。そんな変な関係の男だ。
そんな彼が、真剣な表情ではっきり言った。
「君は、何様だ? 神にでもなるつもりかい?」
「え?」
馬鹿にするでもなく、大した熱もない、そんなギヌラの言葉だった。
俺は何を言われているのか、理解できずにきょとんとした表情を返す。
だが、ギヌラは俺のリアクションを待つでもなく、少し苛立ったように続けた。
「君はなんだ? 自分で言っていたじゃないか。君はただのバーテンダーだ。バーテンダーはなんだ? バーに来るお客さんを笑顔にする人間なんだろう?」
「……そうだが」
「そんな人間が、どうして、自分の目に見えない人間も、何もかも救おうとしている? スイに影響されたのか? 言っておくが、あいつは特別だ。特別な馬鹿だからそんな願いを持てる。君はそんなに特別な人間か?」
自分が特別な人間か?
そう問われて、特別だと言い切れる人間はどれくらいいるだろうか。
俺は、何も言えなかった。
「……俺は」
「もう一度言うぞ、君はバーテンダーだ。バーテンダーにできることなんて、相手に寄り添うくらい、なんだろう? それでいいじゃないか。自分の見える範囲のことだけ考えてればいいんだ。それがバーテンダーの君にできる選択だ」
ギヌラに言われて、俺はとっさに反論していた。
「それで良いと本当に思うのか? 自分はバーテンダーだから、これから先に起こる全てを面倒見切れないって、投げ出して。なんとなくで選択することが許されるのか?」
分からないからって、適当に決めたら絶対に後悔する。
そう思っているから悩んでいるのに、悩むのが馬鹿だと言われた。
それはあまりにも、無責任すぎると思った。
「……はぁ。だから、そもそも、その考え方が違うと、僕は言っているんだよ」
ギヌラは、俺のことを分からず屋だと非難するような目だった。
それから、ギヌラはグラスを思い切り呷る。俺も面白くないものを飲み込むようにそれに倣った。二人揃って飲み干し、グラスがカウンターを打つ。
俺たちのやり取りに少し剣呑な気配を感じたのか、女性もこちらを見ていることに気づいた。取り繕うように、おかわりを要求して笑顔を返した。
おかわりの一杯が届いてから、ギヌラはふとそのグラスを見て言った。
「君はバーテンダーをしているとき、例えば客がこのエールをどう飲むか心配したりするか?」
俺はその場面を想定した。
「少しは、するさ。そりゃ、いきなり一気したりとかは、しないで欲しいと思う」
「それだけか?」
「まぁ、そりゃ、エールだし難しい飲み方もないだろう」
エールに正しい飲み方があるならば失礼な発言だが、グラスに注ぐときに多少気を付ける程度で、飲み方に作法があるとは思えない。
それを聞いて、ギヌラはにやりと笑った。
「そうか。でも僕はこう思うね。このグラスの中身を今すぐ『気に食わない奴』にぶっかけても良いし、そのまま硬いグラスで殴りかかっても良い、とね」
「……そんなの、エールの飲み方じゃないだろ」
「そうだ。だけどそういう使い方はできる。目の前のものをどう使うかは、常に目の前の人間が決めることだ」
そこで俺は、ようやくギヌラが何を言いたいのかが分かった気がした。
俺はバーテンダーだから、エールを飲む物だと認識している。しかし、それを認識していない人間には、それをどう扱うのかの指標さえ、ない。
「一緒だよ。『カクテル』を出したとき、それをどう扱うかを決めるのは常に君じゃない。『カクテル』を受け取った人間だ」
「……それをいきなり、喧嘩に使われたらたまったものじゃないけどな」
それはカクテルには限らない。目の前の知らないものに対して、人はその場にあった使い方しか選べないだろう。
それが、今の俺の状況をコミカルに言い換えたものだとは、わかった。
ただ、それは少々簡略化しすぎだとも言えた。
バーの中であれば、俺は自分でその場を諫めることができる。しかしそれが世界規模にでもなったら、俺にはどうすることもできないじゃないか。
そういう風に考えたから、俺は素直に「そうだ一緒だ」と同意はできない。
そんな俺の理解と葛藤を知ってか知らずか、ギヌラは更に付け加える。
「僕は言ったように、アドバイスなんてしてやらない。ただ、君はバーテンダーだ。それと同時に、君が出すものは、飲み物だろうがそうじゃなかろうが同じ『カクテル』だ。それだけだ」
そしてギヌラは、言いたいことを言い切ったとでも言うように、グラスを傾けた。そして少し顔をしかめる。
苦い、という表情で、それまでの自分の発言を塗りつぶすみたいだった。
ギヌラの言い分を聞いて、確かに俺の心は揺れていた。
俺にとって『カクテル』は飲み物だ。それは俺が『バーテンダー』だから、そう思うのだろう。
だけど、そうじゃない人間が──たとえば『飲み物』と『魔法』を同じくらい客観視できる人間から見たら、どうなのだろうか。
「なぁ、一つ、聞いても良いか?」
「なんだ。聞くだけなら聞いてやってもいい」
ギヌラの偉そうな物言いに、俺は少し苦笑いをする。
だけど、これはギヌラに聞いておきたいことだった。
「お前から見て『カクテル』ってなんなんだ?」
ギヌラは、今までずっと敵だった。
飲み物として品評会で争った。魔法として向けたこともある。
そんな彼は、果たしてカクテルをどう思っているというのか。
カクテルの側ではない彼は、カクテルをなんだと思っているのか。
ギヌラはその問いに、ふんと鼻息を鳴らした。
「憎らしい目の上のたんこぶに決まっているだろうが」
「……そりゃ、そうだよな」
予想通りといえば予想通りの返事である。
彼はカクテルを憎みこそすれ、喜ぶことはない。直接間接を問わず、彼は常々『カクテル』に痛い目に合わされてきたのだ。
だが、ギヌラはそこから食い気味でさらにかぶせてきた。
「だけど、僕以外の人間から見たらそうだな。可能性みたいなものじゃないか」
「可能性?」
ギヌラの口から出た、やや前向きな言葉に面食らった。
ギヌラはわざと俺に表情を見せないように、グラスを傾けながら、ぼそりと言う。
「つまり、まだ何も決まっていない。カクテルは生まれたばかりの赤子だ。カクテルが何者かなんてのは、カクテルと初めて出会うこれからの世界が決めることだ」
ギヌラの言葉はさっきからずっと、俺に考えさせる。確かに、カクテルはこの世界で生まれたばかりだ。それがこれからどうなるのかは誰にも分からない。
と、俺はそういう意味の返しだと思ったが、ギヌラは面白くなさそうに付け足した。
「カクテルはなんなのか、なんて君が聞くな。君は常に、カクテルとはなんなのかを示し続けるべきなんだよ。赤子に道を示し、カクテルの意味を人に示す。それが君の、バーテンダーとしての君がするべき事なんじゃないか」
ギヌラの言葉に、何かがふっと頭をよぎった。
声もシチュエーションもまるで違う。それは何年も前の、とあるバーの中の風景だ。
俺がガチガチに緊張している隣で、余裕綽々の腹立たしい女が、偉そうに言った言葉だ。
「『我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです』」
「……急になんだ?」
「いや、なんでもない」
人生とは、即ちカクテルだ。カクテルの意味を問うのは、バーテンダーの仕事じゃない。
バーテンダーは常に『カクテルとは何か』を問われる立場であり、その答えを出すのが、バーテンダーの仕事だ。
カクテルには、良い面も悪い面も存在する。だけど、それをどう見るのかは個人の自由だ。そして俺は、それならば良い面を見ていたい。カクテルは素晴らしいモノなのだと思いたい。
そして、その答えが本当に正しいのかを、バーテンダーは常に自分に問い続ける。
俺には、俺のやるべきことがある。
俺は確かにただのバーテンダーだ。これから先、カクテルが起こす全ての責任を取ろうだなんて傲慢もいいところだ。
だけど、それであきらめて全て投げ出すのは、絶対に違う。責任を取るというのは、何もことが起こった後だけの話じゃない。
俺は、カクテルとはこういうものだと、説明し続ける。
それがただのバーテンダーである俺の、唯一の責任の取り方だ。
俺にできるのは、バーから外に出た世界であっても、正しく扱われるように、示し続けることだけなのだ。
「……もう一つ聞いて良いか?」
ギヌラは何も返さなかった。
余りにも馬鹿らしいと、さっきの質問は一つとして認識していないのかもしれない。
答えてくれる保証はないが、俺はもう一度ギヌラに尋ねた。
「仮に魔法が特別なものじゃなくなったら、それで争う人間と救われる人間、どっちが多いと思う」
「そんなことは知らない。だが、今まで魔法が使えなかった人間に、選択肢は与えられる。それを、どう思うかだろうね」
ごく少数の才能ある人間にしか選べなかった選択肢が、もっと多くの人の前に現れることになる。
その選択肢を常に与えられてきた俺は、自分が今までどうだったかを考えた。
俺の『カクテル』で、救える人がいて、救えない人がいる。笑顔を作れる人が居る一方で、飲み物では命を救えない人も居る。
しかし『銃』があることで、さらに救えた人もいた。
それを考えたら、どうだろう。
必要になったとき、そこに『選択の自由』があれば、確かに救われるものがあるのではないだろうか。
そんな人に『カクテル』は、必要なものなのかもしれない。
もしそうなら、使い方を間違えないように、正しく示し続けるのがバーテンダーの仕事なのかも、しれない。
未来に責任は取れない。だけど、未来に選択を委ねることはできる。その選択を、正しいものとする努力もできる。そして、選択を奪うことは、したくない。
それはこれまでも、そしてきっとこれからもだ。
「決まったみたいだな」
ギヌラは、俺にそんな言葉を投げてきた。
少しだけ悩みを吹っ切った俺は、いつもの顔に戻って言ってやった。
「ギヌラ、お前はさっき俺を『特別じゃない』って言ったけど、それは間違いだ」
「ふん?」
「俺は本気で『カクテル』が誰かを救ってくれるって信じてる、特別な馬鹿なんだよ」
「……ふん、確かに、言われてみればそうかもな」
俺の渾身の冗談に、ギヌラは少しだけ面白そうに笑うのだった。
二人きりで見せた、初めての自然な笑みだったかもしれない。
※0725 誤字修正しました。




