【サイドカー】(1)
注文で自分のために一杯を作るというのは、今までにない経験だった。
営業中に、バーテンダーさんが一番好きな『カクテル』は何か、と言われることはよくあった。その度に、自分の好きなリストの中から、人に合ったものを選んできた。
こんな、誤魔化しの利かない場面で、自分の心と向き合えと言われたのは初めてだ。
しかし、良い機会を貰ったと、思えた。
今の俺はどんな状態なのか。注文という形を受けたバーテンダーの俺ならば、悩み過ぎずに答えを持ってきてくれると思った。
夕霧総は、答えが出せていない。
何に悩んでいるのかを整理して、整理するだけで、優劣を付けるまでいかない。
答えが出ないから悩んで、悩むから答えが出せない。
たった一つの冴えたやり方がある筈だと、常に信じているくせに。
出した答えが、その冴えたやり方であるという、自信など持てない。
そんな相手に、バーテンダーはさてなんて答える。
バーテンダーの俺は、そんな情けない俺に向かって、何て言うだろう。
「決めました」
俺はそうして、一つの『カクテル』を導いた。
正しい答えかどうかななんて保証もなく。根拠の無いバーテンダーの自信をもって。
作る所までが注文なので、俺は自室に置いてある機材をいくつか用意する。
シェイカー、バースプーン、メジャーカップ。そして二つのカクテルグラス。
それから、ノイネへと小さく断りを入れる。
「今手元に道具が不足しているので、簡易的な作り方をさせて頂きます」
「……好きにしてください」
了承を得て、俺はポーチから材料の弾薬を取り出した。
ノイネの前で、静かに弾薬を材料へと戻す。
《生命の波、古の意図、我定めるは現世の姿なり》
手元には、俺の詠唱に合わせて、レモンジュース、コアントロー、そして氷が現れた。
隣から、魔法を間近に見たノイネの息を呑む気配が届いた。
「それが『弾薬解除』の魔法、ですか」
「はい。見せるのは初めてでしたか」
「ええ。すみません。お気になさらず作業を続けて下さい」
彼女のお言葉に甘えて、俺はノイネに目もくれず作業に移る。
まず氷をカクテルグラスへと詰めた。もともと氷を使ってグラスを冷やすのは一般的な作法の一つだ。冷凍庫を使った方が楽なので、営業中はそうしているが。
それを済ませたら、今度はメジャーカップでもって、シェイカーへと材料を注ぎ込む。
まな板とナイフが無いので、今回はレモンジュースをそのまま30ml。続いて『コアントロー』もまた、同じように30ml。
ここまでで60ml。カクテルグラスが二つなら必要な総量は120mlが基本だ。
では残りの60mlはどこから取るのか。
俺はテーブルに置いたままだった『ブランデー』のボトルを、静かに手に取った。
ブランデーは冷えていないので、室温の温かさをメジャーカップ越しに感じる。30ml側で丁寧に二回計り、ブランデーを60mlだ。
材料を注ぎ終えると、バースプーンを手にしてシェイカーの中身を軽く混ぜる。
少量を取って手の甲に乗せ、味を見る。甘酸っぱく、そしてコク深い。
確認した俺は、シェイクに入る前に一度シェイカーに蓋をして、グラスの氷を取り去る。
氷はそのまま、テイスティング用のお盆に入れて、グラスの水を切る。
そして準備を整えてから、俺はもう一つの弾薬を取り出し、それを氷に戻した。
シェイカーへと氷を詰め、今度はしっかりと蓋を締める。最後にココンと二度ほど机にシェイカーを打ちつけ、準備は終わった。
緩やかに、シェイカーごと中の液体を揺らして行く。
ベースが常温である以上、このカクテルは常以上に温度に気を使わなければならない。
ちんたらとやっていては氷が溶けて水っぽくなってしまう。
速度を意識して、しかし中の氷を砕いてしまわないように、細心の注意を払い、中の液体を一つの完成へと導いていく。
響く音が、軽い。
未だ答えは出ずとも、一つの回答を導き出した気分で心が軽いから、そう感じるのか。
そんな俺を祝福する鐘のように、金属は8の字を描きながら音を奏でる。
俺が導いているのか、それとも俺が音に導かれているのか。
指先の感覚がカクテルの完成を俺に伝え、ゆっくりとシェイクを止めた。
シェイカーのトップを外し、二つ並んだカクテルグラスにそれぞれ液体を注ぐ。
右側からまずは30ml。左に移って静かに60ml。折り返してはまた右側に30。
均等に二つのグラスの量を揃えて、俺はシェイカーを切った。
薄いオレンジのような、褐色のような、ぼんやりとした温かみのあるカクテルが、二つ並んで立っていた。
「お待たせしました。【サイドカー】です」
待たせた人間は、俺の動作をじっくりと見ていたノイネ。
そして、そんな彼女の注文で引き合いに出された俺自身でもあった。
「これは、説明を頂いてもよろしいですか」
すっと目の前に差し出されたグラスを見て、ノイネが言った。
頭の中で説明の順序を組み立て、それをなぞるように、言葉にする。
「はい。こちらのカクテルは【サイドカー】と呼ばれるものです」
「【サイドカー】……」
サイドカーとだけ言われても、ピンとは来ないだろう。
何故ならこの世界には、サイドカーどころかオートバイも流通などしていないのだから。
「ノイネさんは、オートバイという乗り物を知っていますか?」
「……恥ずかしながら、知りませんね」
俺の想定に漏れず、ノイネもまたそれを知らない様子であった。
「自分がもともと居た世界は、この世界とは違うと説明しましたよね?」
「ええ。さっきの日本語……を使っている、異世界でしょう」
「はい。その世界には、オートバイって呼ばれている二輪車……一人乗りが基本の馬みたいな乗り物があったんです」
俺はオートバイに乗った経験がないので、あまり偉そうなことは言えない。
しかし、今の自分の状態を、そこに重ね合わせることは出来る気がした。
「オートバイはとても便利な乗り物です。一人か二人くらいまでなら、気軽に、進みたい道を進んでくれます。でも、やっぱり乗せられるものはそう多くありません」
「……そうですね。だから人は馬車を作ったのですから」
「はい。ただし、自分の世界では、オートバイに合わせて作ったのは馬車ではありません」
二輪自動車が普及し始めたころ、四輪自動車はまだ高嶺の花だった。
しかし、手軽なオートバイで、人や物をもっと運びたいと人は思う。
だからこそ生み出されたのは、サイドカーなのだ。
「人はオートバイの横に『サイドカー』を取り付けたんです。二つの車輪に寄り添って進んで行く、もう一つの車輪を取り付けたわけです。今あるオートバイを使って、それでもっとたくさん運べるように、工夫したんですね」
横にもう一つの車輪を取り付けたくらいで、オートバイは止まったりはしない。
それだけの力があれば、方法を考えれば、もっと多くのモノをオートバイは運べる。
「だから、今の自分は【サイドカー】を、作りました。自分一人でまっすぐ進むのは簡単ですけど、そうじゃない。自分だけじゃなくて、もっと多くのモノを一辺に、欲張りに、まとめて運んでしまえれば良いなと思う、そんな自分に合わせて」
果たしてその説明で、彼女はどこまで納得してくれるだろう。
もともとイメージのないものを、イメージのないままに説明した。
それで理解してくれというのは、いささか虫が良いと思った。
「……私の心配はいりません」
俺の表情を見たノイネは、静かに言った。
「私の注文は『あなたが今必要な一杯』です。理由を尋ねはしましたが、それはあなたが納得すれば良いことです。私はただ、味を楽しませてもらう。それだけです」
そう言われてしまうと、俺は随分と彼女に甘えてしまっているなと思う。
だが、今は営業中ではない。ならば、目の前の厚意に少しばかり甘えても、文句が出ることはないだろう。
「では、いただきます」
「はい。いただきます」
俺とノイネは軽くグラスを掲げた。カチンと合わせるまではしない。
そのままゆっくりと、俺はその液体を静かに喉へと流し込んで行った。
※0724 表現を微修正しました。




