まずは一歩
「……できた」
翌日、アルバオは手元にある無属性の魔石をぼんやりと見つめていた。
スイとの通話を終えてから、忘れる前に急いで書き写しに部屋に戻ったアルバオ。
そして今、彼は少し目に隈を作りながら、ホリィの目の前で無属性の魔石を作って見せたのだった。
「……いやぁ。本当にできるとは信じられないねぇ。これ、発表したら一大事件かな?」
「そうはならないと思いますよ。少なくとも、まだ。無属性のポーションなんて、現時点じゃなんの価値もありませんから」
「それもそうか」
ホリィは手放しにその理論を賞賛しつつ、現実的に考えて価値が低いことも認めた。
そう。以前も言ったが無属性のポーションの需要は低い。そもそも無属性の魔法が少ない上に、魔力が減ったとしても他の属性の魔力から勝手に充填されるらしいのだ。
しかしそれは言い換えれば、無属性は他の属性との互換性も備えている、という意味にも取れる気がした。
「ま、良いんじゃなかなぁ。これで無属性ポーションの問題は解決した。となると、あとは何が必要なんだっけ?」
ホリィの再確認に俺は頭の中でチェックを始めた。
そもそも、ウィスキーを作るときに必要なものは何か。
地球に居た頃に、蒸留所を見学して、そこでサイクルを勉強した。
まず、ウィスキーを作る際の大元の原料は何か。
答えは、大麦と水だ。
その他にも原料は様々存在するが、特に大麦の麦芽──『モルト』が主原料であることが多い。
麦芽とは、麦の粒が発芽した時点で乾燥させたものである。発芽によって大麦のデンプンが糖に変わり、発酵によってアルコールが生まれることになる。
そうやってできたアルコール──発酵もろみを用いて、ようやく蒸留という過程に入る。
そうして出来上がるのが、ウィスキーの原酒の元になる『ニューポット』である。
ここからは、樽での熟成になる。
『ニューポット』を樽に詰め、数年から数十年寝かせることで、ようやく『ウィスキー』と呼ばれる琥珀色の宝石へ生まれ変わる。
それが、俺が記憶している簡単なウィスキー製作のサイクルだ。
だが、ポーションはその大部分を飛ばして考えられる。
これまでの『熟成ポーション』を考えれば、大掛かりな蒸留施設は必要ない。
無属性ポーションに、麦芽を素材として配合することで『ニューポット』が作れると踏んでいる。
ポーションを作る水は、研究室で使われている水で十分に美味い。であるならば、必要になってくるのは。
「麦芽です。大麦麦芽が必要です」
このあと必要になる、樽とか時間とかはまだ良い。
今重要なのは、その前段階の話だ。
「他にもブドウとか言ってたよね?」
「ブドウはもうシーズンが終わってますよね? 冬を前にして、魔法でいくらか保存されたり、栽培されたりしてるのもあるかもしれませんが、限られた予算では現実的じゃない。でも麦芽なら、ある所にはあるんです」
「……ある所?」
俺はニヤリと、ずっと思っていた心当たりを一つ告げる。
「エール工場です。麦芽はもともと、発酵させてアルコールを発生させるための材料です。そして、ウィスキーとビールはその前段階では兄弟と言っても良いほど似ている。どちらも大麦麦芽を主原料としていますから」
実は、ビールとウィスキーと良く似た製造方法を持っている。
ウィスキーとビールはともに麦芽を原料としていて、発酵もろみを作る過程までは重なる部分も多い。
もちろん差異もそれなりにはあるが、麦芽を作っているということだけは、疑いようがないはずである。
それを想定して発した先程の発言に、ホリィとアルバオが少し眉をひそめる。
「ウィスキー?」
「……なんだいそれは?」
興奮していて、普段はなるべく出さないようにしているボロが出てしまっていた。
なんでもありません、と俺は慌てて取り繕い、答えた。
「とにかく。この街にもエール工場はありますよね。そこに行って、麦芽を分けてもらえないかと交渉するのは、悪い手じゃないと思うんです」
最悪、分けてもらえなかった時には自作するほかあるまい。
大麦なら、ブドウよりも安価で、季節によらず手に入れることができるはずだ。麦芽の作り方は少々勉強不足だが、調べたりすることはできる。
ゆくゆくは、香り付けに使うピートを、麦芽作成時に用いたり、そのまま素材として混ぜたりなどの対照実験も行うだろうから、自作は課題ではあるだろう。
いずれにせよ、現段階では行動してみることに意義がある。
試してみないことには、俺の考えが本当に正しいのか分からない。
『第五属性』が本当に、俺の世界の『ウィスキー』と対応しているのかは分からないのだから。
「約束は取り付けてないから、門前払いになるかもしれないけど」
「まぁ、まずはぶつかってみないとだな」
俺とアルバオは、工場の壁を見上げつつ、言った。
辻馬車を拾って、街道を行く事数十分。調べていた工場は、思ったよりも大規模なものだった。
まず、レンガ倉庫のような縦横に広い建物がいくつか並び、そこに少し背の高い建物が隣接している。
背の高いほうからは煙突が伸びていて、外から見た印象は少し閉鎖的であった。
俺の知っているビール工場は、当然ながらもっと現代的な建築様式であった。
それで、色々なものをパイプ的なものが繋いでいたり、鉄骨だったり、まぁ工場感が出ていたと言いたい。
だが、当然俺の時代とこの世界では時代背景が違う。温度管理の方法も、きっと魔法か何かで行っているのだろう。
決して舐めてかかることはしない。この世界の酒に、敬意を払う準備はできている。
「それで! なんでこの僕までこうして付き合わされないといけないんだ!?」
と、俺が覚悟を固めたところで、一際大きな声を出した男が居た。
雑用──もといギヌラである。
彼は、ここに到着したその日に比べると、ずいぶんとくたびれた様に見える。高級そうだった服はとっくに脱ぎ捨て、研究員たちとお揃いの白衣を身に纏い。
そしてその白衣を、毎日ヨレヨレになるまで着倒しているのである。肉体労働で。
「いや、俺は交渉役で、アルバオは『ホワイトオーク』の代表者……確かに、お前なんでいるんだ?」
「こっちが聞きたいよ! 来る日も来る日も雑用雑用雑用! 今回はいきなり『何かに使うかもしれないから』とか言われて、お前等に押し付けられたんだぞ!」
「ど、どうどう」
ギヌラが吠え、アルバオが落ち着かせていた。
しかし、本当になんで彼が付いてきたのは分からなかった。
暫く考えて、ポカンと一つだけ浮かんだものがあった。
「ギヌラ。そういやお前、仕事じゃない時間とか、どれくらいある?」
「はぁ? お前は毎日のんきに勉強していたろうが、僕は毎日雑用三昧だ! 働いてない時間なんて欠片もありゃしない! 僕が毎日どれくらい疲れているか知っているだろ!」
「ど、どうどう」
そう。こいつが疲れていることは俺が良く知っている。
俺とギヌラは共同の部屋で過ごしているのだが、驚く事に問題らしい問題はほとんど起きていない。
なぜなら、ギヌラは基本的に、飯を食べ、風呂に入ったら泥のように眠るからだ。
今の所休日らしい休日もないし、朝の時間は、俺に起こされるまで寝ている。
すれ違い生活じゃないが、俺達が接する時間はほとんどないと言っても良い。
そんなギヌラが、特になんの意味もなく、俺達の手伝いに付けられた。
これが意味するところは。
「……アルバオ。ホリィさんって、意外と優しいのな」
「……まぁ、そういうところが人気あるのさ」
たまには羽根を伸ばさせてやろうという、ホリィの粋な計らいに違いない。
まぁ、こいつも文句を言いながら働いてたしな。それくらいはあっても良いだろう。
と、俺とアルバオが同じ結論に至ったところで、ギヌラは一人だけ察しが悪い。
「まったく、僕は忙しいんだ。用がないのなら、さっさと研究室に戻らせてもらうぞ」
「……お、おう。え、戻りたいんなら戻ってもいいけど」
そこまで言うなら、とうっかり帰れ発言してしまった俺を、誰が責められようか。
「……くっ、貴様に言われると、戻ったら負けのような気がしてくるぞユウギリ!」
と、俺が暗に帰れと言えば、ギヌラはこういうことを言ってくるのである。
ホリィの言い分は理解しても良いと思うが、ギヌラにまでその気を回そうという気分にはなれないのである。
「いや、ほんと好きにしたら?」
「総……ああ、ギヌラ。良いよ、一緒に行こう。そうだ、君が居ると心強いよ」
俺は完全に自主性に任せようと思ったが、アルバオは心優しいことにギヌラを迎え入れてあげるつもりのようだった。
アルバオの声を受けて、必要とされたと感じたギヌラは、少しかっこ付けて言う。
「……まぁ、僕としても、戻って雑用するのも、ここで雑用するのも変わらないからな。仕方ないから付いていってやろう」
なにこいつ。ほんと、なに。
「はいはい。それじゃ行こうかアルバオ」
「あ、ああ」
「待てユウギリ! お前もお願いするべきじゃないのか、この僕に!」
俺はもう、ギヌラは好きに生きれば良いというスタンスで貫くことに決めた。
そんなことより今は麦芽だ。
俺は大きく息を吸って、その工場の入り口へと足を踏み出すのだった。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
本日5話投稿予定です。
次の更新は20時くらいになります。
※0418 表現を少し修正しました。
※0419 誤字修正しました。




