【プランターズ・パンチ】(2)
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そもそもが面白い色合いだった。
薄く褐色がかかった液体の底に、赤黒い『カシス』の層が沈んでいる。
さらにレモンの果実でも飾りたいと彼は言っているが、そうするとなるほど、色合いはさらに華やかに映えることだろう。
(見た目を楽しむのも結構だが、効果はどうなのかな)
ちょっとしたお客様気分に浸っていたホリィだが、さっそくと一口含んでみることにした。
自分の作った『熟成サラム』の味なら、これでもかと知っている。その味わいに秘められた、深い『魔法的効果』もまた同様に。
それが、果たして『カクテル』とどのように交わるのか、興味を持たずにはいられない。
ホリィは物怖じせず一口含み、そしてその味が、頭を突き抜ける。
刺激的な甘さと酸味が、波のように断続的に舌へと襲い掛かってくる。
香りは、いつもの熟成サラムの甘やかなものに、仄かに柑橘が混じった程度。しかしその一口目が、美味い。
シロップのストレートな甘さ、レモンの酸味とほとばしる爽快感、ふわりと漂ってくる『熟成サラム』のコク。
それらが波状に襲い掛かり、舌が感想を出す前に次々と流れていく。
まるで、想像でしか見た事の無い南の地を、自由に走り回っているような、そんな快活なイメージが頭に流れ込んできた。
喉元を過ぎ去っていくときは、太陽が沈む黄昏のような、ややノスタルジックな寂しさすら覚える。
仄かに風味だけを漂わせるカシスの味わいが、沈んでいる赤味が、そう思わせる一因とも思えた。
味わいを総合すればそれは確かに甘いのだ。
だが、決して甘ったるくはない。むしろ舌に残る刺激が、程よく酸味のアクセントを伝えている。
ホリィの中に眠る、無邪気な冒険心を駆り立てるような、心地の良い味わいである。
「よろしければ、ご自身でかき混ぜてみてください」
一口の余韻に浸っているホリィに、目の前の青年は提案した。
この味を自分で壊すのかと、仄かに抵抗も感じた。
しかし、先程芽生えたばかりの好奇心が、その行為を是とする。
いつも実験でそうするように、慣れた手つきでホリィが液体をかき混ぜれば、
先程までの薄い褐色の海は、いとも容易く夕闇に沈んだ。
その鮮やかな色合いの変化に、思わずホリィは息を呑む。
そして、ゆっくりと、その液体をもう一度含んだ。
カシスの妖艶な甘みが、一帯を包み込んでいた。
イメージの海原に夜の帳が降り、甘く穏やかな空間へと変貌する。
味わいは、先程の波に甘みが被さった形。そういう意味では刺激は減っただろう。
だが、全体的な雰囲気は、風味は、香りは、決して甘すぎることはない。
カシスの甘さが、熟成サラムの熱と溶け合い、混ざり合う。
ゆったりすっきりとした味わい。昨日飲んだ【キール】にも似た、それでいて全く違う、酸味と甘みの融合。
そんな印象を残す、一口だった。
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「これが、ヘリコニア氏やアパラチアン先生を唸らせた技術か」
ホリィの感想を聞き、その満足気な笑みを見て胸をなで下ろす。
実際、ダークラムを使ったカクテルは、俺自身久しぶりなので常よりもやや緊張していた。
それも、今回は飲んでいる最中に変化を付けられるカクテルだ。
出来上がった瞬間に二層以上に分かれているカクテル。
有名なもので言えば【テキーラ・サンライズ】や【アメリカン・レモネード】などがあげられるだろう。
目で楽しむのもカクテルの醍醐味だが、これらのカクテルにはさらに楽しみがある。
自分の好きなときに、味に変化を付けられるというところだ。
もっとも、俺が今回作った【プランターズ・パンチ】というカクテルは一概にそうとも言えない。
まず、少し述べたようにこのカクテルにはいくつもレシピに種類がある。
もともとは十九世紀後半のキューバやジャマイカの『プランテーション(大農場)』で、労働者のためにバケツで作られていたドリンクがルーツらしい。
そのために、これといったレシピがはっきりと定まっていないのだろう。
共通するところはダークラムを使うことのみで、レモンがライムだったり、シロップやコアントローの分量が変わったり、ソーダでアップしたり。
そんな中、俺はポートワインという特殊なワインを使うレシピをアレンジした。
ポートワインをカシスリキュールに変え、表面に浮かべる『赤色』を、底面に沈めてみたのだ。
他にもクラッシュアイスを詰めるところに普通のアイスを詰めるなど、いろいろと覚えたレシピからは逸脱している。
流石にアレンジが過ぎるので【プランターズ・パンチ・アレンジド】とでも呼ぶべきかもしれない。
「お楽しみいただけましたか?」
「十分にね。ほら、アルバオ君も間接キスするかい?」
「そこは素直に『飲むかい?』と聞いて欲しいんですが」
言いつつ、アルバオも好奇心には勝てなかったようで。
からかわれるのを承知でホリィからグラスを受け取り、一口含む。そして驚いたように目を開く。
「これほどとは……昨日無属性のリキュールポーション……? を飲んだときにはあまり思いませんでしたが、すごい変化ですね」
同意を求めるようにアルバオはホリィの顔を覗き込む。
ホリィもそれに頷いた。
「面白いものだ。『熟成サラム』の段階では殆ど感じられなかった『第五属性』すら、活性化して感じられるまでになっているんだから」
ホリィの発した言葉に、俺は誰にも知られぬくらい小さく、息を呑んだ。
「『第五属性』?」
俺の呟きは、思いのほか研究室の中に良く響いた。
ホリィは、うっかりと自分が出した言葉を否定するようなことはしなかった。
「……そうだよ。先日の品評会では、まだその事実は確認されていなかったんだけどね。君は私の論文には目を通してくれたのかな?」
「……あなたがたの研究は、こうだったと記憶しています」
もともと彼女達が研究していたのは『熟成』ではない。
ポーションの魔法適性と反応してしまう『樽』を使ってどうにか『ポーション』を輸送するために、『樽に詰めても効果の落ちないポーション』を研究していたのだ。
そして、失敗ばかりを積み重ねていたある日、サラムポーションで一種類だけ、効果が落ちないどころか、微量に効果が上昇する組み合わせが見つかった。
彼女達は、それに『熟成ポーション』という名前を付けて、じっくりと反応を見守った。
結論としては、サラムポーションにとある素材を合成した際、それによって起きる魔法適性の変化が、樽の適性と理想的な反応を示す。
そして、その素材は『サラムポーション』の時にだけ、その状態になるという。
素材の名前は『サトウキビ』。
海を渡って輸送されてきた、南国原産の『砂糖』の素材が、サラムポーションと樽を結びつけたのだという。
「……でしたよね?」
「その通り。しかし、私達が更にその研究を進めていると、新たに発見されたんだよ。『第五属性』の魔力がね」
ホリィが語った『ここから先』は、品評会の後の話だという。
彼女の研究室の中では、他属性の『熟成』を研究するグループや、さらに『サラム』の比較実験を行うグループが分かれた。
その実験で行われたのは、俺のアドバイスに基づく比較だったらしい。
俺が品評会の時に、アパラチアンに尋ねた幾つかの項目。
樽の木材、熟成期間、樽の再利用や、樽内部の加工などなど。
俺の思い浮かぶ限りの『熟成』に必要な項目を並べ立てたアレ。
彼女達はアパラチアンからそれらの違いの提出を求められ、そして見つかった。
オーク樽を用いてその内面を焦がし、『二ヶ月分』の熟成をさせたそのとき。
極微量の、しかし確かな『第五属性』の魔力が。
「それをアパラチアン先生に報告したら、『ホワイトオーク』はてんやわんやでねぇ。ここを含めたほとんど全ての研究室が『第五属性』の研究にかかりきりってわけ」
「あぁ。それで昨日、どこの研究室も『熟成ポーション』の研究をしているって言ってたのか」
俺はアルバオに視線を向けると、彼は肯定するように頷いた。
ということは、昨日のセシルの言動もひょっとしたらその辺りも絡んでいるのかもしれない。
彼の不機嫌の一端は、歳若いホリィの研究室から出た発見に『ホワイトオーク』全体が動かされているのが気に食わない、とか。
「ま、そういうわけでね。私としても、ウチから出た発見で他に先を越されたくはないしぃ。そんな時に、ヒントをくれたらしい『君』の登場ってわけだよ夕霧君」
「自分ですか?」
「そう。君の着眼点によって、我々は『第五属性』を発見できた。いや、いずれは発見していたから、早まったというべきかな」
そこは少し譲れないところらしい。
かと思えばホリィは、まぁどうでもいいか、とあっさりとプライドを放棄し、続ける。
「そんな君だ、他属性での『熟成』や、よりクリティカルな『熟成』に関して、何か思いつくことがあるんじゃないか」
ポンと肩を叩かれて、俺は少し納得する。
昨日の歓迎会において、ただ研修に来ただけの俺に対する期待が、どうにも強い気がしていたのだ。
もしかしたら『突破口』みたいな何かを期待されているのかもしれない。
「では、まず一つ、実はずっと思ってたことがあるんですけど」
「ほう?」
それが正しいという確信はないのだが、実は気になっていたことがあった。
『サラムポーション』の熟成に必要な素材が『サトウキビ』だった。
これは、俺の世界での『ラム』の原料が『サトウキビ』であることと、関係がある気がしていたのだ。
であるのなら、他の属性のポーションでも、地球の対応するスピリッツに関する何かが存在するのではないか。
「『ジーニ』に『ネズの実』とか、試してみる気はありませんか?」
手始めに、そんな提案をしてみるのは、間違っているだろうか。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
本文でもさらりと説明しましたが【プランターズ・パンチ】は色々なレシピがあります。
そして、作中のレシピは作者のオリジナルアレンジになっています。
本編内のレシピはあくまでアレンジの一つとして、寛大な心で見ていただけると幸いです。
(また本編ではベースを『ダークラム』と一括りにしていますが、レシピによっては『ジャマイカ・ラム』を指定されている場合もございます)




