変な夢(7)
乾杯から間髪を入れずに、俺は液体へと口を付けた。
先にも言ったが、俺が普段好んでいる『八年』は、荒々しい感じと、深い風味が同居しているような味わいだ。
それに比べて、レアブリードはどうだろうか。
まず違うのは、飲み口の重厚な柔らかさだ。舌に広げた瞬間にぶわっと広がる、荒いだけでなく、どこか濃厚な味わい。
走り出すスピードは八年の方が早いが、後からの味の追い上げはレアブリードのほうが凄まじい。
樽の中で眠っていた多年の思いが、ゆったりとその足を踏み出すようだ。
液体を呑み込むと、じんわりと喉の奥から広がってくる、芳醇な甘さ。息をすると鼻から抜けて行く、香ばしい風味。
ワイルドターキーらしい、分りやすい荒々しさはなりをひそめるが、決してないわけではない。
むしろ、その一歩一歩がより重く、ずんと心にまで響くようだ。
バーボンは主原料の半分以上がコーンである。スコッチウィスキーの主原料である大麦の麦芽を使っていない差は、独特の甘さに現れる。
スコッチのそれが上品な麦の甘さだとすれば、バーボンは快活なトウモロコシの甘さだ。
分りやすく、派手で、少し癖がある。
しかし、その癖に慣れてしまうと、その先の味わいは広い。
個人的には、ロックとの相性が良いというイメージもある。やや乱暴に飲まれることが多いからという、俺の個人的なイメージかもしれない。
これも、言い換えれば想像力の話になるのか……
「効くねぇ……これは、中々に強い」
「強いけど、広くて深いぞ。アメリカの広大な畑がイメージされる」
と、好き勝手なことを言いつつ、俺達は再びグラスを傾ける。
少しすれば、冬であっても氷は溶ける。穏やかに加水されていく『レアブリード』は、どんどんとその身に秘めた、焦げっぽい甘さを披露する。
俺と鳥須はにわからしく、ああでもないこうでもないと言い合い、一杯目のグラスを空にするまで、つまみのことも忘れているのであった。
「そう言えば、さっきの付き合った友達とかって、どんな感じだったの?」
俺が何杯目かも忘れた素晴らしき一杯に舌鼓を打っているところで、鳥須が真剣な声音で言った。
テーブルの上には、鳥須がつまみとして作った卵焼きや、俺が作ったモヤシと白菜の炒め物なんかが、小皿に分けられることもなく鎮座している。
ウィスキーは茶色いから、茶色い調味料が合う筈という謎理論によって、味付けは醤油や麺つゆだ。
「ん、どんなって?」
「だからその子達、最近付き合ったんでしょ? どうやって仲良くなったとか、どういう風に告白したとか、初デートがどうだったとか」
鳥須の質問に対して、俺は少しだけ記憶を掘ってみて、それで終わりだった。
「いや知らない。あんまり聞いてなかったし」
「えー? じゃあ、今後の予定とかは?」
「さぁ。気が合えば卒業してから、結婚とかするんじゃないのか」
俺は言いながら『レアブリード』を口に含んだ。
芳醇な味わいが、良く分からない質問に対するモヤモヤを吹き飛ばしてくれる。
だが、それが気に入らないとでも言うように、鳥須は俺に更に尋ねてくる。
「気にならないの? 自分の参考にしようとか、自分だったらもっとこうしたのにとか」
「考えてどうするんだよ。そんなの、自分がなってみないと分からないだろ」
俺の答えに、鳥須は難しそうな表情をしていた。
「総。ちょっと良い?」
「ん? なんだ?」
俺が酒の余韻を楽しみながらつまみに手を付けて言葉を待っていると、彼女はそそっとこたつから出て俺の隣に座る。
そして唐突に、俺の頭に手を伸ばしてきた。
咄嗟に対応できなかった俺だが、彼女の手が髪の毛に触れたところで、大きく身を引いて離れる。
「何するんだよ」
「確認」
「はぁ?」
鬱陶しげに手を払った俺を、鳥須はじっと見つめてくる。
「触られるのを嫌がる人って、それがイケナイ事だって思い込んでる、らしいよ」
その、もの問いたげな視線に、俺は顔を逸らした。
それを許さないとでも言うように、鳥須は、ぐいっと俺の視界に顔を潜り込ませてくるのだ。
「総って、そうだよね」
「どういう意味だよ、心理学かなんかか?」
「……私ってさ、多分総と一番仲が良い自信があるけどさ。それでも思うもん」
「それは随分と自信過剰だな」
急にシリアスなムードで話してくる鳥須から逃げるように、俺はいつもの憎まれ口を叩いた。
だが、鳥須はそれに乗ってくることもなく、滔々と言葉を繋いでいく。
「──総は、人が怖いの?」
「……は?」
鳥須の唐突な言葉に、俺は意味が分からず自嘲気味に返していた。
「人が怖いってなんだよ。あぁ、でも確かに、お前との関係を好き勝手思い込んでくる男連中には面倒なのが──」
「違う。そういうんじゃない。総って、結局誰と居ても、心に壁があるよね。私相手でもあるんだから、多分、他の誰ともある」
「…………何を言ってるんだよ。酔うにはまだ早い、だろ」
答えておきながら、心臓がどくんどくんと早鐘を打っている。
自分自身が乾いた笑顔を浮かべているのが分かる。
だけど、意味が分からない。俺が、人を怖がっているなんて、そんな自覚はない。
それなのに、どうしても、鳥須の視線から逃れられない。
「ねぇ、総。今日は私がお酒を持って来たんだから、一回だけ何でも言うこと聞いてよ」
「……何でもってなんだよ」
「お願いだから」
馬鹿な事言うなよ。
と、笑い飛ばすには、鳥須はあまりにも真剣な目をしていた。
意味が分からない。
友達の話をしていただけなのに、なぜ、人が怖いみたいな話になるのか。
「……それをする目的はなんだ?」
「総が今よりもっと、お酒を楽しめるように」
「…………」
意味はまったく分からないが、鳥須は真剣だった。
俺は一度、返事をせずにグラスに手を伸ばす。
氷を揺らして、樽からしみ出したその深い味わいを口に含む。
口の中を満たす、液状の宝石。
これがさらに美味しくなると、他でもない鳥須が言うのなら。
少しくらいは付き合ってやっても、良いのかもしれないと思った。
「分かったよ。何をすればいい?」
俺の返答に、鳥須は目を細めて、安堵の表情を浮かべていた。
「じゃあ、簡単だよ。良いって言うまで、抵抗しないで」
「……抵抗?」
「スタート」
言うが早いか、鳥須の手が再び俺の頭に伸びて来た。
また触られるのかと身構えたが、鳥須の要求を飲んだ手前、動かずに待った。
鳥須に不意打ちで頭を撫でられたことは、一度や二度ではないし。
「──え?」
そう思っていたところ、伸びて来た手は、俺の予想と少し違う動きをした。
鳥須は身を乗り出すようにして、伸ばしていた手で俺の後頭部を包む。
暖かな手の感触を俺が感じる間もなく、そのまま彼女は俺の頭を自分の胸元へと抱き寄せた。
柔らかく、暖かな感触が顔の表面を伝って脳髄にまで届く。
途端に、沸騰しそうになる血液が、頭を強引に動かしてその場を離れようとする。
だが、後頭部を押さえていた手のみならず、もう一つの手が俺の頭頂を包み込んだ。
俺は、鳥須に頭を抱きかかえられたまま、身動きが取れなくなった。
「抵抗しないで。大丈夫だから」
意味が分からない。
彼女の胸の柔らかな感触がとてもこそばゆくて、俺は今すぐにでもその場を離れたい。
だけど、鳥須はそれを許すつもりはないのだろう。
頭頂に添えられた彼女の手が、緩やかに俺の頭を、撫でる。
「前、聞いたっけね。総が、ゲームが好きでこの大学に入ったって話」
何かを確かめるように、鳥須が言った。
昔から、趣味なんてほとんどなかった。
子供の頃、俺は家の中で遊ぶ子供だった。
運動が苦手ってわけではない。ただ、運動より好きなものがある。
それがゲームだった。
俺は、とりわけRPGが好きだった。
自身が操る主人公が、様々なドラマを体験する。
成功も、失敗も、苦難も、試練も乗り越え、最後には世界に平和をもたらす。
そんな感動的なストーリーのそれだ。
ゲームをしている間は、まるで自分がその世界にいるような気がして、それがたまらなく幸せだった。
「でも、どうして総は、ゲームが好きだったの?」
「……それは」
それは。だって。
ゲームの世界だけが、俺を必要としてくれている気がしたから。
俺は両親に、虐待を受けた記憶はない。
だけど、取り立てて気にかけられたというわけでも、なかったと思う。
俺には兄が居た。俺と比べてとびきり優秀な兄だった。
両親の期待を一身に背負い、それに応えることを苦ともしないような、そんな兄だ。
その兄のあとに俺が生まれた。
兄に比べて、なんて平凡な弟だったろうか。
親の期待は、兄に集まった。兄の陰に隠れて、俺は両親にとって居ても居なくても変わらないような存在になっていた。
そんな俺に、居場所をくれたのがゲームだった。
「ゲームをやっている間は、俺が主人公だったんだよ」
「うん」
血の通っている筈の家族が、俺を居ないものとして見ても。
電気の通っている仮想世界の住人達は、俺を主人公として見てくれた。
だから俺は、ゲームにのめり込んで行った。
「分かるよ。私もそうだったもん。鳥須家の中で、私はみそっかすだったから」
「鳥須が、そんな」
「伊吹って、呼んでよ」
俺の言葉に寂しそうに反論して、鳥須──伊吹は続けた。
「私は総じゃないから、立場は違うけど。親に居ないもの扱いされてたのは、一緒。でも親以外からは、必要とされてたかもね。ほら、美人だから」
俺には彼女の顔は見えない。
だけど、きっと、俺が今まで見た事のないような、寂しげな笑みを浮かべているのは分かった。
冗談を言う時くらい、しっかりと笑っていれば良いのに。
「だから、総がずっと気になってたのかもしれない」
「……俺が?」
「お酒友達の話も嘘じゃないよ。だけど、それより前に思ったんだよ。『この人は私と一緒で、欲しい相手から貰えなかった人なんじゃないか』って」
ぞくり、と背筋が冷えた。
俺と、伊吹の、心のなかの冷たい部分が、一緒にさらけ出された心地だった。
俺はそこで、躊躇した。
踏み込むのを恐れた。
強引に彼女から離れようともがいた。
だけど、伊吹は俺のことを離さなかった。
「私にだけは、甘えて良いよ。私にだけは、吐き出しても良いよ。私も総にだけは甘えるし、総にだけは、自分で居るから。だから、私にだけは、近づいてもいいんだよ」
その響きが、あまりにも甘美で怖かった。
俺の今まで築いて来た価値観が壊される思いだった。
「なんで、そういうことを言うんだよ」
「分からないけど、私がそうしたかったから」
「……分からないって……分かれよ。自分のことくらい」
「……総もいつかきっと分かるよ。分からないってことが」
抱きかかえられた彼女の胸の奥から、心臓の鼓動が聞こえてくる気がした。
ドクンドクンと、ありえないほどに早い。
いや、ひょっとしたらそれは俺の鼓動なのかもしれない。
もはや、どっちがどっちだかも分からないくらい、俺達は側に居るのだから。
「ねぇ総。名前で呼んでよ」
「……なんでだよ」
「そこの壁くらい、自分で壊してよ」
「……伊吹」
俺が彼女の名前を呼ぶと、彼女は尚更に俺を強く抱き締めた。
「総。私は一つだけ分かるよ」
「何がだ?」
「この、総を抱き締めなきゃいけないって、この感情は、愛情だと思う」
かっと頬が熱くなる。
伊吹は取り繕うように、早口で言った。
「これが、親愛なのか、恋愛なのか、友愛なのかは分からないけど」
「……やっぱり、分からないのか」
「そうだよ。だけど、総も覚えておいてよ。私、鳥須伊吹はね。総がこの世界の誰からも必要とされなくたって、私だけは総を必要としてあげるから」
スケールでけえよ。
そんな照れ隠しのつっこみが、頭の中に浮かんだ。
それでも、口から出たのはまた違う憎まれ口だった。
「お前のことは、忘れてばっかりな気がするけどな」
「すぐそういう事、言うんだからなぁ。もう」
少しむっとした声がした。
伊吹は、その段階になって俺を解放した。
自由になった俺の頭は、自然ともともとあった場所にまで戻る。伊吹もまた、少し寒そうに震えたあとに炬燵の中へと入ってきた。
お互いが、最初に入った炬燵の定位置に戻った感じだ。
俺と伊吹は、正面から見つめ合って、どちらともなく視線を逸らした。
「な、なんで見てくるのさ。ちょっと、お姉さんマジモードだったから恥ずかしいんですけど」
「俺だって恥ずかしいぞ。酒飲み友達がいきなりポエミーなこと言い出したんだから」
「んだとこのヤロー!」
二人揃って、おかしくなった空気を戻そうと努力する。
それなのに、二人して空回っているかのような、変な空気が流れていた。
「…………えっと」
「…………なんだよ」
「…………別に」
「…………俺も別に」
「…………そう」
「…………おう」
カラン。
そんな俺達を見かねたように、ロックグラスの中の氷が溶けて、音を立てた。
俺と伊吹は同時にグラスを見てしまって、その後にお互い目を合わせる。
少ししたらおかしくなって、二人同時に笑ってしまった。
「色気ないよー。そこで酒はないでしょ、総くん」
「うるせーよ。伊吹のほうが反応早かっただろ」
俺達はお互いに指摘しあいながら、それぞれのグラスを手に持った。
乾杯の仕切り直しをしようかといったところで、伊吹は訳知り顔で言う。
「それじゃ、今日は総のはじめての友達記念日として、覚えておく事」
「それは『良い事』なのか?」
「うん。すごくね」
そのあとに、二人揃って乾杯と唱えて、グラスを合わせた。
「そういえば」
「なに?」
俺がふと声を漏らすと、伊吹はその続きを促した。
そのなんでもない返しに、俺はなんでもない今日という日の、一つの呼び方を口にした。
「今日って、クリスマスイブだったっけな」
「おせーよ!」
伊吹は笑いながら、俺のとぼけた発言に突っ込んだのだった。
そのあと、メリークリスマスと、二人で笑って、酔いつぶれ。
二人揃って、炬燵で眠ってしまった。
翌日。俺よりもやや体の弱い伊吹が、ズーズーと鼻を鳴らしていたのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
本当に遅れてすみません。
十時に上げたいという気持ちだけは、確かにあるんです。
ついでにワイルドターキーの八年は、作者が最も好きなバーボンです。
あと、明日カクテルマジックの三章が完結するので、良かったら見てやってください(露骨な宣伝)
※0126 誤字修正しました。
※0612 表現を少し修正しました。




