カクテルグラス(1)
「お待たせしました。【ブルー・ムーン】です」
俺が差し出したグラスに、酔いでやや頬を赤くしたイベリスが嬉々とした声をあげた。
「やった! 今日は『パルフェタムール』があって良かったかもー」
「すみません。知人から購入している関係で、在庫管理が少々難しくて」
「いいよー」
俺の謝罪にも、特に気にした素振りも見せず、イベリスはそのグラスを手に取った。
薄紫色の液体が注がれているのは、やや背が低く口の広い、普通のグラスだ。
俺が今まで慣れ親しんできた、あの三角のグラス、カクテルグラスではない。
…………。
「どしたの総?」
一口含み、満足げに目を閉じていたイベリスが、俺の視線に気付いて声をかけた。
俺ははっと意識を取り戻し、取り繕うように首を振る。
「いえ、なんでも」
「んー? そういや、たまにグラスを見て、ぼーっとしてるよね」
「……バレました?」
少しおどけて言ってみると、イベリスは頷く。さらに、俺達の会話が耳に入っていたらしい周りのお客さんにも、うんうんと頷かれてしまった。
どうやら、俺は自分が思っている以上に、グラスへの思いを募らせているようだ。
「総曰く、本当はショートカクテル──量が少ないカクテルは、それ専用のグラスで飲むらしいよ」
そう言ったのは、この店のオーナーという立ち位置にいる青髪の女性、スイだ。
彼女は、イベリスへとチェイサー(この場合は水)を差し出しながら、俺が普段零している文句を口にしていた。
「もともと、カクテルは見た目も重要な要素だから、グラス一つでも評価は大きく変わるんだって」
「あー。そういや、総に『適当に』何か作ってもらうと、よくミントとか、果実とかが飾ってあるもんね」
イベリスは俺の今までのカクテルを思い出すように言った。
そういえば、イベリスは俺との付き合いも比較的長いからか、メニューを見ずにお任せで注文することも多い。
そうなると、スタンダードだけではなく、即興でその時に合わせたカクテルを作ることも、ままある。
そして、俺の癖みたいなもので、オリジナルカクテルを作ったときには、何らかの飾り付けを行うことが多い。
一番多いのは、手軽にミントの葉を添えること。爽やかな香りも相まって、炭酸系のカクテルとの相性は良く、どんな色合いにもそれなりに映える。
次に多いのは、レモン、またはライムの果実を沈めること。もしくは、グラスの縁に飾り付けること。
味を締めるために少し酸味が欲しいときには手軽だし、柑橘系の香りもまた、印象を良くすることに繋がる。
その他にも、自作した『マラスキーノチェリー』(飾り付けの赤いチェリーのこと)や『ミントチェリー』(飾り付けの緑のチェリーのこと)を使ったりもするし。
その日の気分で買ったフルーツなども、皮を捨てずに飾りに変えることも多い。
とにかく、カクテルは目で楽しみ、鼻で感じて、口で味わうものだ。
カクテルそのものの色合いもさることながら、グラスが与える印象も馬鹿にできないのである。
「じゃあ、その三角グラスを買ってくれば良いんじゃないの?」
俺の脳内がまた少しトリップしていたところで、イベリスに素朴な疑問をぶつけられた。
瞬間、俺は手をぐっと握り込んで、苦々しく、告げる。
「無いんです」
「何が?」
「グラスはおろか、作ってくれる工房すら、ないんです」
「…………」
俺が本格的にグラスを探し出したのは、店がある程度軌道に乗ってからだ。
だが、なんとなく分かっていたことではあった。
この世界にはまだ、『カクテルグラス』というものは存在してはいなかった。
そもそも、カクテルグラス──あの三角のグラスの起源を俺ははっきりとは知らない。
誰が発明したとかではなく、カクテルが普及するにつれ、いつの間にか歴史に登場していたようなのだ。
一説では、あの三角のグラスはワイングラスの発展系であるらしい。
現代の氷を使ったカクテルが広く飲まれるようになったのは、製氷機というものが、科学の力で発明されてからだ。
当然、出始めには一般家庭に普及しているわけもなく、そういったカクテルを楽しめるのは上流階級の人間だったらしい。
そういう飲み物が好まれるようになれば、必然的にそれ用のグラスが望まれる。そしてあのグラスの形は、わざわざ顔を上向けなくても、指先だけで自然に液体を飲めるように工夫された結果だとか。
紳士淑女にとって、喉元を見せるような飲み方は、スマートさに欠けると思われたのだろう。実際、妙齢の女性なんかは、その辺りを気にすることもある。
しかし。
「この世界にはカクテルが普及していませんから、当然生産ラインがあるわけもない。ましてや、どこの馬の骨とも分からない男が、いきなり『こういうグラスがこれから流行る』とか言ったところで、門前払いもいいところですよね」
最初に街のガラス工房を訪れたときには、ろくに話を聞いてもらえもしなかった。
ポーション品評会で良い成績を収めたあとにも、もう一度、訪ねてはみた。
しかし、彼らにも生活がある。瓶や日用のガラス製品の生産に忙しく、結局話は上手く進んではくれなかったのだ。
「ええ本当に、この世界に来てからの頑固なオヤジ記録を、大幅に更新しましたね。あのガラス工房のひげ親父は」
「総。ちょっと私怨が漏れてるから。おさえて」
「……失礼しました」
俺は、こめかみのあたりを少し揉んで、それからイベリスに向き合った。
「だから、このグラスで今は我慢するしかないんです。それでいつか、カクテルが世界に広まった暁には、ようやく──」
「……えっと、実は心当たりあるかも。そういうのに」
「はい?」
イベリスがぽろっと漏らした一言に、俺は思わず食い気味で反応していた。
えっと、心当たり?
「それはつまり、ガラス職人的な人間に心当たりが?」
「うん。機人の間でちょっとだけ噂になってたかも。町外れの森の中に、自分たちと同じくらい変わり者の職人がいる、らしいよーって」
そんな噂、全然届いていなかった。
そうか。これが人間と機人の隔たりというやつか。
というか俺、今まで色んな人に聞いていた癖に、どうしてこんな身近な一人に聞いてなかったんだよ。馬鹿かよ。
「そ、その職人には、どうやったら会える?」
俺は身を乗り出してイベリスに尋ねていた。
職業意識的な、敬語とかもろもろが頭から吹き飛んでいる。それを自覚はしているのに止められない。
急に寄ってこられたイベリスは、少し身を引きながら、困ったような笑みを浮かべる。
「えっと、そんなしっかりとした事は知らないよぉ?」
「構わない」
イベリスはええっと、と記憶の隅から情報を探り出すように呻き、少しだけ上の空になる。その間、俺は緊張の面持ちでイベリスを見つめ続けた。
心なしか、周囲までもが俺の迫力に飲まれて静かになっている気がしてきたころ。
イベリスがポンと手を叩いて答えを出した。
「そだ! 思い出した! 確か、和装っていうんだ」
「……和装?」
イベリスがいったい何に悩んでいたのか。
俺がそれを理解する前に、彼女は話を進めて行く。
「そうそう、その和装をした女性が、週に一度くらい街に来るんだってさ。それで、その人に、職人に会いたいって伝えると、アポイントを取ってくれる、だったかも」
「つまり、和装の女性を探せば良いってことか?」
「そそ。でも、総は和装って分かるの?」
「……分かるも何も」
和装。
俺の勘違いでなければ、日本に古来伝わっている着物とか、甚兵衛とか、半被とかその辺の服装のことだろう。
そして俺の見た限りでは、この世界にそういった服装の人間は居ない。
確か俺の翻訳の力は、この世界にあるモノを俺の認識できる形に置き換えて、翻訳している。
ということはまず間違いなく、和装といえば、俺の思っている和装なのだろう。
逆に、俺の方が尋ねてみたいところだ。
「つまり、この世界にも、俺の世界で言う所の『日本』があるってことなんだな」
「……ニホン?」
俺の答えに、イベリスの方が首を傾げた。
そうだった。そういえば最初にスイに聞いたときも、彼女はニホンを知らなかった。
ということは、この世界には俺の認識に置き換えられる『日本』的な国は存在しないということなのだ。
……良く考えれば、それもそうか。
何故ならば、俺の知っている日本には魔法はないし、そこら中にビルが並んでいる。和装を常日頃している人は滅多に見ないし、国の仕組みも現代的だ。
この世界に『かつての日本』のような国があったとして、その国が『日本』と翻訳されることは、きっとない。
何故ならそれは、俺の知っている『日本』ではないのだから。
「確か、その人達は──『ジャポン』って国から来たんだったかも」
それ故に、こう、ちょっとだけ聞き覚えのある感じで、日本をもじった国の名前になっているというわけなのだな。
「分かった。とにかく、今はその『ジャポン』から来た職人に会いたいな。仕事を受けて貰える確証はないが、可能性はあるんだ」
俺はふぅ、と頭に上り始めていた熱を吐き出す。
最近、カクテルグラスまで望むのは諦めかけていたところだった。
可能性が見えたのは久しぶりだ。バーそのものは順調に見えて、ビンの発注だとか、再利用だとかで、ガラス関係は結構な手間がかかっている。
今はイベリスに引き渡すことで、洗浄や瓶詰といったリユースの問題は解決できている。だが、彼女もガラスは専門じゃないので、グラスを作り出すことなどはできない。
「それで、その和装の女性はいつ街に来るとかは分かるか?」
「えっと、どうだったかな。日曜とか、決まった曜日だったかも?」
「日曜……って明日じゃないか!」
この世界のカレンダーは、くっきりと分りやすい。
一月が三十日の、十二ヶ月。一年三百六十日。週は日曜、月曜、火曜、水曜、風曜、土曜に五曜という七日刻みだ。微妙に食い違っているのは、まぁ考えない。
そして、今は九月の二回目の五曜。飲食店が繁盛する週末。
それが何故かと言えば、日曜は大抵の仕事は休みになり、今日だけは深酒しても仕事に影響が出ないからだろう。
「とにかく、明日の昼間はその人を探して、そしてなんとかガラス職人と面会だな」
ひとまず明日の予定を決め、イベリスから更に詳しい情報を聞こうと思ったところ。
「総。明日って」
「ん?」
スイが控えめに俺に声をかけた。
俺が視線をカウンターの中に向けると、いつの間にか話を聞いていたらしい弟子たちが、それぞれ微妙な顔をしていた。
フィルは、やや残念そうな苦笑。
サリーは、やや苛立った睨み顔。
俺が何と尋ねる前に、不貞腐れた様子のサリーが、事情を説明してくれた。
「ふーん。そうなんですかー。総さんは可愛い弟子との約束よりも、グラスを取るんですねー。へー。別に良いですけれどー」
「さ、サリー。仕方ないって、総さんの悲願なんだから」
「だからー、別に良いですけれどー。ふーん」
「あ」
そういえば、明日の日中は二人の練習に付き合うという約束だった。
し、しかし、ここでこんな話を聞いては居ても立ってもいられない。
のだけれど、弟子との約束を破ってまでというのは、師匠としてはとても褒められた行為では決してない。
だ、だけど!
「総さん、大丈夫です。教わったことの反復が主ですし、僕達だけでも練習はできます。だから気にせず行って来てください」
「……フィ、フィル……」
フィルの優しさが、弟子とグラスを真剣に天秤にかけていた、汚れた心に染みる。
良いのだろうか、人として、ここで本当に頷いても良いのだろうか。
「ほら、サリーも。良いでしょ? 総さんの希望なんだから」
「だから、私は別に、最初から良いって言っていますわよ。ふん。その一途なカクテル目線が、総さんの良い所でも悪い所でも、悪い所でもありますからね」
フィルに促されて、サリーも鼻息を荒くしつつ、渋々と認めてくれた様子だ。
なんか悪い所って二回言われた気がするけど、気にしたら負けだ。
「すまぬ……すまぬ。助かる」
結局俺は、二人の厚意に甘えることにしたのだった。
これも最終的には二人のためだ。なるべく早く器材に慣れてもらうには、なるべく早くグラスが用意できたほうが良いのだ。
「……総のカクテルバカ」
「……許してくださいスイさん。俺が一番良く分かっていますから」
そう納得したはずなのに、スイのじとっとした視線がどうにも痛かった。
自分の店の筈なのに、周りの若干アウェーな空気が辛かった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ようやくグラスの話と、あと後々のための和風材料を少々。
といっても、作者は『sake』については完全に専門外なので。
何か間違いなどあれば、ご指摘いただけると幸いです。
※1206 誤字修正しました。




