最後に贈る花
翌朝――。
アリセナ国には、“アリッサ王女死去”の報せが広まった。
若き王女の突然の訃報に、人々は深い悲しみに包まれる。
『敵国の王子と密会していた最中、誤って転落死した』
そんな噂は瞬く間に国内へ広がり、王族への失望や非難の声も少なくなかった。
愚かな恋に溺れた王女。
王族としてあるまじき過ち。
人々は好き勝手に語った。
けれど、そのどれ一つとして真実ではない。
アリッサは、自らの人生を差し出して国を守ろうとしていた。
それでも彼女は、もう反論することすら許されなかった。
“死者”となったからだ。
そして弔いの日――。
灰色の空の下、多くの民が花を供え、若き王女の死を悼んだ。
その人混みの中へ、一人の青年が静かに紛れていた。
深くフードを被ったアルトだった。
誰にも気付かれぬよう、ただ静かに墓前へ歩み寄る。
そこへ、そっと白いストックを一輪置いた。
風に揺れる白い花弁。
それは、最後までアリッサを愛していた証だった。
アルトは何も言わない。
言葉にしてしまえば、全てが壊れてしまいそうだった。
ただ長い間、墓石を見つめ続ける。
そこへ刻まれた“アリッサ”という名前が、あまりにも残酷で。
生きているのに。
今もどこかで泣いているはずなのに。
世界はもう、彼女を死者として扱っている。
アルトは静かに目を伏せた。
その瞳には、深い喪失だけが残っていた。
やがて彼は踵を返し、誰にも知られぬまま、その場を去っていく。
二度と振り返ることはなかった。
一方――、
“アンジェラ”として生きることになったアリッサは、静かな部屋の中で、その話をニオから聞かされていた。
「……アルが?」
ニオは小さく頷く。
「白いストックを、一輪だけ供えていかれました」
その瞬間。
アリッサは、張り詰めていた感情が溢れそうになるのを感じた。
アルトは、ちゃんと来てくれた。
“死んだ自分”へ、最後の花を手向けてくれた。
それだけで胸が苦しくなる。
泣いてしまいそうになる。
けれどもう、アリッサとして泣くことは許されない。
アリッサは震える指先で、ニオが持ってきてくれた白いストックへ触れた。
小さく、儚い花だった。
けれど、その白さは痛いほど美しかった。
「……忘れたくない」
ぽつりと零れた声は、掠れていた。
愛した人も。
“アリッサ”だった自分も。
何一つ失いたくなかった。
だから彼女は、その花を右腕へ刻むことを決める。
二度と消えないように。
自分が誰だったのか、失わないように。
その印はやがて、アリセナ王家に代々受け継がれていくこととなる。
愛した罪と。
失われた恋の記憶として。
そしてアルトもまた、深い絶望の中にいた。
愛する人を救えなかった。
守りたかった未来を、何一つ守れなかった。
その喪失は、アルトの中で静かに形を変えていく。
人を傷つけるための力ではなく。
誰かを救うための力を求めるように。
やがてアルトは、自らの魔法を変質させていった。
祈りから生まれる、新たな術。
後に“聖術”と呼ばれる力だった。
傷を癒し。
苦しむ人々へ寄り添い。
争いから零れ落ちた命を救う力。
それはきっと。
愛する人を救えなかった青年の、後悔そのものだった。
アルトは王位継承権を捨てる。
王になる道ではなく。
争いに苦しむ人々を救う道を選んだ。
そうして築かれたのが――二国の狭間に存在する、救済の聖地エルベラである。
そこにはきっと、最後まで民のために生きようとした、アリッサの願いも残っていた。
こうして、二百年前に終わったはずの恋は――長い時を越え。
再び、敵対する国の王女と王子の運命へと繋がっていくのだった。




