第16話(終)
静寂が支配する医務室で、私はひとり窓の外を眺めていた。
城下町の街路樹は鮮やかな紅や黄に染まり、人々の目を楽しませている。
白く霞んだ高い空に、鳶が旋回しているのが見えた。
「大丈夫…?」
バクリッコさんの言葉の意味を考えながら、秋風が紅葉を揺らす光景を眺めていると、
ガタガタガタガタッ!
と、なんの前触れもなく医務室の扉が音を立て始めた。
な、なんだ!? 何者かの襲来か…!?
身構えたものの、どうやら扉をノックしているだけらしい。
私は「ど、どうぞ」と遠慮がちに声をかけてみた。
すると、扉が勢いよく開き、
「パンデローっ!」
ターメリック王子が飛び込んできた。
「良かっ…た…目…覚めた、んだ、ね…」
どこから駆けて来たのか、頰を上気させ、肩で息をしている。
立ち上がって挨拶しようとすると、王子は「いいからいいから」と私を制して、ベッドの近くに置かれた丸椅子に腰掛けた。
一息ついたことで落ち着いたらしく、王子は普通に話し始めた。
「図書室での勉強が終わったところに、ミント先生がやってきたんだ。それで、君が目を覚ましたって教えてくれたんだよ。だから、居ても立っても居られなくなって全速力で走ってきたんだ。みんなも来てたんでしょ?」
「はい。…ターメリック王子様までいらっしゃってくださるとは、思いもしませんでした。ありがとうございます」
「当然だよ! だって、パンデローがあのときぼくのことを見つけてくれていなかったら、今頃どうなっていたかわからなかったんだから! …そうだ。あのとき、話が途中になっちゃったの、覚えてる?」
首を傾げる王子に、私は「はい」と頷いてみせた。
…あのとき、王子は自分がいろんな人たちに親切にするのには理由があると、あのスカーフに手をかけた。
どうやら、二人組が部屋に入ってきたせいで途切れてしまった話の続きをしたいようだ。
「……」
私が黙って待っていると、ターメリック王子はなんの躊躇いもなく首のスカーフをほどいた。
「パンデロー…ぼくがいろんな人たちに親切にする理由は、これだよ」
ターメリック王子が指差したのは、スカーフではなく自分の首だった。
「……!」
息が…止まるかと思った。
ターメリック王子の細い首…そこには、左耳の付け根から右の鎖骨まで延びる大きな裂傷の痕があった。
「…十年ぐらい前になるのかな…この国のはずれに小さな山岳地帯があるんだけど、そこで迷子になったぼくは、山賊の闘争に巻き込まれたらしくて…。小さかったから、あまり覚えていないんだけど、大怪我をしたぼくは何度も生死の境を彷徨って、奇跡的に一命を取り留めたんだって、よくお父様から聞かされてるんだ」
「……」
「山岳地帯の村は人も少なくて、お医者さんなんて最初からいなかった。それでもぼくが生き延びられたのは、村の人たち全員が寝る間も惜しんで見ず知らずの子どもであるぼくを看病してくれたおかげなんだ」
「…しかし、あなたは…」
「山岳地帯はこの国のはずれにあるから、ぼくが王子だってことを知っている人はいなかったんだって。…おかげでぼくは、それからいろんな人たちに親切にするようになったんだ。…ぼくを必死に看病してくれた人たちへの恩返しみたいな、そんな気持ちかな」
「…そうだったのですか…」
ターメリック王子の柔らかい雰囲気からは想像もつかない、血なまぐさい悲惨な事件…。
私は、ただただ呆然とするしかなかった。
「…スカーフを巻いてるのは、この傷を見た人が驚かないようにするためなんだけど…いつの間にか、ぼくのトレードマークになっちゃった。…パンデローも、この『雪明かりのスカーフ』のおかげで、ぼくのこと見つけられたんだよね?」
ターメリック王子は、いつの間にか首に巻き直したスカーフをヒラヒラともてあそんでいる。
私は「はい」と頷いてから小机に置かれた自分の鞄を引き寄せた。
また忘れるところだった…。
中から、鳶色の光沢が美しいローブを取り出し、王子に差し出す。
「私はあのとき、これをお返しするために王子様を探していたのです」
「ぼくに、これを?」
ターメリック王子は、世界にひとつしかないローブを前にしても怪訝な顔をしている。
「う〜ん、せっかくだけど、受け取れないよ。だって、これは君にあげたものだし、君のほうが似合うと…」
「そのような問題ではないのです、王子様!」
私は、自分でも驚くくらいの大声で、王子の暢気な返事を遮った。
「このローブは、世界にひとつしかない大地のローブです。それを、私のような仕事はおろか住む家すらない人間が持っていてよいわけがありません」
そう…私には、仕事も住む家もない。
エスペーシア王国へ辿り着き、叔父と再会を果たしても、私の人生が終わったわけではない。
これからどう生きるべきなのか…
ウェントゥルス様は王子のそばにいるべきだとおっしゃっていたが、それがどういう意味なのか私には…
「あるよ、パンデローには」
私の思考を遮るように、ターメリック王子が珍しく鋭い声を発した。
「え?」
「…パンデローには、仕事も住む家もあるよ」
そう言い切るターメリック王子は、慌てたように「もちろん、君がよければの話だけど」と前置きしてから、真面目な顔でこう告げた。
「パンデロー…君をぼくの従者としてこの国に迎えたい」
…それは、私にとって大きな答えだった。
やはり、ウェントゥルス様はご存知だったのだろうか。
ターメリック王子が言うべき言葉も。
その後の私の行動も。
「…わわ、駄目だよ、まだ動いちゃ」
ターメリック王子が止めるのも聞かずに、私はベッドを降りると医務室の床に片膝をついた。
「わたくしでよろしいのであれば、是非とも王子様のおそばに生涯お仕え致したく…」
「そ、そんなに堅苦しくなくていいんだよ! ぼくは、君ともっと仲良くなりたいんだ。だから一緒にいてほしいって、そう頼んだだけなんだから!」
顔を上げてみると、ターメリック王子は満面の笑みを浮かべていた。
「ありがとう、パンデロー。…これから、よろしくね」
差し伸べられた手を握ると、その場にすっと立たされた。
目眩もなく、身体もだるくはない。
もう立っていても平気のようだ。
「…それじゃあ、ぼくからの贈り物を受け取ってもらおうかな」
ターメリック王子は大地のローブを広げると、私の肩にふわりとかけた。
「うん、やっぱりパンデローのほうが似合うなぁ。ぼくの従者なんだから、これぐらい良いものを着ていてもらわないと。…へへ、なんてね」
ターメリック王子のいたずらっぽい笑みに、私も自然と顔がほころんだ。
「よし、それじゃあ早速お父様とお母様にご報告しなくっちゃ。パンデロー、もう歩いても平気?」
「はい。ご心配には及びません」
私はその場で何度か跳び上がってみせた。
その度にローブがはためくのが楽しい。
ターメリック王子は瞳を輝かせると、
「お父様がね、早くパンデローに会わせてくれって、ぼくの顔を見るたびにおっしゃるんだ。ほら、お母様はあの日に君のことをご覧になっているけど、お父様だけはまだ君の顔もご存知ないから。公務そっちのけでここへいらっしゃってしまう前に、パンデローの目が覚めてくれてよかった」
ターメリック王子の優しさは、きっと持って生まれたものもあるのだろう。
笑顔で両親のことを話す王子を前に、私はそんなことを考えていた。
「…とか言ってる間にお見舞いに来られたら大変だ…!」
先に歩き出したターメリック王子は、医務室の扉を開けて安堵のため息をつくと、私に向かって手招きした。
「行こう、パンデロー!」
「…はい!」
その眩しい笑顔に向かって、私は大きく一歩踏み出した。
私は…あなたの希望の風になりたい。
そう、思いながら。
完
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
ターメリック王子とパンデローの物語は、まだ始まったばかりです。
不定期な投稿になるかと思いますが、これからも見守って頂けると幸いです。




