第13話
「…ちょっと、言いすぎたかな」
二人きりになった部屋の中で、バクリッコさんが苦笑しながら呟いた。
「なんか、南風派の人間として偉そうに語っちまったけど、オレだって昔の自分をすべて捨てたわけじゃないんだよな…名前だって、ノルテ王国に住んでたときのままだし」
ノルテ王国の名前…!
その言葉を聞いた途端、私の身体は電撃を受けたようにビリビリと痺れた。
その感動が自信を持たせてくれた。
「バクリッコさん」
名前を呼び、首を傾げる彼に告げる。
「私は、バクリッコという名前の響き、よくお似合いだと思います。…エスペーシア王国風のコーカンよりも」
バクリッコさんは、しばらく黙った後「ああ」と納得したようなため息をついた。
「やっぱり、パンデローだったんだな。オレのばあちゃんが世話したっていう旅人さんは」
どおりで懐かしい味のするポテトサラダだったわけだと、ローリエさんの孫であるコーカンことバクリッコさんは天を仰いだ。
「パンデローを博士の研究所に送って城に戻ったら、ばあちゃんからの伝書鳩が来てたんだ。手紙の中に、旅人のことが書いてあってさ。『もしも城下町で会うことがあったら、いろいろ助けてあげておくれ』って。まあ、オレはそうとも知らずにお前さんに声をかけていたんだけどさ。…あ、オレがばあちゃんのポテトサラダの味を忘れてたっていうのは、コレで頼むぜ」
バクリッコさんは、人差し指を立てて片目を瞑ってみせた。
私は「はい」と返事をして頭を下げた。
「バクリッコさん…ありがとうございました」
「…いや…罪滅ぼしにしては、足りないくらいさ…」
頭上から聞こえてきたバクリッコさんの声からは、今までの元気が嘘のように、覇気が感じられなかった。
これ以上なんと声をかけたらいいのかわからず黙っていると、
「バク…礼を言わせてくれ」
犯人の護送を終えたコリアンダー騎士団長が、神妙な顔で部屋の戸口に現れた。
「お前さん、あいつらの計画を最初から知っていたんだな。だから、事故を未然に防ぐことができた…しかし、なぜ黙っていたんだ? 我々騎士団に教えていてくれたら、身体を張って怪我をすることもなかっただろうに」
「…こうするしかなかったんですよ」
バクリッコさんの言葉は、まるで自分が事件の首謀者であるかのように聞こえた。
「仕方なかったんです。だってオレは、どちらか一方の味方になんてなれない立場だったから…。あいつら、オレがノルテ王国の出身だってわかってから、なにかと声をかけてくれていたんです。オレのお袋が吹雪で亡くなったって聞いて、二人とも自分のことみたいに泣いてくれて…そして、あの計画を打ち明けてくれました。…二人の親切な気持ちを裏切ってしまうようで、騎士団に告げ口なんてできなかった。でも、二人のやろうとしていることは、明らかに間違っている。悩んだ末に、オレはひとりでなんとかしようとしたってわけです」
「なるほどな…。あいつらには不注意だったと詫びて、俺たちには偶然ですと照れ笑いしていた、というわけか」
「…コリさん、いや…コリアンダー騎士団長。あいつらの計画を知っていて黙っていたオレも同罪です。…城に連行してください」
その横顔からは、並々ならぬ覚悟が感じられた。
先ほど片目を瞑ってみせた人物とは、まるで別人だ。
緊張して見守っていると、コリアンダー騎士団長は、
「何を言っとるか、馬鹿者」
と、バクリッコさんの頭を軽く小突いた。
「想像してみろ、バク。お前さんの善と悪の所業を天秤にかけたらどうなると思う。俺はな、ピタリと釣り合うんじゃないかと思っている。だから、お前さんの罪は不問だ」
「え、そんな勝手に…」
「俺は騎士団長だぞ? あのとき、お前さんが王妃専用の階段を使用した罪を不問にしたのも俺だったろう? それと同じだ」
「同じって…」
「バク。これからも、俺たちと一緒にエスペーシア王国の平和を守ってくれよ」
コリアンダー騎士団長のもっともらしい理由に、バクリッコさんもついには観念して「わかりました」と頷いていた。
「騎士団長…。でもオレ、友だちに何の忠告もできなくて、結局道を踏み外させてしまいました。…ほんと、馬鹿者ですね、オレは」
バクリッコさんは、小さな窓から、薄闇に包まれた空を見上げた。
鉄格子のはまった窓からは、凪をすぎて涼しい風が吹き抜けてきた。
『わたしはひとり これまでも これからも』
ふと、バクリッコさんが呟くように歌った一節に、私は息を呑んだ。
窓からの風に髪を揺らすバクリッコさんは遠い目をしている。
それは、まるで…
「ひとりになんて、なっていません!」
気がつけば、必死になって叫んでいた。
あのとき、母に言えなかった言葉が、今の自分の言葉となって迸る。
「バクリッコさんは、ひとりになんてなっていません! あなたを仲間として認めてくださったコリアンダー騎士団長や、同僚のクミンさんといったエスペーシア城の人たち、私の叔父であるカステーラ博士に、郊外で暮らしているローリエさん。そして、ターメリック王子様や、国王様や王妃様だっていらっしゃいます。バクリッコさん、あなたはひとりになんてなってません!」
ひとりじゃない…大切な人たちは、いつでもみんな、そばにいてくれる。
ただそれだけを伝えたかった。
「…そうか。でも、パンデロー。大事なやつをひとり、忘れているみたいだな」
バクリッコさんは私の顔を覗き込むと、
「…お前さんも、その中に入ってる。そうだろ?」
初めて会ったときのように、にっと笑ってみせた。
そうか…自分にも、同じことが言えるんだ…
私も、ひとりじゃないんだな…
喉元から熱いものが込み上げてきたが、隣でおんおんと号泣する騎士団長の姿を前に、それは引っ込んでしまった。
「ちょっ、コリさん。恥ずかしいんすけど!」
「よーし! 俺たちもエスペーシア城へ戻ろう! ローズマリーさん特製のカレーが待っているぞ!」
「まったく、話聞いてねぇし…じゃ、行くか、パンデロー」
「え、私も、ですか…?」
首を傾げてみせると、バクリッコさんは今まででいちばん真面目な顔をして、
「当たり前だろ。ターメリック王子様も待っていらっしゃるはずだし、カステーラ博士だってご相伴にあずかってるからさ。城の食堂のローズマリーおばちゃんがつくるカレーは絶品なんだ! 腹減ってるだろ?」
そういえば、叔父のところで上品なクロワッサンを食べて以来、なにも口にしていない。
「…はい!」
私は、バクリッコさんの若干怖い真面目な顔に答えて歩き出した。
しかし。
…あれ…?
右足を踏み出した途端、左足の支えが利かなくなった。
そのまま、前のめりに倒れ込む。
起き上がろうとするも、今度は腕の力が利かない。
腹這いのまま、動けなくなってしまった。
「え、な、なんで? パンデロー、大丈夫か…?」
心配そうな顔をするバクリッコさんに「大丈夫です」と答えようとしたのだが、口が開かないどころか、重さに耐えきれなくなった瞼が勝手に閉じてしまった。
「お、おいパンデロー! しっかりしろ! おーい!」
「パンデロー君? いったいどうしたんだ!? …だれか! 担架を頼む!」
暗闇の中で、バクリッコさんと騎士団長の声が次第に小さくなっていく。
世界は、やがて沈黙に包まれた…。




