第11話
残念ながら、王子の話の続きはお預けのようだ。
部屋に入って来たのは、目つきの鋭い背の高い男と、目つきの悪い小太りの男だった。
「ボッコ、ザンギ…どうして? ぼくは元従者の君たちに出会えて、とても嬉しかったのに、どうしてこんな…」
「相変わらず、王子様はだれにでもお優しいお人好しでいらっしゃるのですね。…まったく、呆れたものです」
その視線の冷たさに、私は息を呑んだ。
…彼らからは、エスペーシア王国の王子に対する敬意が微塵も感じられない。
「お前たちの目的はなんだ。国王様と王妃様の次は、王子様に危害を加えるつもりか」
たまらず凄みのある声で尋ねると、二人組は揃って舌打ちを返してきた。
「こいつ、虫の息だったくせに、もうベラベラ喋りやがって。なんでおれたちのこと知ってんのか知らねーけど、部外者は黙ってろってんだよ!」
小太りの男が甲高い声でまくし立てたが、所詮はその程度、私は動じなかった。
すると、背の高い男が氷のような視線を向けてきた。
「お前、エスペーシア王国の人間じゃねぇくせに、ずいぶんと王室の事情に詳しいな。おれたちが広場で石を投げたことも、城の階段に洗剤を撒いたことも、全部知ってるってのか」
「だから聞いている。お前たちが何のためにそんなことをしたのか」
「…決まってんだろ」
背の高いボッコと呼ばれた男は、私とターメリック王子を交互に見やると、声高く宣言した。
「おれたちの目的は、ただひとつ。このエスペーシア王国をウェントゥルス教北風派の国に変えることだ」
「…!」
…声すら出なかった。
パステール王国での辛く悲しい出来事が脳裏に蘇り、こめかみを嫌な汗が伝う。
「…どうして、エスペーシア王国の国教を変える必要があるの?」
それまで黙って話を聞いていたターメリック王子が口を開いた。
得意げな顔をしたボッコは、王子に蔑んだ視線を向ける。
「おれたちが暮らしていたノルテ王国は、ウェントゥルス教北風派の国です。雪害で故郷を離れるしかなかったおれたちは、住みよい国を求めてこのエスペーシア王国へと流れ着きました。…驚きましたよ、こんな軟弱な国があったなんて、とね。ですから…作り変えてあげようとしているのです。ノルテ王国のような、自然災害を憎んで対抗しようとする強い国に」
「……」
…まだ、こんな考え方をする人間が残っていたとは…
私は手の震えを隠すように拳を握った。
軽く目眩もするが、大きく深呼吸をして自分を落ち着かせる。
「…ねぇ、ボッコ。君はパステール王国という国を知ってる?」
ターメリック王子が私の母国の名前を出した。
真剣な表情の王子に対し、ボッコは当たり前のことを聞くなとばかりに片眉を上げる。
王子は気にすることなく話し続けた。
「君も知ってのとおり、西の大陸の南方に位置するパステール王国は、巨大な竜巻によって壊滅した。竜巻が発生した原因は異常気象など諸説あるけれど、ウェントゥルス教の信者たちは、北風派が南風派を迫害したために神の怒りに触れたせいだと言っているよ。…北風派の国では、この悲劇が繰り返されるかもしれない」
「王子様、それは少々行きすぎたお考えです。なぜ、悲劇が繰り返されると言い切れるのでしょうか。パステール王国の失敗を、おれたちは知っている。そこから学習したおれたちは、もう失敗なんてしない」
「失敗?」
「竜巻の原因は、北風派による南風派の迫害。それはつまり、南風派が北風派に逆らったことに端を発しているのではありませんか? 南風派が抵抗したりしなければ、パステール王国は北風派を国教とする国として、平和を築き上げていたに違いありません」
「…全部、南風派の責任だといいたいのか…」
私が思わず呟いた言葉に、ボッコは軽く鼻で笑った。
「ああ、そうだよ。伝え聞いた話じゃ、南風派の神父が反逆罪で捕らえられたために、南風派を迫害しなければならなくなったそうじゃないか」
…父さんのことだ…!
「…だから、すべての原因は、その神父にあるといっても…」
違う!
「父さんは悪くない!」
気がつくと、声を限りに叫んでいた。
「…悪いのは北風派じゃないか。北風派がいなければ、私の国は竜巻で滅びることなんてなかった。母さんが放心状態になることも、叔父上が母国を去ることもなかった。そして何より、父さんが死ぬことなんてなかったんだ。北風派のせいで、父さんが守りたかった私の家族は消えてしまった。北風派こそ、この世界から消えてしまえばいいんだ!」
「…消えてしまえばいい、だと?」
すると、今まで黙っていた小太りの男、ザンギがおもむろに口を開いた。
「南風派みたいな恵まれた人間に、おれたち北風派が消されてたまるかよ!」
その絶叫とともに、ザンギが手にした大剣を振りかざした。
…咄嗟のことで、逃げる暇すらなかった。
大剣が頭上に迫る。
ここで、死ぬのか…
覚悟を決めた、そのとき。
「……」
目の前を、一陣の風が吹き抜けた。
いや…それは風ではなく、木刀を手にした若い男性だった。
彼は素早い動きでザンギの前に立ち塞がると、大剣をなぎ払い、そのままの勢いでザンギを壁際まで突き飛ばした。
「ぐあぁっ!」
「て、てめえ、何しやがる!」
そこで、呆然としていたボッコが我に返り、剣を構えた。
しかし、ボッコが振りかぶるよりも先に、木刀の彼がその右手と額を強かに打ち据えていた。
「うっ…」
ボッコの呻き声とともに、剣が床に落ちて乾いた音を立てる。
「…あ〜、間に合ってよかった」
間の抜けた声は、あのとき噴水の前で聞いた声と同じものだった。
彼は象牙色の髪をなびかせ、私たちのほうへ振り向いた。
萌黄色の瞳は、得意げな笑みを浮かべている。
その顔に、黒の燕尾服はなんとも不釣合いだった。




