第16話 魔法少女は共鳴で。(1)
◆5月3日 午前0時20分◆
――ズズッ…ズズズッ……。
屋上には強い風と微量の雨粒が吹きすさび、そこに重い金属を引き摺るような音が静かに響き渡る。
巨大なハンドベルを持った仮面の少女は、それを引き摺りながらもう一人の少女に追い迫る。
一方、追い詰められている側の少女は、瞬きもせずに相手を見つめながら、背後に後退を続けていた。
『木之崎芽衣さんと仰いましたか…?先ほどの言葉…取り消しなさい。泣いて謝れば、まだ許して差し上げないこともありませんよ?』
木之崎芽衣と呼ばれた少女はすぐさま首を横に振る。
「嫌…ですの。私、自分の気持ちにだけは嘘を吐きたくありませんの」
『きゃはは…!嘘を吐きたくない?偽善者が何を言うかと思えば、笑わせてくれますね…。あなたみたいに良い子ちゃんぶってる人は、みんな裏の顔があるって相場が決まってるんですよー?』
そういうと、仮面の少女は自分を指差してこう言った。
『私みたいにね?きゃはは♪』
ニヤニヤとした笑みを浮かべながら少女は嘲笑ったが、笑われた当の本人は意に介した様子はなく、一切表情を変えない。
「それは普通のことですの…。誰しも人に言えない隠し事はあると思いますの。でも、どんな嘘であっても、それは人を傷つけることがありますの。それは大切な誰かかもしれないし、自分かもしれない。だから、嘘は本当に必要な時だけ吐けばいいと、私はある方に教わりましたの」
『その方もなかなか面白いことを仰いますね…。ですが、その方のせいであなたはこれから痛い目をみることになるなんて、まったくもって罪深い人ですよね~…きゃはは!』
その発言に木之崎芽衣の眉が少しだけ動く。
そしてすぐに大きく息を吸ったあと、まるで諭すかのような口調で話を始める。
「…もし、あなたの姉さまという方が『人を殺せ』と言ったら、あなたは人を殺すのでしょうか?」
『きゃはは…!愚問ですね…。当然です♪』
「…」
木之崎芽衣は一瞬だけ沈黙したあと、重い口を開くように言葉を返す。
「では…その人に『死ね』と言われれば、あなたは死ぬのでしょうか?」
そう言い放った少女の瞳は、心の奥深くまでを見透かしているような、真っ直ぐな目をしていた。
『…な!?ね、姉さまはそんなこと絶対に言いません!!』
仮面の少女は言いよどみながら答える。
その変化を木之崎芽衣は見逃さず、まるでそう答えることを知っていたかのように追い討ちをかける。
「どうでしょうか?あなたの姉さまが人を傷つけることを厭わないのであれば、その可能性は否定し切れませんの」
『ぐっ…!またしても姉さまを愚弄するのですね…!』
奥歯を噛みしめる音が聞こえるほどに、仮面の少女は強い不快感を表した。
『私はあなたの抗弁を聞きにきたわけではありません!こうなりたくなければ、大人しく私に従うことですね!』
捲し立てるように言い放つや否や、仮面の少女は勢い良くハンドベルを真下に振り抜く。
すると、豪快な音を立てながら、1メートル程もある石畳の一つが一瞬にして粉々に砕き割られた。
だが、その様子を見ても尚、木之崎芽衣は一切動じることなく平然と問い返す。
「…弱い者は強い者に従わなければいけない…あなたはそう仰りたいんですの…?」
『きゃはは…!飲み込みが早くてお利口さんですね!弱肉強食という言葉があるくらいですから、強い者が弱い者を従わせるのは至極当然のことなのです!ですから――』
仮面の少女は饒舌になって息巻くが、それとは対照的なほどに冷ややかな視線と冷めた口調ですぐさま反論する。
「――それでしたら、あなたは弱い人間ですの」
『…は?今、何と仰いました…?』
声のトーンが一気に下がり、仮面の少女は不快感をあらわにする。
すると仮面の少女は歩く速度を上げて一気に詰め寄り、二人の間は1メートルにまで縮まった。
「…私の尊敬する人は、自分の弱さを知りながらも絶対に諦めず、どんなに困難で何度負けようとも、誰かの笑顔のためになら何度だって立ち上がる。そういう人でしたの。そんな人に出会えたからこそ、今の私があるんですの」
芽衣は哀愁にふけるように、遠い空を見つめる。
そしてすぐに、目前の相手に向き直る。
「その人は間違いなく、あなたなんかよりもずっと“強い心”を持っていますの…!」
仮面の少女は先ほどとはまるで別人のように、冷めた口調で呟く。
『…少しいたぶるだけのつもりでしたが、やめです。そこでじっとしていてください。二度と逆らう気なんて起こさないように、全身の骨を砕いて恐怖をあなたに刷り込んであげます…!』
そういうと、腕を思いっきり振り上げ、ハンドベルを高々と持ち上げる。
『謝るなら、今のうちですよ?』
最後通知ともとれるその発言に対しても、芽衣は微塵も臆する事は無かった。
「残念ですけど、あなたのような人に屈するような弱い心は持ち合わせていませんの」
その直後、今度は芽衣が前に踏み込み、仮面の少女に急接近する。
突然のことに驚いた少女は咄嗟に半歩下がる。
芽衣の右手は精密機械のように狙い澄まし、その顔面を覆うマスクを引き剥がして、そのまま地面に払い落とした。
しかし、それだけに留まらず、間髪入れずに左腕が振り抜かれた。
すると、無数の赤い雫が空中に飛散し、仮面を剥がされた少女の顔面を朱色に染め上げた。
「…にゃっ!??目が…!?」
「あなたは人の心の強さを軽んじすぎていますの」
血の目潰しによって視界を奪われた少女は、ハンドベルのチェーンを手元まで縮めたあと、チェーン部分を握りながら、それを自分の真上で回転させ始めた。
「この偽善者が…!当たって死んでも、文句言わないでください!?」
「…!?」
――ドオォォーン!!
遠心力が加えられたハンドベルのモーニングスターは勢い良く地面に打ち付けられ、学校中に響き渡るほどの爆音を発した。
…
舞い上がった粉塵はパラパラと降る雨によって少しずつかき消され、盛大な地響きが鳴り止んだ頃には、隕石が衝突したようなクレーターが屋上に確認できた。
「…手応えが…ない…?どこに…?」
仮面を被っていた少女は、半開きの片目でキョロキョロ見回すも、その目が芽衣を捉えることはない。
「――おいおい…勘弁しろよなー?うちらの学び舎を壊す気か?」
メルティー・ベルの背後に回り込みながら芽衣を抱き抱えているのは、他でもない私自身だった。
「あ…雨さん…!」
メルティー・ベルは顔に付いた血を拭いながら、私を睨み付ける。
「またあなたですか…。いつもいつも、良い所を邪魔して…!!」
「芽衣…とりま、手出して」
私は芽衣を地面に立たせる。
芽衣の左手には、鏡の破片がしっかりと握り締められており、その手からは赤い鮮血がポタポタと滴っていた。
「まったく…。そういう危なっかしいところ、誰かさんにそっくりだわ。そんなところまで真似しなくてもいいと思うけど?」
手をゆっくり開き、血まみれの鏡の破片を取り除く。
そして、ポケットからハンカチを取り出し、それを右手に巻きつけて止血する。
「チーに固執する理由は知ってるつもり。けど、芽衣が傷ついたらあの子が情緒不安定になるのも知ってるでしょ?」
「は…はい…ですの」
自分の行動を反省するように、芽衣は少しだけ頷く。
「…これでよしっと。痛くないか?応急処置だから無理はするなよ?」
「大丈夫ですの。ありがとうござ――」
私はすかさず、芽衣の唇に人差し指を当てる。
「おっと、それはこっちのセリフ。アイツの注意を私からそらすために、わざとアイツを挑発したんだろ?ありがとう」
私が感謝の言葉を述べると、芽衣はいつも通りの笑顔で返した。
「んじゃ、そーいうわけでバトンタッチだ。あとは私に任せな」
私は芽衣を後ろに追いやり、メルティー・ベルの真正面に立つ。
「…雑魚が一人増えたところで何も変わりません。大人しく引っ込んでいてください!」
メルティー・ベルが私を鋭い眼差しで睨み付ける。
付着した血は完全には拭いきれておらず、その顔はフェイスペイントのように赤く彩られていた。
「そうもいかないんだよなー…。私たちに何かあったら死ぬほど落ち込むヤツが居るから」
私は頭をポリポリと掻きながら、チーのことを思い浮かべる。
恐らく、私たちに何かあれば、チーは私たち二人をここに連れてきたことを酷く後悔するのだろう。
そんなことになれば、やっと開きかけていたチーの心の扉は再び閉じてしまう。
それだけは絶対に避けなければいけなかった。
「…きゃはは!そのムズ痒い正義感だけは褒めてあげます。ですが、武器もなしに何が出来るというんです?格好つけてるだけでは何も守れませんよ?」
「あー…その言葉、結構刺さるわー…。まあぶっちゃけ、今の私には何も出来ないんだろうなー…」
私は空に手を伸ばし、天に向けて手のひらを大きく開く。
「けど、ま。なにかする必要なんて無いんだろうけど」
「――これは!?」
私がその言葉を言い終える前に、屋上の扉を勢い良く開く音と女性の声が響き渡った。
扉の方に視線を向けると、そこには一人の女性が立っていた。
「あれは…?」
「…生徒会長?なんでここに…――ってか、あの格好って!?」
その顔は確かに生徒会長その人だったが、仮面をしていないことを除けば、先日チーを襲撃した狐面の女と同じ格好をしていた。
「もしかすると、あの狐さんの正体って…?」
その時、チーの言葉や行動が、私の中で一本に繋がった。
「あー、なるほど…。今回の黒幕は生徒会長だったってわけか…」
あれだけ大きな破壊音を出せば、チーがすぐに駆けつけるだろうと踏んでいた。
しかしまさか、敵の増援を呼ぶことになっていたことは私にとっては想定外だった。
「…てかこれ、マズったわ…。完全に挟み撃ちじゃん…」
もしも、狐面とメルティー・ベルが仲間だとした場合、敵が一人増えた上に退路が断たれたということになる。
そうなると最早、私たちには逃げ延びる手段は無いも同然だった。
「雨さん…」
――一旦、鏡に戻るか…?それとも強行突破…?
鏡に戻ったところで、退路が塞がれるだけで時間稼ぎにしかならない。
とはいえ、さすがに芽衣を庇いながら、あの怪力仮面二人を真正面から相手にするのは不可能に近い。
「あーちゃん!芽衣!無事か!?」
最悪レベルまで悪化した状況をどう切り抜けるかを考えていると、私たちの名を呼ぶ声が聞こえた。
◇
◆5月3日 午前0時23分◆
屋上の扉から外に飛び出ると、そこには四人分の人影があった。
何かを見つめながら呆然と立ち尽くす天草雪白。
芽衣を庇うように立つ雨と、その二人に対峙するもう一人の少女。
「あの時と…同じ…」
私には天草雪白がそう呟いたように聞こえた。
だが、そんなことには一切構わず、私は叫び声を上げて二人に呼びかける。
「あーちゃん!芽衣!無事か!?」
「は、春希さん!?」
「チー!?なんでそいつと一緒に…?」
二人の無事を確認できて一安心したものの、率直に目の前で起こっている状況のほうが気にかかっていた。
「それはあと!これは一体どういう状況!?」
「どういう状況って…?」
「追い詰められていますの…?」
二人は首を傾げながら、こちらに返答を返す。
だが、それは私の求めた答えとは違っていた。
「そういうのじゃなくて!それ!!それはナニ!?」
私は視界映るその異常な光景に向けて指を指す。
二人は私が指し示した方向を、言われるがままに振り向く。
すると、その異常な状況に今気付いたかのように、一様に驚きの声を上げる。
「それ…って、うわっ!?ちょま…!?なんだこれ!?さっきまではこんなの無かったぞ!?」
「す…すごく光ってますの!?」
地面の魔法陣がオーロラのように発光しながら、バチバチと稲光のような閃光を放っていた。
ファンタジー世界ではありがちなその光景も、現実視点から見ると、どうみても異常な光景でしかなかった。
「ベル…?何でここに…?一体ここで何があったのですか!?」
天草雪白は二人と対峙しているであろう、小柄な少女に対して声を上げた。
奇抜な格好をしているその少女のことを、私はどこかで見たような気がしていた。
しかし、その格好のせいもあってか、いまいちピンとこなかった。
「ひっ…!?お、お姉さま…!これは…その…!私、姉さまのため…!?」
「謝罪はあとで構いません!とにかく、そこを離れなさい!!」
私もそれに同調するように、二人に呼びかける。
「二人とも!こっち!!」
私の呼びかけに反応し、すぐさま二人は駆け出す。
しかし、叱られていた少女の方は、まるで足が石になったかのように一歩も動くことはなかった。
「な…んで…?あ、あし…が…?」
「ベル――」
次の瞬間、魔法陣の放つ光はその少女を飲み込み、辺りは目が眩むほどの閃光に包まれた。




