第12話 魔法少女は終幕で。(5)
◆4月7日 午後6時30分◆
私たちはやっとの思いで雨の自宅前に到着した……とは言っても、距離的には公園からさほど遠くはなく、体感的に長いダンジョンを長々と歩かされ続け、やっとのことで帰り着いた町みたいな感覚であり、溜まりに溜まった疲労によって、険しい道のりのように長く感じられたというだけの話である。
「あれ……? 夏那は……?」
「もう中にいらっしゃるのでしょうか?」
家の前まで到着しても、それらしき影は見当たらず、私たちはキョロキョロと周囲を見回す。
「ねえ、私って行方不明ってことになってるんだよね……? う~ん……? どんな顔して帰れば良いワケ……? なんて言い訳すれば良いと思う? コレ?」
促されるように視線を下に向けると、皆一様にずぶ濡れであり、私と雨に至っては泥まみれに加えてズタボロの衣服を纏っているという、なんともな有様だった。
「み、道に迷ったとかですの?」
「いやいや、それはさすがにムリがあるっしょ……?」
「武者修行で山篭りしてたとか?」
雨は腕をクロスさせて、大きなバツマークを作り、否定の意を全力で表した。
「……ぶっちゃけありそうだけど、それはナシで!」
「結構良い案だと思ったんだけど……って、夏那……?」
「あ! お姉ちゃん!」
「おー、ハル。お帰りー」
家の前で立ち往生していると、雨の家から夏那が現れ、それに続くようにもう一人の人物――うちの母親が顔を覗かせた。
「おお? その格好カワイイじゃん♪ すっごく若く見えるぞー?」
「カワイイ……はともかくとして、若いは違うな……」
カワイイという単語が聞き慣れずにムズ痒く感じたこともそうだが、“若い”という言葉は私には世辞に当たず、その発言自体に悪意があるとしか思えなかった。
「で? 映画撮影どうだった?」
「まあ、なんとか無事に終わった……――じゃなくて! なんでそれを知って……」
なぜ、映画撮影のことがバレているのかと一瞬疑問に思った私は、少しばかり状況を振り返ってみると、夏那を巻き込んでいることは知られているし、口止めもしていないため、夏那から母親に情報が伝わったとしか考えられなかった。
それについては、すぐに合点がいったものの、母が雨の家から出てきたという状況については理解が及ばなかった。
「あ? 雨ちゃんじゃない? おかえりなさい」
「あ、えっと……どうもー」
「久々のお泊り会、どうだった? 楽しかった?」
「えっ!? お泊り……?」
私はそのやり取りに違和感を覚え、私と雨は顔を向き合わせて互いに困惑の表情を浮かべた。
「んー? あれー? そっちの子は昨日のー? 友達だったのー? 偶然ねー?」
「ああ!? き、昨日はお世話になりましたの!」
「いいのいいの! アレ、役に立った?」
「は、はいですの!」
なぜ、芽衣と母に面識があるのかなど、加速度的に進行する井戸端会議の内容が私にはまったく理解できず、私は思わず口を挟む。
「えっと……なんで、二人とも知り合いなの?」
「昨日、探し物をしている時にご親切にして頂きましたの。もしかしなくても、こちらの方って……」
行方不明扱いになっていた相手に向かって普段どおりに「おかえりなさい」と返すのはおかしく、雨が行方不明だという事実は、一体誰が警察に伝えるのかとか、芽衣と面識があったことや“お泊り会”発言にも疑問が残ったため、私は母の服の裾を引っ張って強引に会話から引き摺り出し、小声で話を始める。
「なによー? そんなに怖い顔してー。せっかくのカワイイ格好が台無しよー?」
「そ、そのことはいいっ! 色々聞きたいことがあるのっ!!」
私は浮かんだ疑問を晴らすべく、重要参考人に聴取を試みることにした。
「なんで芽衣と面識があるの?」
「あの子? 昨日、そこのデパートで困ってたから助けてあげたの。煙幕を買いに来たって言うんだけど、そんなものが普通のデパートに売ってるわけないじゃない? だから、私が倉庫に腐らせてた煙幕をあげたの。ガスマスクも必要だろうからセットで?」
煙幕をデパートに買いに行った芽衣も然ることながら、自宅にそんな物騒なモノを保管しておいた挙句、困っているからといって、おいそれとプレゼントしてしまう母に私は呆れてものも言えなくなった。
「じゃ……じゃあ、どうしてここに居るの?」
「ちょっとお茶しに来ただけよー? 早めに帰ったけど二人とも居ないからお母さん寂しくて、五月さんのところでお茶でもしようかなーって」
「そういうのじゃなくて! 警察が動いているって話は!?」
「ああー……聞かれてたのか~、私のヒ・ト・リ・ゴ・ト。あの時は仕事で疲れてたから、お母さん適当なことを言っちゃっていたかもしれないわね~?」
「聞くなと言っておきながらなんて勝手な……。どっから信じれば……」
そう思った次の瞬間、私は自分の考え至った仮説が末恐ろしくなり、そして血の気が引くほど恐怖することになった。
母は普段、絶対に仕事の話を家庭には持ち込まない人――その定義は何一つ変わっておらず、雨が行方不明になったことで警察が動いていることもなければ、警察が関与している事実すらも無く、前日に交わしたあの会話自体が全て母の作り話だったと仮定すれば、母の言動には説明がついた。
雨がどんな状況で、私が困っていることや置かれている状況さえ下調べしたかのように事細かに知っていたのは、その数時間ほど前に、偶然煙幕を購入しようとデパートを探し回っていた芽衣と出会い、事情を聞いていたからだと考えられるものの、そもそもそれすらも偶然の出来事ではなく、雨が帰っていないことと私が突然外泊したことを不審に思った母がそれらを関連付けて考え、私のここ最近の動向と関連しそうな関係者を調べ上げ、芽衣という存在に辿り着き、その素性を調べ上げ、下校する芽衣を尾行して偶然を装いながら接触をはかった――そう考えると、初対面の相手である芽衣に煙幕とガスマスクを芽衣に渡すという母の行動そのものが、この仮説を裏付ける証拠にもなり得た。
なぜなら、警察の道具を一般人に譲り渡すことがマズイことくらい、母なら十二分に承知しているはずであり、煙幕の危険性を知りながらも一般人である芽衣に譲り渡し、危害が及ばぬよう一緒にガスマスクを渡すなどという矛盾した行動をとったのは、芽衣が私の指示で動いていることに勘付いた母が、雨の失踪事件を解決するために私が奮闘していることを悟っていたためであり、他人を装いながらも人知れず私の助けになるよう、私の知人である芽衣に煙幕とガスマスクを譲り渡した――そう結論付けるのが、最も整合性のとれた結論だった。
そして、雨の失踪が大ごとになっていないのは、失踪直後に“雨が芽衣の家に泊まっている”などと雨の親に嘘情報を流しておくことで、それ以上事態が大きくなることを防ぐことができ、雨に対して“お泊り会”という発言をわざわざしていたのも、そういうことにしておけという私たちへの暗黙のメッセージであると解釈できる。
つまり、またしても私は母の手のひらの上で踊らされていたということになる。
「……色々納得した」
母の行動がなければ、私達の置かれた状況はもっと酷いものだったかもしれず、母に対して感謝の念こそ抱いたものの、それを口に出してしまうことは意図を汲み取れていないことになるため、今回に限っては心の中で大いに感謝するに留めることにした。
――ぐー。
「あらあらー。盛大に鳴ったわねー?」
「し、仕方ないでしょ!? 色々あったんだから!! ……というか、私の腹が減りやすいのはただの体質……?」
「私もお腹すいたよー」
あれほどの戦いを繰り広げた後なのだから、腹が鳴っても致し方ないとは思うものの、出来ることならタイミングというやつを考えてほしいなどと思いつつも、育ち盛りの妹の空腹に乗じることにした。
「それじゃあ、たまには愛娘達のために私が腕を振るってあげましょっか?」
「えっ!? ほんと!?」
「あ……いや、それは……」
「……と言うより、あんたたちの帰りが遅いから、もう用意はしてあるんだけどねー」
私の全力否定の姿勢も空回りし、最初から逃げ道など残されていない状況に私は絶望した。
「ほんじゃ……ここで解散ってことね?」
「とりま、行方不明っていうのは私の早とちりだった。その格好も撮影衣装ってことにしておけばたぶん問題ないんじゃないかと思う」
「はぁ~……良かった~。危うく、山篭りして武者修行する変な女子高生みたいなレッテル貼られるとこだったわー。芽衣も、今日は色々とありがとう」
雨が手を差し出すと、芽衣は笑顔で握手を交わした。
「いえ、こちらこそお会いできて光栄でしたの。それに、色々と助けていただきましたの」
「……? そんな畏まらなくていいっしょ? 同じ学校だし、また会うこともあるでしょ?」
「そう……ですね……」
「そんじゃ、チーのことヨロシクね?」
芽衣が残念そうに項垂れる様子を見て、私は大切なことを一つ思い出し、すぐに声を上げた。
「あ……あーちゃん!!」
雨が玄関に手を掛けた時、私は声を上げて呼び止めながら、後ろで様子を見守る母親と夏那を追い払うようなジェスチャーをする。
「うん? なに?」
不思議そうな顔をしながら振り返る雨に対して、私は多少もたつきながらスマホを取り出し、その画面を雨に見せつけるように構える。
「……LIGHT?」
「私は、今を大事にしたい……たくさんの時間を無駄に過ごしてきちゃったから……。今からでも、たくさんの思い出を作りたい……だから、私と芽衣と雨の関係を……えっと、その……一秒でも長く続けたい」
「チー……」
「春希さん……」
「だ、だから! こ、こういうののルールとか作法とか……私、良くわからないから……教えてくれると……助かる」
いつの間にやら目の前に接近していた雨が私のスマホを取り上げ、その画面を操作し始める。
「コレの使い方が知りたいってこと? それくらいなら……ここをこうー……って、友達がゼロ!? 家族しかいないじゃん!? ウソだろマジか!?!?」
「だ、だって仕方ないでしょ!? 連絡したい相手なんて居なかったから、私には必要無かったし!」
「いやでも、今どき女子高生としてそれはどーなのよ!?」
「だからこうして恥を忍んで頼んでるんでしょ!?」
「……わかった。私の連絡先を登録してあげるから、ちょっと待ってて」
「ああ!? ずーるーいー! ですの!? 私も混ぜて下さいの! もちろん、私もですよね? 春希さん?」
話に割り込むかの如く、芽衣が物理的に私と雨の間に割って入る。
「あー、はいはい。わかったわかった。三人で交換しよ? チーもそれでいい?」
「あ……ああ……」
「ありがとうございますの!」
私は嬉しさと恥ずかしさをなんとか誤魔化しつつ、小さく頷く。
「まったく、こっちは素直じゃないな……。んじゃあ、早速……」
小気味良い効果音とともに、雨と芽衣の名前が私のスマホ画面に表示され、その瞬間、心臓が大きく高鳴るのを私は確かに感じ取った。
「あー!! 来ましたの! これが念願の……!!!」
「これでおっけー。あとで連絡入れるから、使い方は……やりながら覚えるほうが良いっしょ? ……って、チー? どした?」
「にゃ……」
『にゃ?』
「ななな……なんでもない!」
私の意思に反して勝手に上がってしまう口角を抑えるように、私は必死になって右の頬に手を当てた。
「あ、そうだ! せっかくの記念だし……」
雨は何かを思いついたような表情を浮かべると、私と芽衣後ろに回り込み、二人を抱き込みながらスマホを私達に向けた。
「なっ、ちょ、いきなり!?」
「わ、私もですの!?」
「はい撮るよー。笑ってー。ハイ、チーズ!」
フラッシュの光とともに、三人一緒の思い出が初めて生まれた瞬間であり、その写真が私のスマホの待ち受け画面になったのは語るまでもなかった。