スカイブルーめろんぱん 4
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「あ、肩が濡れてるよ」
宙来自身は慣れている家だが、青空はもう慣れただろうか。そんなことを考え宙来は傘を閉じた。青空は慌てて家に入って、タオルを持ってきた。
「さんきゅ」
青空を見つめ、あまり濡れているところがないようで安心した。風邪でも引いたら長引きそうだ。宙来にとって青空はそれだけ病弱なイメージだった。
シャツを脱ぎ、肩に掛けるとカバンを開き、青空に送られたメロンパンをゴミ箱に捨てた。
「捨てちゃうの」
「何が入ってるか分からねぇんだぞ。直接購買で買ったワケじゃねぇから。増山が好きならもっと警戒しろよ」
増山の名前を出したくはなかったが、勢いで言ってしまった。青空は否定もなくただ謝っただけなので、宙来は落胆した。
「三条さん、帰れたかな」
「今度は三条サンか」
驚いた表情をしていたのだけ覚えている。さすがに受け取る体勢でもなかった女子に傘を投げつけたのはまずかっただろうか。だが彼女が鈍いだけだろう。自分は悪くない。頷いた。
「あ、そうだ、お弁当箱洗わないと」
青空がカバンを漁り出す。宙来も自分のカバンから弁当箱を出した。
「あのさ、義兄さん」
まだ呼ばれ慣れない呼び方に背筋を撫でられたような感覚がする
「前付き合ってた友達とか、今のカノジョさんとかいいの?僕と一緒にいつもいることないんだよ?」
青空は言いにくそうだった。宙来は、はっとして青空を見る。弁当箱を持ってカウンターキッチンのあるリビングに行こうとする青空の腕を乱暴に掴む。それだけで青空の薄い肌は痣ができるのではないかと思う。
「青空」
「余計なお世話だったかな。ごめん」
衝動で掴んでしまった。口で説明できる理由はない。宙来は手を放した。青空と義兄弟になる前にツルんでいた連中とは、見目麗しい青空に火の粉が飛ぶことを恐れて手を切ったし、こんな無防備な青空に尽くすためにカノジョとも別れた。遠慮だと思っているのだろうか。それとも、宙来に嫌気が差したのか。
「青空」
義弟は優しいから絶対に自分に嫌な表情をしない。そこにつけ込んでいる気は宙来自身しているけれど。
弁当箱を洗い始めようとしている青空に迫る。
「何・・・?」
怯えが見える。何を言うのか全くまとまっていない。宙来は口を開いたが、言葉が出てこない。
「どうして怒ってるの・・・?僕何か怒らせるようなことした・・・?」
顔に出ているのか。さらに宙来は眉根を寄せた。この感情は確かに怒りだが、何に対する怒りなのか分からない。
「メロンパンを、増山さんに渡したこと?」
青空を脅したいわけではない。けれど口で言っても伝わらないだろう。宙来は首を振った。
「折り畳み傘のこと?」
これも違う。自分が何に対して怒っているのか分からない。
「嫌なとこあるなら、言ってよ。直すよ。義兄さんに迷惑は、掛けないよ」
段々湿り気を帯びてきた青空の大きな瞳を見ていると、胸を締め付けられ、怒りも消えた。
「いや・・・。なんでもない。悪い。青空は青空のままでいてくれ」
2階の自室に戻る。自室の隣が青空の部屋だ。もともとは血の繋がった妹の部屋だった。妹の部屋で映画化された流行りの少女漫画を借りて読んでいたのを思い出した。もう妹を残すものはない。壁の色も桃色から水色に替えられた。内装も違う。
「お兄ちゃん!」
幼い女の子の聞こえない声が耳に届く。懐かしいな。血の繋がらない、新しい同い年の弟。以前の彼の暮らしを知らない。ほとんど他人なのだ。
両親が離婚して4年。それからずっと実父と暮らしてきた。妹と仲が良かったから最初は戸惑い、泣いた。泣いて、泣いて、それから怒りが沸いた。父親に。母親に。
宙来は後ろからベッドに倒れ込む。上半身だけベッドに乗せた。スラックスは濡れている。
父親の再婚相手は、実母とはタイプが全く違うおとなしそうな女だった。大きな連れ子もいた。同じ学校、同じクラスだった。関わりなんてほとんどなかった。それでも目を引くほど綺麗な奴だった。同じ男に告白されたり、変な悪戯をされてしまっているところを何度か見たことがあった。青空は自分が守らなくてはならない。兄なのだから。周りの薄汚い欲望を抱いた男から、女から、例のストーカーから。
「青空・・・」
綺麗な響きだ。何度も呼びたい。そうしたらきっと、可憐な声で何度も返事をくれるのだろう。
「何?それよりスラックス濡れてるよ。脱いで。乾かさなきゃ。明日どうするの?」
期待してもいなかった返事に宙来は吃驚して飛び起きた。じっと青空を見つめた宙来に、青空は不思議そうな表情で首を傾げる。
「スラックス、脱がないと」
もう一度青空は用件を言う。宙来はスラックスのベルトを外し、脱ぎだす。脱げと言ったのは青空のくせ、青空といえば両手で顔を覆ってしまう。女子のような仕草に、宙来の方が恥ずかしくなってしまい、俯いた。顔を上げないままスラックスを青空に渡す。青空も顔を上げず、そのまま脱衣所に向かってしまった。
雨音が強まってきた。窓の遠くを見つめる。灰色と紫の中間の色が広がっている。兄妹でなくなってしまった妹も同じ雨に打たれているだろうか。同じ空を見ているだろうか。




