9、少女と不良5
それは、とてもひどい傷だった。
足からたくさんの血が流れているのに団地は平気だという。
(うそだ)
そう、咲は思った。
平気な筈がない。
その、足の傷を見る前から咲には団地がずっと何かを気にしているように思えて仕方なかった。
咲は常に無表情であるせいか、感情の機微に関しても同様にとても鈍感だと思われがちだ。
が、それは事実ではない。
咲は静かに、静かに相手を見る。
相手の目を見て話すのも、それに由来する咲の癖なのだ。
故に、咲はいち早く気付く。
他者の感情の機微に。
「(平気なんてうそだ。足、ずっと気にしてた)」
咲は痛い痛しい傷を携える団地の足を見ながら、小さな口を無一文字に結んだ。
とても、痛い筈なのに。
なのに、団地は一緒に火葬場を捜してくれようとした。
嬉しかった。
咲は常に無表情だ。
だからと言って平気なわけではない。
短時間とは言え家族と離れてずっと心細かった。
一人で火葬場を見つけられるのか不安だった。
もう二度と家族とは会えないのではないのか。
そんな恐怖がずっとつきまとっていたのだ。
そんな時、団地は自分の話を聞いてくれた。
一緒に火葬場を捜そうとしてくれた。
寂しくて不安で怖い気持ちが少しだけなくなって、あったかい気持ちになれた。
だから少しでも団地の役に立ちたくて、ソッと足の血を拭いた。
自分にはそれくらいしかできないから。
最初は拒絶されたが、もう団地も咲の手から逃れるような事はしなかった。
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「(……ハンカチもティッシュも足りない。……どうしよう)」
しばらく血を拭いていた咲だったが、小さなハンカチとティッシュだけでは血を全て拭き取る事は出来なかった。
しかし先程より多少出血は引いたようだ。
咲が真っ赤に染まったハンカチとティッシュの残骸を見つめながら、ぼんやりとそんな事を思っていると、咲の目の前から微動だにしなかった団地の足が咲からひっこめられた。
「おい、ガキ。もういい。離せ。」
そう、咲の遥か上から団地は声をかける。
止血するものが無ければ自分に出来る事はもうない。
咲は素直に団地の足を離した。
「病院行ったほうがいい」
咲は団地の足を見ながら言った。
そうだ、こんなちょっと血を拭ったくらいでは、どうにもならない。
小学生の咲にもわかる事だ。
しかし。
「ほっときゃ治るんだよ、こんくらい」
そう、憮然と言い放つ団地に咲は目を丸くした。
「……ほんとうに?」
咲は首をかしげた。
傷を見る限り、全く平気そうではないのだが、確かに団地の目は先程までとは違い力強さに満ちていた。
本当に、この少しの間で平気になってしまったのだろうか。
「あぁ」
頷く団地に、咲は目を瞬かせる。
とてもおかしな事に、そんな団地の目を見て咲は本当に団地の足が治ったのだと錯覚してしまった。
「よかったね」
「……あぁ」
そう、ポツリと呟いた咲に先程までポカンと二人の様子を眺めていたいぐさが、次の瞬間勢いよく覚醒した。
「いや!治んねーから!団地バカじゃね?!そんないっぱい血ぃ出しといて、ほっといて治んのって道本だけだし!団地バカじゃね?!あほじゃん!」
2度も馬鹿扱いされ、しかも更にはあほ呼ばわりまでされ、団地はまたしても額に青筋を立てた。
間違っても、団地はいぐさにだけは馬鹿扱いされるなんてごめんである。
馬鹿も阿呆もお前だろ、と声を大にして叫んで拳を振るいたい気分だ。
そして、そんな凶暴極まりない気分を、団地はそのまま躊躇うことなく実行に移そうとした。
そんな団地に様子に、周りの不良達に再度絶対零度の緊張感が走る。
「テメェにだけは言われたくねぇんだよ!このうすら馬鹿が!」
「団地チョーひでー!俺頭はふつうくらいだし!そんなにバカじゃねーし!団地なんかろりこんじゃん!アクアス言ってたぞ!ろりこんは犯罪なんだって!」
いぐさの「ろりこん」発言に今にもいぐさに殴りかかりそうな団地。
「この犯罪者め!」と団地の怒りに更に油を注ぐいぐさ。
常々、二人を止めに入る道本に、その意識はもうない。
「ろりこん団地!ろりこん団地!」
もー止めてくれ!いぐささぁぁん!と周りの不良達は一心に願う。
「………ぶっ殺す!マジでテメェぶっ殺す!」
「団地のアホ!ばか!まぬけ!ろりこん!はげ!」
団地の本気の睨みに、いぐさは負けじと己の語彙力を駆使した暴言を吐く。
しかし、その叫びを暴言とするには、いぐさの語彙力は余りにもお粗末であった。
余りの低次元ないぐさからの罵声に、団地は更に拳を勢いよく握りしめた。
「テメェは小学生か?!」
そう、思わず団地が叫んだ瞬間。
「小学生です」
「「!?」」
団地といぐさの言い争いの遥か下の方から、小さな声が聞こえた。
その瞬間、団地の中で燃え上がっていた怒りの炎が一瞬にして削がれるのを感じた。
「……いや、お前の事じゃねぇから」
「………??」
思わず拳を解いて咲に向かって弁明する団地であったが、咲は一切何も理解できていない目で団地を見上げていた。
依然として咲の顔は無表情であったが、その目は雄弁に語っていた。
何も理解できていませんよ、と。
「いや、だから」
「……私は11歳です」
「……あー、」
「小学生です」
尚も理解していないであろうその目を必死に団地に向け、たたみかけてくる咲に団地はふっと体の力が抜けるような気分になった。
そして、呆れたように団地は咲を見て苦笑する。
その隣ではいぐさが、「子供はもう11歳なのかー」と妙な感心をしていた。
そんな三人の周りの不良達は、2度も己のチームのトップの大暴走を止めた咲に一種の神的なモノを感じていた。
「(あのガキ……)」
「(スゲェ……)」
「(マジかよ……)」
咲は知らぬ間に自分が不良達から羨望の眼差しを受けている事など知らず、地面に置いておいた遺影をゆっくり拾い上げた。
そろそろ先へ進まねばならない。
咲はこの不良少年達との空間を、どこか心地よいと感じ始めていたが、今はその空間に甘えている場合ではなかった。
咲は、家族を捜さなければならないのだ。
「……私、かそうば行きます」
そう言うと咲は小さく頭を下げた。
ありがとうの気持をこめてしっかりと頭を下げる。
「おい、ガキ。お前、火葬場の場所、知ってんのか?」
下げた頭の上から、やはり憮然とした団地の問いが咲に投げかけられる。
そんな団地の問いに、咲は頭を上げてゆっくりと頭を振った。
知らない。
知らないけれど、ここからは自分一人でがんばります。
そう、咲は言うつもりだった。
しかし。
「待ってろ」
咲の耳に団地からの予想外の言葉が投げかけられる。
何を、
何を待つというのだろうか。
咲が団地の顔をジッと見上げると、そこには真剣な顔で自分を見つめる団地の力強い目があった。
「捜してやるっつったろーが。火葬場。」
「っ」
その団地の言葉に、咲は息をのんだ。
「あしは……?」
そうだ、足は。
団地の足は先程まで血で真っ赤だった。
一緒に火葬場を捜すなんて、できるのだろうか。
咲がぼんやりと団地を見上げながら、そんな事を思っていると、団地の口角はいつの間にか不敵な笑みが張り付いていた。
「誰が俺が探すっつった?」
「え?」
「おい、お前。」
咲が団地の言葉の意味を理解出来ずに居ると、団地は突然、たくさん居たカラフルな頭を持つ男の中から緑色の髪の毛の男を呼んだ。
「なんスか!団地さん!」
男は団地に呼ばれた瞬間、飼い主に呼ばれた犬のように団地に駆け寄った。
それはもう、呼ばれた事が至極光栄だと言わんばかりに。緑色の髪の男は勢いよく立ち上がる。
「そこらへんの奴捕まえて火葬場の場所聞き出してこい。あと……おれのバイクもとってこい」
「はい!すぐに!」
そう言うと緑色の髪の男ものは凄い速さで走って行ってしまった。
それはもう、飼い主にお気に入りのボールを投げられた大型犬のような姿であった。
そんな、大型犬の男を尻目に、団地はまたしても優雅に自分の定位置に腰かけた。
咲はそれを見てあるモノを思い出した。
「(おおさまみたいだな)」
咲の目には目の前の団地が、さながら一国の主であるように見えた。
「これで俺は動かずに火葬場を見つけられる。これでいいんだろ?ガキ」
ふてぶてしくそう言って微かに笑う団地は、本当に王様のようだった。