5、不良と少女1
「ここら辺に人を燃やして灰にする場所はありませんか」
「………は?」
「お母さんにこれを届けないといけないから。」
そう言って自分の目の前に突き出された笑顔の老婆の遺影に、団地は一瞬少女の言った言葉を理解できずにいた。
しかも、遺影の中の老婆は何やらどこかの国の民族衣装を身に纏い、これでもかという程笑顔を浮かべている。
それに引き換え、その老婆の遺影を突き出してくる少女の、なんとまあ無表情な事だろうか。
団地は目の前に現れたアンバランスかつ、酷く現実離れした存在に静かに混乱していた。
…なんなんだ、こいつ。
いきなり団地達の溜まり場に現れた真っ黒い服の子供は、しばらく俯いて立ち尽くしていたかと思ったら、何を思ったか、いきなり団地の前まで歩み寄ってきた。
その間、子供の目は終始団地のから視線逸らされる事はなかった。
その少女の目が、更に団地を混乱させる。
団地は自分の目つきの悪さは他と群を抜いて悪い事を充分自覚していた。
そのせいで今までの人生で、団地は誰かと目が合えば、逸らされるか喧嘩を売られるかのどちらかしかなかったのだ。
故に、団地はこんなに長い時間、他人と目を合わせた事などなかった。
両親とさえ、こんなに長時間目を合わせた事はない。
しかしこの子供は何だ。
目を逸らすでもなく怖がるでもなく、ただこちらを見つめ、ゆっくり近づいてくる。
しかも、無表情で。
その目には、恐怖も怯えも何もない。
真っ黒で、まっすぐな瞳がただただ団地を映すのだ。
そのせいか団地も、その少女のパッチリとした目から目を逸らす事が出来ず、こうして少女と相対している今も、互いに見つめあう形となってしまっている。
その間も、少女は何か訴えかけるような力の籠った目で団地を見上げ、更に老婆の遺影を自分へと突き出してきた。
「(……俺に一体どうしろと)」
どこか期待するようにも見えるその少女の目に団地はヒクリと喉を鳴らす。
何が何だかさっぱりわからない。
すると、今まで奇跡的にも静かだったいぐさが突然、大声をあげた。
「おーい!そこの、そこの!えっと……こどもー!」
その突然の大声に、団地の目の前に立っていた少女はビクリと体を震わせてそろそろと団地から目線を外し、声のする方へと振り返る。
その瞬間、団地は自分の中のピンと張り詰めた緊張感がほどけていくのを感じた。
そんな、今まで感じた事のない自分らしからぬ感覚に、団地は小さく舌打ちをした。
「ねーねー!キミ、何でここに居んのー?」
「………………」
「ねぇってばー!団地に一体どーして欲しいのー?おにーさんチョー疑問なんだけど!」
いぐさの無駄に明るい口調に、団地はいつもの如く自然と己の眉間の皺が深くなるのを感じた。
いぐさのこの無駄に通るデカい声は、団地の苛立ちをピンポイントで刺激する。
まぁ、いつもの団地ならここで拳の一発や二発、軽くお見舞いしてやるところなのだが、今回は自分の疑問の代弁者として悠然と少女に立ち向かういぐさに、団地は少しばかり感謝した。
不本意ではあるが、この小さな小さな不可解な少女の目は、団地を酷く落ち着かなくさせるのだ。
そんな団地の心情など知ってか知らずか、いぐさは、なぁなぁ!と無駄に大ぶりなジェスチャーで少女の前に、目線を合わせるように座りこんだ。
「…………ぁ」
いきなり目の前に現れた真っ赤な髪のいぐさに、何故か今まで無表情だった子供の目が少しだけ見開かれた。
そんな少女の小さな表情の変化に、団地は思わず少女同様目を見開いた。
まぁ、いきなり髪が真っ赤の変な男に話しかけられたのだ。
驚くのも当然だろう。
普通の子供だったらずっと前に既に泣いていてもおかしくないような状況なのだ。
しかし、最初の周りからの総睨みの状況を全く意返していなかった少女が何故このタイミングで驚くのか。
いぐさの何に、少女は驚いているのか。
団地は少女の微かな感情の浮上に、いつの間にか自分が、この小さな少女の一挙手一投足に目を奪われているのに気づいていなかった。
それは、団地の中に長いこと眠っていた“好奇心”という風化しかけた感情が、少しずつ目覚めていくようだった。
団地が自覚無き好奇心という感情に、ひたすら少女の動向を窺っていると、子供はいつの間にかまた最初の無表情に戻っていた。
「…………」
驚いた事に団地は少女の表情が無表情に戻った瞬間、小さな落胆を感じた。
団地はそんな自分の奇妙な気持ちの変化に戸惑っていると、子供の前にかがみこむようにして立っていたいぐさが、不満そうな表情で子供を見下ろしていた。
「もー!ムシすんなー!俺チョー悲しいぞ!」
そう言ってブーブーと口を尖らせるいぐさに、団地は継続して頭の片隅でウルセェなとこめかみを引くつかせる。
しつこいようだが、普通ならば既にいぐさは5~6発の拳を団地から受けているであろう。
そんな団地といぐさの前で、少女は少しだけ口をまごつかせると、次の瞬間小さな、本当に小さな声で言葉を発した。
「…………あの」
「おー喋った!何々ー?」
その小さな声にいぐさは顔をぱっと明るくすると、少女の顔の前にずいと顔を近づける。
そんあいぐさを前に、少女は無表情のまま、言った。
「日本語、お上手ですね」
「……おー?ありがと?」
「…………」
意味がわからない。
団地は目の前で交わされる訳のわからない言葉の応酬に、普段から皺の寄っている眉間に更に深い皺を作った。
何故だ。
何故この少女はいきなりこんな事を言ったのだろうか。
団地は考えても考えても答えの見つからない少女の奇妙な言葉に、とりあえず子供に対峙するいぐさの方へ目をやった。
いぐさは普通に子供の言葉に対して礼を述べていたが、あれは絶対にいぐさ本人も訳がわかっていないだろう。
だいたいいぐさの顔を見ればわかる。
あれは、絶対、何もわかっちゃいない。
絶対である。
そう、団地が確信に満ちた判断を下していると、案の定いぐさはわかっていなかったようで、ハッとして自分を見上げてくる子供に向かって叫び出した。
「……いきなり意味わかんないし!日本語上手いとか初めて言われたし!」
「……どういたしまして」
「……え、いや、違うの!俺が聞きたいのはそう言うのじゃなくてね、えっとね」
「………?」
「とりあえず、おじょーさんがこの団地に何をして欲しいのかってこと!」
あの無邪気に周りの空気を乱す天才、いぐさをことごとく自分のペースに引き込む少女に、団地は少なからず尊敬の念を抱きかけていた。
こんなに焦っているいぐさは初めて見るかもしれない。
基本、焦るのはいぐさの周りに居る人間であり、彼本人ではない。
団地が感心するように子供を見ていると、子供は少し考え込むように、持っていた遺影を見つめるとポツリと呟いた。
「おばあちゃんを燃やす所に行きたいので道を教えて欲しいです」
その少女の小さな呟きに、団地は瞬間的に全てを理解した。
「(……そういう事か)」
団地は少女の持つ老婆の遺影。
真っ黒な制服に身を包む少女。
死体を燃やす場所という少女の言葉。
この少女は火葬場に行きたいのだろう。
団地がそう結論付けていると、今度はいぐさが普段のぶっ飛んだ思考を遺憾なく発揮し始めた。
「おばあちゃんを燃やすって……殺人?!ちょーこぇー!証拠隠滅しちゃう感じか?!」
「…違う」
「え?じゃ何?お婆ちゃん燃やしちゃう系なんでしょ?」
「お婆ちゃん自分で死んだよ」
「自殺かよ?!お婆ちゃんチョー悩んでた感じ?!んで燃やしちゃう感じか?!」
「……違う」
「じゃー何だよー!お前の言いたい事チョーさっぱりじゃん!」
サッパリなのはテメェの頭ん中だろうが。
団地は余りの会話の噛み合わなさに、内心いぐさに突っ込みを入れて、自然とその重い腰を上げていた。
あぁ、面倒臭い。
この二人の会話聞いていると頭が痛くて仕方がない。
いぐさの理解力はサル以下だ。
そして、この少女も言葉が足りなりなさ過ぎる。
あぁ、本当に面倒臭い。
「おい、ガキ」
団地は自分でも気が付かないうちに声をかけていた。
(何声かけてんだ、俺)
少女が団地の居る方へと振りを向く。
(面倒ならほっとけばいい)
そして、子供はまたしっかりと団地を見上げてくる。
団地は面倒な事が死ぬほど嫌いな男だ。
そしてこの少女は面倒以外の何者でもない筈だ。
しかし何故だか、
目の前の少女は放っておけなかった。