第7話 極上の母性を全世界に配信する
第7話です! お読みいただきありがとうございます。
前回、お兄ちゃんのヤバすぎる「自家発電台本」と「検索履歴」が全世界に晒されるという大惨事の裏で、すやすやと寝落ちしてしまったロゼ姫(陽菜ちゃん)。
今回は、その静寂を破って「あの人」が帰ってきます。
三闘神の過保護すぎる脅迫と、配信界隈の歴史に永遠に語り継がれることになる『集団幼児退行事件』。
カオスすぎる怒涛の展開をどうぞお楽しみください!
(……すぅ……すぅ……)
お兄ちゃんのヤバすぎる検索履歴や、自作の「メスガキASMR台本」が映し出されたデスクトップ画面。
それを『ぱそこんさん(天才ハッカー)』が必死のモザイク処理で隠蔽するという地獄のような放送事故から数十分。
配信画面はすりガラスのようにぼやけ、ただひたすらに、小学三年生の愛らしい寝息だけが高音質で垂れ流されていた。
すでに時刻は夜の10時。
モブリスナーたちは荒ぶった心を落ち着かせ、まるで我が子を見守るような優しい気持ちで、静かな時間を共有していた。
しかし。
『……ガチャ』
静まり返った配信に、突然、部屋のドアが開く音が響いた。
【モブリスナーA】:ん? ドア開いた?
【モブリスナーB】:誰か来たぞ!
【ぽかぽかさん】:まさか、昨日の不審者の仲間か!?
【るーるくん】:いえ、足音の反響からして成人女性……。
【モブリスナーC】:足音だけで成人女性ってわかるの怖すぎだろww
【モブリスナーD】:るーるくん何者だよww
リスナーと三闘神に緊張(と一部からのツッコミ)が走る中、数十万円の高級コンデンサーマイクが、部屋に入ってきた人物の声をクリアに拾い上げた。
『あらあら。……陽菜、こんなところで寝ちゃって。風邪ひくわよ?』
それは、包み込むような、底抜けに優しくて甘い、大人の女性の声だった。
海外出張中だったはずの母親が、トランジット(乗り継ぎ)の合間を縫って、家で留守番をしている娘の様子を心配し、数時間だけ弾丸で帰宅したのである。
しかし、そんな母親の事情など知らないリスナーたちは、完全に硬直した。
【モブリスナーE】:……え?
【モブリスナーF】:……ひな?
【モブリスナーG】:今、ひなって……本名……?
「ロゼ」というキャラクター名で配信していた少女の、リアルな本名が全世界にポロリとこぼれ落ちた瞬間。
VTuber界隈において、「本名バレ」は炎上や特定に繋がる致命的な放送事故である。
その事実にいち早く気づいた最強の大人たち(モデレーター)が、秒で動いた。
チャット欄の最上部に、青い文字で固定された『システムメッセージ(脅迫状)』が次々と投下される。
【ぱそこんさん】:『警告する。今の音声を切り抜いて動画サイトやSNSにアップした者は、IPアドレスを特定し、デバイスを物理的に破壊した上で社会的に抹殺する』
【るーるくん】:『同感です。録画・拡散行為が確認された場合、ただちに名誉毀損およびプライバシー侵害でプロバイダへ情報開示請求を行い、多額の損害賠償請求と刑事告訴を並行して実行します。覚悟のある者だけやりなさい』
【ぽかぽかさん】:『おう! もし広めた奴がいたら、俺が直接そいつの家に行って、泣いて謝るまで物理的にポカポカにしてやるからな!!』
ハッキング(技術)、法律(権力)、そして空手(暴力)。
それぞれの界隈のトッププロたちが、一般のリスナーたちに向けて「絶対に秘密を守れ」と、およそ大人とは思えない本気の脅しを叩きつけたのだ。
【モブリスナーH】:ひぃぃぃぃ!? 三闘神がガチギレしてる!!
【モブリスナーI】:わかった! わかったから! 何も聞いてない! ロゼちゃんはロゼちゃんだ!!
【モブリスナーJ】:命と社会的地位が惜しいので全員記憶を消します!!
チャット欄が三闘神の理不尽な圧力に震え上がっていた、その時。
『……ん? 何かしら、この画面。字がいっぱい動いてる……』
マイクの向こう側で、お母さんがパソコンの画面に気づいた。
『あら、これ……。陽菜の学校のお友達かしら? みんなで可愛いキャラクターの絵を使って、パソコンでお話ししてるのね。今の子はすごいわねぇ』
PCやネット文化に疎いお母さんは、画面上で動くコメントやアバターを見て、てっきり「娘がクラスの友達と、メッセージアプリや通話ツールの延長で遊んでいる(おままごとをしている)」と完全に勘違いしたのだ。
そして、娘と遊んでくれている「お友達」に挨拶をしようと、お母さんの顔が、超高感度のASMRマイクへと近づいた。
『……夜遅くまで、陽菜と遊んでくれてありがとうね』
――ゾワァッ。
マイクを通して鼓膜に直接響いたその声に、同接2000人まで膨れ上がっていたリスナー全員の背筋に、快感の電流が走った。
柔らかく、優しく、そしてどこか艶のある、究極の「お母さんの声」。
それが、些細な息遣いまで拾う数十万円のプロ用バイノーラルマイクに乗って、全リスナーの耳元(脳内)に直接囁きかけられたのだ。
『陽菜ね、お兄ちゃんも旅行に行っちゃって、お留守番で寂しがってたの。……みんなが仲良くしてくれて、ふふっ、お母さん、とっても嬉しいわ』
『みんなのお名前、なんていうの? ……ぽかぽかちゃん? るーるちゃん? ぱそこんちゃん? ふふっ、とっても可愛いお名前ねぇ』
「「「…………ッッ!!!」」」
その瞬間、チャット欄から「本名バレ」の話題も、三闘神への恐怖も、すべてが完全に吹き飛んだ。
【モブリスナーK】:……ママ?
【モブリスナーL】:やばい、耳が、脳がとろける……ママぁ……
【モブリスナーM】:ばぶぅ……
【モブリスナーN】:マァマ!! 抱っこちて!! ばぶぅぅ!!
強烈すぎる母性の奔流。
夜遅くまで起きていた疲れた現代人たちの心は、極上のASMRマイクを通した本物の「ママの優しさ」に耐えきれず、次々と幼児退行を発症し始めたのである。
【るーるくん】:おいお前たち! 気持ち悪いコメントをするな! 相手は一般の成人女性だぞ! ……あぁ、でも、この声は……まるで聖母のようで……ばぶ。
【ぽかぽかさん】:るーるくん!? しっかりしろ! 弁護士がバブってどうすんだ!! ……いや、だが、なんだこの安心感は……俺も、ママに頭を撫でて……ばぁぶぅ。
【ぱそこんさん】:……システム、エラー……。母性オーバーロード……ママ、ボク、きょうパソコンがんばったよ……ばぶぅ……。
なんと、リスナーたちを脅迫していた最強の三闘神すらも、圧倒的な母性の前に陥落。
同接2000人のチャット欄は、「ばぶ」「ママ」「あうー」という、地獄のような幼児の泣き声(文字)で完全に埋め尽くされた。
『ふふっ。みんな、まだ起きてて偉いけど、そろそろねんねの時間よ?』
画面の向こうの狂気など知る由もないお母さんは、ベッドで寝かしつけるように、マイクに向かって優しく、とびきり甘い声で囁いた。
『それじゃあ、陽菜の代わりにお母さんが言うわね。……みんな、今日も一日、とってもえらかったわね。よしよし。いい夢見てね。おやすみなさい』
パソコンの操作など全くわからないお母さんは、画面上のボタンを探すことすらせず、デスクトップパソコンの本体にある『電源ボタン』を物理的に押し込んだ。
――ブゥゥゥン……プツン。
強制シャットダウンにより、唐突に真っ暗になった画面。
しかし、2000人の幼児(限界成人男性たち)は、配信が終わった後もずっと、残されたチャット欄で「ママぁ……」「ばぶぅ……」と幸せそうに呟き続けていた。
配信界隈の歴史に永遠に刻まれることになる、伝説の『集団幼児退行事件』。
それは、一人の無自覚な母親の愛と、数十万円の高級マイクが生み出した、奇跡と狂気の一夜だった。
***
そして、翌朝。
ヨーロッパ、アルプス山脈を走る登山鉄道の車内。
兄・蒼太は、げっそりとやつれた顔で、ずっと『圏外』を表示し続けているスマホの画面を睨みつけていた。
(……頼む……神様……)
彼はすでに「絶望」していた。
丸一日前にこの鉄道に乗る直前、留守番中の妹が、自分のパソコンを使って「バ美肉アバターで配信を始めてしまった」という最悪の光景をスマホで目撃してしまったからだ。
急いで遠隔で配信を止めようとした瞬間、無情にも列車は長大なトンネルに突入し、電波は完全に途絶えた。
それから丸一日、彼は「妹が自分のアカウントで一体何をしでかしているのか」という恐怖と戦いながら、地獄のような時間を過ごしていたのだ。
(陽菜のことだ……きっとすぐに飽きて、配信を切ってくれたはず……そうだ、そうに違いない……!)
必死に自分に言い聞かせる蒼太。
そしてついに、列車が山岳地帯を抜け、スマホの電波マークが『圏外』から『4G』に復帰した。
「繋がった……ッ!!」
蒼太が急いでMeTubeのアプリを開こうとした、その瞬間だった。
『ブブブブブブブブブブブブブブブッ!!!!』
「うおっ!?」
手の中で、スマホがぶっ壊れたかのように激しく振動を始めた。
画面を埋め尽くしたのは、おびただしい数の通知の嵐。
【MeTube Studio:チャンネル登録者数が10,000人増加しました!】
【SNS通知:あなた宛のメンションが9,999件を超えました】
【DM:『妹さんは天使だけど、お前は終わってるな』】
【DM:『アバターとの法的な結婚、応援してます(笑)』】
【DM:『お母さんの声、最高でした! ママァ!』】
「……は?」
蒼太の顔から、スゥッと血の気が引いていく。
登録者1万人? 妹は天使?
アバターと結婚? お母さんの声……?
事態がまったく呑み込めない。だが、たった一つだけ確かなことがあるとすれば。
(俺の……俺のパソコンの、デスクトップ画面が……見られた……ッ!?)
アルプスの絶景を走る列車の中で。
蒼太の「人間としての尊厳」が完全に終了したことを告げる絶叫が、スイスの青空に虚しく響き渡ったのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第7話、ついに伝説の「バブり事件」が発生しました!(笑)
三闘神が必死に本名バレを防ごうと物騒な脅迫をしたのに、リスナーは誰もそんなこと気にしておらず、お母さんの声に脳を焼かれて全員赤ちゃんになってしまうというカオス空間。
強制シャットダウンで幕を閉じるオチも、いかにも機械に弱いお母さんらしくて最高でしたね。
そしてラスト……ついに電波が繋がってしまったお兄ちゃん!
配信を止められずに丸一日絶望していたのに、いざ電波が復帰したら「ただの配信事故」どころか「性癖の全世界公開」と「母親の登場」という、予想の斜め上をいく惨状が待っていました。




