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『JOKER'S BLIND(ジョーカーズ・ブラインド)』  作者: 臥亜


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第2章:無能な相棒

「い、いやだ! 絶対に行きませんからね! 警察なら一人で行ってくださいよ!」

東京湾に面した古びた雑居ビルの一室——公安警察の非公式なセーフハウスで、僕はパイプ椅子にしがみついて叫んでいた。

「うるさいわね。さっさとこれを着なさい」

氷室は僕の抗議を完全に無視し、分厚い防弾ベストを僕の顔面に投げつけた。

鼻っ柱に固いケブラー素材が直撃し、「痛っ!」と情けない声が漏れる。

「なんで僕がこんな目に……」

「お前がマフィアの目を引いている間に、本物の運び屋は『パンドラの箱』をテロ組織の末端アジトへ持ち込んだのよ。今夜、そのアジトを強襲してデータを奪還する」

「だから! なんでその強襲に僕みたいな素人を連れて行くんですか!? 邪魔になるだけでしょう!?」

僕は涙声で訴えた。昨日、鉄骨の下敷きになりかけたばかりなのに、また銃弾の飛び交う場所に連れて行かれるなんて正気の沙汰ではない。

氷室は愛用のグロック19の弾倉をリロードしながら、冷ややかな視線を僕に向けた。

「勘違いしないで。お前には戦力なんて微塵も期待していない。お前の役目は『私の後ろを黙ってついてくること』。それだけよ。逃げようとしたら、背後から私が撃つわ」

理不尽すぎる。前門のテロリスト、後門の公安警察。

僕の人生、どこでこんなにコースアウトしてしまったんだ。

「神様、仏様、どうか僕を透明人間にしてください……」

僕は震える手でブカブカの防弾ベストを被り、固く目を瞑って祈るしかなかった。

深夜二時。横浜港の片隅にある巨大な冷凍倉庫。

ここが、国際テロ組織「アルファ」と繋がる武装グループのアジトらしい。

「いい? 私から絶対に離れないこと」

氷室は僕の首根っこを掴むと、音もなく倉庫の勝手口のピッキングを始めた。カチャリと小さな音が鳴り、分厚い扉が開く。

中は冷蔵設備の唸るようなモーター音が響いており、吐く息が白くなるほど冷え切っていた。僕は恐怖と寒さでガタガタと歯を鳴らしながら、氷室の背中に隠れるようにして進んだ。

氷室は本物のプロだった。

見回りの見張りを背後から音もなく絞め落とし、監視カメラの死角を正確に縫って進む。映画のワンシーンを見ているようだが、これは現実だ。見つかれば即座に蜂の巣にされる。

「あそこね」

氷室が指差した先には、倉庫の奥に後付けで作られたプレハブ小屋があった。中には複数の男の影と、漏れ聞こえるロシア語らしき話し声。そして机の上に置かれた、黒いアタッシュケースが見えた。

「私が突入して制圧する。お前はここで伏せていなさい」

氷室がプレハブ小屋に近づこうとした、その時だった。

「——!?」

突然、倉庫の天井にある巨大な水銀灯が一斉にパチンッと音を立てて点灯した。

目が眩むような光の中、プレハブ小屋から完全武装した五人の男たちが飛び出してきた。さらに、私たちの背後を塞ぐように、積み上げられた木箱の陰からさらに四人の男がアサルトライフルを構えて姿を現す。

罠だ。待ち伏せされていたんだ。

「公安の雌犬が、一人で嗅ぎ回っているとはな」

リーダー格らしき大男が、醜い笑みを浮かべてライフルをチャキリと構えた。

「くっ……!」

氷室は舌打ちをし、瞬時に近くのフォークリフトの陰に飛び込んだ。同時に凄まじい銃撃戦が始まる。

バンッ! ババンッ! バラララララッ!!

耳を劈く銃声と、火花を散らして跳弾する薬莢の雨。

「ひぃぃぃぃぃっ!!」

僕は頭を抱えて、壁際の段ボールの山にうずくまった。もう嫌だ。帰りたい。帰ってスマホのゲームのログインボーナスを受け取りたい。

氷室はフォークリフトの陰から正確な射撃で二人を仕留めたが、多勢に無勢だ。敵はジリジリと間合いを詰め、氷室を完全に包囲しようとしている。

このままじゃ、彼女は殺される。そして僕も……!

「い、嫌だ! 死にたくない!!」

僕はパニックを起こした。

恐怖が限界を突破し、考えるより先に体が動いていた。僕は段ボールの陰から飛び出し、出口らしき方向に向かって無我夢中で走り出した。

「馬鹿! 動くな!!」

氷室の怒号が響くが、止まれない。

足がもつれる。涙で前が見えない。

——ドガァッ!!

「ぐえっ!」

暗がりで、何かのケーブルの束に足を引っ掛けた僕は、壁に向かって派手にすっ転んだ。

運悪く、壁には金属製の大きな「配電盤」が設置されており、僕はそこに右半身から思い切り激突してしまった。

よりによって、右のポケットにはネット通販で買った『大容量の超重たいモバイルバッテリー』が入っていたのだ。その硬いバッテリーが、配電盤のカバーを突き破って内部の基板にガコンッ!と強く打ち付けられる感覚がした。

バチバチバチッ!!

「うぎゃあっ!?」

ぶつかった配電盤から、青白い火花が爆発するように吹き出した。僕は感電の恐怖で尻餅をつき、慌てて後ずさる。

その直後だった。

ブゥン……ッ! という重たい音と共に、倉庫内のすべての照明が完全に落ちたのだ。

「なんだ!?」

「停電か!?」

「チィッ、非常電源を——」

完全な暗闇の中で、テロリストたちが混乱する声が響く。

そこへ——。

ズシュッ! ズシュッ!

消音器のついた銃の音が、連続して暗闇を切り裂いた。

暗視コンタクトレンズを装備していた氷室にとって、この暗闇は圧倒的なホームグラウンドだったのだ。パニックに陥ったテロリストたちは、声を出した者から順に、次々と眉間を撃ち抜かれて床に崩れ落ちていく。

わずか数十秒の間に、倉庫は再び静寂に包まれた。

「……終わったわよ。立ちなさい」

カチッ、と氷室が携帯用のフラッシュライトを点灯させた。

光の先には、全滅したテロリストたちの死体と、血の海が広がっていた。僕は腰が抜けて、その場から立ち上がれなかった。

氷室はプレハブ小屋に入り、アタッシュケースの中身を確認して短く息を吐いた。

「データは無事ね。……しかし、お前は本当に『異常な悪運』を持っているようね」

氷室は、黒焦げになった壁の配電盤と僕を交互に見て、呆れたように言った。

「あんなパニックを起こして逃げ出した先がメイン配電盤で、しかも転んだ拍子にポケットの金属を叩きつけてショートさせ、アジト全体の電源を落とすなんて。……宝くじでも買ったらどう?」

「へへ……ほ、ほら! 僕、役に立ったじゃないですか! これで借りはチャラですよね!?」

僕は引きつった愛想笑いを浮かべながら、なんとか立ち上がった。

よかった。死ぬほど痛かったけど、僕が転んだおかげで助かったんだ。これでもう解放されるはずだ。

しかし、氷室はライトの光を、プレハブ小屋の机の上に置かれていた『ある一枚の写真』に向けた。

「役に立った? 勘違いするな。お前はただの『盾』よ」

「え……?」

僕はその写真を見て、全身の血の気が引くのを感じた。

「な、なんだこれ……」

写真に写っていたのは、アルファの幹部らしき男だった。しかし、問題はその顔だ。

情けないタレ目、猫背の姿勢、そして右頬にある小さなホクロの位置まで——どう見ても、僕(七瀬陸)と全く同じ顔をしていたのだ。

「テロ組織の幹部、コードネーム『シャドウ』。……何度見ても、お前と瓜二つね」

氷室は冷酷な笑みを浮かべ、僕に銃口を向けたまま告げた。

「私がなぜ、足手まといのお前をこんな危険な最前線に連れてきたか分かる? 万が一、私が敵に包囲されて弾が尽きた時——**お前を敵の前に放り出して、同志討ちや混乱を誘うための『デコイ(身代わり)』にするためよ。**幹部と同じ顔の男が泣き叫んでいれば、テロリストどもは一瞬発砲を躊躇う。その隙に私が敵を殺す。ただそれだけの理由よ」

「……っ!」

僕は言葉を失った。

この女は、最初から僕を守る気なんて微塵もなかった。いざとなれば僕を人間の盾にして、肉の壁として使い捨てるつもりで連れ回していたのだ。

ひどい。悪魔だ。人でなしだ。

僕の命をなんだと思っているんだ。こんなの、あんまりじゃないか。

「さあ、データは回収した。次の取引場所を吐かせるために、こいつらのスマホを回収して……」

氷室が背を向けて死体を漁り始める。

僕はガクガクと震えながら、工場の冷たい床に手をつき、嗚咽を漏らした。

「う、ううっ……やだぁ、もうお家に帰りたいよぉぉ……」

誰か助けて。もうこんな恐ろしい場所はごめんだ。

僕の悲痛な泣き声は、誰にも届くことなく、冷たい雨の降る横浜の夜に虚しく響くだけだった。

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