鮮緑の門番1
身も震え上がる戦慄の咆哮が轟くと、ツルハ達は確信した。
この竜が【門番】だ。
広間の壁を覆う緑炎からの光を反射し、金属のように光る、見上げるほどの大きな躯体は禍々しい妖気を放ち、殺気に満ちた2つの瞳がツルハ達を鋭く睨む。
「こいつは……」
ファイガが立ち尽くしたまま、その名を漏らすと同時に、ルベルの水晶に映った巨竜の姿にアルフィーもその名を叫んだ。
「デュシスドラゴン……ッ!?」
ルベルの提案で、ツルハ達の様子を水晶越しで見守っていたアルフィーとツァイは、その目を丸くした。
水晶に映る巨大な鮮緑の鱗を持つ竜の姿は、紛れもなく"西方の巨竜"の名を持つ魔物、そのものだった。
世界には、ドラゴンの名を持つ魔物が数多く存在するが、そのほとんどは、姿、生態こそは似ているものの、本物のドラゴンではない類似種だ。トカゲや爬虫類系統の魔物たち、とでも言うべきだろうか。
その違いは種や個体によって多岐にわたるものの、ドラゴンとそれらの決定的な違いは、その"強さ"にある。
ドラゴンもどきである類似種は、駆け出しの冒険者でも容易に倒すことができるものから、騎士階級の者でも苦戦するものまで、その強さは様々だが、"ドラゴン"に至っては、揺るぎない、不動の強さを常に誇る。
そして、その強さの1つであるものが、その全身を覆う竜皮だ。
本物のドラゴンの体のほとんどは、竜皮と呼ばれる鉄板のような鱗で覆われている。肉厚のある胸から腹以外の部位の皮膚自体はとても柔らかく、一般的な鍛冶師の打った剣でも、その薄皮を容易に切り裂くことができる。
しかし、その弱点である皮膚を克服するが如く覆っているのが、竜皮と呼ばれる鱗だ。
竜皮は、いわば全身を覆う鋼の鎧のようなものであり、竜狩りのプロである竜狩り達が持つような、特殊な素材で作った刃でなければ、それを砕くことはまずできない。
ツルハ達の前に立ちはだかる巨竜は、正真正銘のドラゴンだった。
「おいルベル! どういうことだ!」
アルフィーが怒鳴り声で言うと、ルベルは、おやおやと薄ら笑いを浮かべた。
「見ての通りだ。西の世界では名の知れた魔物だろう?」
「そんなことは見て分かる! なぜ竜が迷宮にいるんだ!」
アルフィーが凄い剣幕で問い詰めると、ルベルは落ち着いた声で答えた。
「安心したまえ。あの竜も幻影だ。ツルハ君達のその身に実害はない。
しかし幻影と言っても、あの竜は魔術師会有数の幻術師たちが現地に赴き、監修した傑作だ。その生態や行動はもちろん、その強さも原型に劣りは無い」
「しかしデュシスドラゴンは竜皮を持つ、本物の竜だ。もし今の話通りなら、例え幻影であったとしても、馬の尾達の持つ得物じゃ奴に傷を負わせることはできない」
今度はツァイが言うと、ルベルは頬杖を付きながら水晶に目を返した。
「御心配には及ばない。見てみろ、あの竜の額を」
アルフィーとツァイがのぞき込むと、妖しい光を放つ宝石が、竜の額から不気味な光を淡く放っていた。
「あれは……魔法石か?」
「幻影といっても、魔術師会の幻術師連中はこだわりの強い奴ばかりでね。あの竜は本物さながらの凶暴性を有している。しかし迷宮の試しの【門番】を務めるものに、身勝手に暴れられてしまっては意味がないだろう。
だから、ああして魔法石をはめ込ませ、ある程度制御しているんだ。
もちろん、強さに至っても若干の補正はかけてある。巨人風情も驚くほど頑丈な兜で聴覚と視界を制限し、さらには全身の痛覚神経をあの宝石に集中させている。
彼らがあの宝石に強力な一撃を与えることができれば、突破できるというわけだ」
ルベルが淡々と説明すると、アルフィーは騒ぐ胸をなだめるように手をあてながら、水晶に映るツルハ達を見つめた。
「大丈夫だ。
あいつらは必ずあの竜を倒す。
信じろ」
低く、しかし力強い声でツァイがそう言うと、アルフィーは頷いた。
紅蓮色の竜の瞳が鋭く光ると、ファイガはハッとして叫ぶ。
「全員逃げろッ!!!」
その叫び声に竦んでいた足が金縛りから解けたように震えが止まると、ツルハはバッと振り向いた。
竜が首を大きく擡げると、胸元から膨れ上がった何かが皮膚越しに光を放ち上がって来るのが見える。
ツルハはそれが何かを理解すると、すぐに足を走らせようとした。
「フサン!!」
呆然と立ち竦む少年の姿が一瞬映ると、ツルハはすぐに彼に振り向き、声を上げた。
しかしツルハの声にフサンは見向きもせず、硬直したまま竜を見上げていた。
さっきの咆哮の硬直がまだ解けていなんだ――!
ツルハは咄嗟に踵を返すと、フサンに向かって走った。
首を持ち上げているドラゴンの口元から太陽のような光が溢れ、息が漏れるように炎が灼熱の色を帯びながら姿を見せ始める。
「「フサン!! ツルハ!!」」
ファイガとポッチョの声が重ねると同時にツルハの手はフサンの腕を奪うように掴む。
それにようやくフサンは我に返ったのか、ツルハが引っ張った腕は軽くなり、その勢いを追うように駆け始める。
灼熱の吐息が、火炎放射器のように竜の足元からツルハ達目がけて放たれると、間一髪のところで、その炎柱はツルハ達の後方を走り去った。
振り返りはしなかったが、すぐ後ろをそれが通ったことは、燃えるような背中の熱さと体中から吹き出す汗で分かった。
「あ、ありがとう。ツルハさん」
乱れた呼吸の中、フサンが言うと、ツルハは頷いた。
ファイガとポッチョはすぐさまにツルハ達に駆け寄る。
「おい、大丈夫か!」
「私は大丈夫」
「ボクも」
2人が言うと、ファイガ達は安堵の笑みを浮かべた。
束の間、大きな物体が動く音が聞こえると、4人は竜を見上げた。
「慌てるな。今まで散々吐き気がするような苦難を一緒に越えてきた俺らだ。
気合い入れて行こうぜ」
ファイガが言うと、ツルハ達は大きく頷き、それぞれ武器を竜に向けて構えた。




