芽吹き1
学院長室の扉を開けると、アルフィーは形式的に一礼をした。
その部屋は相変わらず開放的なガラス壁から差し込む空の光で満たされ、艶やかな石の床に置かれた赤茶色の調度品たちが奥ゆかしく鎮座していた。
アルフィーの目は部屋の内装からすぐに、執務机に座する少女に焦点を合わせた。
ルベルはアルフィーに気が付くと、「おお。来たか」と一言呟いた。
「何の用だ」
アルフィーの表情には少し険しさが浮かんでいた。
ルベルとは旧知の間柄とはいえ、それは決して友好的なものでない。
ましてや、お互いに一国の政に携わる者。為政界隈にひとたび足を踏み入れれば、そこは欲望と野心で紡がれた謀略の糸が、毒虫の巣の如く張り巡らされている。陥れ、陥れられぬように相手の腹のうちを読み合う世界だ。
そんな世界に長らく身を置いていれば、為政者を相手にする時、その神経が鋭くなることは何ら不思議なことでもない。ルベルを前にする時は、尚更だった。
知略と欺瞞に長けた相手を前にする時は、どんなに表情や態度を取り繕っても意味はない。だからこそ、アルフィーはその警戒心をその表情、声に剥き出しにしていた。
ルベルはそんなアルフィーの態度に気にする素振りも見せず、すぐに机上にあった手紙を差し出した。
その手紙は肌触りの良い、上質な包み紙に封緘されていた。
アルフィーは怪訝そうにそれを受け取ると、その開け口に押された封蝋を見て眉を上げた。
「グラディワンドから……!」
捺された印章に、アルフィーが思わず声を上げると、ルベルは頷いた。
「差出国はグラディワンドからだが、世界騎士団を仲介して、今朝方一番に届いたよ。
大方、行方の分からないお前達について、世界騎士団を頼って来たのだろう」
「ここで開いても良いか?」
アルフィーが訊くと、ルベルは手を差し向け勧めた。
アルフィーはその封から手紙を丁寧に取り出すと、四角にしっかりと折りたたまれた、その手紙を開いた。
アルフィーの表情は険しいものだったが、特に大きな動揺もなく、その瞳だけが文字の羅列をゆっくりと追っていた。
その手紙を一読し終えると、ゆっくりと顔を上げ、アルフィーは視線をルベルに向けた。
「三月後、パノプリア国で式典が催されるらしい。第4王女のミル様がクラノス国に嫁がれることが、正式に決まったようだ」
アルフィーが言うと、ルベルは目を見開き「おお!」と声を上げた。
「華燭の典という訳か! これはめでたい!」
「ああ。それはそうなのだが……」
アルフィーが苦そうに口を結ぶと、ルベルは首を傾げた。
「どうした?」
「その式典に姫様も参列されたし、とのことだ。クグノアーツからパノプリアまでは半月あれば行けるのだが……」
「行けば良いではないか。パノプリアは古くからグラディワンドと友好関係のある大国だ。王はリオール王とかつて親友であった仲。その国の祭事に、リオールの娘である彼女が欠席するわけにはいかないだろう」
ルベルの言葉はその通りであった。
だが――。
アルフィーが言う前に、それを悟ったようにルベルは笑みを浮かべると、椅子に深くもたれて言った。
「折角掴んだ闇の糸口を離すまい、とでも思っているのだろう? みすみす逃すものか、と」
「ああ、そうだ。よく分かっているじゃないか」
アルフィーが目を細めて言うと、ルベルは机の引き出しを開けると、1枚の紙を取り出した。
「これは……」
アルフィーは差し出されたその紙に目を通すと、アルフィーの表情に驚愕が走った。
「お前の追っていた奴なら、とうの昔に学院を去ったよ。シュトゥルという少年だが、備考欄に記してある通り、ペンダントは紛失ゆえ返還はなし。高等教師達の指紋印も捺されている通り、公の文章だ」
ルベルが言うと、アルフィーは、クッと歯を噛みしめ、ルベルを睨み上げた。
「そう睨むな。前にも言ったように、私は中立的立場だ。お前達側でもなければ、彼ら側でもない。
常に、私に有利に働くように動いているのでね。
さて、君たちがこの学院にいる理由は純粋にツルハ君の健やかな成長のためだけとなったが、今後どうするかについては、ゆっくりと話し合って決めると良い。
まあ、私としては彼女の才は本物であるから、この学院にとどまってもらっても一向に構わないのだが」
アルフィーは言葉に出すことなく、その紙を机上に叩き返すと、踵を返した。
「ああ、待ちたまえよ」
アルフィーは、キッとした顔で振り返ると、ルベルは机上に指を組んだ。
「ツルハ君のところへ行くのだろう? どうせ行くなら夕刻時に行くと良い。
私も彼女の様子を見物しに行こうと思っていてね。私一人を彼女のもとへ行かせるよりは、そっちの方が安心だろう?」




