芽吹き2
講義を終え、黒味を帯びた赤い帳簿を手に携えると、アルフィーは扉の方で手を招いているルベルに気が付いた。
ツルハ達の講義は既に一つ前に終わり、今頃は体技場で熱心に励んでいる頃だろう。
ルベルのそのような声や雑話に軽い返事を返しながら、幅のある中廊下を歩いているうちに、扉の開放された体技場の入口に辿り着くと、幹の太い木のように立っていた人影が振り返った。
「学院長! それに、アルフィー殿まで!」
体技場から溢れる金色の光の影で、見覚えのある金短髪が笑顔を湛えて言うと、アルフィーも同じ顔で簡単に会釈を返した。
「ギル殿、お疲れ様です。いつも姫がお世話になって、なんと感謝申し上げれば良いか」
「いえいえ。ツルハさんは本当に手のかからない方で、皆の良い模範生となっていますよ。どこかの悪態をつく貴族上がりの者達とは天地の差です」
アルフィーとギルは一笑しながら会話を交わすと、ギルは体技場の中央を大きく指差し示した。
「ツルハさんはあそこにいますよ。今ちょうど、練習試合が始まるところです」
ギルに示された方へアルフィーは視線を向けた。
小柄な人影たちの中にいる桃色髪に焦点が合うと、その少女の表情は同じ歳程の少年少女達の顔に向けられていた。
「ツルハちゃん、頑張って!」
「やれるだけやってこい!」
既に試合を終えたユズハとファイガに頷くと、ツルハは木製剣を手に取り、中型人形の対面に立った。
ツルハが木製剣を構えると、ユズハ達は息を呑んだ。
ツァイも腕を組みながら、試合開始の合図をする様子を見計らう。
今から始まる試合は、ツァイの初講義以来、ツルハにとって初めての練習試合だった。
久々に中型人形を前にすると、緊張と不安で手から汗が滲み出た。
初めて中型人形と対峙したあの日から、かなりの時間が経つ。
その間、できることは精一杯やってきた。初めは2周がやっとであった庭園徒走も、今では8周はペースを落とすことなく走れるようになり、調子の良い時では10周までその距離は伸びる。素振りに使っていた鉄刀の重さも、初めて振った時の2倍の重量で行えるようになった。
日々感じていた変化は微々たるものだったが、自身が大きく成長していることに気が付いた時は、ふとした瞬間だった。
今日は昨日より半周多く走ることができた。
前までは鉄球をつけたものでも振っているように思えた鉄刀も、今ではしっかりと振り下ろし、止めることができるようになっている。
そうした小さな変化には気付いていたものの、いざその初めの頃を振り返り比べてみると、驚きの波が押し寄せて来た後、大きな喜びがその波尾に残った。
そして何よりも、ファイガやユズハ達への感謝と、その大切さに唇をかみしめた。
ユズハがいなければ、学院での生活は単調で閉鎖的なものになっていただろう。ファイガがいなければ、今頃はまだ闇雲に見よう見真似の素振りを行っていたかもしれない。庭園徒走で5周からの伸びに悩んでいた時、フサンやポッチョの「一緒に頑張ろう」という言葉がなければ、あそこで挫けてしまっていたかもしれない。運動を嫌っていたレイやクーラが、一緒に素振りをやるようになってからは、辛かった素振りも心が軽くなった。
だからこそ、中型人形を前にした時、瞬殺される自分の姿がよぎると、不安で全身の筋肉が強張った。
けど、今まで皆と一緒に頑張ってきたんだ。ちょっとやそっとで負けてたまるもんか。
私の全力を、ぶつけてやる!
――そんな気持ちが全身から力を絞り出した。
その拳で剣の元をギュッと握ってから、その熱気が冷めたのは、自身の風船が割れた音がした時だった。
風船が割れた音で、焼け石のような覇気が湯気を発するように冷めると、頭の中が真っ白になった。
我に返ったのは、ツァイの声が聞こえた時だった。
「2分半だ」
2分半。
それが聞こえた時、頭の中で一度それは1分半という言葉で解釈された。
しかし、一旦落ち着いたツルハの表情はすぐに、眉をあげ、目を点のように丸くした。
「え。に……、2分半……?」
ツルハがツァイに聞き返すように言うと、ツァイは頷いた。
「ツルハちゃん!」
駆けて来る足音と共に、ユズハがツルハを抱きしめると、ツルハはその勢いに倒れそうになった。
「お前自己記録大きく更新したな! 2分半だぞ、2分半!」
「昨日の夜なんか1分もてば良いなんて言ってたのに、この級の中で最高記録だよ!」
「最高記録……?」
自分でも信じられないような顔をツルハはしていた。
ファイガは2分17秒、ユズハも2分20秒と、中型人形を倒せずとも、互角にやり合えた時間で2分越えの記録を出していたのは、この2人だけだった。
だからこそ、その2人の記録を越えたことは、まるで夢でも見ているような気持ちにさせた。
ツルハはへたりと放心したように座り込むと、ユズハとファイガの顔を見上げた。
「お前、誰よりも頑張ってたもんな! オレも嬉しいよ!」
「うんうん!」
ファイガとユズハがそう言うと、
「よくやった。だが、もう少し修行が必要だな、馬の尾」
ツァイも、ツルハに笑みを送った。
ツルハは唇を震わせ、目頭が熱くなると、笑みを浮かべながらそれを拭った。
私、ちゃんと強くなってるんだ。
ウォルンタスの剣がなくても、自分の力で――しっかり成長しているんだ。
その光景を遠くから見ていたアルフィーも、思わず微笑みを浮かべていた。
ツルハの成長を見ることができたのもそうだが、何よりも、あんなに幸せそうな顔をしている彼女は今まで見たことがなかった。
宮中で陰りとしてぞんざいに扱われ、薄暗い部屋で、どこか寂しそうな笑みばかりを浮かべていた少女が、こんなにも陽のような明るい表情をする日が来ようとは。
「良いものですね。仲間というものは」
ギルが振り向くと、アルフィーはどこか遠くを見るように言った。
「グラディワンドにいた頃、姫には友人といえる友人がいなかったのです。せめて、私や侍女たちが、姫の寂しさを埋められればと思い努めて参りましたが、それは姫の孤独を埋めるには至りませんでした。
姫は察しの良い御方です。私たちの思いも御見通しだったのでしょう」
アルフィーはそう言うと、ルベルの方へ向き直った。
「ルベル、これだけは感謝している。お前達がどんなことを企んでいるかは定かではないが、姫が大きく成長することができたのは、間違いなく、この学院のお蔭だ」
アルフィーがそう言うと、ルベルは肩をあげて苦笑した。
「何を改まって言うかと思えば。礼を言う相手が間違っているぞ。
ツルハ君があのように友人に恵まれたのは、彼女自身の良さでもある。もし彼女が厚顔無恥で浅ましいものであったならば、そこに人は寄り付かない。
彼女は人よりも努力をし、誰よりも他者を大切にする人間だ。
その姿を見ていなくても、その人柄というものは伝わって来るものだよ。種族という垣根を越えてもね。
兎に角、私はノータッチなのでね。くすぐったくなる様な礼を言われるには、お門違いも良いところだ」
ルベルはそう言うと、踵を返した。
ルベルはその場を去ろうとした足を止めると、思い出したように、
「まあ、ツルハ君もああして頑張っているんだ。せめて、私としては才の試練までは見届けてあげたいものだがね。その辺、よく考えて決めておくれ」
そう言うと、ルベルはその場を後にした。




