洗礼1
――大国クグノアーツ、水晶宮。天を望むのように高く聳え立つ、円柱状の巨塔の上層で、銀髪の少女は、黒く細い尾をヒョイと揺らした。
テラスの白亜の塀から、巨塔と同じ色をした白い都市を見下ろすと、少女は蝙蝠のような白い牙を見せ、笑んだ。
鬱陶しい太陽がない日が何日も続くと、気分も晴れ晴れとする。うす暗い灰色のかかった世界は、遠い日の故郷のようにさえ感じられた。
天からいつ降り注ぐか分からぬ雨を気に掛け、人の気配も少ない。
普段の活気はなく、その静寂は、心底心地が良い。
少し尖った耳が、何かを感じ取ったように、ピクリと動くと、少女はゆらりと立ち上がった。
都市の遥か先、ここに来るとすれば、2,3日後だろうか。
それは、薄いが、確かな力の気配だ。
「来た来た来た。久々に楽しめそうな人間が」
少女は悦に満ちた笑みを浮かべると、柘榴色の瞳を輝かせた。
***
ツルハはふと空を見上げた。
「雨、大丈夫かな?」
最後に空を見た時は、いつだっただろう。朝、宿を出る時には、少し暑いと思うくらいに太陽の温かさを肌に感じるほどだったが、辺りの景色は、いつの間にか薄い灰色の幕がかかり、水気を帯びていた。
ツルハが言うと、アルフィーとツァイも、空を仰いだ。
「こりゃあ、もしかすると、一降り来るかもだな」
「少し急ぎましょう。クグノアーツまで、もうそんなに距離はありませんので」
草原の中を伸びる土道を進んでいくにつれて、空の灰は色濃くなり、天を覆う雲もその腹を重そうに垂らした。
クグノアーツに到着した時には、雨は降り出したものの、ポツポツと糸のように細い小雨だった。
しかし、その小雨さえも完全に感じられない程の衝撃が、国を囲む城壁の門に足を踏み入れたツルハ達に走った。
「おいおい、どうなっちまてんだ、こいつは?」
ツァイが頭を掻きながら言うと、アルフィーとツルハも戸惑った顔で辺りを眺めた。
白い外壁をした建物と道の景色の中、人々の姿がちらほらと映った。
こんな天候であれば、人通りが少ないことは頷ける。
しかし、ツルハ達を驚かせたのは、その人々の誰も彼もが、無造作に置かれた石像のように硬直してしまっていることだった。
慌てるように足を急がせている男。畳んだ傘を手に掛け、会話に花を咲かせる夫人。それだけではない。町の宙を駆ける鳥や噴水の飛沫、風に揺られる木々の葉まで、何もかもが、時間が止まってしまったように、不自然に静止していた。
ツルハは、通りを歩いていたのであろう、女性の手に触れた。
温かい。しかし、女性はピクリともせず、少し強く手を引き動かしてみようとするも、地面どころか空気の中に張り付いてしまったように、微動だにしなかった。
「時空魔法……、いや、今の時代にそんな高度な魔法があるとは考えられない。
それに、国に入る前までは、草木も風もしっかりと動いていた。
となれば、時間が静止しているのは、この国だけということになる」
アルフィーは顎元に手を当て、考え出すと、何かに気が付いたように目を見開いた。
「違う、これは時空魔法なんかじゃない!
これは結界――」
アルフィーの声がプツリと途切れる。
声だけじゃない。アルフィーは、その表情のまま、周りの景色と同じように固まってしまっていた。
「アル!? アル!」
ツルハはハッとした。
アルフィーの話に耳を傾けていたツァイも、その表情のまま、硬直していた。
「そんな……」
ツルハが声を漏らした、その時だった。
グイッと胸ぐらを何かに思い切りに掴まれたようになると、物凄い力でツルハは引っ張られた。
息ができない。
強力な力に引かれるままに、建物が過ぎ去って行く中、円形の広場に出ると、ツルハは地面に叩きつけられた。
「っ痛たた……」
「ヘエー、女の子かあ」
その声にツルハは顔を上げた。
大理石でできた、魔法使いの彫刻の頭部に腰をかける黒い影が映ると、その輪郭は鮮明になった。
バーテンダーのような衣装に身を包んだ華奢な体が映ると、幅の広い黒いリボンで左右に短く束ねられた銀色の髪をした、小柄な顔が目に入った。
その童顔には、ガーネットのような瞳が輝き、無邪気な笑みからは、薄らと鋭い2つの牙が覗いていた。
その少女が人間でないことはすぐに分かった。
足組みをした少女の腰下からは、シュルリと黒い尾が伸び、槍の先のような形をした先端をひょいひょいと揺らしている。
「あなたは……」
一体何者か、というような声でツルハが言うと、少女は、
「アタシ? アタシが何者かって??
フフーン、そっか、そっかあ。アタシが何者かって、そんなに知りたいのかあ」
待ってましたと云わんばかりに、嬉々とした様子で言うと、少女は像の上に立ち上がり、胸に手を当てながら、声高々に叫んだ。
「良いわ、教えてあげる!
アタシの名は、大魔王アスピス!
数多の悪魔たちを束ねる、悪魔の王にして、魔界の頂に立つ七柱が王、"七帝"の一柱」




