洗礼2
"七帝"。
ツルハは、その言葉を繰り返した。
ツルハの淡い桃色の瞳は、驚きの余り、小刻みに震えた。
この世界には、別の世界があり、そこは、永遠の闇に閉ざされているという。
その世界には魔物と呼ばれる、怪物たちが住まい、その魔物達を治める7体の王――それが"七帝"だった。
昔、お父様が言っていた。
"七帝"と呼ばれる魔物は、上位種の魔物達の頂点に君臨する魔物達。
その力は、千の軍を容易く圧倒し、その気になれば国をも亡ぼしてしまう、凶悪な存在だと。
ツルハの怯えを感じ取ると、銀髪の少女はニヤリとした。
「ああ、良いわねェ。その怯えた表情。
やっぱり人間はそうでなくちゃ。
この数百年、人間達はちょっと調子に乗り過ぎなのよねェ。
身の程を弁えず、少し力を身に付けたからって燥いじゃってさー。狭い共同体の中で、勇者とか持て囃されて勘違いしちゃった奴らが、散々アタシに対して剣を向けて来たのよ。
"俺はお前を倒す!"とか"その命、ここでもらう"とか、カッコつけちゃってさ。
けど、アンタは良い顔をするわあ。
人間はそうやって、アタシたちに怯えながら生きていればいいのよ」
「なぜ、"七帝"の魔物がこんな場所に……!」
ツルハが、恐怖を押し潰した声で堂々と叫ぶと、アスピスは首を少し傾げた。
「うーん……、そうねー。
アンタがアタシに勝ったら、教えてあげようか☆」
少女の姿が消えたと思った瞬間、腹に衝撃が走った。
声のない悲鳴を上げると、ツルハは地面に思いっきりに叩きつけられながら転がる。
「がっ……ハッ!」
ツルハが咳込むのを見ると、蹴りを入れた足先をトントンと鳴らし、アスピスは眉をひそめた。
「……アンタ、やる気ある?」
「な……なんでこんなことをするの……?」
かすれ声でツルハが腹を抑えながら訊くと、アスピスは何かを考え込むように顎に指をあてた。
そして、何かを閃いたように口を開くと、
「じゃあ、こうすれば本気になってくれるかなあ?
アンタ、確かこの国には、もう2人の人間と一緒に来たんだよね?」
ツルハはハッとした。
しかし、その表情は、すぐにツルハの眉を逆立てた。
少女が言わんとしていることをツルハは察すると、少女はその言葉を口にした。
「ほらほら、アンタがアタシを倒さないと、
あの2人も……殺しちゃうよ?」
アスピスがそう言うと、ツルハは、カッと目を見開き、立ち上がり、剣を引き抜いた。
「そんなことは……絶対にさせない!!」
ツルハの声を聞くと、刹那体が震えた。
ゾクゾクとした鳥肌が立つような感覚。
(……力の気配が変わった。
体力、俊敏性、魔力――そのどれもが、噴き上がるように上昇している。
それだけじゃない。
あいつの眼。ほんの僅かだったけど、アタシはあいつに恐怖した)
アスピスは笑うと、
「んじゃ、始めよう――かッ!」
アスピスが黒い影の残像を引いて、目にも止まらぬ速さで突進してくると、ツルハは剣でその一撃を防いだ。
「……ぐっ!」
さっきの一撃とは比べものにならない強力な足蹴りだ。
余りの衝撃に空間が歪み、ギィーンという剣が震えた音が響く。
「フーン、これを防ぐなんて、中々やるじゃん。
だけど、これはどうかな!」
アスピスは刃と交わった足を軸に、宙で体を回転させ、もう一撃を放った。
しかし、その脚に空気を斬った感覚が走ると、アスピスは目を丸くした。
ツルハの桃色の髪が視界の下に映ると、アスピスは上半身を後ろに曲げ、下から放たれた剣撃をかわした。
(こいつ……!)
この時、ツルハの憤怒は頂点近くにまで達していた。
アスピスは知らなかった。自身の放った言葉が、目の前の少女の逆鱗に触れるどころか、それを鷲掴みしてしまっていたことを。
「アルにも、ツァイにも、手は出させない!
絶対貴方なんかに、2人を傷つけさせたりなんかさせないんだから!!」
ツルハが渾身の一撃を振り下ろすと、アスピスは腕をクロスさせガードした。
しかし、
「ぐあああああああああッ!?」
強烈な一撃に、アスピスは石像まで派手に飛ばされると、粉々に砕けた像の下敷きになった。
瓦礫がカタカタと動くのが見えると、ツルハは剣を再び構える。
瓦礫の山が崩れ、土煙の中、髪の乱れた少女の姿が現われると、アスピスは咳込みながら、ツルハを睨んだ。
「……クッソ、人間のくせに、人間のくせにぃ!!」
その目がカッと見開くと、ツルハは唇を噛んだ。
アスピスの周囲から溢れる魔力。それは紫炎のように目に見える程にアスピスから放たれていた。
その紅い瞳は禍々しい光を帯び、殺意と憎悪の色をツルハに向けていた。
「今度は本気でいってやる……、
この"七帝"、大悪魔アスピス様を侮辱した罪、死をもって償うが良い」
その緊張が一気に壊されたのは、一投された石が、アスピスに命中した時だった。
「あ痛ッ!」
その石に、ツルハも驚いた顔で、それが飛んできた方向に振り返る。
そこにあったのは、2人の見慣れた男の姿だった。
ツルハは口をパクパクさせた後、ようやくその2人の名前を叫ぶと、白い賢者の男はスタスタと一直線にアスピスに駆け寄り、
「あ痛ッ!!」
ゴツン! と派手なげんこつを食らわせると、アスピスは両手で頭を抑えた。
「いったぁ……、え、なんで?!」
アスピスは、その男の顔を見ると、ツルハ以上に驚いた顔になった。
しかし、そんなアスピスに問答無用に、アルフィーはもう一撃、握りこぶしでポカンと叩いた。
「あ痛ッ!!!」
アスピスは顔を上げると、鬼のような形相をした男の顔が恐ろしい眼差しで見下ろしていた。
「おい、てめェ……、よくも姫を危ない目に遭わせてくれたな……」
「ま、待って! ……姫!?
えっ、ま、師匠! どういうこと!? なんでこんなとこに……痛ッ!」
戸惑うアスピスの頭を、アルフィーは数回、拳でポカポカと叩くと、頬を両手で掴み、思いっきり引っ張った。
「ずみまぜん、ずみませんマスタぁ!」
「黙れ! 勝手に主人のもとを離れる使い魔など知らん!
何よりも、私の大切な大切な姫に手を挙げるとは……今度という今度は覚悟はできてんだろうな!」
「ふえ"え"え"え"え"え"! ふえ"え"え"え"え"え"え"え"え"!!」
子どものように盛大に泣き出した魔王の姿と、それをお仕置きするアルフィーの姿。
その何ともいえない光景を、頭を掻くツァイの横で、ツルハは目を点にしながら、見つめるばかりだった。




