206話「放たれる短剣_04」
「んあぁ? うわっ、カイラインの兄さんじゃねっすか。どゆことっすか? なんか、目の前にいた姉ちゃん吹っ飛んだんすけど……」
間の抜けた声を出しながら牛獣人の男がセイメンの方向を振り返り、九尾の妖狐を見つけて困ったように笑った。
ということは、つまりセイメンたちが嵌められたこの状況、スパーキ・リンターには全く知らされていなかったのだ。
「スパーキさん。気づいていなかったようですが、貴方が口説こうとしていた相手は暗殺者だったのですよ? 私たちが対応していなければ、今頃は胸か喉を一突きされて血を流していたことでしょう」
呆れたふうな九尾の狐に、スパーキは素直にぎょっとした表情を返した。
あまりにも悠長なやりとりのせいで、肩に手が置かれていなければ一瞬くらいは油断してしまったかも知れない。
などと思っているうちに、なんらかの魔術で吹っ飛ばされたイリアスが、何者かに担がれた状態で路地裏に戻ってきた……というのは、なんだかおかしな表現になるが、セイメンも混乱しているのだ。
イリアスを担いでいるのは、ややくたびれた印象の、中年の男だった。おそらく魔術師……獣人ではなく、人族だ。
「いやはや、こうしてあんたと仕事をするのは随分と久しぶりだが、相変わらず人使いが荒いねぇ、狐さんは」
「できる人にできることをお願いしただけですよ、レガロ師」
空々しい笑みを浮かべて答えながら、カイラインはセイメンの肩に乗せている手に、ほんのわずかだけ力を込めた。
それこそ肩が潰されたのかと錯覚するほどの怖気と、心のどこかやわらかい場所を無遠慮に撫でられたような嫌悪感。
手が、離れる。
しかし逃げ出そうという気にはなれなかった。無理だ。どう考えても逃げられない。イリアスがなにをされたのかすらセイメンには判らないのだし、中年の魔術師がイリアスを吹っ飛ばしたとするのなら、まだ九尾の妖狐はなにもしていないことになる。この妖狐と敵対しようなんて気持ちは、胸中の何処を探しても見当たらないし、これから湧き出す予感もしない。
「さて――暗殺者さん。おそらくは頭の中に無数の疑問符が浮かんでいることでしょうが、最も判りやすいところは教えて差し上げましょう。こちらは、貴方たちが接触した連絡員を把握していただけですよ。すぐに行方を眩ませたでしょう?」
「……最初から、泳がされていたのか……」
「楽しく泳いでいただいてなによりでしたよ。ところでティアント領都での生活はいかがですか? 職場での評判は、貴方も彼女も、悪いものではないようでしたが、暗殺者の擬態とはいえ楽しさのひとつくらいはあったでしょう?」
「……まあ、悪くはなかった」
どうせ最期だ、と正直に白状してしまう。こんなふうな毎日を送れるのであれば、わざわざ人殺しを生業にせずともいいのであれば――そう思わなかったといえば嘘になる。だがそんなものは、虚しい夢幻だ。
すでに手は汚れていて、引き返す道はなく、帰るべき家もない。
ふとしたおりに暖かさを感じたとて、日が陰れば消えるだけものだ。
「なるほど。それでは、ついて来てください。念のために言っておきますが、逃げだそうとは思わないことです。人質が有効かどうかは知りませんが、無効だったとすれば、かなりの後悔をさせる自信がありますのでね」
ひゅっ、と喉の奥から空気が洩れる。
これまでにもセイメンは『恐るべき相手』を何人も見てきた。ついこの間の貴族たちだってそうだ。ちょっと気が向けば、セイメンのような人員の命など蝋燭の火のごとく吹き消える。
しかし妖狐は――吹き消したりなど、しないだろう。
消えない程度に水をかけ、蝋を削り、油を塗り、別の蝋燭とくっつけるかも知れない。そういう感触が、カイラインの声音には含まれている。
「……了解した。大人しくついていく。できればその女は、苦しませないでやってくれ。図々しい注文かも知れないが」
「ええ、ええ、もちろん構いませんよ」
薄っぺらな笑みはまるで信用ならないのに、何故だか本当のことを言っている気がした。あるいはそう願いたいだけなのかも知れないが。
◇◇◇
魔術師の男が背負っていたイリアスは、途中でスパーキ・リンターが肩に担いで移動することになった。
夜の路地を歩く狐の尻尾を追いながら、セイメンは頭の中で空転する思考をどうにか制御しようと試みる。
まず――最初からバレていた、というのは、もう仕方がない。
だが始末をせず、こうしてどこかに向かっているからには、セイメンとイリアスを利用するつもりではあるのだろう。もはや『短剣の徒』に帰還することは不可能だろうし、連絡員がとっくに逃げているということは、ひょっとするとルルゲーデ組合にセイメンたちの失敗が伝わっている可能性もある。セイメンならせっかく逃げたのであれば組合に報告など死んでもしないが。
一定の歩調で道を進み、何度か角を折れ、どんどん人気がなくなっていく。
辿り着いたのは、都市部からやや外れた位置にある倉庫街だ。
仕事で集めた情報によると、この二年で裏町を取り潰した『グロリアス』とティアント領騎士団が協力してつくった区域だ。
重量のある荷車が何度も通ったと思しき道は固く均されており、同じ様な外観の倉庫が並んでいるせいで、あっという間に迷いそうになる。この場所には配達の仕事で出向くことがなかったので、大雑把な方向くらいしか判らない。
似たような倉庫のうちひとつが目的地だったようで、カイラインが同じ歩調のまま、倉庫の入口の扉を開いた。荷馬車が出入りするための大きな出入り口ではなく、その脇にある人用の扉だ。
中は暗い――いや、奥側が明るい。人工の明かりがある。
がらんとした広い空間の向こう側が魔導灯に照らされていて、そこには椅子がひとつ、そして椅子の後ろに背の高い男が一人。
椅子に座っているのは――金髪の少女だ。
まるで裏組織の頭領みたいにふんぞり返ってニヤついているが、小さすぎるし整いすぎている。精巧な人形を使った悪趣味な遊びとでも言われれば信じてしまいそうだったが――その美少女が、やって来たセイメンたちを見て、にんまりと口元に笑みを浮かべ、ひらひらと手を振ってくるではないか。
モノのない広い倉庫の中、わずかな明かりに照らされた美少女が、場違いなほど楽しげに微笑んでいる。
「ご苦労だったな三人共。それに暗殺者の二人もご苦労さんってやつだ。スパーキは無事でなにより。危うく殺されかけた気分はどうだ?」
ひどく聴き心地のいい、いつまでも聴いていたいような声音なのに、少女の口調はつっけんどんで、見た目とは裏腹にぞんざいだ。
「いやぁ、ぶっちゃけ、よく判んねっす。なんか危なかったんだなぁ、くらいで。オレ、なんで狙われてたんすか?」
「それは私に訊かれても困る。訊くべき相手がいるだろ? それと、担いでる女は降ろしてやれ。どうせもう起きてるんだろ?」
という少女の科白と同時に、スパーキに担がれていたイリアスがぱちりと目を開け、ぎゅるりと回転した――と思った瞬間、ばごんっ、という音がして、また吹っ飛ばされた。
おそらくは体術でスパーキを取り押さえて人質に取ろうとしたのだろうが、魔術師によってあっさり阻止された、といったところか。
そんなふうに納得している間にもカイラインがイリアスの着地点までいつの間にか移動しており、どうにか姿勢を制御して床に両手両足をついたイリアスの首にそっと手を添えている。
――まるで話にならない。
そもそもイリアスは訓練しているとはいえ、極端に薄い気配を利用しての暗殺が専門なのだ。こういう局面ではまだセイメンの方が動けるだろうが、どう考えても無理、というのが判断であり結論である。
「おやおや、やんちゃな女だな。おまえの相棒だろ、無駄なことは止めろと説得してやれ。私は間抜けの悪足掻きを眺める趣味はないぞ」
やはりぞんざいな口調で言う少女。
声音は冷たくない……どころか、むしろ温かさを感じるほどなのに、言葉の中身は物騒で、おまけにそこには嘘がない。
「セイメン。それが俺の名だ。そっちの女はイリアス。ルルゲーデ組合の下部組織にあたる『短剣の徒』に属している。察している通り、暗殺者だ」
「おい! いきなりなにを――」
イリアスが怒鳴り声を出そうとして、首に触れられている手を再認識したのか言葉を切った。そこでようやく、イリアスの技量では『詰み』が見えていないのだと理解する。まだなんとかなると思っているのだろう。
「手詰まりだ。こいつらを出し抜くことは不可能だと判断した。どうせ死ぬ。組織に忠誠心などない。だから求められることならべらべら喋るつもりだ。先に死にたいのであれば、勝手に暴れてろ」
「……っ!」
ぎろりと睨まれるが、どうしようもない。セイメンは大袈裟に肩を竦めて見せてから、金髪の美少女に向き直る。
「そちらの狐……カイラインだな。九尾の妖狐に薄らと聞いたが、俺たちが連絡員に接触する前から、あんたたちは連絡員のことを把握していた。俺たちが仕事の準備に取りかかるのを見物していたということか」
「ああ、まあ、そんな感じだな」
「どうして生かしておく? 末端の暗殺者が有用な情報を持っているはずもないだろう。そんなことくらい理解しているって顔をしているが」
「私の顔をなんだと思ってるんだ。自慢だが、美しいだけが取り柄だぞ」
言葉は不満そうなのに、表情が笑っている。
意識していないと吸い込まれそうな、にんまりと楽しそうな笑み。
「セイメン。それにイリアスか。察しているかどうかは知らんから、挨拶をしておこう。クラリス・グローリアだ。私が『グロリアス』の代表だ」
どうということもなく、それなのにやたら自慢げに言いのける。
他の誰かがその言葉を口にしたなら、たちの悪い冗談だと思っただろう。なのに、彼女がそう言い切るのならそうなのだろうな、という奇妙な納得があった。
これが――『グロリアス』の首魁。
クラリス・グローリア。
「……どうして俺たちを生かしている?」
もう一度、問う。
クラリスは嬉しそうに微笑み、一度頷いてから、答える。
「訊くべきことを訊くため。利用できそうだから利用するためだ。おまえたちは誰になにをどのように依頼された?」
「『短剣の徒』という暗殺者の寄り合いがある。ルルゲーデ組合が抱えている組織のひとつだ。そのルルゲーデ組合に依頼をした者がいる。俺とイリアスは、その依頼者に会った。三人の貴族だ」
「三人の貴族、か」
「コラード・ランサム。アルベルト・グローリア。そしてウォルトン・レガリア」
「ふぅん。依頼の内容は?」
グローリア姓を持つ男の――あのときの会話の内容から考えるに、おそらくは兄の名を聞いても、クラリスは全く表情を揺らさなかった。
ただの情報。処理すべき情報。それ以外の感慨を、表に出していない。
「……依頼の内容は、『グロリアス』の誰かを殺すこと。誰かを殺された『グロリアス』の反応が見たい、というようなことを言っていたが、真意は不明だ。そもそも俺たちは依頼者の真意など知らんし、俺たちに依頼した三人の貴族が真の依頼者であるかどうかも知らない」
「ちなみに、なんで暗殺者なんかやってるんだ?」
兄の名よりもそちらの方に興味がある、とばかりに眉を上げる。
セイメンは小さく息を吐いてから、答えた。
「元々は、騎士団に勤めていた。あるとき弟の借金が原因で、騎士団に借金取りが現れた。俺は身売りする形で『組織』に入った。振られた仕事をこなすうちに、いつの間にか『短剣の徒』になっていた」
「そっちの女……イリアスは?」
「……答えたくない」
「まっ、どうせ身売りみたいなもんだろ。孤児院出身で、孤児院の存続と引き換えに『組織』に入ったとかそんな感じか。しかも、せっかく身売りしたのに孤児院の経営はやっぱり立ち行かなくなって、古巣は潰れてる」
遠慮というものが全くない、セイメンに問いかけたときに抱えていた興味でさえあまりなさそうな言い方をクラリスはする。
そのくらいの不幸は慣れっこだ、とでもいうふうに。不幸に浸る女なんかたくさん見てきた、とでもいうふうに。
「……答えたくないと言ったわ」
「まあいいさ。別に、どうしても知りたいわけじゃない。じゃあ次の質問だ。これは大事な質問だから、心して答えろよ」
笑みの調子が変わる。
気分のままにころころと動いていた表情や仕草が、まるで月が雲に隠れるみたいに形を潜め――魔導灯に照らされた大きな碧眼が、セイメンの内側を眺めている。
皮膚を裂いて骨を開き、どくどくと鼓動する心の臓を観察されているような。
悍ましさと、意味不明な安心が同居する、奇妙な感覚。
こんな自分の内側を覗かないでくれという羞恥のような気分と、ああ――これでようやく終わるのかという、さっぱりした気分。
だらだらと続けてしまった。
別にやりたくもない暗殺稼業を。
できてしまったからという、それだけの理由で。
終われる。
そう思ったのに――。
「おまえら、カイラインの部下として働かないか?」
と、クラリスは言った。
ごくごく普通に。なんてことのない世間話のついでみたいに。
感想いただけると嬉しいです。
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