205話「放たれる短剣_03」
ティアント領都で活動している『警備隊』という組織を調べてみれば、これはもう奇妙な組織としか言い様がなかった。
それを言うならばセイメンが所属している『ルルゲーデ組合』も奇妙といえば奇妙なのだが、あれは貴族たちの利害によって成立している組織であり、利害関係が破綻すれば構成員諸共に破棄されるだけの、砂の城だ。
まして組合のさらに末端組織の末端構成員であるセイメンなど、文字通りに一振りの短剣であり、投擲すればそれで用は終わりだ。これまで自力で生還していたのがおかしいといえばおかしい。これは現在の相棒であるイリアスも同様である。
とにかく誰かがなにかを必要としていて、誰かが出資するから人が集められる。その誰かが当人たちである場合、人は集められるのではなく集めるのであったり集まるのであったりするだろうが、結局は似たようなものだ。
初めに必要があり、叶えるために金が要る。金があるなら人を集められる。高度な要求を叶えるためには金以外のものも必要になるのだが……おかしなもので、必要を叶えるために必要なものがどんどん増えていく。
そして膨らんだ『必要』の最下層に属するセイメンのような人員には、誰がなにを必要としているのかなど知る由もないのだ。
というようなことを踏まえて考えると、ティアント領都における『警備隊』の役割を推測すること自体は簡単だ。
ようするに『グロリアス』とティアント領の、協調の象徴だ。実際に領都で『警備隊』が活動している様を見れば、誰だって両者の仲が良好なのを察するだろう。獣人と領騎士団員が肩を並べて冗談を交わしながら街を歩き、ちょっとした揉め事を収めたり、犯罪者を捕まえたりしているのだ。
そんなわけがない。
実際に目にしたセイメンも、イリアスだって同じ感想を抱いた。
そもそも治安維持のためにも領騎士団は存在しており、そこにわざわざ獣人たちを加えてまともに機能しているのは意味不明だ。不必要なのだ、本来なら。なのにティアント領騎士団側が積極的に獣人たちを受け入れ、そして獣人たちも騎士団員と共に動くことに不満を覚えていないように見えた。
「まるで童話の世界ね。みんな仲良く手を繋いで、歌でも歌いそうじゃない」
吐き捨てるようにイリアスが感想を述べたが、セイメンが抱いた感想も似たようなものだ。そんなわけがないだろう、と思ってしまう。
しかし実際に『警備隊』はまともに機能しているし、隊員たちの仲は良好のようだし、それが原因でティアント領騎士団の内部が分裂している様子もない。
「不思議な場所だな、ここは」
と、セイメンは言ったが、イリアスは微妙に首肯するのを避けた。
「気持ちの悪い場所、と言うべき。こんな混沌としていて、こんな安定しているのはおかしい。まるで誰かが落ちそうな皿をそっと支えているような、不正な感じがするわ。自然にこうなっているとは思えない」
「それこそ『グロリアス』……クラリス・グローリアの思惑と、ティアント領主の思惑が重なっているのではないのか?」
つまりは利害の一致。
しかしこれもよく考えれば微妙か。
現在のティアント領の発展は『グロリアス』が輸出している革新的な製品に拠るところが大きい。たとえば馬車の揺れを軽減する緩衝器、あるいは安価な紙、他にも獣人の領域で流通している衣類なんかが比較的安価で庶民に流れているという。ティアント領のいくつかの町では、ロイス王国民とは少し違う装いの人族の子供を見かけることがあったが、あれは獣人の衣類なのだろう。
「ぞわぞわする……」
風邪を引く予感を覚えたような顔をするイリアスだった。
近い感覚はあるので、セイメンとしても彼女の不快感は否定しにくかった。
よく判らないが――なにか、変だ。
それがなんなのかを言語化するためには、情報が足りない。
◇◇◇
ともかく、仕事だ。
ティアント領都に溶け込んで配達員だったり給仕だったりをやっているのは『短剣の徒』としての仕事をするためである。
仕事の内容は『グロリアス』の誰かを殺すこと。
それでなにがしかの反応が見られるはずだ、とコラード・ランサム子爵が言っていたが、そこはセイメンたちの仕事の範疇ではない。どのような反応を見せようが知ったことではないし、反応次第ではセイメンたちの命に関わるというだけだ。
ざっくりと調べた感じ、目標として手頃なのは『警備隊』に所属しているスパーキ・リンターという牛獣人。
この男は『警備隊』の隊員であるにも拘らず、直接戦闘技能を有していないように見えた。もちろん身体能力に秀でた獣人である以上、一般的な人族と殴り合いをすれば普通に勝つだろうが、鍛えている騎士や兵士であれば普通に負けるだろう。その程度の手合いがどうして『警備隊』にいるのかといえば、獣人側の折衝を担当しているようだった。
数日かけて調べたスパーキ・リンターという人物は、なんというべきか……そう、端的に言って『お調子者』だった。
同じ『警備隊』で最も強力な猪獣人ゾンダ・パウガを「ゾンガの旦那」と呼び、人族の騎士団員には「ナントカさん」と気さくに――というか馴れ馴れしく呼んで距離を詰め、大抵はへらへら笑っている。
街を警邏しているときも、屋台で買い食いをしては市民と世間話をし、店員には顔と名前を覚えられ、子供たちには茶化されて笑っている。かと思えば、いざ揉め事があった場合は真っ先に駆けつけて大声を出し、他の『警備隊』を集めてみたり、あるいは強面の男が正面から向かって来れば騎士団員の背中に回ってやり過ごしていたりする。有り体にいえば小物だ。
暗殺の段取りを考えるには、かなり容易い相手である。
なにしろスパーキ・リンターが『警備隊』として町を巡回するのは週に三回と決まっており、週のうちには休日が二日もある。残り一日は詰め所でなにかをしているようだったが、その二日ある休日をスパーキは街を徘徊することに費やしており、そこだけ取り出せば警邏をしているのと変わらないが、ようするに買い食いをして街の者と話をしているのだ。たまに知り合った商人や市民と酒場に繰り出すこともあり、帰りが遅い日は『警備隊』の誰かがスパーキを迎えに来ているようだった。
ちなみにというか『警備隊』の詰め所は、セイメンたちが利用した『斡旋所』のすぐ近くで、順番としては『斡旋所』の方が後になるらしい。
「隙だらけ。冗談みたいに」
吐き捨てるようにイリアスは言うが、確かに仕事の内容が状況に比べてちぐはぐすぎる。これほど簡単な仕事もそうはないだろう、というくらいで、ならばどうして連絡員がさっさと消えてしまったのか。
いや、そのことは考えても仕方がない。
いずれにせよ、仕事をしないという選択肢がない。放たれた短剣は、相手に突き刺さるか、弾かれて折れるかの二択だ。あるいは刺し貫いた後に抜かれて地面に叩きつけられることもあるが。
「最も簡単なのは、やつに声をかけられて酒でも飲みに行くことだな。あの牛獣人の進行方向におまえがいれば、半々くらいの確率で声をかけてくるだろう」
「易々と想像できるのが嫌ね。でも、それが確実ではある……そのまま私があの牛獣人を殺すとして、あなたはどうするの?」
「逃走経路の確保だ。なにしろ相手は『警備隊』の隊員だ。即座に追っ手がかかるだろう。『仕事場』をいくつか想定して、経路を考えておく。馬と馬車はおそらく用意できん。ティアント領から南下してスペイド領に潜り込むというのが簡単に思いつくが、これは予想されるだろうな」
「そこについてはエスカードに行こうがスペイドに行こうが、追跡されるか否かって話になるでしょ。『グロリアス』の実力がどれほどのものか調査しきれていないし、実力を見せる機会もなさそうだから、結局は賭けに出るしかないわ」
賭け金は己の命だというのに、イリアスの口調はぞんざいなものだ。とはいえセイメンとしてもそこに驚くつもりはない。
いつものことだから。
安い命を賭け続け、さしたる見返りもなく生き延びている。
今回も同じことだ。賭けに負ければ死ぬ。それだけ。
「では、あと一週間ほど時間を取ってから決行だな。念のために言っておくが、職場で退職の話をするんじゃないぞ」
「誰にものを言ってるの。当たり前でしょ」
そう、当然のことだ。なのにわずかだけ心配になったのは、セイメン自身が少しの惜しさを感じていたからかも知れない。
この街で配達員をやっているのは、悪くない時間だったな――と。
◇◇◇
ティアント領都の地形は、取り立てて複雑ではない。
強いて言えば『グロリアス』が混ざってから生まれた新市街や倉庫街が、きっちりと区画整理されているというくらいで、基本的には領主の城を中心とした城下町である。ロイス王国で城を持つ領主はあまり多くないが、辺境であるティアントやエスカード、スペイドなんかは城を持っている。
今回の場合、警戒すべきは『警備隊』とティアント領騎士団のふたつだ。前者と後者は似ているが、別の組織形態ではある。
おそらくスパーキ殺害後、即座に行動できるのは『警備隊』の方で、所属している獣人の追跡を躱すのが必須事項になる。
セイメンが用意したのは着替えと香料入りの煙玉だ。配達員をやっていて聞きかじった程度だが、獣人は鼻の利く種族が多い傾向にあるそうだ。特に数の多い犬獣人なんかが筆頭だろう。
彼らの追跡を躱すため、イリアスにはスパーキを殺してからすぐ死体から距離を取り、煙玉を投げてもらう。多少は匂いが服に付着するだろうから、セイメンが着替えを用意して途中でイリアスに着替えさせる。そこから改めて逃走開始という段取りだが、スパーキの行動次第で展開は変わるだろう。
決行の日は、なんの変哲もなく訪れた。
昨日と同じように始まる今日。イリアスの給仕としての仕事が休日で、かつスパーキの『警備隊』の仕事が休みの日だ。変則で仕事をされた場合は決行日をずらすことになっただろうが、特にそういうことはなかった。
セイメンの方は前日に「用事がある」と職場に申告し、配達員の仕事は休んだ。本業が成功しようがしまいが、明日以降もずっと配達員は休みになる。
やたらに晴れた日で、スパーキ・リンターは昼の少し前に『警備隊』で使っている宿舎から出てきた。最初は同僚らしい人族の騎士となにやら話しながら飲食店に入り、昼食を共にしていたが、食後には別れて一人でぶらぶらと街を歩き始めた。
予想通りであり、予定通りだ。
あとは夕方までスパーキが誰かと合流しないのを祈るばかりだった。この点についても、多少は賭けになる。お調子者の牛獣人は気分次第で誰かと肩を組み、共に街をぶらついて適当なところで別れたり、道行く顔見知りと話し込んだり、行動自体は一貫していいかげんなのだが、いいかげんであるが故に細かいところが予測不能だ。もちろん、細かい点まで予測するつもりはない。
あっちへぶらぶら、こっちへふらふら。
思いついたかのように進路を変えては尾行しているセイメンを苛立たせたが、目的もなく街を徘徊しているのだから仕方がない。少し歩いただけで誰かに声をかけられ、または誰かに声をかけて立ち話をして、思いついたように屋台でなにかを買っては自分で食べたり、あるいは顔見知りらしい子供に食い物を与えていた。
こいつみたいに生きられたなら、それはそれは楽しいだろう。
では、どうしてセイメンはそうしないのか。自問したが答えは簡単だ。できない。あんなふうに振る舞うには、既に手が汚れすぎている。道端で出会う誰かと楽しく話せるような人間ではないのだ、と思ってしまう。
最初は、弟の借金が原因で……わけのわからない組織の末端に配置され、使い捨てにされて死ぬはずだったに、今はお調子者の牛獣人を尾行している。
俺は一体なにをしているのだろう?
百年ぶりにそう思ったような気もするし、数瞬前には同じ自問をしていたような気も同時にする。人でごった返す、というほどではないにしても活気が途切れないティアント領都の都市部に沈められて窒息しそうな気分。
日が傾くまで、途方もない時間が必要だった。
そうして予定通り――夕焼けが街を照らし、くっきりした影が街のあちらこちらを区切り始めた頃合。
スパーキ・リンターは、ぼんやりと歩いている若い女に声をかけた。声をかけられた女は、最初は少し疑わしげにスパーキへ対応していたが、スパーキのよく回る口が何度かの冗談を吐き出したあたりで態度が軟化した。あなたって面白い人なのね、とでも言って微笑んだのだろう。牛獣人が口笛を吹いて上機嫌になったのが、後ろ姿からでもよく判った。
後はスパーキに案内されるまま、酒場へ向かって、酒を呑み、酔わせた牛獣人と共に店を出る。店に入って出てくるまでの時間が永遠のように長く感じたし、眠りから覚めるまでの微睡みみたいに短くも思えた。
女が何事かを囁き、スパーキを路地裏に誘う。
私の借りている宿があっちにあるの、とかなんとか、そんな感じ。
夜の帳は降りきって、街明かりの届かない路地裏は、己の影でさえ覚束ないほどに暗くなっている。闇というにはまだ明るいが、薄暗がりというほどには明るくない。遠目からでは人の輪郭がぼんやりする程度。
浮かれていた牛獣人の背中が、わずかに固まる。
先を歩いていた女が振り向いて、微笑みを消したからだろう。
後はイリアスが気配を消せば、目の前にいるはずの女を見失い、命の灯火が消えるだろう。暗殺者としてのイリアスの特技だ。実際に目の前でやられると、セイメンでも直近まで存在を知覚できないのだ。
真正面から不意打ちする女暗殺者。
――バゴンッ、
と、派手な音と共に、吹っ飛ばされた。
イリアスの方が。
「――は?」
彼女を吹き飛ばしたのは、魔力衝撃だ。打撃というか衝撃の残滓がきらきらと光っていたので間違いない。気配を消したイリアスを、何者かが正確に吹き飛ばしたということになる。
失敗。となれば、イリアスの生死など確認する余裕はない。逃走のための一歩を踏み出そうとしたセイメン――の肩に、そっと手が置かれる。
「残念。暗殺は失敗ですね。面倒なので大人しく投降していただけると助かります。相方の女性は殺していませんので、無茶はなさらずお願いしますよ」
ひどく嫌らしい言い方をして、細い三日月を横に倒したような笑みを浮かべているのは――狐の獣人だった。
配達員をしながら集めた噂話で、聞いたことがあった。
恐ろしく性格の悪い狐獣人がいる、と。
狐獣人の少女キリナでもないし、その母親である妖狐セレナでもない。
黒い九尾の狐人、カイライン。
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