第十九話
「……あ、またきた」
遠くの方から低くて黒い囁きが漂ってくる。きちきち。わやわや。ぞうぞう。一つ一つはとても小さいけれど、高く低く重なり合い、うねりになってやってくる。囁きの一つ一つに寓せられた小さな思念。語り継がれることのなかったささやかな思いが、音よりも早くじっとりと体中から入り込んでくる感覚。
あなたたちはそれでいいかもしれない。いろいろな思いや願いを突然断ち切られたのだから、せめて気の済むまで囁き続けていればいいと思う。でもできればもう少し遠くでやってほしい。なんてお願い、なかなか聞いて頂けなくて困りがち。
目が覚めている間はいろいろな出来事や物音に紛れ、じっと姿を潜めているのに、こうして静かな部屋で眠りにつくといつの間にかひたひたと押し寄せてくる囁き。物心ついた頃からの長い付き合いになるけれど、未だにうまくやり過ごすことができない日もある。どうしてみんなは平気でいられるんだろう? 不思議で仕方がなかった。他の誰もがみな囁きを聞くわけではない。そう気づいたのも背がだいぶ伸びてからのことだ。
龍の身じろぎに絡まれ、命を掠め取られ、ついにはこの世の誰からも忘れ去られたヒトの群れからゆらりとたちのぼり、夜の影のように付き纏う囁きも、なぜか神社には入ってこなかった。境内にいる間はとても静かで凪いだ時間を過ごせた。そのかわり、なのかはわからないけれど、お社に居る宮司さまや巫女のお姉さまからちょっとした用事を預かることになった。御神体が奉られてより幾星霜。戦乱や騒擾、飢饉や災いといったさまざまな出来事により途絶えてしまった古の言ひ伝への欠片を、まるで世間話か何かのように承ってきた。
御用伺い。おばあちゃんが言うにはそれも大和家の女の大事なお役目なのだそう。まぁそう言うおばあちゃんだって、それから宮司さまや巫女さまだって、既にこの世にはいないヒトたちなのだからホントいい迷惑。みんなして言いたい放題。少しは承る方の身にもなって欲しいのに、ここのところちょっとヒドイのよコレ……
「今日は……呑まれるかも」
両耳を手でふさいでも指の隙間から入り込んでくる小さな囁き。渦を巻いて轟くかすかなうねりの向こうに陽炎のような尾をくゆらす龍は、永い眠りから醒めた喉の渇きを癒そうと頭を巡らせ、低い唸りを響かせながらあたりを睥睨していた。……この龍ちょっとイケメンさんかも、ね。