14.LOVE YOU ONLY(IFルートVer.)
「……で?言い訳があるなら聞いてやるが」
「紗夜なら大丈夫、という驕りがあったことは認めます。ですが私自身、護衛として失格だったということには反論しようもありません」
「そうだな。雇い主としても紗夜の兄としても、僕には怒る権利がある」
落ち着かないからとりあえず座れ、と指し示された椅子を見つめながら、朔弥はぐっすりと眠る紗夜がこの時ばかりは起きてくれるなと、そう心で強く祈った。
あの後、幸いにして大学の近くだったこともあり、警備員が警察に通報してくれたお陰ですぐに事態は収まった。
孝之は気を失ったままずるずるとパトカーまで引きずられ、さすがにショックでへたり込んでしまった紗夜は、念のためにと救急車に乗せられた。
仕方なくその場に残った朔弥が警察署まで同行して事情を説明ている途中で、タイミングよく久遠家の事情に通じた刑事がフォローに入ってくれ、ようやく朔弥も紗夜が担ぎこまれた病院へと駆けつけることができた、というわけだ。
幸い紗夜に大きな怪我はなく、ただ彼の懐に入り込んだ際にナイフがかすって出来た切り傷はあったものの、消毒してガーゼを貼っておけばすぐに治るようなものだったそうだ。
ただ精神的にやや不安定になっているため、大事を取って点滴した上で一晩泊まって行ったらどうかと勧められ、後から駆けつけた千晴がそれに同意したということで、場面は冒頭に戻る。
「紗夜はあの時防刃仕様の特殊加工をした服を着ていたし、鞄はミリタリーナイフすら防ぐ特注製だ。あいつが持っていたらしいバタフライナイフごときじゃ、跳ね返されて逆に怪我するのがオチだろう。とはいえ、そのフル装備に甘えて護衛の心得を忘れていたのはいただけないな」
「そうですね。確かに紗夜は護身術も合気道も少林寺拳法の腕も道場トップクラスの腕前です。不意をつかれたとはいえ、あの程度の攻撃ならかわして反撃できて当然……と考えていたのは事実です。申し訳ありませんでした」
護衛についていたはずの朔弥はあの時、飛び掛ってきた孝之をすぐに捕らえることができたにも関わらず、紗夜が動くに任せていた。
いくらその根底に彼女に対する信頼と強い絆があったとはいえ、護衛対象を危険に晒したこと、そして一瞬とはいえ彼女のやりたいようにやらせてしまったこと、そのことで精神的に追い込んでしまったことは、護衛としては失格と言わざるを得ない。
雇い主としては厳罰の上解雇、被害者の家族としてはもしトラウマでも残ったらどうしてくれるんだと訴えるレベルだ。
…………通常であれば。
(ただまぁ、桐生もまさかあの子が突っ込んでいくなど、思っていなかったんだろう。あの子はなんでも背負い込みすぎるんだ。自分を酷く貶めたあの男に対しても、まだほんの僅か情を持っていたんだろうな)
橘孝之という男を好きだったのかと問われれば、紗夜は躊躇いもなくNoと答えるだろう。
だが一時だけだったとはいえ、いずれ嫁ぐ相手だと紹介され、相手先の家族とも交流を深めていたのだ、いくら裏切られ、貶められ、暴言を吐かれたと言ってもすぐには切り捨てられない、割り切れないのが人の情というものだ。
彼女も油断していたのだろう、いつもなら奈津美が来るところをこの日は孝之がやってきた、そのことで狙われているのは朔弥に違いないとそう判断してしまった。
だが彼が狙っていたのは最初から紗夜だった……そこに微妙な反応のズレが起こり、そして孝之は犯罪者……殺人未遂の現行犯で逮捕されたというわけだ。
「そういえば、まだ詳しく教えていなかったな。……昨日、孝之に関する調査報告が上がってきた。毎日のように紗夜を待ち伏せて暴言を吐いていく柊奈津美……もうなりふり構わず素を出してきたあの電波娘を今後どうするのか、ちょっと気になったものでね」
大丈夫、貴方のことはあたしが理解してあげられる。
あたしが傍にいて、貴方を支えてあげる。
そんな甘い言葉と猫かぶりの態度で擦り寄って、簡単に陥落させてしまった名家の分家筋の嫡男。
当然、奈津美の素の醜さを見れば我に返るだろう、愛想も尽きるだろう、千晴としてはそう高をくくっていた。
だが、事実は予想を遥かに上回って。
「様子のおかしくなった奈津美を、孝之は見捨てるどころか囲い込みに入ったらしい」
「……まさか。それでは、あの日彼女が現れなかったのは……」
「そう。病気の治った彼女を退院させ、とうとうコンクリートの檻の中に閉じ込めてしまったからだ」
分譲マンションの一室という、ある意味精神病院よりも過酷で逃げ場のない檻の中。
彼女がそれに気づいて泣いても叫んでもわめいても、それを聞くのは孝之一人。
可愛い奈津美、君はずっと傍にいてくれるんだろう?
俺を理解してくれるのは君だけ、君を理解してあげられるのも俺だけだ。
そうやって、彼は彼女をゆるゆると壊してしまうつもりだったのか。
それとも既に、壊してしまった後なのか。
孝之が殺人未遂の罪で警察に拘束されている今、それを本人に直接確かめる術は……ないこともないが、千晴も朔弥もそれをする気は全くなかった。
ひとまず監禁していた張本人が逮捕されたことで、奈津美は今ごろきっと檻から出されているはずだ。
そんな彼女に接触し、いらぬ損害を被る必要もないだろう。
(孝之はきっと、奈津美を守ろうとした……やり方は間違っていたが……)
奈津美にとっては朔弥に近づくためのただの踏み台だったとしても、孝之にとってそれは紛れもない『本気の恋』だった。
だからこそ、そんな奈津美をおかしくしてしまった朔弥に……否、朔弥の傍にいるからと彼女が半狂乱になって『バグ』だと訴える紗夜に、敵意を抱いてその存在を消そうと試みた。
紗夜を消せばきっと、奈津美が元に戻ってくれるのだと信じて。
哀れなのは紗夜だ。
恋愛感情こそ抱いていなかったと言っても、元婚約者である相手に消えろと口汚く罵られ、殺されそうになったのだから。
身体に傷はつかずとも、その心は何度も何度も見えない刃で貫かれてずたずたになっただろうに。
「さてと、雇い主としては無能な護衛は解雇してしまわなければならないんだが……」
「はい。覚悟は出来ています」
「…………覚悟、ねぇ……まぁいい。では今を持って久遠との専属契約を解除、護衛の任を解く」
「……はい」
「ということで、今からは雇用主と護衛という関係はナシだ。久遠家次期当主と桐生の当主として、ざっくばらんにいこう」
楽にしていいよ、と肩の力を抜いた千晴をわけがわからないというようにぽかんとした顔で見つめ、朔弥は思考を落ち着かせようと何度も深呼吸を繰り返した。
滅多に見られない元部下の間抜け面を拝んだ千晴は軽く笑い、「それじゃ落ち着くまで紗夜を引き取るまでの話でも聞かせようか」と懐かしむような目でちらりと妹を見やってから、また朔弥へと視線を戻して話し始めた。
由梨絵から柊家についての話を聞き、独自に調べて弾き出したまだ幼い『柊紗夜』という名の天才。
その能力は目を見張るものがあり、背後関係とさえ手を切らせてしまえば久遠家のためになる、そう考えた彼は即座に両親の説得に移った。
あの子をうちの子にしたい、自分の妹として迎え入れたい、その力をいずれは久遠家のために、と。
賢明な両親はそれに応じ、彼は意気揚々とパーティに乗り込んだ。
柊家と橘家、両家を結びつけるためのパーティの場で放り出された哀れな天才を、彼は自分の元へと引き寄せた。
と、そこまでは予定通りだった。
実際に接してみると、彼女はとても賢くて……半面とても警戒心の強い臆病な子供だった。
普通、元の家からは比較にならないほどの名家に引き取られたと知れば、警戒しながらも贅沢を知って傲慢になっていくものだ……さもなくば有頂天になり、やっとできた家族に甘えてくるだろう。
そう軽く考えていた千晴を嘲笑うかのように、紗夜は彼を『千晴様』と呼びいつまでも一線を引いたまま近寄ってこようとはしなかった。
大事にしたいだけなのに。甘やかしてやりたいだけなのに。
家族がどんなものなのか、教えてあげたいだけなのに。
そんなもどかしさを抱えていた矢先、朔弥が実は紗夜と知り合い……アメリカの施設で一緒だったとわかり、そしてその二人の間に信頼関係が築かれていることを知ると、どうにか紗夜の気持ちを楽にしてあげられないかと朔弥を利用することを考えた。
急ごしらえの家族に心を開けないなら、せめて過去に培った絆を温め直して心安らげる時間を作って欲しい。
そうして朔弥と共に過ごす時間を通して、自分や両親とも少しずつでも打ち解けて欲しい。
「目論みは半分成功した。桐生と一緒にいることで、紗夜は見違えるほど表情豊かになっていったし、君を介してだがこちらにも歩み寄ってくれるようになった。久遠の家の娘として、前向きに将来を考えてくれるようにもなった。だけど、」
「……だけど?」
「だけどなぁ……せっかく『家族』になってきたと実感できた頃に、君に取られてしまう危機感を味合わされるとは思ってなかったよ」
最近になってようやく、家族の距離が近づいてきたと思ったのに。
それと同時に、紗夜と朔弥の距離感も変わってきているのだと気づいてしまった彼は、それはもう悩んだ。
冗談じゃない、せっかく今から理想の家族になろうとしているのに、ようやく紗夜にも家族がいるんだと実感してもらえそうだったのに、どうしてまだ14歳と幼い妹を早々に手放す喪失感を味あわなければならないのか。
「なぁ桐生、正直に答えてくれ。紗夜のこと、どう思ってる?」
「愛してます」
「な、おま、即答とかズルいぞ!しかもそんなとろけそうな顔して……美形のデレとか誰得なんだ、ここの看護師とかに見られてたら即座に失神させてるレベルだぞ、それ」
「はぁ……紗夜以外は興味ありませんので、全くもって迷惑なのですが」
「紗夜の家族としては君のその執着心の方がよっぽど迷惑なんだけどな」
まぁいいけど、と千晴はため息交じりにもう一度身じろぎひとつしないベッドへと視線を向け、そして
「今の話は聞こえていたね?紗夜。さあ、僕が手助けをするのはここまでだ。後は君が自分で決めて、そして選びなさい」
まずは起きようか、と寝たふりをしていた妹に優しい兄の笑みを向けた。
それじゃごゆっくり、と千晴が病室を出て行ったことで、気まずそうに紗夜は上半身を起こして朔弥と向き合った。
彼の表情はさすがに驚きに彩られていたが、そこに告白を聞かれたという気まずさは見られない。
「…………聞かれてしまいましたか」
「ごめんなさい。でもどうしても、朔弥の本音が聞きたくて」
「直接聞いてくれて良かったのに」
「……うん。でもそうしたら、はぐらかされてしまいそうな気がして」
妄想だらけで電波なことばかり口にしていたが、それでも奈津美は一心に朔弥のことを想い続けていた。
シナリオやらヒロインやらゲームやらといった妄想はともかく、その気持ちだけは本物だったんじゃないか、と紗夜はそう思っている。
そのために孝之や他の男達を踏み台にしたのは間違っていると思うが。
奈津美の気持ちを考えた時、紗夜は不意に不安に駆られた。
朔弥も成人したいい大人だ、いずれ誰かを愛して付き合い始めてもおかしくないし、今だって恋人くらいその気になればすぐにできそうだ。
そうなった時、彼は紗夜の傍を離れていってしまうのではないか。
これまで通り、気安く『朔弥』と呼べなくなるのではないか。
そう思ったら、どうしようもなく怖くなったのだ。
「私にとって紗夜は、特別な存在ですよ。昔も、今も。さすがに、最初に会ったあの時からそういった対象として見ていたかと聞かれると、困ってしまいますが」
「まぁ、そうだよね。あの時私2歳だし」
「そうですね。その気があったらロリコンの謗りを受けてしまいます」
でも、と彼は意味深な笑みを浮かべて続ける。
「紗夜と別れたあの時、既に私の心は決まっていましたよ。当時、紗夜は7歳、私は16歳でしたから…………やはり『ロリコン』の称号は避けられませんね」
そのとんでもない告白を聞かされた紗夜は、耳どころか首筋まで真っ赤に染めて恥ずかしそうに俯いた。




