87話 進行するスリーマンセル
危険察知能力。
それはつまり、狩猟技術に精通している者が獲得する技能、或いは本能だ。
危険察知能力の獲得対象は、殆どの生物に当てはまる。
何故なら、生きていく為には狩猟をせざるおえないからだ。
肉を食わねば飢え死には免れない。
必然、自然に習得する技能の1つだ。
相手の気配を察知すること。
周囲の地形の異常に気付くこと。
感覚を鋭敏にして、視覚、嗅覚から伝わる情報を素早く読み取ること。
他にも言えばキリがないが、危険察知で重要なことと聞かれて真っ先に考え付くのは、この3点だ。
これらは先天的に身につくものじゃない。
経験と慣れが必要だ。
人間だって、悪魔だって・・・野生の動物だって、それは変わらない。
先天的に習得しているだなんてことは、まずあり得ないのだ。
生物の遺伝子は、そんなことまで残してはくれない。
技術というのは、自分の手で獲得していくしかない。
遺伝子の履歴に残された、微かな本能を辿って。
この先の道は、出来るだけ気配を消していかなければいけない。
でも、俺や彼女達に狩りの経験なんて殆どない。
ましてや、相手は狩猟慣れしているであろう魔物だ。
中途半端に隠れていたって、すぐに見つかってしまうだろう。
では、どうするのか?
如何にしてここから脱出するのか?
一見無理難題のようにも思える。
だが、彼女達の答えは決まっていた。
カツカツと足音が反響する。
氷の壁は割と音が響くので、魔物に察知されないか心配だ。
今、俺達は細長い洞窟のルートを通っている。
この洞窟は迷路のような構造をしていて、無数の別れ道が何本にも渡って展開されているタチの悪いタイプだった。
例えるなら、横方向に広がる少し入り組んだ蟻の巣のイメージだ。
それぞれの道の先には大きな空洞があり、魔物がそこにうろついていたりする。
その過程にある通路は結構な数の分岐点があり、うまく進めば大きな空洞を避けて通れるのだ。
まあ、そこまではいい。
問題はその先。
魔物は定期的に自分の住む空間から出てきて、捕食活動を兼ねたパトロールをすることがある。
そのタイミングが、魔物の腹が空いた時。
なので、いつ魔物が空洞から出て来るか予想が付かない。
俺達がいつ襲われてもおかしくはないのだ。
俺達が通る通路は若干狭い。
大人の人間5人が横を並んで歩けるかどうかの横幅だ。
なるべくこんな場所で戦いたくはない。
「そういえば、名前・・・聞いてませんでしたね」
「ん」
ああ・・・そういえばそうだ。
お互いの現状だけ確認して、お互いのプロフィールを確認していなかったな。
最初はお互いがまだ信用出来ないという意味で、名前を明かさなかったとも思ったが・・・
さっきの戦いで信用してくれたんだろうか?
「私、スフィーと言います。妹の方がソフィー」
「スフィーとソフィーか」
姉妹らしいっちゃ姉妹らしい名前だが・・・
「そちらは?」
「・・・分からない」
「分からない?」
「記憶喪失なんだよ、俺」
聞いて少しビックリしたような顔をする彼女・・・スフィー。
そうだよな。
話していた相手が記憶喪失だったら普通驚くよな。
「自分の名前、思い出せないんですか?」
「ああ、おかげですごい苦労してる最中」
記憶があれば、こんな思い悩むこともなかっただろう。
記憶とは、自分自身とイコールだ。
記憶がなければ自分が分からなくなる。
自分が何者であるか。
どうして生まれてきたのか。
何をして生きるのか。
それらが全部不明確になる。
周りに自身のことを知っている存在がいるならまだいい。
俺の場合、それすらも皆無だ。
当然、思い出しようもない。
「それは・・・すいません」
「別にいいよ。気にしてない」
「でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんでしょ?」
「そりゃもちろん」
俺は俺。
今ここにいる俺だけが俺だ。
記憶喪失のままでいるのは絶対にごめんだが、こんなこと気にしていたって仕方がない。
今、出来ることをしていくしかない。
そう納得していくしかないのだ。
「それにしても、こんな呑気に会話しながら洞窟の中歩いて本当に大丈夫なのか?魔物が出る領域にだいぶ前から入ってるんだろ?」
「さっきも言ったじゃないですか。ソフィーがいるから大丈夫だと」
俺達がスタート地点から歩き始めて1時間。
その間、一切魔物に遭遇していない。
何故なら、ソフィーが気配断ちの結界を張っているおかげだからだ。
気配断ちの能力・・・隠遁の壁よ。
この能力は、生物の持つ五感に作用する結界を作り出すものだ。
チャントを1段階ずつ上げる度にその精度が上昇し、作用する五感の種類が増えるらしい。
下のチャントから順に、嗅覚、聴覚、触覚、視覚と誤魔化せる五感が増えていく。
で、残った五感は味覚だが、極めた存在だけが使える第5段階の能力が味覚というのもなんだかショボい。
疑問に思ってさらに聞くと、味覚は触覚とセットで扱われるらしかった。
なら、最後のチャントで作用する五感は何か?
・・・第6感。
さっきの話で出た、危険察知能力。
殆どの生物が五感を使った気配察知を行ってくるだろう。
野生生物の怖いところは、遠距離でも相手を見つけ出すことが出来る鋭い鼻や耳にある。
姿を隠しても、限界がどうしても出てきてしまう。
ソフィーが使える気配断ちの結界は第3段階まで。
騙せる五感は嗅覚、聴覚、触覚だけだ。
でも、それだけでも十分過ぎる程に十分だ。
姿を隠せれば・・・魔物に接近しすぎなければ、隠密行動に疎いシロウトな俺達でも何とかいける。
狩人の技術を持っていなくても、この状況から脱出出来る。
故に、この結界は今の状況において非常に有効な能力なのだ。
・・・第6感なんていう無茶苦茶な感覚で、相手を察知する化け物がここにいなければだが。
しかしまあ、この気配断ちの能力は妹のソフィーしか扱えない。
だから年下・・・それも子供頼りの移動になる。
何とも情けない話だ。
何かサポートしてやれればいいんだが、それも出来ない。
姉妹の後ろで話しながら歩いているだけのお荷物さんってことだ。
下手なことして、迷惑かけるよかまだいいんだろうが・・・
「いや・・・何もしてないと不安で不安で」
「万が一魔物に発見された時に、真っ先に対処するのは貴方なんですよ?貴方にはいつでも動けるようにしてもらわないと」
「そりゃそうなんだけどさ・・・」
姉のスフィーは先頭に立って、魔物が先の道にうろついてないか確認しながら明かりを灯している。
彼女の綺麗な白い手に持っている光源は、例の光る小さな小石だ。
建物の天井にはめ込まれている、明かり代わりの石。
転移回廊とか、空中要塞で見かけたアレ。
結界が張られていることをいいことに、俺はまた質問をする。
「その小石って魔石か?」
「これですか?」
スフィーは一瞬後ろを振り向いて、持っている小石を俺に見せる。
・・・神経を使ってる最中なのに申し訳ないな。
「そう、それ」
「これはクズですね」
「・・・」
クズか。
いきなり汚い言葉が出てきたな。
綺麗な顔が災いして、ギャップが凄いことになってるし。
「なに怪訝な顔をしてるんですか。クズ魔石のことを言ってるんですよ」
「クズ・・・の魔石か」
「ほら、よくクズ鉄とか言うでしょう?それが魔石に置き換わっただけです」
「ああ、なるほど」
勝手に誤解をしてしまった。
相変わらず俺の思考が浅はかなこと。
だからクズだったのね・・・
「さっきの魔物と戦ってる時、小さな魔石持ってましたよね?」
「今も持ってるぞ」
防寒着のポケットから、小さな魔石を取り出す。
今はエネルギーの欠片すら感じない。
使い切ってしまったからだ。
もうこの魔石は使えないのだ。
従って、この防寒着も特別暖かくはない。
でもだからと言って、寒いかというとそうでもないけど。
洞窟だからな。
強風が吹き付ける雪原地獄よりは断然マシだ。
「それ使った時、光ってませんでしたか?」
「光ってたな」
「その発光現象は魔石のエネルギーを動かす時に起きますけど、クズ魔石は光るだけなんです」
「・・・能力とかは使えない?」
「クズ魔石は普通の魔石と違ってエネルギーを溜め込んだり、流し込む構造をしていないんです。エネルギーを注いでもそのままエネルギーが放出されるだけなんですよ」
「その放出されたエネルギーが・・・光ってるってことか」
「そのとおり。ですから、明かりとしての用途以外には使えないんです」
へぇ。
転移回廊なんかで見たあの明かりも、魔石だったんだな。
・・・クズだけど。
「お姉ちゃん」
「・・・別れてますね」
そんなやりとりをしていると、先の道が5つに分かれている場所にたどり着いた。
どの道も見た目は一緒で、どこに進んでも同じように思える。
実際は道の選択を誤っただけで死ぬ危険性がある訳だけども。
「どのルートに入る?」
「1番右の道へ行きましょう」
即答だった。
しかも自信たっぷり。
その自信の根拠は何だ?
「どうして右なんだ?」
「魔物の気配、感じませんか」
「気配・・・」
言われてみれば、確かに少し嫌な気配が微量に漂っている。
だが、どのルートから来るものなのかまでは分からない。
「気配で分かるのか」
「ええ、それに前回お母様と一緒に、魔物が出現するこのルートを通ってますから」
「その・・・母親と2人で?」
「そうですね」
2人でってことは、妹のソフィーは同行してなかったってことだ。
その母親も気配断ちの能力を扱えたか・・・それか余程強いのか・・・それはよく分からないけども。
いや待て。
母親は魔物を操ってるとか、そんなことも確か聞いたな。
「何でその母親も一緒についてこなかったんだよ?前みたいに」
「・・・」
スフィーが急に押し黙る。
聞いちゃあいけないことだったんだろうか?
「今日、来客が来る予定だと聞きました」
「来客?こんな雪山に?」
ソイツ、相当根性のある来客だな。
ここまで来るのにどのくらいの障害があると思ってるんだ?
厳しい自然環境、魔物、それだけでもここに来ることの困難さを示している。
と、言うことはだ・・・
只者じゃないんだろうな、その来客者は。
「ここに来るような悪魔は力の強い方ばかりですから・・・来客がある時はお母様が対応することになっているんです」
「・・・」
力の強い者は、それに対抗出来るような者でないと対等には話せない。
その者が至っている境地や考えを判断出来る材料が、やはり自身の経験のみになるからだ。
この雪山に居を構える理由。
ここへ訪問する悪魔達の選別・・・という意味合いもあるのかもしれない。
「それでその間、私達はお母様の使役する魔物の様子を見るためにここへ来たんですが・・・」
「ああ、大体分かったよ」
いざ洞窟へ来てみれば、魔物は凶暴化していて大慌て。
さらに洞窟は崩れて容易には帰れなくなったし、仕舞いには何故か俺が降ってくる始末。
まあ、そんな感じか。
「あなたがいて、本当によかった。私とソフィーだけじゃあ、不安がありますから」
「だよね。お兄ちゃん強いもん」
・・・言いにくい。
魔物が凶暴化した原因が俺であること。
俺がいなければ、姉妹はこんな状況にならずにすんだこと。
「・・・出来るだけ頑張るよ」
「うん!」
問題点についてはスルーしておくことにした。
ここで縁を切られたらたまったもんじゃない。
そうして会話しながらしばらく歩いていると、障害にぶつかった。
それは何か?
・・・当然魔物だ。
複雑な道中を迷うことなく進み、魔物の気配を感じては迂回する。
俺達はそういう風に動いてきた。
通常なら不可能な行為だろう。
魔物の気配察知能力は広範囲だ。
特殊な方法を使わない限り、気付かれないなんてことは出来ない
それを能力で実現した姉妹だが、それでも限界は出てくるものだ。
洞窟の最深部へ近付けば近付く程、魔物の出現率は高まっていく。
当然魔物の気配を感じることも多くなり、敵意を避けるためのルートも最大限に活用せざるおえなくなる。
その迂回するルートさえ、魔物に塞がれてしまったら・・・
排除するしか選択肢がなくなる。
今、そんな状況に陥っていた。
「アレ、倒すしかないよな・・・」
「他のルートも魔物がうろついてるみたいですし・・・」
「どうするの?」
目の前には、複数の魔物がでかい空洞の中でウロウロしていた。
それも2頭とか、3頭のレベルではない。
多分、100頭以上はいる。
白く丸い形状に、綿飴のような毛。
大きさは人間の拳大と言ったところか。
フワフワの毛から覗いているのは、申し訳程度しか見えない2つの目だけだ。
そんな小さな魔物達が、所狭しと地面をカサカサと移動していた。
見ようによってはかわいくも見える。
でも、その1頭1頭に異様な気配を感じる。
こいつらが魔物だと、直感的にそれで分かった。
「あれは確か・・・白く小さき者達」
「やばいのか?」
「・・・やばいです。共鳴する響凍者の方がまだマシかもしれません」
また即効で返事が返ってきた。
彼女の答えははっきりしていていい。
結論がすぐに出てくるからだ。
先の空洞でバラバラに動き回るマスコットキャラクターみたいな魔物達。
見た目だけじゃあ計れない戦闘力を隠し持っているらしい。
もちろん戦わない方が賢明だろうが・・・
「でも、避けられないよな」
「他の道も使えませんし・・・」
つまり、この場合の選択肢は2つに1つ。
ここで立ち往生して死ぬか、戦って生き残るかだ。
幸い、白く小さき者達とか言う奴らは空洞のスペースから出てこない。
結界で俺達の声や匂いも届かない。
時間的な余裕だけは持ち合わせている。
この魔物の特徴。
俺はそれを知らない。
じゃあどうしたらいいか?
そんなもの決まっている。
彼女・・・スフィーから魔物の情報を聞いておくべきだろう。
何か対策が立てられるかもしれない。
3人寄れば文殊の知恵。
丁度3人いるじゃないか。
話し合わない手はないだろう。
相談するということは、知能ある生き物が持つ得がたい長所なんだから。
だから俺は彼女達にこう言った。
「いったん作戦タイムだな」




