23話 悪魔の生活15~記憶喪失に触れて~
翌日。
昨日と変わらず、俺は同じベットにいる。
昨日と同じ位置、同じ姿勢、同じ体調。
何も変わらない。
暇だ・・・
けどこれがまたいい。
幸せを感じる。
昨日はそのまま夕食の時まで寝て、起きて、食べて、マリアさんと雑談して、スー君とも話して寝た。
マリアさんとの雑談と言っても、俺の好みの料理とか、得意なこととかそんな感じのありふれた話題だ。
だが、俺自身記憶喪失なので、回答に困ることが結構あった。
それでもそんなに堅苦しい会話にならなかったのは、さすがカウンセラーだと思う。
赤い月が夜を照らす頃合になると、スー君が帰って来た。
かなり遅い時間まで遊んでいたなと俺は思ったのだが、こんな遅い時間に帰って来たスー君を、咎めることを両親はしなかったようだ。
真っ先に俺のいる子供部屋までやって来て、「ただいま!」と笑顔で挨拶して来た。
ダゴラスさん一家は放任主義なのだろうか?
そもそも、地獄の夜は安全なんだろうか?
ちょっと心配だったが、これが日常っぽいのであえて突っ込まないことにする。
というか、居候の身でそんなこと指摘出来ないからなぁ。
また、スー君を見て俺はこんなことも思った。
子供部屋を俺が占領してしまっていいのだろうか・・・と。
俺がここで寝ているのなら、スー君はどこで寝ているのだろうか。
もちろん思いついた瞬間に、スー君に聞いてみた。
そうしたら、家族3人川の字で寝ているのだと言う。
・・・微笑ましいことだった。
ダゴラスさんだって怪我をしている状態なのに、何だか申し訳ないな。
夜の子供部屋では、スー君と一緒に学校の話題で持ちきりになったりした。
聞いてみると、スー君が学校で習っていることは現世の小学校とは全然違っていたようだった。
悪魔の社会は能力があることを前提に成り立っているらしい。
例えば、身体干渉系の能力の1つであるテレパシーを習得すれば、現世での連絡手段になる。
現世の社会で携帯電話は欠かせないツールの1つだ。
悪魔の社会でも同じことが言える。
また、学校の教科を習う場合、子供の方は能力を扱うことが出来ないため、教師の方から一方的にテレパシーで教育するんだとか。
テレパシーのチャント?を使って出来る知識付与?で得た知識は、脳に直接訴えかける方法で教えているために、子供の学力向上に差が出ることは無い。
理想の教育だと思う。
現世の教育方法よりも早く、安定して子供を育てることが出来るだろう。
また、この教育方法は洗脳に近い形ではないのかと一瞬思ってしまったが、現世の方がもっと酷いので考え直した。
現世の子供の教育は、その国が、そこに住む人間達が勝手に決めた道徳観念を正しいものだと思わせることから始める。
暴力をふるってはいけません、社会のルールを破ってはいけません、大人の言うことは絶対に守りましょうなどなど。
正義と悪の概念が、最初から確立されている考え方を教えられる。
確かにそれらは正しいんだろう。
人間の社会の中で生きるのならば。
だが、現世の世界が提供した本来の生物的な観測から言えば、それらは全くの不合理であり、人間の教育は人間の作った概念という枠を超えてはいない。
ありのままの世界を伝えようとはしないのだ。
所詮は歴史の中で最も力の強かった人間が作り出した、調和のためのルールだ。
それを子供達へ、一方的に正しいと認識させてるに過ぎない。
結果的に言えば、悪魔の社会は悪魔同士での衝突というのが皆無だと言う。
人間のような愚行は犯さないし、犯していない。
能力という超常の力に支えられたこの世界は、一種の完成系に近いのではないだろうか。
だがそれでも、その集団から離反する悪魔はいるのだ。
生物の因果とでも言うのだろうか。
生きるための欲求あらば、それ以外の欲求も存在すると言うか、何と言うか・・・
何にでも例外はあるということだな。
例外が存在することがルールだと思わせる程に。
まあいいだろう。
そんなこんななことを聞き、そんなこんなな考察をさせられた昨日。
そして今日。
体の調子を見るからと、マリアさんから昼食を食べ終えた後に言われたので、今治療中の腕を見せているところだ。
「・・・だいぶよくなってるわね。かなり回復が早いわ」
「早く治りそうですかね」
「そうね。一週間と言わず、腕の方は4日で治っちゃうんじゃないかしら?」
朗報だった。
かなり早くベットから解放される。
このまったりとした時間もいいが、予定より早く動けると分かるとより素晴らしい気持ちになる。
そんな俺の嬉々とした表情を見たのか、マリアさんはこう付け加えた。
「けど、大事を見て一週間ベットで安静にしてるのは変わらないわよ」
「・・・」
・・・そうですか。
いえね、それでもいいんですけどね。
俺のコロコロ変わる心境を、俺の表情でその都度察するマリアさんはまたも付け加える。
「君の場合腕の損傷と言うよりも、失血と衝撃による内蔵の損傷が酷かったから」
「内蔵の損傷ですか・・・」
失血というのは分かる。
腕からダラダラ血を撒き散らしてたもんな。
衝撃はどこで受けただろうか・・・
・・・ダゴラスさんの背中から転げ落ちた時か。
一瞬息が出来なくなるぐらいの衝撃だったな。
あれもあれで辛かったな。
「そんなボロボロの状態で闇の器の捕食者と戦ったんだから、当然死にかけるわよ」
「無理してた感覚は無かったんですけどね」
あの時に限っては、一種の興奮状態だったのかもしれない。
極限状態の中で起こり得る精神的な症状は、何もパニックに限ったことではない。
逆に落ち着いたり、喜びを感じたり、興奮したり、本人の経験と価値観でその時感じる感情は大きく異なってしまう。
俺の生前も、一時期闘争に身を置いていた時期があったのかもしれない。
憶測でしかないが。
「生死が関わってたのに?」
「・・・そうですね。」
むしろ戦いを楽しんでた節があるくらいだ。
問いに対して俺が同意すると、マリアさんは眉を潜めた。
「・・・これで無理をしていなかったって言うのなら、大概のことは無理じゃないで通るわね」
「って言われてもなあ」
事実こう感じてしまったのだから仕方ない。
「一般の人間はそんなこと感じないわよ。君がその状況を無理だと思わなかったのなら、君の精神に何らかの異常があると考えたほうが普通なのよ」
「・・・俺の精神に問題があるってことですか」
随分と率直にマリアさんは言ってきた。
あまりポジティブに受け止めることの出来ない言葉だ。
なんだか自分を否定された感じ。
実際はそうではないと分かっていても。
「何て言ったらいいのかな・・・正常な精神を持っている者でも、極限状態の中で平静を保つことは出来るものよ。ただし、それはしかるべき訓練と、経験を積み重ねた場合に限り。要は慣れと克服なの。けど、君の場合は普段の君の姿を見た時に、そんな強靭な精神を体得しているとは私が思えないことに異常があるのよ」
「・・・」
まず、俺自身の精神構造と言うものがよく把握出来ていない。
自分のことを自分でよく把握している者が、どのくらいいると言うんだ?
地獄がどうなのかは分からない。
けど、現世ではそんなの殆どいない。
自分のことを分かった気でいるだけだ。
分かったつもりでいるだけだ。
現世はそんな人達で溢れ返っている。
そんな人間達の一部であった俺に、こんな話が分かるのだろうか?
「分からない?」
「・・・分かりません」
「そっか・・・」
マリアさんはそう言った後、少し真面目な顔をした。
前に真剣な話をしていた時に見せた顔に近い。
それでも優しそうな雰囲気を醸し出しているのには、流石マリアさんだと思った。
「丁度いいから今話そっか」
「・・・何をですか?」
本当は分かってはいるが、ちょっと気後れして質問する形になってしまった。
さっき思ったように、俺が自分のことをうまく把握出来ていないのは確かだ。
でも、それにも原因はちゃんとある。
その原因を分かってもいる。
それは・・・
「君の記憶喪失について」
俺の記憶が無いこと。
本音を言うと、あんまりこのことについて話したくはなかった。
乗り気じゃないのだ。
別に俺の記憶に纏わるエピソードを俺自身が知ることに抵抗は無い。
むしろ知りたいぐらいだ。
けど、それをダゴラスさん達に知られたいかどうかと問われると、答えはノーだ。
何と言うんだろうか。
自分自身の生前を思い出すことの出来ない今の状況で思うことは、自分の本質を相手に知られたくないってことだ。
不安なんだ。
俺が現世で生きていた頃、何をしていたかは分からない。
もしかしたら最低なことをしていた人間だったかもしれない。
だからもし、自分の生前に迫ることでろくでもない過去が他の者の前に浮き彫りになったとしたら、きっとその時は自己嫌悪に陥るだろう。
恩のある者に聞かれたのなら尚更。
俺はそんなことを思いながら、マリアさんの話に耳を傾ける。
「君は今、記憶が無いわよね?」
「・・・何も思い出せないです」
「と言うことは、君はストレスや心的外傷による影響から最も遠ざかっている状態なの」
「心的外傷・・・トラウマ?」
「そうね。記憶喪失になる原因というのは、本当に色々あるの。外部からの衝撃によるもの、精神的な負担から来るもの、薬剤などの作用によるもの、沢山あるわ。トラウマもその1つ」
「俺はあんまり記憶喪失とか詳しくないから分からないですけど、その分じゃあ記憶喪失にも色々種類がありそうですね」
あんまり難しい話になって欲しくないんだけど・・・
「ええ、その者が何を忘れるかなんて、状況とタイミング次第で変わってしまうわ。その分だけ別の種類の記憶喪失として分類されてしまう。君の場合は、自分のことに関する記憶が全て抜け落ちている類のものよ」
「・・・確かに、自分のこと以外に関してはしっかり覚えています」
自分で言ってて納得する。
記憶が無くなるのは、何も自分の経験とかだけじゃない。物の名前や使い方を忘れたりとか、酷い時には自分の使っていた言葉すら忘れてしまう。
それを考えると俺はまだいいほうなのかもしれない。
「君を見つけたのが、すでに君が記憶喪失になった後だったから私達にはその原因を探ることは出来ない。けど、どんな分類に分けられる記憶喪失だって1つの共通性があるの。何だと思う?」
そこで振られても分からないんですけど。
急に質問されるのはちょっと嫌な気分だ。
「何なんでしょうかね?」
「純粋になるのよ」
「純粋?どういう意味で?」
「そのままの意味でよ」
「・・・記憶喪失になると?」
「記憶喪失になると」
・・・純粋だけじゃあ分からない。
もう少し説明が欲しいな。
もちろん難しくない表現で。
「何回も申し訳ないですけど、よく分からないです」
「ああ・・・いえ、こちらこそごめんなさい。あんまり分かりやすく伝えられなくて。」
いや、理解力が足りないこっちも悪い。
実際には言葉にせず、心の中で呟くだけにしておく。
「つまり、記憶喪失の症状が深刻であればあるほど嫌なトラウマなんかを忘れることが出来るから、本来の自分の本質にどんどん純化していくのよ。性格も綺麗になっていくの。大雑把な言い方だけど」
「ああ・・・純粋になるってそう言うことですか」
なるほど。
確かに生前にあったトラウマなんかを脳から除去することが出来たのなら、性格も一変するだろう。
例えば、PTSDと呼ばれる戦争体験や性的暴行などからくるストレス障害。
忘れたと思っていても、フラッシュバックなんかで再びストレスを感じてしまう症状が特徴の障害だ。
そんな症状も、そのトラウマとなる記憶があるからこそ引き起こされるものだ。
これらのストレスによる記憶喪失は、いわゆる逃避の一種に含まれるので、フラッシュバックからかなりの確率で逃れられない。
これは脳が自己暗示をかけて思い出さなくしようと努力しているようなものだが、努力にはどんな形であれ、必ず穴漏れがある。
これは本質的な記憶喪失とは異なるものだ。
けどそれとは違い、自分のトラウマを脳が故意に思い出させない記憶喪失ではなく、ごく自然な外因で記憶を失ったのなら、そんなフラッシュバックだって何も無くなる。
ストレスを感じる要因である記憶が元から失われたのであれば、ストレスによる性格の歪曲も失われる。
元の自分にリセットというわけだ。
今までの自分が失われるのと同義だ。
ストレスを感じていた自分がいなくなるのだから。
結果として、マリアさんが言ったような純粋に近い形で性格が形成される、と言うことだろう。
俺はそう理解した。
それにしても、PTSDなんて言葉・・・よく覚えてたな、俺。
この文字を頭で思い浮かべた途端、スムーズに記憶喪失と関連付けちゃったし。
これも生前の影響だろうか?
「けど、それと俺の記憶喪失にどんな関係があるんですか?」
「そう。そこで話は戻るんだけど、ブラックイーターと戦った時の君、生死が関わる極限状態で、無理はしなかった、と言ったわね」
「言いましたね」
むしろ楽しんでいる節があるとも思った。
「君は私達に会った時点で、地獄のことを何も知らなかったみたいだから、地獄に来てからそんなに時間は経ってないのよね?」
「多分、気絶した日も含めて5日目です」
「と言うことは、地獄の影響もさほど受けてはいないっていうことよね?」
「そういうことに・・・なりますかね?」
「つまり、君の心の状態は純粋に近い形を維持してるってこと」
それが何だと言うんだろうか?
「それはそれでいいんじゃないんですか?」
俺の問いに対して、マリアさんは首を振る。
「純粋であるということは、それまでに培ってきた心の器と言うものも全てその純化に合わせるということなの。私やダゴラスは、君がどんな方法でブラックイーターを倒したかは知らないわ。どんな方法であれ戦闘について熟知していない私がそんなことを言及しても、あまり意味は無いもの。けど、君が純粋な状態で凄まじい闘争経験をした後にそんな感想を抱いたこと、それは心の観点から言って異常なことなのよ」
・・・マリアさんの言いたいことが何となく分かってきたような気がする。
ホントに何となくだけど。
「普通なら、トラウマになってもおかしくない状況だったってことですか?」
さっき俺が思ったPTSDみたいな。
「そうね。ダゴラスの場合は、何度も死線を乗り越えているのを私は知っているわ。長い時間をかけた、慣れと克服によって」
マリアさんは、俺に目を合わせる。
その口から次の言葉は発せられない。
分かるよ・・・
それじゃあ俺の場合はどうなのか、と言うことでしょう?
・・・
「正直な話、俺は俺のことがさっぱり分からないです。俺の名前も、住んでた場所も、年齢も。何1つ自分のことに関する確かなことは分からない。だから、これから何かしたほうがいいのなら、俺はそれに従います。マリアさん達のことは本当に感謝してますから」
本当のことを言った。
以前の俺について何も分からないのなら、今の俺が思っていること、考えていることを誠実に話すしかないだろう。
話すべきだろう。
ただそう思った。
「あっ、いえ。何かするべきだとかそういうことじゃないの。私はただ、君に自分のことについて少しでも知ってほしくって・・・その手助けをしたいと思って口出ししたのだけど、ずいぶん辛口になっちゃったわね」
「ああ・・・いや、全然そんなことなかったです。逆に感謝してますよ、俺」
俺のことを嫌って、わざわざこんな話をする訳がないじゃないか。
ありがたいんですよ、ホント。
「ごめんね。でも、君が魔物と戦ったってことを聞くと、どうしても不安になるの。普通の人間はまず戦うことも出来ないのに、生還して・・・しかもそんなことを言うものだから・・・」
もしかして、マリアさんを不安にさせていたのだろうか?
どこから不安を抱かせてしまっていたのか推測出来ない・・・
何だって俺はこうなんだろうなあ。
「結局は私も何も分からないの。けど、こっちの考えていたことは伝えたほうがいいと思ってね。余計なお節介だったかなぁ」
いやいや、そんなことは微塵もございません。
「こっちこそ申し訳ないです。ダメですね・・・俺」
「・・・なんだかしめっぽくなっちゃったわね。普段はこんなのじゃないのに」
「そういえばダゴラスさんも言ってましたね。あんまり謝るなって。それがこの家族のノーマルスタイルなんですっけ」
「そうそう。いったん謝っちゃうと、どうしても遠慮しがちになっちゃうから」
ねっ!とマリアさんが言った後に、クスクス笑う。
一気に会話が軽くなってきた。
やっぱり会話は気軽なのが1番だな。
そう思っていると、マリアさんがコホンッと1回咳払いをする。
「だけど、これだけは聞いておいて?」
と、前置きして。
「人間の社会と違って、自分の考え方は尊重されるけど、それは相手の意思を妨げないことが前提なの。だからよく考えておいてね。自分のことを」
と言うと、マリアさんはいつもの笑顔に戻った。
「以上、マリアからでした!」
どうやら締めのようだった。
マリアさんからのお言葉、大切にしよう。
自分のことを、考えるか・・・
そういえば、自分のことをこれまで考えていなかったような気がするな。
改めてそのことに気が付く。
考えれば、新たな発見があるかもしれない。
門に行けば、記憶が戻るとかスティーラは言っていた。
けど、このまま自分のことを思い出す努力をしないのは、間違いなのかもしれないと思った。
「それじゃあ、私は家事があるから」
マリアさんはベットの横に置いてある椅子から腰を上げる。
スラリとした体型を持って、スラリとした所作で立ち上がるものだから、かなり美しい。
「用事がある時はいつでも呼んでね」
そう言って、静かにマリアさんは部屋から退室した。
部屋に再び静寂が訪れる。
暖炉から発せられる音以外は何も聞こえない。
やっぱり眠るには最高の環境だ。
そんな空間の中で、俺は再び目を閉じるのだった。




