ねえ?
――ジャックの手は冷たいなあ。
そんな事を考えながら、エドウィンはしっかりとジャックと手を繋いでいた。
きっと突然の街の崩壊に巻き込まれて怖かったのだろう思うと自然と握る手に力がこもる。実の弟のように大切な幼い彼を、怖がらせるものか。先程から一言も喋らず俯いたまま歩くジャックを見、エドウィンはそう堅く決意した。
と、そんな時。
「……シャルロット?」
砕けた道のずうっと向こう、割れてチカチカと点滅する街灯に微かに照らされ、うっすらと三人の人影が見えた。髪の長い女の子と、手を繋いだ双子と。エドウィンの顔にぱあっと安心の色が広がった。思わず繋いだ手を掲げてぶんぶんと振る。
歩いて近づくその速度がもどかしく、エドウィンは嬉しそうにジャックに言った。
「ジャック、走るぞ!」
「えっ? う、うん!」
ぐんっと手を引かれる感覚に、ジャックはもつれかけた足で慌てて走り出す。
「シャルロット、アイザックエティ! 良かった無事だったか!」
そう言ってエドウィンは、
「あっ……」
するりとジャックの手を離してシャルロットを抱きしめた。
「大丈夫よエドウィン、私も、アイザックとエティも何処も怪我してないわ」
「そっか、そっか。良かったぁ……」
ぎゅうっと力を入れたあとすぐに体を離し、手を繋いだままのアイザックとエティもまとめて抱きしめる。
「エドは、しんぱいしょうだね……」
そっと呟いたエティのほっぺたを笑いながらつついていると、シャルロットに「あのね」と服の端を引かれた。
俺が心配性ならお前らは甘えん坊だなあ。そんな気持ちでシャルロットの方を向くと、そこには口を真一文字に引き締め悲しそうに眉間にしわを寄せた彼女がいた。
「……どうした?」
意を決したようにも泣き出しそうにも見えるシャルロットの肩に手を置き、エドウィンは柔らかく尋ねる。シャルロットが抱えていた本をぎゅっと握りしめるのを見、――――ジャックははっとして叫んだ。
「なんでっ……どうしてシャルロットがその本を」
「やっぱり、ジャックは知ってたのね」
「ッ……!」
例えば、呑み込めやしない大きな飴が喉に詰まってしまったような。
墓穴を掘ったことに気付いてから目を見開いてもどうにもならず、ジャックは黙って服の端に爪を立てた。震えを静かに抑えながら小さく呟く。
「……見た、の?」
「……ええ。私も、アイザックもエティも。レベッカのも、エドウィンのも」
「そう……」
――立入禁止って書かれていたはずなのにどうして? そうだ、アリスとのやりとりのせいで鍵をかけ直すのを忘れちゃったんだ。……違う。そもそもアリスはどうしてあの部屋に入れ……ああそれも違うそうじゃない、アリスなんか今はどうでもいい。
頭の中にある歯車が不協和音をたてながら焦って回る。冷汗が滲むまま動かない表情の裏で、ジャックは必死に請うた。
――お願いだから、その本を、返して。
今からそう伝えてもどうにもならないことは分かっていた。だってもう見られてしまったのだから。それでも喉奥に詰まる重い焦燥に耐えられず、意味のないそれを口にする寸前、シャルロットが優しく微笑んで言った。
「ジャックは優しいのね」
「……え?」
「私たちが傷付くと思って隠しておいてくれたんでしょう? 辛い、苦しい悲しい記憶だから。でももう大丈夫よ。……ありがとう、ジャック」
流れるようにシャルロットは言葉を紡ぐ。その空色の瞳には涙すら滲んで、かたく手を繋ぎあった双子も頷いて微笑んで。ジャックは胸の内にじんわりと広がる感情に、つかえていたものが溶かされていくのを感じていた。
――なんだ、心配することなかったじゃないか。
そう考えながらも押し黙って俯く。それが本心なのか無意識の演出なのかは自身にも分からなかった。
「……」
「ジャック。この本、なんなの?」
唇を噛み締めるジャックの頭をエドウィンが優しく撫でる。
ぎゅっと自身の服を掴み、ジャックは小さく囁いた。
「……エドウィンの、『エドウイン=マホニー』の生前の記録」
「……生前?」
「そう……覚えてないと思うけど」
俯いたままのジャックに代わり、シャルロットがエドウィンに本を手渡す。表紙には金糸で刺繍された『Edwin=Mahoney』の文字。
忘れていたファミリーネームを見た途端に心臓が大きく脈打ち、例えようのない感情がぶくぶくと湧いて出てくる気がした。
「……向こうで見てもいいかな。少しだけ、一人にして」
包帯に隠されていない左目を見開きながらぽつんとそう言ったエドウィンから、シャルロットと双子はそっと離れる。ふらついてはいないのに不安定に見える少年の後ろ姿を見送りながら、ジャックは思わず叫んだ。
「……っ、あの、エドウィン! あの……、僕ら、ここで待ってるから!」
瓦礫の転がる崩壊した街の道の真ん中で、エドウィンは立ち止まって振り返った。チカチカと揺れる壊れた街灯の光を受けながら、ジャックは言う。
「ここに、いるから」
シャルロットは右手でごしごしと目元を拭ってから強くその言葉に頷き、アイザックとエティは繋いだ手を掲げて手を振る。
エドウィンは首を傾げて笑って、暗い路地裏に隠れるように入っていった。
「エドウィン、だいじょうぶかな」
アイザックが悲しそうな口調で呟くと、シャルロットはそんな彼の頭をぽんぽんと撫でながら微笑んだ。
「大丈夫よ。強くて優しい私たちのお兄ちゃんじゃない」
「……そうだよね。アイザックより、エドウィンのほうが、いいこ」
「ふんだ!いいもんねーエティよりおれのほうがいいこだもんねー」
いつも通りな会話に――否、必死にいつも通りに振る舞おうとするその様子にジャックは苦々しい気持ちになる。ぎこちないなあ、せっかく今までずっと上手くいっていたのに……。
エドウィンも今までのように明るく優しいままではいてくれないのだろうか、そう考えると心が重かった。
溜息をつきそうになったその時、
「ジャーック」
重苦しかったその場にそぐわない明るい声が響いた。
「こんなとこにいたんだね、探しちゃったよ。あ、みんなも一緒なんだ!」
そう嬉しそうに言いながらジャックに走り寄ったのは、暗く不気味な街に似合わない鮮やかなオレンジ色。
レベッカだった。
「レベッカ! あなたも無事だったのね、よかったわどこ行ってたの?」
「ジャックのこと探してたんだ! みんな集まっててびっくりだよー。なにしてたの?」
まんまるい空洞の瞳でぐるんと皆を見回す。笑ったつもりなのだろう、シャルロットと双子に向かいひょこんと首をかしげてから、「まあいいや」とジャックに向き直った。
振り返った勢いで闇色のスカートがふわりと翻る。白いブラウスに黒いワンピース、黒いタイツに黒い靴。黒い手袋をはめた手がオレンジ色のカボチャの顔の前に掲げたのは、汚い、表紙がずたずたに裂けた古い本。
ジャックの心臓が怯えたように嫌な音を立てた。
シャルロットがあの本を持っていた時に似た、しかしそれよりもはるかに大きな震えが衝撃波のように彼の体を貫く。目が見開いたまま動かない。まばたきが、息が、できない。
ぼろぼろに汚れた、その本の表紙には――――
「――ッ返して!!」
「やだよ? あたしの本はみんなに見せたくせに。そうやって自分の都合のいーことだけするからアリスが怒っちゃったんだよ。おかげであたしがアリスに嫌われちゃったじゃんどうすんの?」
先程はかろうじて呑み込んだ言葉を叫び本に手を伸ばす。が、あっさりと避けられ躓き、膝を打って地面に手をついた。立ち上がろうと顔を上げた瞬間、首に覚えのある衝撃。
首にはめられた枷が、『街』に面白おかしく引っ張られる時の感覚だった。
空洞の瞳と口をピクリとも動かさず、カボチャの面の奥からレベッカは言う。
「アリスは一人ぼっちが嫌いな子だから、あの部屋に自分の分だけ本がないのを知って怒っちゃったんだよ。私の本だけ見つからない、仲間はずれなんてひどいって。ジャックがそうしたんでしょ? きっと、ジャックの都合にあわなかったから。そうでしょ? そうじゃなきゃアリスはあんなことしないの。あたし知ってるもん、アリスはいい子だって、ちっちゃい頃からずっとずっと知ってるもん」
「……レベッカ?」
アイザックの手を握りながら、不安そうにエティが呟く。
何を言っているのかわからない。今のレベッカは、なんだか、怖い。
レベッカはエティを見て淡々と言った。
「エティはいいね。大好きなアイザックお兄ちゃんがいつも一緒にいて」
「ちょっ、レベッカ! あなた何を言い出……」
「シャルロットもね。いいよね。殺されてもそれでも大好きだと思えるお父さんがいて。あ、私は羨ましくないよ? アリスがいるもん」
レベッカはあっさりと言い放ち、それから興味を失ったように目をそらす。
言葉が出なかった。
つい先程突きつけられて泣いて、やっと受け入れたばかりの現実を、それでも直視はできない、できれば優しく蓋をして大切に大切にしまっておきたかった記憶を、容赦なくもう一度目の前にさらされた気がして、シャルロットは茫然と座り込んだ。
お父さん。私を殺したお父さん。大好きなお父さん。でも私が大好きなお父さんに私は殺された。死んだ。殺されて死んだ――
放心したように座り込んだまま動かないシャルロットの横で、アイザックが泣きそうな声で言った。
「……ひどいよレベッカ。なんで急にそんなこというの……?」
カボチャ頭はふるふると首を振る。
「ひどくない。アリスはあんなにひどい子じゃない。あの子はいい子なの。ジャックがあんなにしなければ。ジャックがアリスをそうしたの。ジャックのせいなの。ジャックのせいなの全部あなたの全部全部あなたのせいなの!!」
だあんっと地団太を踏んでレベッカは叫ぶ。割れた石畳のどこかにピシッと小さく亀裂が入り、空気が震えた。
「そうでしょ!? アリスが羨ましかったんでしょ!? 一人ぼっちのジャックには持ってないものをたくさん持ってるから!! 他のみんなのことだってそうでしょ羨んで妬んでたんでしょ!? かけがえのない兄妹を持ってたアイザックとエティも! 大好きだって言える家族がいたシャルロットも! 家族にも友達にも愛されてたエドウィンも、親友のいるあたしのことも!!」
――違う、違うよレベッカ。僕はそんなこと考えてない。
妬ましいなんて思ってないよ。
レベッカの声を聞きながら、ジャックは必死で手を伸ばしていた。けれど、届かない。首が締まって声が出ない。
苦しさからくる生理的な涙が目の端に滲んだ時、誰かがジャックの耳元でそっとささやいた。
――ジャック、ジャック、本当かい? 本当に妬ましくないのかい?
――ジャック、ジャック、きみは本当に嫌な奴だね。そうやってすぐに嘘をつくんだ。
「……か、ッ……ぁ……」
ようやく漏れたのは音にならない掠れた喘ぎ。それでも、ジャックは心中で首を振った。
違う、違う違う嘘じゃない! 僕はみんなのことが好きなんだ……!
「だから大事な記憶を奪って思い出も奪ってファミリーネームまで奪って、そうやってっ……、…………」
噛み付くようにまくし立てていたレベッカが、不意にすとんと口をつぐむ。
その腰に抱きついたアイザックとエティが泣きながら首を振ったからだった。
「もう、もうやめてよぉ……なんでそんなこというの……? ジャックを、怒らないでえ……」
アイザックはぼろぼろと泣きながらレベッカを見上げる。縋るように泣きつかれ黙ってしばらくその顔を見つめていた彼女だったが、やがて諦めたような平坦な声でつぶやいた。
「……そっか。そうだよね。こんなこと言ってもしょうがないよね。妬ましかったんじゃなくて、都合が悪いから記憶を消したんだもんね」
ジャックは微かに首を振る。枷が細い首に食い込む。
「家族に殺されたシャルロットたちも、通り魔に殺されたエドウィンも、ただ単にそれを覚えてちゃジャックが困るから記憶を奪われたんだね。焼け死んだあたしまで取られちゃったのはなんでかな? ああ、誰にかは関係なく『殺された』ことを知ってちゃ困るのか。まあそりゃそうだよね」
ジャックには次の言葉がわかっていた。そして、それを理解した街が自分を指さして嗤っていることも、わかっていた。
同時。
枷がひときわ強く引かれてジャックの身体がわずかに浮くのと、ジャックが音にならない声で何かを叫んだのと同時に、レベッカは淡々とそれを吐き捨てた。
「そんなこと覚えてたら嫌われちゃうもんね。ねえ? ――――
――――――『切り裂きジャック』さん?」




