Remember me
水の中なんだ。
今さらのようにわたしはそう反芻した。
苦しいのも視界がぼやけるのも全て水中にいるせいだ。ゴボリと息を吐きながら私は考える。
水は暗く黒く、清冽な美しさは少しも感じられない。
―――-、――。
水底へと沈みながら何にともなく呟いたその言葉も、気泡となって潰れて消えた。
◆
「アイザック……エティ? そこにいるの?」
シャルロットの声に、泣き疲れた双子は同時に顔を上げた。
ひどく長い時が流れたような気がして、懐かしい彼女にとびつく。二人よりもみっつほど年上の彼女は驚いて二人の頭を撫でた。
「どうしたの二人とも、泣いてたの? ……大丈夫よ、私たちがいるわ。もう、泣かないでよ」
腰に抱きつきぐりぐりと頭を押し付けてくる双子をあやしながら、シャルロットは部屋を見渡した。
ぐるりと並ぶ首が痛くなるほどに見上げても果てない本棚、ばさばさと床に落ちた重そうな本。
ただ、壁や家具には亀裂どころか傷一つ見当たらなかった。
街の崩壊が少しも及んでいない。
そんな図書室を不思議に思いながら、シャルロットは双子の頭を撫でて問う。
「ねえ、アイザック、エティ。ここには地震こなかったの? 外が大変なのよ。道路は割れちゃうし建物は崩れちゃうし……」
「……シャーリー」
「え?」
ぽつりとエティが呟く。シャーリー。滅多に呼ばれないシャルロットのその愛称は、エティやアイザックがどうしても甘えたい時、悲しくて悲しくて仕方ない時に使うのだとシャルロットは知っていた。
「なあに、エティ」
双子よりもほんの少しだけお姉さんなシャルロットは、膝を折ってエティの顔を覗き込んだ。
エティは泣き腫らした目で静かに言う。
「シャーリーも、死んでるの?」
「…………、え?」
長い長い沈黙の後、シャルロットは震えた声で聞き返した。
意味がわからなかった。どうしてそんなことを。
背中に冷や汗が伝ったのに必死に気づかないふりをしながら、シャルロットはぎこちなく微笑んで首を傾げる。胸中を駆け巡る焦燥の意味がわからないまま、引き攣った口元を綻ばせて笑った。
「……嫌だわ、エティ、何言ってるのよ。私、ここにいるじゃない」
「いるよ。でも、わたしも、アイザックも……死んでたの。シャルロットも、シャーリー、ねえ、シャーリーも死んでるの?」
あくまで口調は疑問を示している、けれど、エティの言葉はシャルロットの何かを思い出させようとしてるかのようで。
純粋に不思議で不安で、縋り付くような声でエティは言う。
アイザックは喋らない。普段は明るくて元気な彼が、一言も喋らない。
「……みんなのご本も、わたしたちみたいに、ここにあるのかなあ」
シャルロットの青い瞳が揺れた。
二人の向こうに大量に落ちた本。大量に並べられた本。大量にしまわれた本。
それまでどうして気づかなかったのか、すぐそこに落ちている本のタイトルは『Etty=Butler』と『Issac=Butler』ではないか。
「…………」
シャルロットはふらりと立ち上がった。
こんなに心臓がうるさいのは、急にエティが変なことを言い出したせいだ。
こんなに震えが止まらないのは、死ぬなんて怖いことを聞いてしまったせいだ。
こんなに気分が悪いのは、双子の様子がいつもと違うせいだ。
――励ましてあげなきゃ。二人は怖い本を読んで疲れてるんだわ。大丈夫よって、心配ないわって、言ってあげなきゃ。
シャルロットは自分に言い聞かせた。
その為には本を読まなければならないが、大丈夫、なんてことはないだろう。
――あれおかしいな、『Edwin=Mahoney』だなんて、エドウィンと同じ名前。『Rebecca=Ackerson』はレベッカかしら。嫌だわ、みんなと同じ名前ばかり。でもファミリーネームが違うかもしれないもの、偶然だわ、偶然、そうに決まってる。
震える手で本を捲っていく。違う、違う、知らない子のことばかり。
だんだん捲る手が早まっていく。
そしてやがて、動かなくなったかのように手が止まった。
「……違う。これは私のこと。――どうして忘れてたのかしら、私、お父さんに殺されてたんだわ」
呟くと同時、一筋だけ頬に涙が伝った。
不思議と取り乱しはしなかった。
ただ、両親と手を繋いで遊びに行った公園が、友達とかくれんぼをして遊んだ家の中が、はじめて一人でおつかいにいった並木道が、たくさんのたくさんの失われていた暖かい記憶たちがシャルロットを優しく包んでいた。
彼女はようやく理解する。ああ、それは、もう二度と戻ってこないのね。
「シャルロット……」
俯いて本を抱きしめるシャルロットの服をアイザックが引く。
シャルロットはゆっくりと顔を上げ、切なげに微笑んで双子を抱きしめた。
「……私は、大丈夫よ。お父さんが浮気したお母さんのことがそれでも大好きだったようにね、私もお父さんが大好きなの。だから、大丈夫。大丈夫よ」
嫌うことなど出来るはずがなかった。頭を撫でてくれた大きな手も、危ないいたずらをして叱られた時の声も、抱きしめられた暖かさも本当に本当に大好きだったのだから。
殴られたり蹴られたりするのは痛くて哀しかったけれど、それでも大好きな家族だった。
「……わかんない」
ぽつんとアイザックが呟いた。
「おれは、エティがいたから、だいじょうぶだったよ。でも、シャルロットのお父さんは」
やっと喋るようになったアイザックは、シャルロットを抱きしめる腕に力を入れる。幸せな家庭を知らないアイザックは不安だった。泣きたいのにお姉さんぶって我慢してるならやめていいんだよ辛いでしょ、そう伝えたかったのに言葉が足りず、それがもどかしくて仕方なかった。
「やだわアイザックったら」
くすりとシャルロットは笑う。
「私にだってエティがいるもの。アイザックもよ。エドウィンも、ジャックも、レベッカも」
穏やかな声でシャルロットは言った。私は幸運だな、と心のどこかで小さく呟く。
死んだら何もかも失うのかと思っていたけど、こんなに素敵な友達ができるなんて。悪くない。うん、ぜんぜん悪くないわ。
双子の頭を撫でながら立ち上がり、あたりを見回す。
それでもなお胸の内に詰まる哀しさを呑み込むように、シャルロットはぎゅっと目をつむってからはっきりと言った。
「……きっと、忘れたままじゃ駄目だわ。思い出さないと。そうじゃないと――
――私たちが生きてたことまで、消えちゃうわ」




