71
「おはようございます、ルウェさま」
「うん…。おはよ…」
「今日は早起きなんですね」
「うん…」
「まだ眠たそうですね」
「うん…」
「もう一眠りしますか?」
「うん…」
「さっきから頷いてばかりですね」
「うん…」
「ふふふ。では、お休みなさい」
「お休み…」
深い霧が、あたりを覆っていた。
クノお兄ちゃんに頭を撫でられて、ゆっくりと意識が遠のいて…。
目を開けると、あたりはまだ霧で真っ白だった。
さっきから、まだちょっとしか寝てないのかな…。
でも、毛布の中でしばらくモゾモゾとしていると、何かおかしいことに気が付いた。
望…?
望もお兄ちゃんも明日香も。
悠奈も七宝もカイトもリュウも大和もクノお兄ちゃんも…いない。
望…お兄ちゃん…。
名前を呼んでも誰も答えてくれない。
毛布から出て周りを見回してみても、誰もいない。
何もない。
木も草も、空も地面もなかった。
自分一人が、白い世界の真ん中に浮いていた。
……?
いつの間にか、毛布も消えていた。
これでついに、自分一人だけの世界になってしまった。
望…望…。
今どこを見ているのか、どっちを向いているのか。
真っ白な世界では何も分からなかった。
望…。
と、そのとき。
真っ白の世界の中にひとつ、黒い炎が燃えているのが見えた。
手を伸ばせば届く距離にあるようにも見えるし、遥か遠くにあるようにも思える。
明日香…。
なぜだか、そんな気がした。
明日香がこっちに尻尾を振って合図しているような、そんな気がした。
知らない間に、黒い炎を追いかけていた。
前に進んでいるのか、後ろに退がっているのか。
それは分からないけど、とにかく黒い炎の方へ走った。
黒い炎はどんどん大きくなっていく。
近付いている証拠なのか、本当に黒い炎が大きくなっているのかは分からない。
この真っ白な世界は分からないことばっかり。
でも、答えてくれる人がいないってことだけは分かる。
………。
目の前に黒い炎があった。
今度こそ、手を伸ばせば届くところに。
………。
怖くはなかった。
ゆっくりと、その炎の中へと入っていく。
黒…。
炎の中は真っ黒な世界だった。
でも、真っ黒じゃなくて、たくさんの色が見えた。
黒は全部の色を混ぜた色。
葛葉が教えてくれた。
「赤…黄色…白…銀色…蒼…」
あれは何色かな。
何色でもない色。
…みんな、ここにいた。
帰ってきたんだ。
ただいま…。
何か生ぬるいものに頬っぺたを撫でられて目が覚めた。
眩しいのを我慢して目を開けると、赤色のものが目の横を通っていった。
「わっ、明日香!」
「ワゥ」
「えへへ。くすぐったいんだぞ」
「あ、ルウェ。起きた?朝ごはん、出来てるよ」
「望…」
「ん?どうしたの?」
「ううん。なんでもないんだぞ」
「そう?」
「えへへ」
「ふふ、どうしたのよ。笑って。変なルウェ」
「うん!」
望だ。
望。
毛布から抜け出して、望に抱きついてみる。
「今日は甘えん坊だね。ホントにどうしたの?」
「ん~」
おでこを望のお腹に擦り付ける。
望はクスクス笑いながら、そっと頭を撫でてくれた。
「朝から仲良しですね」
「クノお兄ちゃん!」
「はい。どうしました?」
「んー、なんでもないよ」
「ふふふ。そうですか。それよりルウェさま、龍紋が出ていますよ」
「えへへ。綺麗?」
「はい、とっても」
クノお兄ちゃんは、龍紋に沿って顔をなぞってくれた。
くすぐったくて嬉しくて。
指の先をちょっと噛むと、クノお兄ちゃんはニッコリ笑ってくれる。
「ふぁ…。お前ら、朝から元気やのぅ…」
「おはよ、お兄ちゃん!」
「ほいほい、おはよ。いつになく元気やな」
「うん!」
「それより、望。朝ごはん頼むわ」
「もう…。ちょっとはルウェの相手もしてあげたら?」
「ん?んー…ほれ」
「あたっ」
お兄ちゃんにおでこを弾かれた。
おでこをさすっていると
「もう!なんでそうなのよ!」
「ええやないか、別に」
「朝ごはん抜きにするからね!」
「ほなら、自分で作るからええわ」
「お鍋も食器も、全部こっちで使ってるからね」
「煮たり焼いたりするだけが料理やないんや」
「みんなで一緒のものを食べましょう。その方が精神的にも良いです」
「ん?クノ?なんでこんなところにおるん?」
「え?覚えてないの?」
「はぁ?」
「大丈夫ですよ。前後の記憶は飛ぶものなんです」
「へぇ~。そうなんですか」
「何を二人で納得しとるんや」
「なんでもないよ」
「……?」
お兄ちゃん、昨日の夜のことは覚えてないみたい。
じゃあ、大和も覚えてないのかな。
「それより、ほら。ルウェに朝の挨拶」
「さっきしたがな…」
「デコピンが挨拶だなんて認めないからね」
「お前が認めんでも、ルウェが認めたらええねん。な、ルウェ」
「んー」
「な、ルウェ」
「諦めが悪いよ」
「ふふふ」
「おい、クノ。何がおもろいねん」
「いえ。いつもこうなんですか?」
「さあな。知りたいんやったら、一緒に旅したらええ」
「ふむ。それも良いかもしれませんね」
「そうですね。お兄ちゃんと大和の喧嘩もすぐに止めてもらえるし」
「どういうことや」
「さあね~」
望はクノお兄ちゃんと目を合わせると、ニヤリと笑った。
…それにしても、あの世界は何だったのかな。
何もない、真っ白な世界。
リュウは明日香に顔を舐められて、モニュモニュと寝言を言っていた。