第五章:【永遠の瞬間】
私、白鳥凪は今、夢を見ている気がする。意識はあやふやで私はなぜか泣いている。そして、「またね!」と言う言葉が頭に響いている。でも私の声じゃない。聞き覚えがあるような……。
私はそこで目が覚めた。目の前には白い天井、そして椅子に座りながら寝ている優の姿が見えた。
「……優?」
すると私の声で目を覚ました優が口にした。
「おはよう、凪」
「私なんで生きてるの?」
成功率三パーセントほどしかなかったのになぜ目が覚めたのだろうか? もしかして、天国というやつなのだろうか?
「なんでって、手術は成功だったさ。後遺症はあるらしいが『奇跡』がお前を味方したらしい」
私の目からは涙が溢れていた。
「じゃあ、私はこれからも優のそばで生きていられるの?」
「あぁ」
優の目からも涙が出ている。でもそれを察せられないように笑顔を作りながら私に言ってくれた。
そして私はゆっくりと手を伸ばした。点滴の管が少し揺れる。それでも構わず、優の手を探した。優はすぐにその手を握る。その手は三年前と同じで、少しだけ大きくて、少しだけ温かかった。
「……温かい」
私は小さく笑った。
「な、なにが?」
「優の手、ちゃんと体温がある」
優は少しだけ困ったように笑う。
「そりゃあるだろ」
「だってさ……」
私は天井を見上げた。
「もう触れないかもしれないって、何度も思ったから」
病室に少しだけ沈黙が落ちる。外からは看護師の足音と、遠くで鳴るナースコールの音が聞こえていた。優は握った手を少し強くする。
「なあ凪」
「ん?」
「一ついいか?」
私はゆっくり優を見る。
「何?」
「退院したらさ」
優は少し笑いながら言った。
「またデートに行こうぜ!」
私は一瞬目を丸くしたあと、くすっと笑った。
「……いいよ」
「ならよかった」
優は椅子の背にもたれた。
「ていうかお前、三年寝てたらどうしようかと思ったぞ」
「信じるんじゃなかったの?」
私は弱々しく優の腕を軽く叩く。二人で少し笑った。その笑い声はとても静かで、でも確かにそこに生きている時間があった。
私はふと窓の方を見る。カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいた。
「ねえ優」
「ん?」
「私さ」
私は少し考えて言う。
「まだ、やりたいこといっぱいあるんだ」
「例えば?」
「文化祭とか」
「もう終わったぞ」
「えっ」
「春頃にやったな」
「じゃあ体育祭」
「お前の今の状態で体育祭は間に合わないと思うぞ」
私はむっとする。
「じゃあ……」
少し考えてから、恥ずかしそうに言った。
「優と、普通の高校生活」
優は一瞬だけ黙る。そして、静かに笑った。
「それならまだできるな」
「ほんと?」
「ああ。でも、まずは退院してからな」
僕は立ち上がり、窓のカーテンを少し開けた。朝の光が病室に広がる。
「俺たち、まだ卒業してないからな」
私はその光を見ながら、小さく頷いた。
「そっか」
そして優の方を見て笑う。
「じゃあさ」
「ん?」
私は言った。
「ちゃんと最後まで付き合ってよ、優」
優は肩をすくめながら笑う。
「今さら断ると思うか?」
私が笑った。その笑顔は、三年前と同じ、でも少しだけ強くなっていた。その日から、私の時間はゆっくりと動き出した。
最初は後遺症のせいでベッドから起き上がることさえも難しかった。しかも少し歩くだけで息が上がってしまう。それでも優は毎日来てくれた。
「お、今日はここまで歩けたじゃん」
病院の廊下を少し歩いただけ、優は大げさに褒める。
「優、それ十メートルくらいだよ?」
「十分すごいだろ」
優は笑う。
「三パーセントの『奇跡』で歩けてるんだからな」
その言葉を聞くたび、私は胸が温かくなった。
数日後。
病室のドアが勢いよく開いた。
「よー 見舞いにきたぞー」
聞き慣れた声だった。
「……零?」
ドアの前には腕を組んだ零が立っていた。
「なんだよその反応」
「だって……」
私は少し笑った。
「来ると思わなかった」
零はため息をつく。
「『親友』の見舞いに来ないわけないだろ」
「『親友』ね……」
私はニヤッと笑った。
「凪、なんなんだよ……」
久しぶりに聞いたその言葉。
「うるせぇ。やっぱり二度と言わん」
少し頬を赤らめていた。そう言いながら、ベッドの横に立つ。そして少しだけ安心したように言った。
「……本当によく生きてたな」
凪はうなずく。
「うん」
零は少し沈黙したあと、優を見る。
「お前、ずっとここにいんの?」
優は肩をすくめる。
「だいたいな」
「暇人かよ」
「うるせえ。じゃあお前は今日なんで来たんだ?」
「私は今日暇だったから凪の様子を見に来ただけだ」
「お前も暇じゃねえか」
三人で小さく笑った。その笑い声が、病室の白い空間に少しだけ色をつけた気がした。
それから三ヶ月。毎日リハビリを続けた結果、日常生活を送る程度までには回復することができた。そして私は退院した。久しぶりに見る学校は、どこか懐かしかった。
教室のドアを開けた瞬間。
「凪!!」
クラスメイトたちの声が一斉に聞こえる。
「え?」
「みんな、お前のことを待っていたんだよ」
そう後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「あ、零!久しぶり!」
「久しぶりって最近会ったばっかだろ」
「そんなことないよ。最後にあったの一週間前じゃん」
すると後ろの席の女子が立ち上がって言う。
「ほんと心配したんだからね!」
「退院おめでとう!」
「もう来ないのかと思ったよ!」
いろんな声が一斉に飛んでくる。私は一瞬どう反応すればいいのかわからなかった。
「……みんなごめん、心配かけて」
そう言うと、クラスの空気が少しだけ柔らかくなる。
「別に謝んなよ」
誰かが笑いながら言った。
「生きて帰ってきただけで十分だろ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。私はゆっくりと自分の席を見る。
三ヶ月前に、もう戻れないかもしれないと思っていた場所。私はそっと椅子を引いて座った。
その時……。
「おはよう」
後ろから聞き慣れた声がした。振り向くと、優が立っていた。
「優……」
「席、ちゃんと残っててよかったな」
そう言いながら笑う。私は少しだけ頬を膨らませる。
「それ優が先生に言ったんでしょ」
「さあな」
とぼけるように肩をすくめた。その様子を見て、クラスメイトが小さく笑う。その瞬間。私はふと思った。
私、本当に戻ってきたんだ。死ぬかもしれなかった世界から。私は窓の外を見る。青い空が広がっていた。その空の下で、僕が当たり前のように隣にいる。それだけで、胸がいっぱいだった。
それからの毎日は、とても穏やかだった。授業を受け、昼休みには優と零でくだらない話をする。そして放課後に少しだけ寄り道をして帰る。
たったそれだけの時間が、私には『奇跡』みたいに感じられた。
……そして。
時間はあっという間に過ぎていった。
卒業式の前日。
帰り道。
夕焼けに染まった通学路を、私は優と並んで歩いていた。
「ついに明日だね」
そう私は口にする。
「もう卒業……か」
僕は空を見上げた。
「なんだかんだで早かったな」
「まぁでも高校でもお前も零も一緒だけどな」
少し沈黙が流れる。そして凪は立ち止まる。
「ねぇ優」
「なんだ?」
私は少し笑って言った。
「明日さ」
「うん」
「ちゃんと卒業式来てよ?」
優は少しだけ笑う。
「当たり前だろ」
そして優は歩き出しながら言う。
「じゃあな」
私は少し首を傾げる。
「ん?」
優は振り返って手を振った。
「また明日」
私も手を振り返す。
「うん、また明日」
その言葉が、夕焼けの中に溶けていった。
……でも。それが、私と優の最後の『また明日』になるなんて、その時の私はまだ知らなかった。
卒業式当日。
今日朝一に一件のメールが来ていた。
『今日は先に行っててくれ』
私はその返事を返した後、学校に向かった。
学校。
教室の中にはたくさんの人が集まっていた。だが優と零の姿は見えない。私は変に胸騒ぎがした。
すると、教室のドアから不穏な空気をただよわせた先生が入ってきた。
「皆さんに言わなくちゃいけないことがあります……」
クラスのみんながざわついた。私はいやな予感がした。
「……優が交通事故にあいました」
「え?」
クラスのざわつきが映画館の中のようにピタッと静まり返った。すると、クラスの一人が先生に質問した。
「先生!それはどういうことですか?」
「すまない、先生も詳しくは知らない。ただ、車に轢かれたとしか……」
「じゃあ零はどうしていないんですか?」
私は頭で考えるより先に口が動いていた。なぜなら朝のメールの言い方では零と行く感じではなかったからだ。
「零は……確か、今向かってると聞いている……」
私は少し違和感を感じた。
『優の交通事故』
『零の遅刻』
もしかしてと思っていたとき、後ろの方からガラガラとドアを開ける音が聞こえた。
「おはよう…ございます……」
「零!!」
私は零の前まで走った。
息が乱れる。胸が苦しい。
「零、どうして遅れたの?」
零はしばらく何も言わなかった。
ただ、俯いたまま拳を握っている。
「……れ……い?」
嫌な予感が胸の奥で膨らんでいく。
「優は……今、病院にいる」
零の声は、今まで聞いたことがないくらい小さかった。
「命は……助かったの?」
沈黙。それだけで、全部わかってしまった。
「……行く」
「ダメだ。今から卒業式だぞ、終わってからにしろ」
私の肩を掴む。だがそれを払いのけて言った。
「優は私の生死のときまでいてくれた。だったら私も行ってそばにいたい!」
その言葉を聞くと先生は口にした。
「……わかった。でも卒業式が終わるまでには戻ってくるんだぞ」
先生は笑顔で言った。
「ありがとうございます」
そう言って私は鞄を掴んで教室を飛び出した。
零やクラスのみんなもなにも言わずただ教室を出るのを見送ってくれた。そのときの零の目には涙がが見えた。
そして教室をでて廊下を走り、階段を駆け下り、靴を履き替える。
三年前と同じように、世界が遠くなる。
「なんで……」
私は呟いた。
「なんで優なの……」
そんなことを考え、優のいる病院を目指して走った。




