招かれざる客
夜の空に漂う星々は、まるで何事もないかのようにいつも通り俺達を見下ろしている。
だが、俺達にそれを呑気に見上げる余裕なんて無い。
いったいいつまでこの空の下で待っていなくてはならないのだろうか。出来ることなら、今すぐにでも刀を手に入れなければならないというのに。
正直、自分で言うのもなんだが、俺は刀無しだと戦力と数えるのも愚かしいと思える程弱い。刀を使えない時の最低限の自衛手段として柔道の投げ技も一応使えるが、まだまだ初心者の域を出ない代物だ。
ましてや、あの靄人間と読んでいる人達に直接触れる必要がある柔道はあんまり使いたくない。
一応、この時間で備えはしたが、これじゃ気休めもいいところだろう。
「今って何時ぐらいですか?」
「ん? 今は……八時十二分だな」
隣で足元の小石を暇そうに蹴っているあらた君が、もう何度目かわからない質問をしてくるが、彼の気持ちもわからなくは無い為、腕時計をしっかりと確認して明確な時間を教える。
「……そうですか。まだ終わらないんですかね?」
「そう言ってやんな。ここで俺達が入っても余計こじれて面倒くさいことになるだけだ。やっぱりこういうのはしっかりと話しあって当人同士で解決するのが一番だからな」
「はぁ。それにしても、よく逸香お姉さんが犯人じゃないってわかりましたね。最初から知ってたんですか?」
「いや、正直言うと、逸香が犯人とは思ってなかった」
「えっ!? それってどういう……」
あらた君が驚いたような顔を向けてくるが、そんなにおかしいことだろうか?
俺が村人の異常に気付いてレジャーシートに座っていた村人達を見回した時、最前列にいた逸香の様子も見た。
彼女の表情には驚きもあったが、それよりも感じた感情は、激しい後悔だった。そのせいで彼女が犯人なんじゃないかとも一瞬思ったが、その後に見せた本気で香織の心配をしている様子や、香織を守ろうとする行動が、彼女が犯人じゃないといいなと俺に思わせてしまっていた。
犯人が見ず知らずの他人であってくれれば、どれほど良かっただろうか……。
「まだ知り合って二日も経ってないが、逸香は良い奴だって思うからな」
疑いという言葉を知らないかのような純粋な眼を向けてくるあらた君にそう言うと、彼の表情が一気に明るくなった。
「そうなんですよ! 逸香お姉さんは暇あるごとに僕んちに来ては僕と一緒に遊んでくれるすっごく良い人なんです! ゲームやアニメなんて全然興味無さそうだったのに僕の為に興味を持ったフリをして遊んでくれるんです!! ……まぁ、無防備すぎるのはちょっとどうかとは思いますけど……それでも、僕を僕として見てくれる優しい人なんです。……なのに、僕は逸香お姉さんがあんなに悩んでたなんて全然知らなかった……」
あらた君の明るかった表情は徐々に暗くなっていき、遂には目に涙をため始めた。
「お兄さん……逸香お姉さんは警察に捕まっちゃうんですか?」
あらた君が深刻な表情で訊いてきた為、俺はどう答えるべきか悩んだ。
如月逸香のやったことは果たして罪になるのだろうか?
油を塗ろうと舞台のもとまで行ってはいたらしいが、実際は彼女の師匠である矢車さんが彼女から油を奪い、代わりに行ったという。
証拠は無いが、彼女の様子からして、そこに嘘は無いだろう。
それに、俺達はあの舞が原因で靄が発生したと考えていたが、本当にそうなのかと問われると俺は自信が無い。
逸香ならなにか知っているかもしれないが、知っていたら彼女の性質上、あのような行為に及ぶとは到底思えない。
……となると、彼女の罪は靄人間への暴行のみとなるが、それに関しては言うまでもなく罪とは思っていない。
俺は不安そうにこちらを見つめるあらた君に安心してもらえるように笑顔を心掛けてから、彼の質問に答えた。
「する訳が無いだろ? 逸香が逮捕される必要なんてどこにも無い。彼女の無実は他ならぬ俺が証明してみせるから、あらた君は俺を信じてくれればいい」
そう答えると、あらた君の目から一筋の涙がこぼれ、頬を伝って地面に落ちた。
「すいません、泣くなんて男らしくないですよね。ただ、僕……嬉しくて……」
細い指で涙を拭いながらそう言った彼の頭に手を乗せ、軽くポンポンとする。
「泣くのに男も女もあるか。好きな時に笑って、好きな時に泣けば良い。子どもが大人の前で遠慮なんかすんな」
あらた君は少し不安げな様子でこちらを見上げてきた。
俺はそんな彼の頭に手を置いて、ぐしゃぐしゃにした。すると、彼の表情が徐々に柔らかくなり、「いたい、いたいですよぅ」と言ってきながらささやかな抵抗をしてきた。
しかし、その表情からは拒絶の反応が見られない。
それどころか笑顔を見せていた。
俺がこの子の笑顔を守る必要がある。
あらた君の表情を見て、心の内でそんな決意をした俺は、そのまま彼の頭を撫で続けた。
すると、玄関の扉がゆっくりと開かれ、俺達の視線がそちらに向く。
「随分仲良くなったんだね」
そう言いながら出てきたのは、先程までとは少し違う様子の香織だった。
雰囲気は少し暗いが、胸のモヤモヤが無くなったかのようなスッキリした表情を見せている。だが、やはり見間違えではないようで、彼女の化粧は見慣れたものになっていた。
「化粧落としたの?」
そう聞くと、彼女はドキリという擬音が出てきそうなほど驚いた顔を向けてきた。
「う……うん。ちょっと崩れちゃったからね。そのせいで待たせちゃったよね」
香織は嬉しそうに頬を赤らめながら、俺の聞くつもりだった質問の答えを教えてくれた。
この状況ですることかとも思うが、女性である以上、仕方ないことだと、せっかちな自分を心の中で嗜めた。
すると、香織は身体の前に両手を持ってきて、突然もじもじし始めた。俺がその様子に首を傾げると、香織は口を開いた。
「そ……それでさ、梓君はもう……私の気持ち……知っちゃったよね?」
彼女の上目遣いと質問の内容のせいで、俺は自分の顔が一気に熱を帯びたのを感じ取った。
せっかく考えないようにしていたというのに、まさか彼女本人が突っ込んで聞いてくるとは……。
なんて答えればいいのかで悩んでいると、いきなり俺の前に人が現れた。
「お兄さんは誰にも渡しません!!」
そう言いながら手を広げて俺と香織の前に割って入ったのは、まさかのあらた君だった。
流石に予想外な展開に頭が処理できず、俺は困惑した様子で二人を見た。
香織も俺と同じで啞然としているが、あらた君は本気で対抗心を燃やしているのか、頬を膨らませながら、香織に視線を向けていた。
「えっと……どういうこと?」
困惑した笑みを見せながら頬を指でかく香織が、あらた君にそう聞いた。だが、彼はその質問に答えることなく、こちらに体を向けてきた。
「お兄さんはずっと僕と一緒に居てくれますよね?」
上目遣いで不安そうに聞いてくるあらた君に、俺はなんて答えればいいのかわからなくなった。
というか、展開に頭がまったくついていけて無い。
この場合、どう答えるのが正解なのだろうか?
俺にそっちの気なんてまったく無いし、あらた君は一人っ子の俺にとって可愛い可愛い弟のような存在だ。
いつもなら考える間もなく、即否定するところだが、今回は状況が状況だ。
祭の際、村長として祭の場にいた彼の義理の父の生存確率はゼロに近いだろう。そして、あの場では見なかった為、何も言えないが、この村にいる以上、彼の母親が生きている確率もかなり低いだろう。
多分、あらた君自身もそれはわかってる。
わかってるが、まだ直面していないからこそ、彼は立っていられるんだ。
俺の言葉一つで、彼の精神状態が一気に崩れ落ちる可能性がある。
慎重に言葉を選ぶ必要がある。
「あのさ……」
俺があらた君に声を掛けようとしたタイミングだった。
カランコロン
その音が、突如として俺達三人の耳に届いた。
「……梓君? どうしたの? この音なに?」
香織が不安そうに聞いてくるが、俺はその質問に答えることなく、耳を澄ませる。だが、俺の代わりにあらた君が、香織に向かって口の前に人差し指を立てるポーズをしてくれた。
あの方角から考えると……早くて一分程度か。
「悪いが、この話はここで終わりだ。香織は逸香に早く刀を持って来るよう伝えてきてくれ。こんな棒きれじゃ、正直もたない」
家に立て掛けておいた手頃な棒を手に持ち、神妙な面持ちの香織にそう指示を出す。彼女もそれで察してくれたようで、すぐにわかったと言い、中に戻っていった。
香織と逸香が話し合っている間、何もしていなかった訳では無い。
香織と飲もうと思って車の後ろに積んでおいた缶ビールの箱から缶ビールを取り出し、苦渋の決断の末、中身をそこらへんにぶちまけ、空になった缶に小石を少し入れ、後は同じく積んでおいたビニール紐を使って簡易的な鳴子をあちこちに仕掛けておいたのだ。
警察官として、体の自由がきかない民間人を殴るのは気が進まないが、先の結果を見れば、靄人間の末路は最悪なものだ。
俺だけならともかく、三人をあんな状態にする訳にはいかない。
「あらた君も逸香から長袖の服を借りて家の中に隠れてろ」
「じゃ……じゃあ、お兄さんも……」
俺の服の裾を掴んで不安そうな眼差しを向けてくるあらた君を見て、俺は心を鬼にして、彼の手を裾から離させた。
そして、俺は彼と同じ目線になるようしゃがみ、彼の左肩を握った。
「言っただろ? 誰かがここで彼らを止めなくちゃいけない。それは警察官である俺の役目なんだ」
「だったら僕も戦います!!」
「……いや……」
「こう見えて僕だって男の子なんです。囮くらいならーー」
「お前が居ても邪魔だって言ってんだ!! いいから黙って隠れてろ!!」
強く怒気をはらんだ声は、一瞬であらた君の顔を青ざめさせる。その表情が俺の中にある罪悪感を刺激してくる。
だが、その言葉は効果覿面で、あらた君は口をキュッと結び、振り返って家の中に入っていった。
去り際に地面に落ちた雫の跡が、俺の胸を締め付ける。
「そんな顔ばすっとやったらあんな強く言わんでも良かったとじゃなかと?」
俺が地面の方に目を向けていると、入れ代わるように外へと出てきた逸香がそんな言葉をかけてきた。
彼女は、上に長袖のジャンパーを着ており、手には革手袋を着けていた。
「…………刀は?」
「かおちゃんに探させとる」
「あっそ……」
俺はそっけなくそう返し、地面に置いておいた棒を握って立ち上がる。
「良かと?」
「何が?」
「せっかくあらたに懐かれとったとに、わざわざあんなこと言わんでも良かったとじゃなかと?」
「いいんだよ。死なれるくらいなら嫌われた方がマシってもんだ。それに、あらた君と香織にはできるだけ彼らを殺すところを見せたくないんだよ」
この靄人間達も、元はこの村の住人だ。昨日今日出会ったばかりの俺とは違い、中には彼女達と親しい者もいるだろう。
だが、俺は彼女達を守らなくてはならない。
彼女達にとって、どのような人間だろうと、俺はこの靄人間達を倒さなくてはならない。
抱きしめる程度の衝撃で霧散してしまう靄人間達を生かす術を知らない以上、峰打ちの効果は無いに等しい。
本当は俺だって、彼らを殺すなんて真似はしたくない。
でも、迷いは剣を鈍らせる。
守らなくてはならない者に危険が及ぶ以上、俺は一切の容赦をする気は無い。
「あたしはおっても良かと?」
「どうせ俺が何言ったって下がるつもりは無いんだろ?」
「まぁね」
「なら何も言う気は無いよ。それに、刀が無い俺だけじゃ正直不安だったから逸香が来てくれて頼もしいよ」
「ふふん、梓に頼られっとも悪くなかね。なんなら家ん中に隠れとってもよかよ?」
「言っただろ? 俺は警察官として民間人を守る義務がある。……まぁ、というのは建前なんだが、少なくとも俺は、守るべき者が背中の後ろにいる以上、どんな状況であれ、逃げるという選択肢を取るつもりはない!!」
「……そか、ならいっちょきばらんとね!」
彼女がそう言って武道の構えを取ると同時に、その足音は聞こえてきた。
一体や二体ではない。
再びカランコロンと音が鳴る。
それは、ほぼ同時といっていいタイミングで、複数の場所から聞こえてくる。
そして、靄に包まれた村人達が、俺達二人の前に現れた。
鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!
このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。
第13回の方言は「しちゃかちゃ」について。
この方言は、滅茶苦茶の意味で使われます。
部屋ん中がしちゃかちゃじゃなかね!!と昔はよく両親に怒られたもんです。といってもまだ1ヶ月経ってないんですがね……。
それではまた次回!! お会いしましょう!!