逸香の過去、そして葛藤
あたしのお母さんは三十年前の巫女だった。
巫女のお役目でどっかに行くとかは出来んかったけど、それでもお母さんが次代の巫女に舞を教える姿は、小さかったあたしにとって憧れ以外の何物でもなくて、今でも鮮明に覚えとる。
あたしが頼むたんびに笑顔で舞ってくれるお母さんがあたしは大好きで、よくお母さんの真似をして、かおちゃんの前で舞っていた。
小学生にもなっていない私の舞なんて下手くそで見るにたえないものだったと思う。でも、かおちゃんはあたしの舞ば見て、笑顔で上手だって言ってくれた。
だからあたしは、かおちゃんが大好きだ。
かおちゃんはいっつも笑顔でいてくれる。
だから、かおちゃんを泣かせる奴はあたしがやっつけた。そしたらかおちゃんは、あたしにありがとうって言ってくれる。あたしをすごいと言ってくれる。
かおちゃんの傍にいるのは楽しかった。
かおちゃんはあたしの親友。掛け替えの無い親友。だから、かおちゃんとずっと一緒にいたいと思えた。
そんなある日、あたしのお父さんとお母さんが亡くなった。
あたしが八歳になった次の日だった。
お父さんが居合の昇段審査で村の外に行かなくちゃいけなくて、ようやく巫女のお役目を終えたお母さんと一緒に、応援に行った。
美味しいものを沢山食べさせてくれるってお父さんが言ってくれたから、あたしは初めて村を出た。
いつも優しいお父さん。
でも、昇段審査の時に見せたお父さんの顔は、怖いと感じながらも、とてもかっこよく見えた。
それが、あたしもお父さんみたいにかっこよくなりたいって思えたきっかけだった。
その日、初めてお父さんとお母さんと外食に行った。
楽しくて美味しい食事、誰も喧嘩することの無い賑やかな食事。二人が笑顔で接してくれるからこちらもつられて笑顔になってしまう。
ずっと永遠に続けばいいのにと、心から願った。
でも、終わりは突然訪れたったい。
食事ん後、お酒を飲んだお父さんの代わりにお母さんが運転を担当した。お父さんは運転馴れしとらんお母さんば心配しとったけど、お母さんがいつもみたいに大丈夫って言うけん、諦めて運転席ば明け渡したことを今でも鮮明に覚えとる。
そして、あたしは車の中で静かに寝息を立てる。
次に目を覚ました時、あたしの視界に真っ先に映ったのは病室の白い天井だった。
訳がわからないでいると、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしたかおちゃんがいきなり抱きついてきた。身体に痛みは走るものの、それよりも困惑の感情が先に来た。
誰が言うたか覚えとらんばってん、その内容は今でも鮮明に覚えとる。
自分達の車が赤信号を無視して飛び出してきた酔っぱらいの車に激突して、前方の座席に座っていたお父さんとお母さんは助からんかったばってん、あたしはシートベルトをしていたお陰で意識不明にはなったものの、その程度で済んだと言われた。
あたしが何度も身を乗り出したからお父さんが着けてくれたシートベルト。それがあたしの命ば救ってくれた。
でも、お父さんとお母さんは還らぬ人になった。
何日も目を覚まさなかったせいで、お父さんとお母さんは、既に墓の下に眠っていた。火葬されて、一族の眠る墓ん中に入れられとった。
家に帰っても誰もいない。
もう、大好きなお父さんと大好きなお母さんはここにはいない。
そこで初めて涙が出た。
二人が死んだことを理解してしまい、涙が止まらなくなった。声を出すことを止められなくなった。
誰もいない。
泥だらけで帰っても、結局は優しく迎えてくれるお母さんも。
どんなに疲れていても、二つ返事で遊んでくれるお父さんも。
二人共、あたしば置いて、いなくなってしまった。
悲しくて、辛くて、こいしくて、いとおしくて、あたしは泣き続けた。
そんなあたしの傍に居てくれたのが、かおちゃんだった。
かおちゃんは泣いているあたしの傍でずっと頭を撫でてくれた。
うるさいとは一言も言わず、服が汚れるのもお構い無しにあたしを抱き寄せてくれた。
その日から、一年程の間、あたしはかおちゃんの家に住まわせてもらった。
かおちゃんの両親は優しいし、あたしのことを気遣ってくれる。本当の子どもみたいにあたしのことを受け入れてくれる。
でも、あたしはいつの日からか、孤独のようなものを感じるようになっとった。
そんなある日、師匠があたしの元に訪ねてきた。
師匠と言っても、当時のあたしからすれば、よく家に遊びに来ていたおじさん程度にしか思ってなくて、師匠の名前すらよく知らんかった。でも、お父さんとお母さんと大の仲良しで、来る度にあたしと遊んでくれる大好きなおじさんだった。
師匠はあたしの姿を見ると、目に涙を溜めて、あたしに抱きついてきた。
最初はただただ苦しかったけど、師匠が「お前だけでも無事で良かった」と言ってくれた瞬間、涙が止まらなくなった。
師匠はあたしを引き取る為にわざわざこの村に戻ってきたと言ってきた。でも、あたしは我儘を言ったとよ。
「かおちゃんとは離れ離れになりたくなか」って。
九歳の我儘なんて、都合ば優先して断ればよかとに、師匠は少し悩んでから、わかったと言ってくれた。
村の外で生活しとったとに、あたしなんかの為に仕事も生活も全てば捨ててから深山村に戻ってきてくれた師匠。
かおちゃんの両親は心配しとったけど、師匠と二言三言交わすと、あたしば送り出してくれた。
そっからの生活は大変だったばい。
師匠は猟師として山で狩りばし始めたとやけど、うさぎとか鳥とかば死んだ状態で見せつけてくっけん、子どものあたしには正直きつかったばい。お風呂に入ってくれんけん獣ん匂いや血ん匂いが食事中漂ってきたりで辛かった時もあった。
……でも、楽しかったとよ。
かおちゃん家におった時よりも、ずっとずっと楽しかった。
十五歳ん時、十年に一度の祭で、三つ上の美香さんが巫女として舞うことが決まった。小さい時からあたし達のお姉ちゃんみたいな人で、美香さんが巫女に選ばれたって聞いた時は本当に嬉しかった。
当時は、高校行って勉強するよか、身体ば鍛えた方が生活に役立つ思って師匠に鍛えてもらっとった。
おばさんの言う通りにして東京の高校に通い始めたかおちゃんと離れ離れになっとったけん寂しかったけど、久しぶりにかおちゃんに会えるってことで、あたしはとても嬉しかったったい。
でも、かおちゃんの顔は、東京に行く前よりも沈んどった。うまく隠しとるつもりなんか知らんけど、あたしにはなにかば隠してるってのはわかっとった。でも、あたしはてっきり寂しかっただけだと思っとったし、かおちゃんの方から言ってくれんとやったら別に聞く必要も無か思て……結局かおちゃんの辛さに気付いてやることは出来んかった。
かおちゃんと一緒に祭ば回った後、あたしとかおちゃんは誰よりも早く舞ば見に行ったとよ。まぁ、ずっと階段でスタンバっとった神門さんには敵わんかったばってん。
美香さんの舞は心が魅入られるくらい凄かった。言葉で言い表すのは難しかね。でも、とてつもなく凄かったとよ。
そん姿がな……お母さんと重なってな……舞を見ていると、お母さんのことば思い出して……あたしは知らんうちに涙ば流しとった。
だけん、そん日の帰りにかおちゃんと一緒にお母さんとお父さんの墓に行って誓ったとよ。
『十年後の舞でお母さんみたいに巫女んなるけん見守っとってね』って。
※ ※ ※
「それで巫女になった香織を恨んだのか? いくらなんでもそれは逆恨みってやつじゃないのか?」
「あたしだって最初は確かに辛かったとよ。でも、かおちゃんが自分を磨いて得た勝利やけん。自分磨きば怠ったミスだって自分ば納得させた。…………でも、かおちゃんはお前ばこの村に呼んだ。お前に自分の舞ば見てほしかって理由でお前ばこの村に呼んだ!!」
逸香は勢いよく立ち上がり、怒りの形相をこちらに向け、強く拳を握った。
「深山村の舞は!! 村を助けてくださった神様にこれまでの感謝を伝える祭ばい!!! それば自分の恋路ば成就させっ為に利用するなんて許されっはずが無か!!! なんでこんな考えば持っとるかおちゃんが選ばれっとね!! なんであたしじゃ駄目と!! あたしはずっと美香さんと一緒に練習しとったとよ!!! なんで神様はあたしば選んでくれんかったと!!!!」
逸香は声を荒げる。
鬱憤を晴らすように声を大にしてなにかに訴える。その声からは、怒りや悲しみといった負の感情が感じられ、俺は口を挟むのを憚られた。だが、彼女は全てを言い終えると、大きく呼吸をしてから、力無く柱に背を預け、そのまま床に崩れ落ちた。
「……梓は一つ間違っとるよ……」
息を吐き出すように、か細い声がその言葉を紡ぐ。
「どういう意味だ?」
「あたしは犯人じゃなかって言うたけど、本当にあたしが犯人とよ」
「じゃあ、なんでさっきの油が矢車さんの服から出てくるんだよ?」
「……本当はあたしが塗ろうとしたとよ。容器を用意したんもあたし。でも、直前でいつの間にか後ろにおった師匠に止められたとよ。この舞台にそれば塗ったら、お母さんにも親友にも顔向けできんようになるばい。だけん、お前はやめとけって、そう言いながら、あたしん手から容器ば取って、自分で床に塗らしたとよ」
「……そうだったのか……」
「逸香ん気持ちに気付いてやれんかった俺が悪か。逸香は直前で止めたけん偉かね……って言ってあたしの罪ば全部被ろうとさした。だから犯人はあたし。師匠は何も悪くなか!! 全部あたしが悪かと!!!」
逸香が叫んだ時、俺は彼女よりもその後ろに立つ人物の方に目が行っていた。
逸香も俺の視線が自分ではない別の誰かに向けられているのに気付いたのか、背後を見た。一瞬息を飲んだ逸香が、すぐに息を吐いて、少し低めの声でその人物に尋ねる。
「……全部聞いてたと?」
「…………うん……」
香織は険しい顔で頷く。
二人の間にはなんとも言いがたい沈黙が訪れ、見ているこっちが冷や汗をかいてしまう。
下手に口を挟める空気ではなく、俺は黙って二人の会話を見守ろうとした。
「梓君、あらた君、ちょっと席を外してもらってもいい?」
香織がこちらに目を向けることなくそう言ってきたことで、俺の選択肢に見守るという考えは無くなった。二人にするのは不安だが、俺は大きく息を吐き、二人を信じることにした。
「じゃあ、俺とあらた君は外の様子を見張ってくるから、なんかあったら言ってくれよ」
「うん、ありがとう」
今まで空気になっていたあらた君は静かにその場から立ち上がり、何も言わずに俺の後をついてきてくれた。
※ ※ ※
梓とあらたの足音が玄関の方へと遠ざかり、引き戸が開かれ、すぐに閉じられた。でも、かおちゃんは口を開かんかった。
かおちゃんはわざわざあたしの前まで来て正座すると、こっちに今まで見せたこともなかくらいの真剣な顔ば向けてきた。
きっと怒ってる。
あんなことになったきっかけば作ったあたしば許せるはずがなかよね。
もちろん、あたしだってあんなことになるなんて知らんかった。
村の皆が亡くなるんだったら、初めからこんなことばしようなんて思わんかった。
でも、そんなこつ関係なか。
あたしは、多くん命ば奪った大罪人やけん。
ここで刺されても文句を言えるはずがなか。
「ちょっと痛いよ」
ぼそりと呟かれたその言葉の直後、甲高い音が響き、あたしの頬が痛みを訴えてきた。
今まで誰かに叩かれることは無かった。
今まで色んな痛みを体験してきて、骨折したことだってある。
でも、その非力な力が込められたビンタは、これまでに感じたどの痛みよりも痛かった。
心が、痛かった。
あたしの目から、流すつもりの無かった涙が流れる。でも、それはかおちゃんも一緒だった。
かおちゃんは、目から溢れる程の涙をためていて、血が出る程下唇を噛んでいた。
そんなかおちゃんの口が再び言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい」
「……なんでかおちゃんが謝っと?」
それは純粋に湧いて出た質問だった。
「かおちゃんは何も悪くなか!! かおちゃんが舞ば真剣に取り組んどったことくらい、ずっと練習しとったあたしが一番わかった!! かおちゃんのことばちゃんと見とらんかったあたしが一番悪かったい!!!!」
かおちゃんが転ぶ様を見てやろうと思って、あたしはかおちゃんの舞ば見た。でも、そんな考えが吹っ飛ぶくらい、かおちゃんの舞は凄かった。真剣な眼差しで華麗に舞うその姿は、お母さんにも美香さんにも引けを取らんかった。
転んだ時だってそうだ。
かおちゃんは塗った相手に文句を言うより先に、ちゃんと舞おうとしとった。
その姿勢の何処に神様への冒涜があっとね?
「でも、いっちゃんが言ったみたいに、私も邪な気持ちがちょっとはあったから……」
「……どういうこつね?」
「私ね。今日の舞が終わったら、梓君にプロポーズしようとしてたの」
その言葉をかおちゃんは一切顔を赤らめることなく告げた。そのせいであたしの脳は、一瞬思考を停止させ、真っ白な世界が頭ん中に浮かんだ。
「えぇえええええ!!! プロポーズって、えっ!? 結婚ば申し込むつもりやったと!!? でもまだ付き合ってすらおらんとやろ!!」
驚愕の声を上げたあたしに驚いてびくついたかおちゃんの両肩を掴んで、問い詰める。かおちゃんの表情が驚いた様子から恥じらう乙女に変貌する。
「う……うん。だって、村の掟で巫女になったらこの村から出られなくなるんでしょ? 私、それ知らなくてさ。だから舞が終わったら勇気を出そうと思ってたの」
「なんでそっば早く言ってくれんかったとね!!! そしたらあたしだって協力したとに!!!」
「だって気恥ずかしいじゃん!! それにいっちゃんって口軽いし、嘘つくの下手じゃん!! 教えたらばれちゃうじゃん!!」
「そんなことなかよ!! あたしは秘密ば守る女たい!!」
「さっきあっさりと私の気持ちを梓君に言ってたよね!?」
その言葉に、そういえばと思い出し、あたしはかおちゃんからゆっくりと目を逸らす。
「いやだって、ほら……あれはさ……そんなことより!! かおちゃんはなんで梓ば好きんなったとね!!」
話をすり替えると、かおちゃんの頬が一瞬で真っ赤になった。
「実はね……いっちゃんには言って無かったんだけど……私ね、高校に入ったばかりの頃に虐められてたの」
「それ、ほんなこつね!!?」
「うん……でも、梓君が助けてくれたの。そっから彼に惹かれちゃって……でも、梓君って最初は全然私のこと見てくれなかったんだよね。だから、梓君の友達に聞いて、彼の好みになれるように自分を変えたの」
「……そこまで好きなんに、今まで告白しとらんかったと?」
「うぐっ……それは言わんで……」
それから暫くの間、かおちゃんと色んな話をした。
東京におった頃の話の大半には梓が出てきて、かおちゃんがあいつのことをどれくらい好きなのかを改めて思い知らされた。
あたしは、本当に知ろうともしなかったんだと思い知らされる。
かおちゃんが巫女に決まってからは、色々と理由をつけて避けとった。こっちに戻ってきてからも、こんなに話した記憶が無い。
だからあたしは、二人の関係をただの両片思い程度にしか見てなかったんだと思う。
でも、実際は違った。
聞けば聞くほど二人の関係にもどかしくなって、なんでそこまでわかりやすいのに付き合ってないんだと、逆にムカついてくる。
「あたしの方こそごめん」
「えっ? 何が?」
楽しそうに東京の話をしていたかおちゃんは首を傾げてこちらを見てくる。そんな彼女に向かって、あたしは深く頭を下げた。
「かおちゃんの舞ば邪魔したうえに、かおちゃんのことば逆恨みしとった。……本当にごめんなさい」
やっぱり、どんなに理由を並べても、あたしはかおちゃんが好きで、嫌いにはなれない。それに気付いたら、居ても立っても居られなかった。
「頭ば下げて許してもらおうなんて思っとらん。謝罪なんかで自分の罪が無くなるなんて思っとらん。これがあたしの自己満足に過ぎんこともわかっとる!! でも、あたしはかおちゃんのーー」
「顔を上げて、いっちゃん」
その言葉であたしが顔を上げると、突然、かおちゃんが抱きついてきた。
「確かにいっちゃんは何も悪くないとは言えないと思う。いっちゃんがやろうとしなかったら、こんなことにはならなかったと思う。でもね、そのきっかけになったのは間違いなく私。だから、これはいっちゃんだけの罪じゃ無いよ?」
「かおちゃん?」
「これは私といっちゃんが一生背負うべき罪。だからさ、この事件が解決したら、一緒に罪を償おう?」
「別にかおちゃんが償う必要は……」
「ううん、私も償う。だから、一緒に事件を解決しよう?」
かおちゃんの言葉一つ一つが水面に石が落ちるように強く響く。
せっかく止まっていた涙が溢れ出し、あたしは彼女の白衣を強く握りしめ、頷いた。
「うん……うん……絶対解決して、一緒に生き延びようね」
鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。
第12回の方言は「おごる」について。
この方言は、怒るの意味で使われます。
何日か前、8時半に投稿する言うとったとに十時前に投稿したらしかね?
毎度毎度やらかしばっかしとると見てくれとる人におごらるっぞ。
とまぁ、こんな感じでよく使われる方言です。……それと先日は本当に申し訳ございませんでした。
それではまた次回!! お会いしましょう!!




