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モヤビト  作者: 鉄火市
12/31

香織の過去


 逸香の家までの道中、俺達が靄人間に出会うことはなかった。

 うっすらとした靄が全体的にかかってはいたが、逸香の足が止まることはなく、俺も見失わないように、必死に追いかけた。

 途中から意識を取り戻したあらた君にはとりあえず自分の足で走ってもらい、俺達は沈鬱な雰囲気の中、逸香の家に到着した。


「かおちゃんはこっちに寝かしとって。あらたは……とりあえず窓ば全部閉めてきてくれんね?」


 逸香は乱雑に場所を確保すると、畳の上に枕を置いて、そこに寝せるように指示を出してきた。本来であれば、ベッドや布団に寝かせたいところだが、いつ靄が襲いかかってくるかもわからない以上、目の届かないところには寝かせたくなかった。

 それに、さっきの件で精神的なダメージがでかい逸香にあれこれ言うのは気が引けた。

 とりあえず、あらた君に布団かなにかを取ってくるようにお願いすると、彼は何も言わずに頷いてから、二階へと向かってタオルケットを持ってきてくれた。


 香織を畳の上で寝かせ、俺達は隣の居間に移動した。

 隣の部屋との境界になっている襖を開け、俺は寝ている香織の姿が常に見える場所で胡座をかいた。

 あらた君と逸香は、それぞれ少し離れた場所で膝を抱えて座っている。


 沈黙が続く。


 香織の腕には矢車さんから渡された法被(はっぴ)が握られており、それに顔をうずめている。そんな彼女の元からはすすり泣くような声が聞こえ、とても話を振れる雰囲気ではなかった。


 それにしても、あの変な靄はいったいなんなんだ?


 突然現れたと思ったら、まるで意思があるかのようにその場にいた人々を襲っていた。それだけなら、まだ自然現象として説明がつきそうなものだが、靄に触れた人に纏わりつくなんて、果たして自然現象だけで説明出来るのか?

 おまけに、靄を纏った人間は異常に脆いうえ、少しの衝撃を与えただけで霧散してしまう。

 まるで最初からその人などいなかったかのように、衣服だけを残し、忽然と姿を消していく。

 正直、この科学の発展した世界でオカルトなんて、とは思っていたが、今回の件を他になんて説明すればいい?

 どんなに頬をつねっても、どんなに強く願っても、靄によって多くの人間が死んだ今日の出来事は消えて無くならない。

 現実逃避をしたところで、残酷な未来が待っている。


 だが、俺はまだ生きている。そして、最低でも三人、民間人が生きている。

 この状況で警察官の俺が弱音を吐くのは許されない。

 無意味な妄想を膨らませて、現実から目を逸らす訳にはいかない。


 俺がしっかりしないでどうする!

 俺が諦めてどうする!

 俺は、自分が強い男だと示す為に、剣を握ったんだろうが!!


「……逸香、ここに刀はあるか? なければ木刀でもいい」


 俺がそう聞くと、逸香は顔を上げ、目元を指で拭った後、訝しむような眼差しをこちらに向けてきた。


「……刀? お父さんが生きとった頃に使っとったやつならあるけど……」

「貸してくれないか?」

「……別によかばってん……使えっと?」

「大の得意だ」

「…………わかった。ちょっと待っとってね。確か奥の物置に置いとったはず……」

「あ、それから……」

「まだなんかあっと?」 


 逸香は部屋から出る足を止め、顔だけでこちらを振り向いた。

 そんな彼女に向かって、俺はずっと気になっていたことを聞いた。


「自分の撒いた種ってどういう意味なんだ?」


 俺の言葉に逸香の表情が豹変する。だが、すぐに顔を逸らしてきた。


「気のせいじゃなかと? あたしはそんなこと言っとらんよ?」

「誤魔化さなくていい。なんとなくお前が油を仕掛けたんじゃないかって思ってるから」


 その言葉で、再び彼女の表情が驚いたものに変わる。しかし、先程と違って彼女は顔を逸らさない。


「事件が始まった時、佐川美香さんがぼやいていた言葉、五時半に確認した際は何もなかったという言葉を信用するなら、犯人の数は限られてくる」

「だけんて、なんで犯人があたしになると?」

「まず第一に犯人は階段を上っていない」

「……確かに皆が見とったかもしれんばってん、皆が偶然見とらんかった時に上ったかもしれんたい。あそこにはずっと誰もおらんかったとやし……」

「墓穴を掘ったな?」

「な……なんばね?」

「逸香、実は俺とあらた君は香織と別れてから舞を見に行くまでの長い間、ずっと階段に居たんだよ」

「!!?」

「あんな狭い場所なんだ。お前が俺達に気付けない筈がない。つまりお前は、祭の屋台にいると見せかけて、周りの斜面を使って上に行った……そうだろう?」

「な……なんば根拠に……」

「その衣服の汚れ、それが証拠だ。お前が俺達と別れるまでは一切汚れていなかった衣類が合流した時には何故か汚れていた」

「こ……これは転んだだけばい……」

「転んだだけで前と後ろの両方が汚れたのか?」

「それは……」

「それにほら、背面に枝が刺さったような跡があるぞ?」


 そう聞くと、逸香はこちらに向かって含み笑いを始めた。


「ふっふっふ、嘘はいかんよ、梓。あたしが枝に刺さるなんて間抜けなミスするはずがなか…………あ」


 自分の失言に気付いたのか、逸香の顔色がみるみる内に青ざめていく。

 確かに嵌めようとは思っていたが、まさか自白するとはな……。


「要するにお前は五時半から五時五十分までの間に階段とは違うルートを使ったんだ。そして、舞台で香織が舞う場所に少量の油を仕込み、再び同じルートを通って戻った。そうだな?」


 逸香の表情を見れば、彼女の中に葛藤が生まれているのが見てとれた。なんて言い逃れをするのかでも考えているのだろうか?


「……そうたい、あたしが油ば床につけた。香織がこけるように……」


 彼女は諦めたようにその言葉を吐き出し、木の柱に背中を預けた。その一連の様子を見て、俺は確信した。


「なるほど、お前じゃない訳か……」


 その言葉に、彼女の表情が一変して怯えたようなものになる。そして、今まで静観していたあらた君でさえ、こちらに驚いた表情を向けている。


「な……なんば言いよっと? あたしが犯人だって言いよったじゃなかね!!」

「確かにお前が犯人の可能性は高いと考えていたが、別にその条件に当てはまる人がお前だけとは言っていない。なんならお前のその若干投げやりな態度で余計違うと確信した」

「ど……どういうことです?」


 そう聞いてきたあらた君を一瞥してから、俺は逸香に向かって手を伸ばした。


「その法被、貸してくれないか?」


 逸香はその言葉で、手に持っていた法被を強く抱きしめ、俺の視界から隠すように持った。しかし、その行為が良くなかったのか、法被の内側から小さな容器が落ちた。

 幸いにも割れることは無かったが、逸香の表情から余裕を奪うには充分過ぎる代物だった。


「それはなんだ?」


 冷酷な聞き方だったかもしれない。だが、自分の中に込み上げてくる怒りを抑えながらだと、これが精一杯だった。

 逸香は歯を軋らせ、怒りに染まった表情をこちらに向けた。


「これはあたし達の問題たい! なんも知らん部外者は口出しせんで!!」

「そうだな。俺は何も知らない。お前にとっては友人の舞を見に来ただけの旅行者に過ぎないのかもしれない。だが、もうそんなことを言っていられる状況じゃないんだよ!! 俺は死にたくない。まだ童貞すら卒業してないからな。だから絶対に生還してみせる! その為には、ここにいる俺達の憂いを断つ必要がある。だからお前が香織を狙おうとした訳を話せ!!」


 逸香が油をつけた犯人ではないとは思っているが、例のルートを通った以上、彼女も同じようなことをするつもりだったのだろう。

 葛藤しているのが表情から丸わかりの逸香は、突然涙を流し始め、その場に崩れ落ちてしまった。


「全部……全部、梓のせいばい……」

「…………はぁっ!!?」


 妨げにならないよう黙って聞くつもりだったが、流石にその言葉には反応しない訳にはいかない。

 突然なにを言い出すかと思えば、言いがかりにも程がある!!


「お前、まじふざけんなよ! この期に及んで!」

「かおちゃんが梓に会わんかったら……こんなことにはならんかったかもしれんとたい……」


 ※ ※ ※


 私は子どもの頃からずっと自分の気持ちをちゃんと伝えることができない内気な子だった。それで、いつも親友のいっちゃんの後ろにいた。

 いっちゃんはすごくて、自分よりも年が上の男の子にも怯まず突っ込んでいって、喧嘩は負けなしだった。


 そんないっちゃんが私の憧れだった。


 でも、中学生の時、お母さんに言われた。


「香織、あなたはここじゃなくて東京の高校に通いなさい。頭の良いあなたにはきっと畑仕事よりも向いていることがあるから。東京の高校に行って、自分の道を自分で決めてきなさい」


 私は皆と離れて東京になんて行きたく無かったけど、お母さんの言葉が私の将来を考えての言葉だってわかって、私はお母さんの言う通り、東京の高校を受験した。

 いっちゃんと離ればなれになるのは辛かったけど、また戻ってくると約束し、私は村を出て、東京のおばあちゃん家に住むことになった。


 でも、その選択をすぐに後悔した。


 私は東京の高校でいじめられ始めたのだ。

 入学式直後に私の喋り方はおかしいと笑われ、髪型がいも臭いとか散々馬鹿にされた。

 物が無くなるなんて日常茶飯事で、バケツに入った汚水をかけられたこともあった。

 でも、東京にいっちゃんはいない。

 村にいた頃、私を守ってくれていた親友はいない。

 村に帰りたい。何度そう願ったことか。でも、誰にも心配かけたくなくて、結局私は誰にも相談することが出来ず、一人で抱え込んでいた。


 そんなある日、いつものように登校すると、机が落書きされていた。

 そんなのはいつものことで、でも、その日はいつも我慢していた色んな感情が溢れ出して、私は知らず知らずの内に涙を流していた。

 皆がからかってくる。止めようと目元を何度拭っても勝手に涙は溢れてきて、私は心の内で、もう死んじゃいたいと思った。


「ねぇ、それ楽しいのか?」


 その声が背中からかけられ、振り返ってみると知らない人が立っていた。それが梓君だった。

 当時の梓君は身長が百八十もあって体格も良かった。その鋭い目が自分に向けられて、私は恐怖で震えていた。


「……ねぇ、それが楽しいのかって聞いてるんだけど」


 少し怒った様子で彼はもう一度そう聞いてきた。それというのがおそらく机の落書きを消すことだとは思ったが、彼から放たれる威圧感のせいで声が出せなくなっていた私は、首を横に振ることしかできなかった。

 でも、彼は不器用に微笑んだ。


「そっか。ならさ、ちょっと助けてって言ってみ。それで何かが変わるかもしれんよ?」

「おいおい梓君、俺らの邪魔しないでよ?」 

「お前らには聞いてない」


 その一瞬で見せた彼の表情からは、さっきまでの彼とは一線を画すような恐怖を感じ、私をいじめていた人はたじろいだ。

 そして、再び彼の視線がこちらに向けられる。


「差し伸べられた手を掴むかどうかを決めるのは周りの誰かじゃない。お前自身だ。お前自身が助けを求めない限り、その手がお前を助けることはない。もう一度訊く。お前はこのままでいいのか?」


 その言葉がどれ程の勇気を私に与えてくれただろうか。せっかく止まっていたはずなのに、目から再び涙が溢れだす。


「……お願い、します……私を、たすげでぐたさい!」


 私は涙を拭いながら、頑張ってその言葉を口にした。


「もちろん。俺に任せろ」


 何の関係もないはずなのに、私を助けたところで彼にメリットなんてものはないはずなのに、それでも彼は二つ返事で了承してくれた。


 梓君が振り向き、私をいじめていた人達に視線を向けた。


「な……なんだよ? お前、女守って自分のことかっこいいとか思ってる訳?」


 私をいじめていた男子生徒は震えながら色々と言っているが、梓君は何も喋らない。ただ、私をいじめていた人達に対して威圧的で鋭い視線を向けるだけ。でもそれが、彼らを震えさせ、徐々に余裕を奪っていく。

 そして、梓君が彼らに向かって一歩を踏み出す。その瞬間、私をいじめていた男子生徒が尻餅をついて顔の前に腕を交差させた。

 それは、まるで過去のトラウマでも見ているかのような怯えっぷりだった。

 しかし、梓君は何故か怯える男子生徒の横を通りすぎ、そのまま教室を出ていってしまった。おそらく教室にいた全員の視線が梓君の去っていった扉の方に向けられていたと思う。


 自分のクラスに帰ってしまったのか?


 一瞬そう思ったが、彼はすぐに戻ってきた。その手には机が握られていた。


「こっちの机を使いな」


 そう言った彼は、私の机を退け、そこに新しい机を置いてくれた。


「あ……ありがとう……」


 私は震える声で頑張って感謝の意を告げた。すると、彼は優しく微笑みかけてきた。


「さて、これで机の問題は解決だな。次は……お前たち」


 再び低く威圧的な声が彼の口から放たれる。それは、私をいじめていた人達を震え上がらせる。


「この子は俺の新しい友人だ。そこの馬鹿三人組は中学の頃に体験しているとは思うが、俺は大切な友人を傷つける奴は絶対に許さない。絶対にだ。二度と彼女には指一本触れるな。……わかったな?」


 その言葉に、ほんの十分程前まで私を嘲笑っていた彼らが、怯えたような表情で何度も首を縦に振った。


 その日以降、彼らが私に近付くことはなくなった。

 なにかがなくなることも、水をかけられることも、馬鹿にされることもなくなった。

 私はその事が嬉しくて、何度も彼にありがとうと伝えたくなった。でも、当時の内気な私には、彼に話しかけるどころか、彼に近付くことすらできず、結局遠くから見ていることしか出来なかった。


 そんなある日、彼をいつものように遠くから見ていた時、彼の友達が彼にこう聞いた。


「そういえば結局さ、あのいじめられてた子ってどうなったの?」

「ん?」


 自分の机で頬杖をつきながら空を見ていた梓君は、その質問で、視線をその友達に向ける。


「わからん。何の音沙汰も無いし、多分大丈夫だと思う」

「はぁ? お前自分が守るとか言っておきながら無責任だな? 普通さ、帰り道に付き添ってあげるとか色々あるだろ?」


 呆れ顔でそう言われながらも、梓君の態度は変わらなかった。


「別に……俺は元々彼女に興味があった訳じゃないし、彼女と知り合いだった訳でもない。ただ、将来は父さんみたいな立派な警察官になりたいと思ってるから泣いている彼女を見過ごせなかっただけ。だから、必要以上に彼女の手助けなんてする気はないよ」


 そう言い終えると、彼はその友達と共に購買の方に向かっていった。だが、この日はいつものように追いかけようとは思わなかった。


『眼中にない』


 遠回しにそう言われた気がした。

 これって運命的な出会いなんじゃないかと思っていたが、彼の言葉を聞いた瞬間、冷や水を頭からぶっかけられた気分だった。


 このままじゃ駄目だ。


 そう思い、その日から熊本の方言や訛りが出ないようにおばあちゃんと特訓した。

 いも臭いと言われたお下げもやめ、お小遣いでファッション紙や化粧品とかをいっぱい買った。


 彼に見てもらえるような女になる。


 その決意が私を変えた。


 ※ ※ ※


 声が聞こえて目が覚めると、そこは見覚えのある天井だった。いったい何が……そう思って体を起こそうとすると、再び声が聞こえてきた。


「かおちゃんが梓に会わんかったら……こんなことにはならんかったかもしれんとたい……」


 その言葉がいっちゃんの声で聞こえてきた瞬間、私は状況把握のため、もうしばらくの間、黙って聞いておくことにした。



 鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!


 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。


 第11回の方言は「てれーっと」について。

 この方言は、ぼんやりと、もしくはだらしない様子の意味で使われます。

 皆真面目に働いとっとにてれーっとするんじゃなか!! という風に使われ、今の熊本県民も多用する印象。

 私なんかは普段ぼーっとしていることが多かったので、よくてれーっとすんなって父に怒られていました。


 それではまた次回!! お会いしましょう!!

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