我が敵は我にあり
伊佐野勝男は、大和と共にあった。海外や内地で激戦を経験した。戦友が敵の砲弾によって、見るも無惨な姿にな形で戦死するのも見てきた。
それでも、伊佐野は死ぬ想いをするだけで、自分が実際に死ぬことはなかった。
運がよかっただけで。早く戦争が終わって欲しい。心の中では、ずっとそれだけを叫んでいた。
もちろん、口にすれば恐らくただでは済まない。上官からの鉄拳が容赦なく飛んでくるだろう。
だが、そんな事よりも戦争が終わって欲しい。ただそれだけだった。海軍に入隊してからは、ずっと国の為に、誇りを持ってやりがいのある仕事だと思ってやって来た。しかし、いざ実戦となり死というモノに直面し続けて来た結果、国の為にという気持ちは完全に失せた。
死にたくない。生きてもっと別な事をしてみたい。海軍は給料が良いかもしれないが、こんな想いをするくらいなら、内地にいて安月給でも良いから、サラリーマンをした方が良い。そう思うようになっていた。
戦争がなければ、海軍という所は誠に居心地のよい場所である。飯は旨いし、給料も良い。
しかし、戦争が始まってみると、それは180度変わる。地獄ともいえる状況の中で、多くの者が死ぬ。伊佐野は、そんな当たり前の事が分からなかった。いや、伊佐野だけではい。昭和10~20年までに日本海軍に入隊した若者の多くは、日清・日露戦争の後に生まれた世代であり、戦争の惨禍を知らない。
伊佐野が向き合わなければならなかった問題は、そのまま多くの日本兵にあてはまる。
死を目前にして、一体どのようにすれば良いのか?本当の敵はアメリカでもイギリスでもない。自分自身なのだ。我が敵は我にありである。




