西島亮二氏の徹底的な生産管理主義
大和が造られたのは、呉の海軍工廠であるが、そこでは親方達の持つ職人の技術に加えて、一方では極めて科学的な生産管理が導入されていた。
その牽引車となったのが、前述の西島亮二氏であった。実はまだ大和建造に着手する以前に、呉の海軍工廠の造船部長だった玉沢爐氏が、アメリカに駐在していた時にアメリカの進んだ工場を見て、これは敵わないと驚いた。
そして帰国後、直ちに生産管理の勉強会を始めた。そのメンバーであった、西島氏はアメリカのテイラー・システム(科学的管理法)や、フォード・システムなどを学び、標準化や工数管理などを徹底的に研究した。
たとえば部品の標準化・共通化などは、その研究による改善の良い例だろう。設計者というものは、自分の好きなように設計したいから、たとえば鋼板やネジにしても、用途に応じて様々な種類のものを使いたくなる。
すると、多品種少量生産となって非常に効率が悪くなる。それを統制して10個あった部品を3個くらいに絞っていく。それに加えて、生産の手順や流れに添って、機械の配置を変えて最短最適の動きで作業が出来るようにしてしまう。
造船所というのは、巨大な工作機械がゴロゴロあるため、それを配置換えするというのは、基礎工事からやり直すような一大事だったのであるが、西島氏は断固として押し通してしまった。
そして、何百という職場の能率をグラフ化して管理し、効率が落ちてくると、西島氏がすぐに現場に行って、問題点はどこか?士気に緩みはないか?をチェックし、活を入れてくる。
そんな現場主義を徹底して推し進めた。そういった現場の涙ぐましい努力があってこその、世界に誇る戦艦大和である。




