第六十話 俺のもとに、祖国の民衆から助けを求める手紙が届いた
手紙の中には、帝国軍を迎え入れてほしいという願いと、兵を一人も入れないでほしいという願いが並んでいた。
シリウスは両方を読んだ。
助けを求める声が、必ずしも同じ答えを望むとは限らなかった。
手紙は、帝国軍の国境警備所へ一通ずつ届いた。
最初は三通。
翌日は十七通。
その次の日には、袋が一つになった。
宛名はすべて同じだった。
『元王国軍師シリウス殿』
シリウスは封を切る前に、差出人の村を地図で確かめた。
その多くは、王国軍の撤退路に沿っていた。
『徴発された麦が戻りません。
子供に与える粥がありません』
『夫は戦場から帰りましたが、片脚を失いました。
給金が支払われません』
『村の若者をもう一度兵に出せと言われました。
残っているのは老人と子供だけです』
シリウスは三通目を読み終えたところで、紙を机に置いた。
祖国の民が、敵国の将軍に助けを求めている。
その事実は勝利の報告よりも胸に重かった。
ガイルが尋ねた。
「罠ではないと、どうやって確かめる」
「全部を信じることはできません。ですが、全部を疑って捨てることもできません」
シリウスは手紙を三つに分けた。
救援が急がれるもの、所在確認が必要なもの、軍事情報が混じるもの。
「軍事情報は作戦に使わない。救援の要請とは別に扱う」
「なぜだ」
「助けてほしい者が、情報を売らなければ助からないと思う国にしたくないからです」
エリシアが国境へ到着した。
帝都の商人たちから集めた麦と薬を積んだ荷車が続いている。
「救援物資を王国へ入れるには、通行の許可が必要です」
彼女は言った。
「勝手に送れば、侵略の口実にされます」
「分かっています」
シリウスは王国の地方領主に宛てて書簡を書いた。
『帝国軍は領土の割譲を求めない。
食糧の受け渡しは中立の教会と村の代表の立会いで行う』
署名は帝国軍総司令官シリウス。
その名を書くとき、指先がわずかに震えた。
救援を求める手紙には返事が必要だった。
シリウスは読み上げられた地名を地図に記し、返事の届く経路を確かめた。
軍の命令書なら一日で届く場所にも、村人への返事は数日かかる。
救うという言葉を、実際の輸送と通信に変えなければならなかった。
数日後、最初の返事が届いた。
『王命により、敵国からの食糧受領を禁ず』
シリウスは紙を折った。
「予想どおりですね」
エリシアは眉を寄せた。
「子供たちを待たせるわけにはいきません」
「だから、もう一つの道を用意します」
シリウスは国境の教会へ、帝国領内での無料配給所を設けるよう依頼した。
王国の住民が自分の意思で越境し、食糧と治療を受け、帰還できる場所。
武装兵の同行は禁止し、家族を引き離さないことを条件とした。
「これは亡命の強制ではありません」
「ええ。選ぶのは、彼ら自身です」
最初に国境を越えたのは、七歳の少年と祖母だった。
少年は食事の前に、皿を両手で抱えて離さなかった。
「取らないよ」
パルラが言う。
「食べ終わったら、おかわりもある」
少年は信じられないという顔をした。
「明日も?」
パルラはシリウスを見た。
シリウスは頷いた。
「明日も」
その約束を守るために、軍の備蓄だけでなく、帝都からの定期輸送を組む必要があった。
彼はその場で輸送計画を書き直した。
配給所の前には、帝国の兵と王国の住民を隔てる柵がなかった。
代わりに、病人の列と食糧の列を分ける札が立てられた。
「ここで名前を書けば、王国へ送り返されるのですか」
若い母親が尋ねた。
パルラは首を振った。
「名前は家族がはぐれたときに探すためです。書きたくなければ、村の名前だけでもいい」
母親は眠る赤子を抱き直し、ゆっくり自分の名を書いた。
シリウスはその場に立ち会っていたが、軍服の肩章を外していた。
「あなたが、あのシリウス様ですか」
母親は尋ねた。
「今は配給所の手伝いです」
「夫はあなたと戦いました。帰ってきて、あなたは怖い敵だと言いました」
シリウスは黙った。
「でも、殺さなかったとも言いました」
母親は皿を受け取り、深く頭を下げた。
その礼を、シリウスは受ける資格があるとは思えなかった。
救援を求める手紙は、最初の一通だけではなかった。
次の日には七通、その翌日には二十通。
村の名前は違っても、書かれた内容は似ていた。
『種麦を軍に持っていかれました』
『橋が壊れて薬が届きません』
『徴兵された父が帰りません』
シリウスは地図の上に、手紙の差出地を一つずつ記した。
王国の地図は軍の進路を示すために使ってきた。
しかし今は、飢えた村を示す印で埋まり始めている。
「これは罠かもしれません」
ガイルが言った。
「罠の可能性はある。だから、いきなり軍を入れない」
「ではどうする?」
「薬と種麦を載せた荷車を用意し、両軍の監視の下で渡す。受け取る村の代表者にも数量を確認してもらう」
「王国が拒めば?」
「拒んだ事実を記録する。それでも届ける方法を探す」
エリシアは王宮から、帝国内の商人に協力を求める書簡を送ってきた。
戦争で高騰した麦を買い占めさせないため、価格と輸送量を公表するという。
「善意だけでは、救援物資は途中で消えます」
手紙の最後には、彼女らしい厳しい一文があった。
シリウスは届いた手紙を、救援を求めるものと帝国軍の進駐を拒むものに分けた。
どちらにも村の名と困窮の事情が書かれている。
「助けてほしいからといって、占領してほしいわけではない」
彼は軍を動かす前に、商人組合と救護団体を通じて必要な食料と薬の量を確かめるよう命じた。
その手配は、翌日の戦況報告より先に机へ載せられた。
救援を求める手紙を読み終えたシリウスは、国境の地図に三色の印を付けた。
飢えが迫る村、軍の駐留を拒む村、道が崩れて荷車の届かない村。
同じ食料を送っても、同じようには救えない。
ガイルは問う。
「王国軍が荷を奪ったらどうする」
シリウスは帝国の軍旗を外した救援隊を編成し、王国側の医師と村長に受領簿への署名を求めた。
「奪われたなら、誰がどこで止めたか記録する。村人に責任を負わせない」
最初の荷車には武器ではなく麦と薬が積まれた。
出発を見送るエリシアは言った。
「敵国を救うことに反対する人もいるでしょう」
「だからこそ、助けた人数だけでなく、届かなかった理由も公表します」
戦争に勝った将軍の次の戦いは、誰かを倒すことではなかった。
『救った人数だけでなく、届かなかった村の名前も報告してください』
シリウスはその一文を読み、地図の余白に書き写した。
夜、王国から来た少年が、手紙の束を見つめていた。
かつて徴発隊から逃げ、帝国の避難所に保護された少年だった。
「俺の村も、あそこにありますか」
シリウスが指を差すと、少年は顔を伏せた。
「母がいるんです。兵隊になった俺が帰ったら、怒るでしょうか」
「帰ってみなければ分からない」
「帰れますか」
シリウスは安易に頷かなかった。
「帰れる道を作る。そのために、まず明日の荷車を出す」
少年はしばらく黙り、それから荷造りを手伝いたいと申し出た。
夜明け、最初の救援隊が国境へ向かった。
荷車の先頭には帝国の軍旗ではなく、白い布に青い麦穂を描いた旗が掲げられていた。
敵国へ進む隊列を見送りながら、ガイルが呟いた。
「戦いが終わったと思ったら、今度は食糧の戦争か」
「そうです」
シリウスは答えた。
「こちらは、誰も負かさずに勝たなければならない」
夜、シリウスは最後の手紙を開いた。
子供の字で、短く書かれていた。
『おとうさんは、あなたはこわいひとじゃないといいました。
どうか、むらをたすけてください』
紙の端には、麦の穂が一本描かれていた。
シリウスは返事を書いた。
『あなたの村へ行く方法を考えています。
約束できることだけ、約束します』
その言葉の重さを知っているからこそ、彼は筆を置くまで長い時間をかけた。
国境の向こうには、まだ届かない手があった。
次に戦う相手は軍だけではない。
飢えと、恐怖と、助けを拒む命令だった。
祖国からの手紙には、救援を求める村の名前だけでなく、橋が壊れて荷車が通れないという知らせもあった。
シリウスは兵を送る案を退け、まず橋の修理材と医師を届ける計画を立てた。
「帝国軍が来れば、村人が裏切り者にされます」と副官が言う。
シリウスは頷き、物資を中立の商人組合に託す条件を付けた。
助ける側の旗が、助けられる者を傷つけてはならなかった。




