↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能と罵られ追放された天才軍師、敵国で英雄になる ~追放した王国が、今さら停戦を求めて土下座してきても遅い~  作者: レモンティー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/120

第三十四話 その陣形の弱点を知っているのは、俺だけだった

夜明けの霧の中、シリウスは丘の影を歩測した。

右の翼から中央の旗までは見通せるが、左の翼からは尾根が邪魔になる。

十年前の設計なら、そこで太鼓を鳴らして命令を中継するはずだった。

だが斥候の報告に太鼓隊はない。

「伝令の馬が通る道は?」

「尾根の南側、幅は二騎分です」

シリウスはその道を奪うのではなく、遠くから見える場所に騎兵を置くよう命じた。

敵の伝令が迂回すれば、左右の翼に同じ命令が届くまで時間差が生まれる。

「双翼の楯」

の弱点は翼ではなく、中央の伝令にあった。

左右の弓兵は中央の旗を見て射線を変える。

煙や起伏で旗が見えなくなると、互いに味方を射る危険がある。

十年前、シリウスは予備の太鼓信号を提案したが、王国軍は費用を惜しんで採用しなかった。

今の王国軍が同じ欠陥を抱えているかどうか、まず確かめなければならない。

シリウスは攻撃のために煙を焚く案を却下した。

風が村へ向けば、住民の避難路を覆うからだ。

代わりに小隊を丘の稜線へ動かし、敵の左右の伝令が迂回せざるを得ない状況を作る。

命令が届かない時間だけ敵の動きが鈍る。

その間に帝国軍は正面へ踏み込まず、傷病者の退避と渡河点の確保を進めた。

「弱点を知っているなら全滅させられるだろう」

と若い将校が言う。

シリウスは首を振った。

「知っているからこそ、殺さずに止められる」

稜線へ向かう小隊の足元は滑りやすく、旗手が一度転んだ。

隊長は予定時刻に間に合わせようと急がせたが、シリウスは合図を遅らせた。

敵の伝令を乱すために味方の足を折らせては意味がない。

帝国の旗手は丘の斜面で足を止めた。

敵の伝令路を見下ろせるが、そこから矢を射れば谷の救護兵にも届く。

シリウスは射手を一段下げ、旗手だけを稜線に残した。

敵が誤認する危険を減らすため、帝国軍の旗の色と合図を事前に統一してある。

目立つ旗は挑発ではなく、敵の指揮官に状況を知らせるための道具だった。

右翼の王国兵が一斉に顔を上げた。

中央からの命令が見えない。

伝令の騎馬がぬかるみに脚を取られ、走る兵が代わりに尾根を回った。

シリウスは砂時計を伏せた。

「ここで生じる遅れは一分にも満たない」

ガイルが眉を寄せる。

「それで足りるのか」

「村人が渡る板橋を、敵の射線から外すには足ります」

敵の旗が丘の陰へ消える瞬間を、リュカは馬上から見届けた。

左右の部隊が別々に動き出す。

しかしシリウスは追撃の号令を出さない。

「まだ退路がある。

追えば退路を塞ぐことになる」

リュカは唇を噛んだ。

「今なら敵の背を取れます」

「だからこそ、取らない」

勝機を前に剣を収める命令は、突撃命令よりも重かった。

合図の旗が上がった。

王国軍の右翼が前進し、左翼はその場にとどまる。

帝国兵が歓声を上げかけたとき、シリウスは手を上げた。

「まだだ。

敵が混乱しただけで、こちらが安全になったわけではない」

左翼の弓兵が味方の前進を敵の攻撃と誤認しかける。

シリウスは矢文を射込ませ、後退するための通路を示した。

敵将が状況を理解すれば、作戦はすぐ破られる。

だからこそ短い猶予を、殺戮ではなく戦線の分離に使う必要があった。

敵の左右の翼は、中央の命令が届かないまま互いを警戒して動きを止めた。

シリウスはその間に避難民の道を開いた。

攻撃命令を待つ帝国兵の中には不満そうな者もいたが、負傷した王国兵が担架で後方へ運ばれる姿を見て、誰も声を上げなくなった。

日が傾くと、丘の陰が長く伸び、王国軍の左翼から中央の旗が見えなくなった。

シリウスは時刻を確かめた。

「今なら命令が届くまで、少なくとも数十息の差が出る」

しかし突撃命令は出さない。

代わりに退路へ続く土手を押さえ、盾兵が武器を置ける場所を確保した。

帝国軍の兵は敵を倒さず前進する難しさを、初めて知った。

敵の弓兵が一度だけ誤射した。

シリウスはその一矢を勝利の証拠とは考えなかった。

混乱した兵士の悲鳴が風に乗って届く。

彼は撤退を促す矢文を撃ち込ませ、交戦を続ける部隊にだけ牽制射撃を命じた。

戦術を編み出した者には、それが誰を傷つけるかまで見届ける責任がある。

戦闘が収まったあと、帝国の衛生兵が王国兵の矢傷を手当てした。

青年は帝国語を理解せず、恐怖に震えている。

シリウスは王国語で「もう射ない」と告げた。

青年は顔を上げ、「あなたは、王国の人なのですか」と尋ねる。

シリウスはすぐに答えられなかった。

自分が作った陣形を自分で破り、その傷を手当てする。

どちらの旗の下に立っていても、消せない過去があった。

「弱点を突いたのに、なぜ追撃しない」

と将校が食い下がった。

シリウスは後方の担架を指した。

「あれを守るための数分だ」

遠くで王国軍の太鼓が鳴る。

ようやく左右が動き出したとき、帝国軍はすでに射程の外にいた。

勝敗を決めたのは大量の矢ではなく、誰をどの順番で動かすかという判断だった。

若い士官が攻撃を求めたとき、シリウスは戦場を指した。

敵の右翼には逃げ遅れた担架が二つある。

「突撃すれば、あれを踏み潰す」

士官は唇を噛み、剣を収めた。

代わりに斥候を送って敵の撤退路を確認させる。

敵を倒すために作った一分の隙を、人を逃がすために使う。

勝敗を告げる鐘は鳴らなかったが、担架は無事に丘の陰へ消えた。

丘の上でリュカは部下に矢をつがえさせたまま待機した。

眼下の王国軍は中央の合図を見失い、左右で別々の方向へ盾を向けている。

ここで突撃すれば崩せる。

しかし退路には担架を運ぶ兵もいた。

シリウスから届いた命令は短かった。

「追撃禁止。

退避路を開けよ」

リュカは唇を噛み、それでも槍を下ろした。

伝令を失った王国軍の左翼では、若い旗手が命令の意味を取り違えた。

隊列が一瞬乱れる。

帝国側の将校が前進を求めると、シリウスは手を挙げた。

「あの旗手を狙うな。

旗が倒れれば、撤退命令さえ届かなくなる」

彼は別の稜線に退避を示す白布を掲げさせた。

敵の兵がそれを見て動き出すまで、誰も勝利の声を上げなかった。

救護所で治療を受けた王国兵は、腕に巻かれた包帯を不思議そうに見つめた。

「敵なのに、どうして」

通訳が言葉を伝えると、衛生兵は肩をすくめた。

「傷口は旗を見分けない」

シリウスはその会話を聞き、治療の記録を両軍へ送るよう命じた。

負傷者の行方がわからないことも、戦争の苦しみの一つだった。

丘の向こうで敵の伝令が転倒した。

帝国軍の若い兵は追撃の好機だと叫んだが、シリウスは待機を命じた。

伝令を失えば敵の部隊は動けなくなる。

しかし動けなくなった兵は、降伏の命令すら受け取れない。

シリウスは伝令の通る道だけを空け、攻撃を止める条件を矢文で知らせた。

敵の弱点を突くことと、逃げ道を消すことは違う。

太鼓の合図が届かない王国軍右翼で、一人の若い旗手が独断で後退の旗を振った。

帝国の将校は好機と見て騎兵を前に出そうとする。

シリウスはその腕を押さえた。

「あれは敗走ではない。

負傷者を運び出す合図だ」

旗手の背後には担架が続いていた。

シリウスは帝国側の弓兵にも射撃中止を伝えた。

双方の間に、わずかな沈黙が生まれる。

戦場では数分の沈黙すら奇跡に近い。

シリウスはその間に負傷者交換の使者を送り込んだ。

「なぜ攻めない!」

とリュカが叫んだ。

敵の右翼は伝令を待ち、盾を下ろしたまま動けない。

「ここで突けば崩せる」

シリウスは双眼鏡を下ろした。

「崩れた兵が村へ逃げ込めば、住民が巻き込まれる。

右翼が下がる道を見せろ」

帝国軍は槍を伏せたまま、退路を示す旗だけを高く掲げた。

日暮れ、王国軍の右翼がゆっくり後退した。

兵士たちが生きて歩けることを、シリウスは勝利の条件に加えた。

太鼓の合図が一拍ずれた。

シリウスは手を上げ、攻撃を止めた。

「予定と違います」

と副官が言う。

「予定が正しいとは限らない」

偵察隊が戻ると、王国軍の後方で荷車が横転し、負傷者が道を塞いでいると報告した。

合図が遅れたのは、彼らを動かすためだった。

シリウスは地図に新しい退路を書き込んだ。

「敵の弱点を知っているからこそ、そこへ何が集まるか考えなければならない」

副官は攻撃予定の赤い線を消した。

勝てる地点を見つけたことと、そこで攻めるべきことは同じではなかった。

攻撃延期の報告を受けた帝国の将校は、不満を隠さなかった。

「好機を逃しました」

シリウスは王国軍の後退路を指した。

「好機とは、敵が動けない瞬間ではない。

こちらの目的を最小の犠牲で達せる瞬間だ」


翌朝、王国軍の負傷者搬送が終わると、敵の右翼は抵抗せず撤退した。

攻撃しなかった一晩が、両軍の死傷者を減らした。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。