公試と電探と白露型
1933年中に初春、子日が公試を実施した。
その結果、
特型駆逐艦より若干の主砲精度の低下が発覚した。
それから
「魚雷の門数が足りない!どうなっているんだ!」
と言われたので、
「条約の壁があるんですよ、水雷屋の皆さん、しかし、この船は将来的に4連装の発射管も乗せられるので、大丈夫ですよ。」
「ならば良い。しかし早めに4連装のものにしといてくれ。」
と水雷屋を説得した。
そんなこんなで初春型全艦は1936年までに全艦が就役した。
「これで、復元制に起因する事故で予算を浪費することはなさそうだな。」
「まあ、完全にひっくり返らないわけではない。我々の手がとどいていない船だってあるのさ。」
さらに、その発展型である白露型駆逐艦の設計作業も始まっていた。
また夜戦技術の向上のため電探の開発も進んでおり、1932年には1号1型対艦電探が海軍技研の努力によって完成した。
その性能は
1号1型対艦電探
探知距離 35km
走査速度 30度/s
10cm波長
ラッパ型を2基組み合わせたもの
であった。
なお、この世界においてマグネトロンは1930年に開発されている。
そのため、比較的簡単にセンチメートル波長のレーダーを開発できた。
しかし、電探の開発をめぐっては一悶着あった。
「電波で敵を見つける?こっちが先に見つかるんじゃないか??」
「そもそも敵は本当に見つかるのか?やはり目視が一番だ。」
「しかし、電探がなければ悪天候の時、島などにぶつかる可能性もあるぞ。やはりあったほうがいいだろう」
「確かにそうだな。ここは我々が退こう。」
そうして、白露型駆逐艦の要求性能は、電探の搭載、九三式魚雷に対応した4連装魚雷発射管を搭載し、8射線を確保すること、など対艦能力の強化を中心に初春の正統進化といった感じとなった。




