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飛べない鳥の唄  作者: ぴーくおっど
16/30

疑問と姉御と龍虎。

  日向秀人は光、太陽だ。

 いつも地元じゃ負け知らず。へたすりゃ地球で負け知らず。十二月二十四日聖クリスマス生まれ。成績優秀、運動神経抜群、対人関係良好。均整整ったスタイルと長く美しい手、パッチリした眼が特徴の爽やか系イケメンで、天下無敵の完璧人間かつ、生徒会長。


 ……そして、おれの、親友。


「ねぇマヒロ、そろそろカナシーとチュウ、した?」

 露店で買った、じゃがバターをはふはふしながら、シュートは首をかしげておれの瞳を覗きこむ。

 なぜだ。なぜおれは彼女のカナシーではなく、男友だちであるコイツと、肩を並べて年明けを待っているのだ。

 にがじょっぱいと言うよりも、もはや何か、味覚の限界に挑んでいる感じ。ある意味、アスリートだね。

「あのね、お前ね、もう少しね、変化球っての? 覚えろよ。ストレートすぎだろそれ」イカ焼きをガシガシやりながら、無造作におれは答える。


 参詣を終えた人だかりが、ゆらりゆらりとおれ達の前を流れていく。


「えー、なんでよ。人間、シンプルが一番だよ?」

「んななぁ、人間関係シンプルにいきゃぁおれ悩んでないって」

「あーあ。してないんだ」がく、と首を垂れる。睫毛が影を落とす。

「なんでお前ががっかり? てゆうかおれ答えてなくね?」

「え、うそ、したの?」大きな眼を更に見開いて、両手を口に当てる。そし「きゃー、えっちー!」とかいいながら、顔を背けるとおれの肩をばしばし叩いてくる。

「いでで、いや、意味わかんねぇって!」

「おれと言うモノがありながらっ! あなたって人はっ!」ばしばしばし。

「って言うかしてないし」

「あ、やっぱり?」

 途端、ケロッ。

「おっま、その、忍法『素に戻る』、やめてくんない? 落差激しい」

「あっはは。やー、ま、してたらヨシカ経由で伝わると思うけどねー」

「……あ、そう」

 耳たぶ捻じるぞ、この野郎。

「でもさー、行く時は行かないと、むしろ相手に失礼だよ、マヒロ?」

「そんなんなぁ……」とおれは頭を掻く。「そんな極意、簡単に見切れるほどおれ、世慣れてねぇっつの」

「なんだよー、ため息ばっかりついちゃってさ」


 ったく。お前といると、いつだってため息出るよ。


  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 そんな白昼夢を、見た。

 そう。

 何もなければ、それが、おれとシュートの年末、だったはずだ。

 でも。

 そいつは今、おれに牙を剥いてる。


  白黒の世界で向かい合う、おれとシュート。

 キツネの面を被ったシュートの背後には、巨大な人型のカゲが立ち昇っている。

 異形の、鬼。

 その姿は。


 ……おれのソウルオーガに、瓜二つだった。


「いくら嫉妬心に駆り立てられようと、私とて人の子だ……今宵の私は、一介の立会人に過ぎない。双方、存分にやるがいい」

 そう言うと白タキシード男は広い道の脇にすすす、とどいた。


「……なぁ、シュート。お前、こんな連中の言葉に耳、貸しちゃったり、してないだろ?」

 藁にもすがるような気持ちで、言葉を振り絞って語りかけて見る。


 キツネの面は、無言。黙っている。

 禍々しい漆黒の鬼が、背後で吠えたけっている。

 やがて、する、と左手を翳すと、カゲが鋭い音を上げ、業物の形をとり、実体化した。


 ……おれの虎徹よりもずっと長く、妖気を感じる刀。

 妖刀、村雨ってとこかよ。『南総里見八犬伝』の。

 そしてシュートは村雨を下段に構え、腰を落とした。

 ……え?

 おい、待てよ?

 

「……やめろぉっ!」


― ズギャッ!

 突っ込んできた。下斜めから、煌めく刃が伸びる。

 瞬時、取り出した虎徹で受ける。火花。

「やめてくれ、シュート、おい、シュート! お前、シュートなんだろ?」

 鎬を削りながら、必死に叫ぶ。

「お前、何やってるか、わかってるのか!?」

 耳障りな金属音とともに上がる眩い火花が、おれ達の顔を照らす。

「こんなの、こんなの、お前、全然平気じゃないだろ!?」


 ギャン!

 ガードごと、身体が弾かれる。

 空中で回転し、受け身の体勢を取り、柔らかに地面に降りる。

 なんで。なんでだ。シュート。


「シュート! 眼を覚ましてくれよ! なんで、なんでおれ達が闘わなきゃならない?!」

「おれが影法師、だから、でしょ?」

 温度の無い声が、仮面の奥から聞こえる。

「違う!」

 あれ? 違わない。でも違う!

「黒羽くん、倒したんだろ? なら、十分じゃないか」と言って、軽々と刀を振り回す。身の丈ほどもある刃を、驚くほど使いこなしている。

「あれは、違う。時雨の時は」

 自分でも驚くほど、上げた声色には説得力が無かった。

「そうやって、また逃げるんだね、マヒロは、おれから……。何もかも、大切なことをみんな隠して、おれに黙って、おれを置いて行って」

 呻く様にそう言って、キツネの仮面をグ、と押さえる。表情は、当たり前だが窺い知れない。どこを見ているんだ。お前にしか見えない、底の知れない深く暗い闇を見ているようだ。


「でも、おれさ、もう影法師だからさ、同じだよ。きみは、おれと闘わなくちゃならない。同じ場所に、立たなきゃならない。そうだよね……? マヒロぉっ!」

 白い光、一閃。

 ギリギリのところでかわす。ゾクッ、という嫌な音が走り、かわした後の道路が抉れている。マジすか。なんつー剣圧。お前、影法師としての力も超高校級かよ。ドラフト一位指名かよ。


「どうしたの? さっきから逃げてばかりで。まさか、嫌だって言うの?」

「当たり前じゃんか! どうして、お前に刀を向けられる? そんなの、できないよ。できっこないだろ!」 

 

 冷たい風が、広い街並みを吹きぬけていく。

 真冬の夜空は、寒いよ。にしたって、寒すぎるよ。今晩の風は。


 

「きみはさ、いつだってそうだ……」

 シュートのものとは思えない、温かみの無い、乾いた声が聞こえる。

「誰にでも優しくて、でも誰からも愛されたがりで、いつも流され気味で。そう、そうだよ、知ってるよ? だっていつも、一緒だったから。そう、おれはいつだって君の側にいたのに、マヒロは、行ってしまった……」

 最後は吐き捨てるように、言った。

「わかるかい、おれが君にどれだけ側にいて欲しかったか。おれがどれだけ君に嫌われたくなかったか?」

「そんなの、お前のそばには、みんなが居たがっていたじゃないか。みんながみんな、お前を必要として」

「おれは君の話を、してるんだよっ!」


 凄まじい剣幕で叫んだ。

 思いの丈を、渾身の力で振りかざした様な。そして干からびた様な笑い声を上げ、続けた。

「でも、あはは、おれがどれだけ思っててもさ、ぜんっぜん、意味無かったよね、どれだけ側にいたくても、そう、君にはカナシーっていう大切な人が出来てしまった」

 そこでつと、と項垂れた。

「友情は、愛情に負けたんだ……」

 あはは。そうやって、項垂れたまま笑う姿は、痛々しかった。

 もう、やめろ。やめてくれ。お前がそう言えば言うほど、お前の心が軋んでいく、そんな気がするよ。


「簡単に、ホント簡単に。あはは。ずっと、ずっと一緒だった、小学校中学校高校、ずっとずっと一緒だったのに、不意に現れた女の子に君は夢中になってしまった。そして、密かに闇の世界へ身を投じた。ふふ、教えてもらったよ、あの人たちに」

 び、と剣先で白タキシードを示す。

「君が、おれに黙ってやっていたこと、全部。辛かったろう? マヒロ、君は優しい。人を傷つけることなんて、苦しみの連続だったはずだ。それなのに」

 そこで、キツネは空を仰いだ。仰げば尊し、わが師の恩。

「おれ、辛い時は頼ってよって、いつだって側にいるよ、って、何があっても友だちだよ、忘れないで。そう、言いたかった、思っていた、なのに」

 口の中に、苦いものが込み上げてくる。

「結局、君はおれには何も教えてくれなかった。一人で抱え込んでしまった」

 シュートの声が、鉛筆を削る様に細くなっていく。


「……おれ、何の為に君の側にいたんだろう?」


― 教えてよ。


 そう、呟いた気が、した。


― ズザァ!

 超速で斬りつけてくる。かわし、切れない。虎徹で流す。

 返す刀が、左から来る。後方に跳んでかわす。速い。けど、なんとか見える。違う、見えてしまう。

 悲しみにもがいている、苦しんで暴れているような、刀。

 おれには、返す言葉も刀も無い。

 混乱している。

 おれがシュートを思う気持ちと、シュートがおれを思っていた気持ちの、重さの違いに。


― ザシュ!

 斬りつけられた刃は、おれをかすめて幾つもの電柱を切り裂いた。勢い、電線が千切れ、なだれ込むように倒れるコンクリの柱。


 誰よりも側にいた。

 それは、そうだ。今シュートが言ったように、おれ達はコンビだと、そうだと思っていた。そのつもりだった。

 なのに、おれはシュートの悲しみなんて、全く気付かなかった。

 幼馴染で親友のお前が、そよ風のように、颯爽とみんなの先頭を駆け抜けていくのを、おれはずっと見ていた。尊敬と親愛と嫉妬が入り混じった心で。

 ……でも、おれはいつからか、そんな風に決めつけ、お前の悩みや苦しみや悲しみに気づこうと、はっきり向かい合おうとしなかった。

 おれの遥か先を走るお前だって、おれと同じように、悩んだり苦しんだりしているって、何でおれは、一度だって思わなかったんだろう……?

 虎徹を握る腕に、力が入らない。


― ガカンッ!

 鍔迫り合いで簡単に弾かれる。なんとか後方に跳んで、退く。

 

 出来る奴は出来る。そう思い込んでいた。

 おれなんて、あいつの人生っていう道端に転がった、ちっぽけな石ころだ。

 そう思って、おれはおれが与える影響から、責任から目を背けて来たんだ。

 おれが何をしようが、あいつは変わらない。そう決めつけていた。


 シュートなら、何があっても何とかするだろう。そう思っていた。

 それは慢心だった。甘えだった。「何とかする」のは、おれの方だったんだ。

 今、おれの目の前で、悲しみに暴れる鋭い剣先を振り回すシュートの姿は、おれが無自覚に歪めてきたシュートの心を、何よりも雄弁に物語っていた。


 ……そう、なんだな。おれの驕りが、お前を傷つけたんだな。

 

― ダッ……バキッぃ!

 今度は飛びかかりざまに殴りつけられた。

 おれ、こんなに自分勝手だったのかよ。よろめきながら、思う。

 はは。

― ガッ!

 アッパーで顎が上がる。なんだこれ?

― ドウッ!

 ボディに、強烈なミドルを喰らった。


 おれはおれが許せなかった。お前に見合わないおれが、ずっと。


 シュートはバックステップして距離を取ると、低く身構えた姿勢から、再び斬りつけて来る。風切り音。速い。でも、それは喰らえない。下から弧を描く切っ先を、鼻の先でかわす。

 シュゥ……

 少し焦げくさい臭いがした。どこか、掠めたか。


 ……でも、お前に近づく為に必死になって、それでお前のこと、忘れちゃって、気にも留めないで、傷つけたおれって。

 斬りつけた姿勢のまま放たれた回し蹴りを、左肩で受ける。

 ……はは。ダメすぎだろ。

 シュートの脚を摑む。でも、反撃は出来ず、そのまま離す。


 ……おれ、自分を愚図で間抜けだと思ってはいたけど、優しくはありたいって、思ってたのに、なぁ。


 次のモーションに入ったシュートが、落ちた視線の先に見える。


 新月に近い月の下、白刃が振り下ろされる。

- ごめん、な。

 


「……なんで、避けないの?」


 村雨は、おれの頭上で止まっていた。

「どうしたの? 死ぬよ? マヒロ?」

 すと、と、ゆっくり落とされた刃が、額に当たる。僅かに血が滲む。

「おれは、お前と……」

 素手で刃を摑む。手を強いカゲで覆ったが、それでも血が滲む。刃を、額から押しのける。

「闘いたくなんて、無い」


 摑んだ刃が、カチカチと震えていく。白いキツネの面が、震えている。

「そうやって」

 刀を引いた。震え、戦慄(わなな)いている。


「なんで! 君は! おれから離れていくんだよぉっ! ぉぉおおぁぁぁっ!」

 猛り狂うシュートのカゲから咆哮が上がり、それは衝撃波すら生んで、おれは後方に吹き飛ばされた。


 ……でんでけでん、でんでけでん!

 地鳴りの様なドラムの音が鳴り響く。

 しゅうしゅうと黒い瘴気が、シュートを包む。

 何も見えない暗黒の球体となったその中で、白いキツネの面が一点、こちらを真っ直ぐに見ていた。



 ぱん、ぱん、ぱん。一人で鳴らす、寂しい拍手の音がした。


「素晴らしい! 実に、素晴らしいぃっ!! 驚いた、まさに驚いたよ! 君たちはそれぞれ、対になるかの如き、凄まじい力を有するカゲを宿していたのだ。見たまえ、東西に並ぶもの無き、素晴らしい影法師の誕生だ!」

 おっまえ、ほんと、ムカつくな。


「……あんたが、やったのか?」

 タキシード男に尋ねる、その声が震える。「あんたが、シュートに何か吹き込んだのか?」

「否だ。私にそんなマネは出来ない。私は欲望にも言動にも、ストレートな漢だ! 君に一途なのだよ、私はなぁ!」

 「てっめぇ……」

 思わず虎徹を構え、後ずさる。

「彼を我々の方に引きこんだのは我が盟主、ヨシュアだ。覚えておけ、少年!」


 ……よしゅあ?

 ヘンチクな名前、と思いつつ、おれは前方の凄まじい殺気に竦んで、動けない。

 動けない? 否。

 

 ……親友の変貌を、心と身体が受け入れられていない。

 膝から落ちる。

 おれは、おれが、やってきた、ことって……。

 全部、無駄、いや、裏目、だった、のか……?

 


「んんの、っかやろぉっ!!」


 一陣の暴風がおれを包みんだ。

 へたり込んでいたおれは首根っこを摑まれ、夜の街に浮かんだ。


「このバカ、脳味噌沸いてんじゃねぇだろぉなぁ!」

「サラ……?」


 おれの首根っこを、猫が子どもを運ぶように咥えている、オオカミのカゲ。暴風の様に街路を駆け、家々を飛びまわる狂犬は、ドスの聞いた野性味ガール、サラだった。


「寝ぼけんなら後にしろ! 今だけは目ぇひんむいてろ、このドテチン!」

 オオカミのカゲを憑依させたサラは人狼、二足歩行の狼となっていた。

 あ、ネコ耳。

 いや、口元も狼のそれだから、萌えは無い。残念でした。

 その疾駆であっという間におれを離れた家屋の屋上まで運ぶと、踵を返し、再びシュートの元へ戻ろうとする。


「待って、サラ、待って」

「んだドテチン。タマぁ引っこ抜かれたくなきゃ、すっこんでな」

 ……ドテチンと来たよ。果たしてコイツは女子高生なんだろうか? 中身は海軍兵とかじゃなかろうか。

「あれは、あれはさ」息が詰まる。「おれの、友だち、親友……なんだよ……」


「はっ」

 サラは鼻で笑った。

「で? だから、なにさ? 闘うのを止めてくれ、なんて頭ぁ下げた日にゃあまず、お前から潰すぜ?」

 ギラリ、と、金色と灰色の瞳が肉食獣さながらに、妖しく光る。


 ごうごうと風は吹いている。東京の夜は、本当に寒い、な。



  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 

「おうおうぉう、先走んなや、おまいら。 あいつぁ、つえぇぞ?」 

「ゴウジ?」

 聞き慣れた暑苦しい声に驚き、振り返った先には、ゴウジだけでなく、カナシー、ジュンさん、キノも来ていた。

 ……そっか。来てくれたんだ。思わず頬が緩む。

 八時じゃないけど、ぺんぎんず、全員集合。


「そうねぇ、あの影法師……正直言って、今までにやりあった、どんな影法師よりも強い力、感じちゃうわね」

「うー。キノ、こわくないもん! まけないもんっ!」

 負けない様にそう叫んだキノは、眼をしっかりと閉じつつも、懸命に手足をばたつかせている。


「でもマヒロ…私たち、いる…から…」おれの手を取る、優しい瞳の女の子。


 ジュンさんの柔らかいまなざし、キノの澄んだ瞳、ゴウジの血走った目、カナシーの潤んだ眼、サラの真っ直ぐな視線を受ける。


 そうしてようやく、おれの心が段々と落ち着いて行くのが分かる。

 思考が整理され、やるべき事が、見えてくる。

 ……そうだよな。落ちてる場合じゃ、無い。

 たとえやってきた事が裏目でも、これからやる事まで、何の意味もないなって事には、ならない。

 ならないよな? ……シュート。

 そう、だから、これはさ。おれの。


 ……おれが、やんなきゃ。


「みなさん、来てくれて有難う御座います。でも、おれが、行きます。あいつを……止めて見せます」

 立ちあがる。瞬間、カナシーの両手がおれの肩に触れる。

「大丈夫だよ、ありがとう」

 震えるその手をそっと、握りかえす。

「聞いてもらえますか。みんな」


 ぺんぎんずを、みんなを、見渡す。


「今日生まれた影法師、キツネの面のあいつ。あれは、おれの親友なんです。あいつを、おれは止めたい。止めます。必ず。でも、おれだけじゃ、できない。お願いがあります。その親友以外にもう一人、白いタキシードを着た男の影法師が来ています」

「あぁ、あのタキシードねぇ……」

 ジュンさんが渋めの表情で頷く。

「あいつ、しつこいのよね、特に男の子には」

「そうです。そいつを、どんな方法でもいい、みんなで足止め、あるいは倒して欲しいんです。その隙に、おれがキツネを止めます」


 みんなを順番に見渡す。

 ふんむ、と頷くゴウジと、こくりと首を倒すジュンさん、心配そうなカナシー、はぁい! と両手を上げるキノ、だがその中で一人、不満げに小首を傾げるサラ。


「……サラ、不満?」

「けっこうな。お前、止めるとかさ、んな甘チャン言ってっけど、あたしはさっきの腑抜けっぷり、見ちまってるからなぁ。お前、あんなんで、本気で止められっと思ってんのか?」

「……ああ、思ってる。甘いってのは、おれなりにだけど、承知してるつもりだよ。だから、半端はしない。さっきみたいな真似は、二度と。今度は、全力の本気で、止めに行く」

「はぁん。で? 全力だしてさ、そんでよ、ダメだったら?」


 ……おれは拳を胸のところで強く、握りしめる。


「この手で、倒すよ」

 それは、光景を浮かべただけでもゾッとする。でも。

「だから……お願いだ、納得、してもらえないかな?」

「ちっ」軽く舌打ちするとサラは続けた。「お前、本気なんだな。でもさ、あたし、あんたと出会って間もないじゃん。ヨシヤがよっぽど信頼してるみたいだけど、正直、良く分かんないんだよ」

「あらあら、正直に『心配なの』って言ってあげた方が、男の子には効果的よ?」


 ジュンさんが合いの手を入れる。

 ……え、それマジですか?


「るせぇ! そんなんじゃねぇよ!」

 サラが耳を赤くして叫ぶ。うわお。マジなんですか。

「ま、さ、か…サラ、あなた…」

「ちげェって! 要、んな眼で見んな、おっかねぇよ」

「心配症は相変わらずじゃわいの。相も変わらず姉御肌だのぅ!」

「あねーご? なにそれ?」 

 『アミーゴ』的な発音で、キノが質問する。

「アネーゴじゃないわよ、姉御。おねぇさん、って意味よ、キノ」

「へぇぇ! サラ、そうだね、アネーゴだね!」

 嬉しそうに叫ぶ。

「んだよそれ! どんなあだ名だよ?」

「ぷはっ」


 思わず笑ってしまった。決意に握っていた拳も、思わず緩む。全く、この人たちは。こんな時なのに、さ。


「あのねマヒロ! アネーゴってね、まえね、ぺんぎんどうにいたときはね、いっつもキノにおかし、つくってくれたんだよ! おいっしいの!」

「おっま、それ、ここで言うなよ?!」

 ますます赤面して、あたふたとするサラ。そのやり取り。思わず口元が下がる。さすらいの料理人って。パティシェではなくて?

「『キノ……お前、あたしで良かったら、いつだって甘えてくれていいだぜ?』って、あたまナデナデしてね、いってくれたんだよ?」

 口を尖らせたキノのモノマネ。

「ぶは、はは、ははは!」たまらず吹きだす。


 まったく、この人たちは。緊張も何も。笑えちゃうじゃないか。

 一しきり笑った後、まだ赤面しているサラに向き直って話しかける。


「ねぇ、アネーゴ」

「んっのやろ、ぶっ飛ばされてぇのか、おっまえ!」

「はは」笑顔を元に戻す。「ねぇ……頼む」す、と頭を下げる。

「信頼してくれ。その、さっき呆けてた身分としちゃ、説得力、ないけど」


 沈黙。


「……ったく。男がさ、簡単に頭、下げんじゃないよ」

「なら、信頼してくれないか。その頭、下げてっからさ」


 肩を摑まれ、ぐいっと身体を起こされた。殴られる、と思っていたら、ぽん、と肩を叩かれた。


「……しゃあねぇな。オーライだ。そんかし、ビッと決めろよ。腑抜けてたらぶっ潰すかんな!」

「ありがと」

 サラ……ホントにアネーゴ、だな。


 ゴウジとアネーゴと拳を合わせ、キノとジュンさんとハイタッチ、カナシーと掌を重ねた。カナシーの小さな白い手がギュ、と両手でおれの手を包み込んだ。


「うん。ありがとう、みんな」

 おれは、進む。アイツを、取り戻す為に。そして、振り返って、笑う。

「それじゃ……行ってきます」



 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 


 白と黒しかない、表参道。あ、「表参道」って、地名の方ね?

 おれは神宮橋交差点にかかる歩道橋の上に一人、立っている。

 遥か向こうには、新宿南口の時計台が見える。闇を貫く白い槍のように。

 街路樹の隙間から見える国道413号線には、魚の骨の様な白黒の柱がズラリと並ぶ。

 お洒落な、おれ一人では絶対気後れして、入ることすらできないであろう、ハイソなショッピングモールが、歴史写真みたいな白黒の世界に、さながら深海の世界じみて映えている。


 あぁ、現実世界のこの街中にはきっと、噂でしか聞いたことのない原宿ロールとか売ってるお店、あるんだろうなぁ。入れないだろうけど。憧れるな。あ、すぐ下に見えるドトールにはたぶん、入れる。サンキュードトール。べいびー。


 その中をふらり、すらりとした長身痩身のシルエットが、黒い瘴気を立ち昇らせ、前かがみの姿勢でフラフラとモノトーンの大晦日の街を歩いている。


 ……シュート。

 キツネの面を着けたままだが、面だけがクルクルと回転している。まるで人外の妖怪になっちまったみたいで、不気味だ。

 

 ……こっちにはまだ、気づいていない。


 すぅ、と息をひとつ、吸った。

 ちょっとした風を受けただけで簡単にゆらゆら揺れる、古い歩道橋の上で。


 なぁ、シュート。

 おれ、初めて思ったよ。

 ……おれ達って、似てたんだな。

 自分に無いものばかりが見えて、あるものは見えない。

 お前には、ヨシカちゃんが見えなくて、

 おれには、お前が見えてなかった。


 ……強いだけの人間なんて、いないんだな。

 そうだ。おれもお前も、弱いんだ。弱いんだよ、シュート。おれ達は、みんな。


 考え至って、胸をキリで刺されたような痛みが走る。

 お前だって、苦しむ。そうだ。本当はずっと、苦しんでたんだ。

 そんな当たり前に気づけなくて、ごめん。だから、だからさ。

 

 音もなく、虎徹を取り出す。

 纏ったカゲを増幅させていく。漆黒のオーラの中に、青白い光が射す。

 白虎……全開。


 さぁ……行くよ、シュート。


― ズギャ!


 歩道橋が歪むほどの蹴り足をつけ、跳ぶ。空中で斬り揉む。

 そのまま振りかぶって、落下速度、加速度、重力、慣性、その他諸々を一点に込め、上空から斬りつける。


「うぁぁぁぁぁおぉぉぉっ!」


 が。

 ゆら、と白い仮面が揺れた。あ、れ……? 圧縮された時間の中で、おれは見ている。反応は、出来ない。

 おれの斬撃は、宙を泳いだ。

 避けられた!? 紙一重で。

 違う、これは。

 刹那の感覚。

 ……それだけじゃ、ない……!

 下からにゅう、と拳が伸びてくる。カウンター、かよ。


― ゴッ。

 鳩尾に凄まじい衝撃。強化された身体が宙で一瞬静止、悶絶しかけるほどの。

 見切られ、てた? でも!


「ぁぁぁあああっ!」 


 痛みを堪え、空中から回し蹴りを放つ。

 が、またもシュートは容易く仰け反って、避けた。

 ……マジかよ。おれより、速い、のかよ。


「これが白虎のカゲだね、マヒロ?」


 瞬きするほど短い刹那、確かに、シュートの声が聞こえた。

 そして避けた姿勢のまま、ハイキックが来る。ハイキック? この態勢で?

 ……んな、馬鹿な。

 全く予期してなかったおれは、避けられない。見えているが、反応できない。モロに当たる。

 またしても、吹っ飛ぶ。イン・表参道。


― ズゴァ!

 ……パァン! 


 ハイソなビルディングに、轟音を響かせてしこたま、めり込んだ。

 表一面のガラス壁が粉々に飛び散った。吹き飛ばされながら見えた、真っ白なそれは、ゆっくりと宙を舞う、雪の結晶みたいだった。


 ガラガラ、崩れてくる瓦礫を押しのけて立ちあがる。

 ハイソなビルも、崩れれば皆、同じだね。ぺんぎん堂と変わらん。


 しっかし、マジかよ。避けながら攻撃してくるって。こっちの攻撃は完封され、倍返しを喰らう。

 ……参ったな。


 おれの立てた算段では、おれと同じカゲを持つアイツとなら、アイツが影法師な分、カゲその物の力はおれより上だったとしても、接近戦を挑めば、ソウルオーガに白虎を加えてある分、速度で勝れるって予定だったんだけど。

 素早さを活かして、戦闘能力を奪ってから説得するって目論見、早くもどん詰まり。

 シュートの野郎、影法師になっても一級品の力。さすが地球で負け知らず。ったく。


 ……さて。どうする。

 

「どぉしよっかぁ?」


 考えに気を取られていた隙に、ムカつく艶のある声が聞こえ、おれの身体は動かなくなっていた。カゲの触手がおれの全身を覆っている。


「あんた、あの時の厚化粧っ……!」


 ちくしょう。よりにもよって、何でこんな時に。こっちの都合は考えないタイプか。嫌われるぞ。

 こいつ、今日は何だ、明治時代の女学生みたいな服装してやがる。

 海老茶袴に結い流しの髪型、白リボン……まるっきり小杉天外の『魔風恋風』のヒロインだな。たぶん誰にも分からない喩えだけど。明治初期の女学生コスプレか。あと、絶対胸にパッド入れてんだろ。偽乳め。揺れ方が不自然だ。


「やぁねぇ、美人のおねぇさんにそんな口きいたら罰が当たるって、教えてあげたじゃなぁい」

「おれは美醜で人を判断しないって、言ったろ」

 それを聞いた女は、歪んだ笑みを浮かべた。

「うっふふ、良いわねぇ、相変わらず反抗的な態度で。若さ、満点ねぇ。責め甲斐、あるわぁ」


 引きちぎろうと、ぐ、と身体に力を入れる。が、触手に絡みとられている全身は、ピクリとも動かない。

 なっ……くそ。学祭の時は、千切れたのに。


「んっふふ、無理よぉ、あたしぃ、つぅよくなっちゃってる・カ・ラ」

 このばばぁ。

 

 怒りに震えたその時、闇夜に何か、光った。

 ネズミ花火のようにクルクルと回転したそれは、おれの身体を縛っている触手の間を走ったかと思うと、両手を縛りあげていた触手が、瞬く間に切断された。

 何だかわからんが、その隙をついておれは虎徹を取り出し、触手を薙ぎ払って影縛りから抜け出し、一気に女を斬りつけた。


― ザシュゥッ!!


 女が獣の様な声を上げ、崩れる。


「マヒロくん! 大丈夫?!」


 朱雀が上空から舞い降りてくる。背中にはジュンさん、キノもいる。女は苦悶の表情を浮かべつつそれを見あげている。


「助かりました、ジュンさん」

「マヒロ! いたいとこ、ない?! だいじょぶ?」

 腰をかがめ、キノの頭を撫でる。

「大丈夫だよ、来てくれてありがとう、キノ」

 嬉しそうに全身で笑うキノの金髪ロングヘアが、ふわりとなびく。

「更にもう一人、影法師がいたとはね……間一髪、だったかしら?」ジュンさんはそう言って、光る輪を指先でクルクルと廻す。

 あ、円月輪って、これのことか。


 痛みにあえぐ女の胸元は斬りつけた時に破け、中から綿の様なものがこぼれていた。

 ……え、あ、おいおいおい、マジでパッドじゃねぇか。ってっか、これは。

 はだけた胸元には逞しい胸筋が……胸筋?

 混乱。のち、理解。

 はっはぁ。

 オカマさんですか。男の娘とか。

 

 理解。のち、混乱。リターンズ。

 なに、なに、なんで? いやまぁ、今考えればオネェっぽい喋りだったけど、えええ。ここ、新宿二丁目じゃねぇっすよ?

 顔とかは女っぽい、ていうかジュンさんに近い顔立ちだし、でも、あぁそっか胸は偽物か、偽乳か、ではなくて、なに、男にしては美し過ぎでね? すね毛とかどーなってんの? いや、何考えてんのおれ、この期に及んで。

 て、待て待て待て。

 落ち着け、おれ。今、思い浮かべた中に、何かが引っ掛かってる。

 ……美しい、ジュンさん似の、男……?

 はた、と思い立ってジュンさんを振り返る。


 亜麻色の髪の乙女は、わなわなと震え、手で口を押さえている。見てはいけないと頭で分かっていても、眼では見てしまっているように大きく見開かれた眼には、栗色の瞳が浮かぶ。驚いているにしては様子が変だ、と思ったその時、

「お、に」鬼?

「おにい、ちゃん……?」

 

 女、違った、オトコ女はにぃ、と笑った。おれが見てきた中で、一番、自虐的な笑いだった。


「気づかなかったの? ジュン。久しぶり……」

 百パーセント混じりっ気なし、男声の、男言葉だった。ますらをぶりだった。たおやめにあらず。

「どぉして……なんで?」

 嗚咽を堪えるようにして、ジュンさんはオトコ女の膝もとに縋りついた。

「お兄ちゃん、私、私……」

「ははは……その泣き顔。変わってないね、ジュン。ああ……君には、会いたく、なかったな……はは、頭の霧が……晴れ、てく、よ」

「何でこんな……何が、何があったの?!」

「あの日から……あの夏の日から、気がついてしまった……。ぼくらが放り出された世の中には、薄気味の悪い、虫唾の走る欲求を抱えたヤツらで……埋め尽くされていたんだ……戦争を好み、売春を喜び、虐殺を行う……ぼくらが必死で守っている、哲学や倫理を軽んじ、自分だけ安全地帯から笑い物にするクソ野郎は……あいつだけじゃなかったんだ……この世の中には、それこそ腐るほど、いたよ……」

「そん、な……」

 カチューシャがかちゃりと外れた。いつも笑顔の、優しい女性が、うずくまって縋りつき、泣いている。

「そんな中で、普通の神経を持っていることは、ぼくには……できなかったよ……ぼくは、負けてしまった……。堕落を、破滅を受け入れて、自分自信が穢れの中に飛び込んでしまうことしか……」ごぼ、と大きくカゲを吐いた。

 やがて、シュウシュウと音を立て、ゆっくりとだが確実に、ジュンさんのお兄さんの輪郭が溶けていく。


 横に立っていたキノがキュ、とおれの袖を摑んだ。

 おれはキノの頭にそっと手を回し、抱き寄せる。


「ふふ、冷徹な変態を装ったまま……闇に消えるつもりだったけど、無理だったな、君に、会っちゃったら……」

「いや、嫌よ! おにいちゃん!」

「そこの、君?」


 ジュンさんのお兄さんは、おれの方に視線を送った。

 虚ろになりつつある視線は今、はっきりとおれを捉えた。


「ぼくを斬ったのは、間違い、じゃない……カゲの側に来てから、もうずっと……おかしくなって、いたんだ」

「いや! 行かないで! お兄ちゃんが、どこかで生きているって、きっとそうだって、そう思ってたから、だから私! お願い!」

 ジュンさんは赤ん坊のように縋りついていた。それは、初めて見た、彼女の弱い姿だった。

「君は、強い……頼む、倒してくれ、ヨシュアを……断ち切ってくれ、負の連鎖を……」


 よしゅあ。その名。


「お願い、だ、身勝手だけ、ど……こんなのは、ぼく達で、終わりに……」


 そこで言葉は失われ、最期に残った輪郭も、砂のように流れ、消えていった。


「ぃやぁぁぁっぁっぁっ!」 


 泣き叫んで兄を抱きしめようとした手は、虚しく宙を摑んだ。そのまま崩れ落ちる。

「いや、いや、いやぁ…」

 

 ジュンさんが涙を溢れさせる姿。それは、初めて彼女が見せた、彼女の本音に思えた。

 脅えたようにおれにすがるキノを抱きしめながら、おれはどうしていいのか分からなかった。

 どうして涼しい顔をしていられるんだ。それどころか、たった今、兄を斬った当人が、泣き叫ぶ彼女に何を言えると言うのか。

 それでも何とか声をかけようとした瞬間、金切り声が辺りを切り裂いた。


「……よぉくもぉぉっ!」


 振り返ると、キツネの面が飛びかかってきた。

 間一髪、虎徹で押さえた。凄まじい力で押される。


「優しい人だったのに……なんて事を、君は……マヒロぉ!」仮面越しに、涙声が聞こえる。

 

 あぁ、そうだった。こいつは、よく泣く子どもだった。

 よく泣くくせに、人の事ばっか気にしぃだった。人の不幸で泣く人間だった。

 おれの父さんが死んだ時も、一番泣いたのはおれじゃなくってシュートだった。

 お前があんまりに泣くから、おれは泣けなかったんだよ、なぁ、シュート。


「違う! 聞いてくれ、シュート!」


 すれ違いなんだ。ジュンさんと、お兄さんと同じように。おれ達まですれ違いを続けていたら。


「ふざけるな! この期に及んで言い訳するのか!? 君は……君は、おれをどこまで愚弄するんだ?!」

「違うっつってんだろ!」

 鍔迫り合い、凄まじい火花が散る。くそ! こんなはずじゃ、こんなはずじゃ……! 

「がぁっ!」


 不意に飛んできた光弾を浴び、シュートの身体が吹っ飛んだ。

 キノが、青龍を出していた。

 顔は涙に濡れ、身体は震えながらも、懸命にカゲを操っている。

 しかし、ジュンさんはうずくまったまま動けない。


「いいぞ、キノ! ジュンさんを連れて、ここから離れて!」あれ? それ、キノに出来るか?

 そう思った刹那、吹き飛ばされた体勢を立て直し、シュートが凄まじい速度で駆けた。


 おれを、追い抜いていた。

 あれ?

 そして。

 次の、瞬間。


 ……キノの小さな体を、白く輝く刃が、貫いていた。


 え……?


「分かったよ。君に近づく方法が、さ」


 貫かれたキノの小さな身体を、刀ごと高々と放り上げ、キツネの面は、絶対零度の口調で、言った。


「見せてあげるよ、ぼくの力。君と同じ、魂喰らう力……」

 シュートは纏ったカゲを解き放ち、黒いオーラでキノを包み……。


― ねぇマヒロ! はじめましてのおゆうぎ、なににする?!

 

 ……飲み、込んだ。


 膨れ上がったオーラがシュートを包み、更に伸び、凝縮されて丸まり、弾けた。


 その中から、すっくと立ち上がったのは、さっきまで着ていなかった、足元まである黒いロングコートを纏った、天然パーマの青年。


「君は白虎だよね、マヒロ。おれはさ」そう言って腕を振るう。「青龍を、得たよ……?」

 振るった腕には、青白く輝くレーザーのような剣が生えていた。


「さぁ……龍虎、並び立つってヤツ、だね?」


― マヒロ! キノと、あそぼ!?

 

 耳の後ろを血が流れていく音が聞こえる。ごうごうと、唸りを上げて。


 おれは、おれの心が際限なく黒く染まっていくのを感じた。

 おれが、おれでなくなっていくのを。

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