1話 異世界から来た男
※本作は単独でお読みいただけます。
空がない。
足場もない。
光だけが流れている。
「……あー」
諦めにも似た声。
「またかよ」
ため息を吐く。
光の川を流されながら、飛葉はぼんやりと上を見た。
「今度はどこだろうな」
異世界。
転移。
界渡り。
もう、慣れたものだ。
「……まあ、そのうち帰れるか」
力を抜く。
――光が弾けた。
***
森は静かだった。
鳥の声も聞こえない。
アーリアは震える指先を握りしめた。
『聖女に覚醒もせず、婚約破棄された娘など必要ない』
父の声が蘇る。
『この森から帰れる力があるなら面倒を見てやろう』
『できないなら、その程度だったということだ』
その隣には妹がいた。
『安心してください、お姉様』
勝ち誇った笑み。
『王太子殿下のお隣は、私が務めますわ』
アーリアは唇を噛んだ。
ここは魔物の出る森。
木々が空を覆い、昼だというのに薄暗い。
一人で抜けられる者など、そう多くはない。
足を進める。
乾いた枝が、ぱきりと鳴った。
その瞬間――
ガサリ。
前方の茂みが揺れた。
アーリアの身体が強張る。
低い唸り声。
木の陰から現れたのは、大型の狼型魔物だった。
黄色い瞳が、獲物を見つけたように細められる。
アーリアの喉が引きつる。
逃げなければ。
そう思うのに、足が動かない。
狼型魔物が低く身を沈める。
――跳んだ。
「――!」
鋭い牙が迫る。
反射的に目を閉じた、その時――
光が弾けた。
「おっわぁ……!」
聞き慣れない男の声。
思わず目を開ける。
目の前には黒い影。
魔物の爪を、抜き放った刀で受け止めている男がいた。
冷や汗が、一筋頬を伝う。
「……今までで一番最悪なタイミングだろ、これ」
ザン、と空気が裂ける。
魔物が崩れ落ちた。
男が振り返る。
落ち着いた茶色の髪は、木漏れ日を受けて少しだけ明るく見えた。
黒い瞳が、アーリアを見つめる。
「君、大丈夫?」
アーリアは数度瞬きをした。
まだ信じられない。
さっきまで、確かに死ぬと思っていた。
「……あ」
声が掠れる。
「た、助けていただいて……」
「ありがとうございました」
アーリアが頭を下げる。
「あー、いや」
男が頭をかく。
「間に合ってよかった」
そう言って刀を鞘に納める。
それから周囲を見回した。
倒れた魔物。
薄暗い森。
そして、目の前の少女。
「……ていうか」
一拍。
「君、一人?」
アーリアがこくりと頷く。
「そう、です」
「マジか」
思わずそんな言葉が漏れる。
「ここ、結構危ないだろ」
「……はい」
男は困ったように息を吐いた。
「俺、武藤飛葉。ショウハでいいよ」
「……アーリア・ルヴァニーです」
「へぇ」
一度口の中で転がす。
「アーリア・ルヴァニー」
「……長いな。アーリアでいい?」
「はい」
「……で。
アーリアはなんでこんなところに?」
言葉に詰まる。
父の顔が浮かんだ。
妹の笑みが浮かんだ。
胸の奥が、ずきりと痛む。
口を開く。
だが、どう説明すればいいのか分からなかった。
沈黙が落ちる。
ショウハが苦笑した。
「とりあえずここ出よう。
話はその後でいいだろ?」
「……聞かないんですか?」
思わず口をついて出た。
「ん?」
ショウハが首を傾げる。
「いや、聞いてほしいなら聞くけど。
言いたくないことまで聞く趣味ないし」
そう言って、森の奥へ向き直った。
「じゃ、行こう」
アーリアはぱちりと目を瞬かせる。
それから、小走りで後を追った。
……変な人。
しばらく森の中を進んだところで、前を歩くショウハが振り返った。
「そういや、この森ってどんな森?」
アーリアがきょとんとする。
「どういう意味ですか?」
「危険?」
「……魔物は出ます」
「それは見た。
近くに町とかある?」
「ありますけど……。
そんなことも知らずに入ったんですか?」
アーリアは首を傾げた。
思い返せば、ショウハは突然目の前に現れた。
あれは、どういうことだったんだろう。
「いや、俺、この世界初めてだから」
「この世界?」
「ああ」
ショウハが頭をかく。
「……説明めんどいな。
俺、異世界から来たんだよ」
ーーは?




