第6話 精霊継承の儀はすごいらしい(前編)
五年は、長いようで短い。
王都では色々なことが変わった。
貴族たちの勢力。
流行。
妖精灯の型式。
そして。
ヴァレリア・フォン・アストレアへの評価も。
「氷の妖精姫」
今では、社交界でそう呼ばれている。
本人はあまり気に入っていなかった。
響きが、あまりにも“逃げられなさそう”なのである。
そして今日。
十五歳となったヴァレリア・フォン・アストレアは、聖霊継承の儀へ向かっていた。
人生で最も重要な日。
――らしい。
本人はいまいち納得していない。
「本当に必要なのか、これ」
馬車の中。
ヴァレリアが真顔で言う。
向かい側では、クラリスが静かに資料を閉じた。
「必要でございます」
「逃走は」
「不可能です」
「まだ聞いていない」
「聞く前に答えました」
慣れていた。
五年経ってもそこは変わらない。
窓の外では王都中央区の白い聖堂が見えてくる。
巨大だった。
白亜の尖塔。
幾重もの光輪紋。
空中を漂う妖精灯。
そのすべてが今日という日を大げさなくらい神聖に見せている。
ヴァレリアには、あまり効果がなかった。
「緊張しておられますか?」
クラリスが尋ねる。
ヴァレリアは少し考えた。
「……囲まれている感じはする」
「本日は重要儀式ですので」
「逃げ道が少ない」
「中央へ案内されますから」
ヴァレリアの目が細くなる。
「完璧な包囲網を敷いてくるのか」
「神聖な儀式でございます」
納得はいかなかった。
その時。
馬車の扉が軽く叩かれる。
「ヴァル」
聞き慣れた声だった。
ルシアン。
すでに聖霊継承を終えている彼は、今日は付き添いとして来ている。
ヴァレリアが窓を開ける。
そこには深い群青の礼装を纏った青年が立っていた。
銀青の髪。
グレー寄りのブルーグレーの瞳。
五年前の面影は残っている。
けれどあの頃の少年らしさは、もうほとんど消えていた。
背も高くなった。
声も低い。
静かな空気すら、以前よりずっと強く感じる。
礼装姿のルシアンは以前より遥かに人目を引いた。
整いすぎた横顔。
落ち着いた声。
近寄り難いほど静かな雰囲気。
王都の令嬢たちが放っておかないのも無理はない。
本人は全く気づいていないが。
ヴァレリアに言わせれば、「ちょっと身長が伸びた」程度だった。
「顔が険しいな」
「逃げたい」
「今さらか」
「儀式というものは基本的に危険だ」
「偏見が強い」
ヴァレリアは、白い聖堂を見上げる。
「……お前の時みたいに、聖堂は壊れるのか」
ルシアンは少し考える。
「普通は壊れない」
「お前は壊した」
「結界柱を三本ほどな」
「十分危険だった」
ヴァレリアは真顔だった。
「あの日、床まで凍っていたぞ」
「制御が不安定だっただけだ」
クラリスが静かに補足する。
「シュヴァリエ家は、継承時の妖精出力が強い家系でございます」
「“強い”で済むのか、あれ」
「歴代でも上位だったそうです」
ルシアンが小さく息を吐く。
「……まあ、お前はアストレアだからな」
「何だその含みのある言い方は」
「少し嫌な予感がしてきただけだ」
全然安心できなかった。
馬車が止まる。
外ではすでに、神官たちと貴族たちが並んでいた。
白い聖堂の前に、幾重にも人の列ができている。
その視線が。
一斉に、アストレア家の馬車へ向いた。
ざわめきが広がる。
「きゃっ、来たわよ」
「ヴァレリア様!……」
「本当だわ!来られたわ!」
令嬢たちの声が、興奮を隠しきれていない。
扉が開く。
ヴァレリアが姿を現した瞬間。
空気が変わった。
深い紫紺を基調にした儀式礼装。
夜空みたいな布地へ、銀糸と青結晶の刺繍が幾重にも走っている。
聖銀の正装とは違う。
アストレア家特有の、“星空儀礼装”。
神へ祈るためではなく。
力へ耐えるための装束だった。
長いストロベリーブロンドが朝の光を受けて淡く揺れる。
コバルトブルーの瞳だけが静かすぎるほど静かだった。
息を呑む音が広がる。
「綺麗……」
「これが、“氷の妖精姫”……」
「噂以上では……?」
その隣へ、ルシアンが並ぶ。
銀青の髪。
群青の礼装。
静かな威圧感。
二人が並んだ瞬間、周囲の空気が完全に止まった。
「二人、似合いすぎるだろ……」
「本当に婚約者同士なんだな……」
「氷の妖精姫、ほんとに見られるなんて幸せ」
「絵画みたい……」
本人たちだけが、全然違うことを考えていた。
聖堂内に移動しながらヴァレリアが小さく呟く。
「逃げづらそうだった」
「まだ言うのか」
ルシアンが静かに返す。
「見物人が多い」
「祝福に来ている」
「包囲と何が違う」
「目的だ」
なるほど、とは思わなかった。
クラリスが横から静かに告げる。
「お嬢様。そろそろ聖堂内へ」
「行きたくない」
「皆様、お待ちです」
「ますます行きたくない」
「お気持ちは分かりますが、進んでくださいませ」
分かっているなら助けてほしい。
聖堂内部は外よりさらに静かだった。
白い大理石の床。
高い天井。
幾重にも浮かぶ妖精灯。
中央には、巨大な円形紋章が刻まれている。
継承陣。
その周囲では上位神官たちが待機していた。
ヴァレリアが一歩踏み入れた瞬間、妖精たちが一斉にざわめいた。
ふわり。
ふわり。
光の粒が揺れる。
神官たちの顔色が変わった。
「妖精反応が……」
「入場前から?」
「まさか……」
ヴァレリア本人だけが嫌そうな顔をしていた。
「嫌な予感がする」
「今さら帰れません」
クラリスが静かに言う。
「まだ諦めていないのか」
ルシアンが尋ねる。
「最後まで可能性は探る」
「その姿勢を別の方向へ使え」
もっともだった。
やがて、神官長が前へ進み出る。
白と銀の祭服。
胸元には古い妖精紋。
重々しい空気の中で神官長は深く頭を下げた。
「ヴァレリア・フォン・アストレア様。継承陣の中央へ」
……終わった。
ヴァレリアは真顔で中央を見る。
逃げ道は少ない。
出口は遠い。
周囲は神官。
背後には貴族。
継承陣のすぐ外側の左右にルシアンとクラリス。
完全に包囲されている。
「配置が悪い」
「儀式でございます」
クラリスが小声で答える。
「中央へ誘導されている」
「継承陣ですので」
「罠では?」
「違います」
そのやり取りを聞いていたルシアンが、少しだけ目を伏せる。
「ヴァル」
「なんだ」
「罠なら、俺が先に止めている」
少しだけヴァレリアの表情が緩んだ。
「ならいい」
それだけ言ってヴァレリアは継承陣の中央へ進む。
神官たちが息を呑んだ。
妖精たちの光がさらに強くなる。
円形紋章の線が淡く青白く浮かび上がった。
神官長が両手を広げる。
「古き聖霊よ。血を継ぐ者に、加護を示したまえ」
声が聖堂に響いた。
その瞬間。
継承陣が光る。
一つ。
二つ。
三つ。
本来なら、家系に応じた妖精加護が現れる。
アストレア家ならば、星と妖精親和の光。
それで終わるはずだった。
だが。
光は止まらなかった。
床の紋章が次々と目を覚ます。
白。
青。
銀。
金。
淡い紫。
ありえないほどの色が聖堂の床を走った。
「反応値が……!」
「高すぎる!」
「全系統が反応している……?」
神官たちの声が震える。
ヴァレリアは眉を寄せた。
「何かまずいのか」
問いかけた先は、
継承陣の外縁に立つルシアンだった。
儀式の規定で、
中央までは入れない。
だが、
何かあれば一歩で踏み込める距離にいる。
ルシアンは、
淡く光る紋章を見下ろし、
低く答えた。
「まずいというより、普通ではない」
「最悪だな」
その時だった。
聖堂上空の妖精灯が一斉に消えた。
光が消えたのに暗くならない。
継承陣から溢れる光だけが聖堂全体を照らしている。
静寂。
誰も動けない。
そして。
継承陣の中央。
ヴァレリアの目の前に……灰色の影がゆっくり現れた。
古びた灰色の外套。
長い灰白色の髪。
濁った灰色の瞳。
五年前、庭に立っていた老人だった。
聖堂中が凍りつく。
神官長が震えながら膝をついた。
「聖霊王……」
その名が落ちた瞬間、貴族たちの間に動揺が走る。
だが、ヴァレリアだけは違った。
彼女は即座に老人を指差した。
「不審者の爺さんだ……」
聖堂中の空気が死んだ。
ルシアンが目を閉じる。
クラリスが小さく息を吸う。
神官たちは、もはや顔色がない。
聖霊王は数秒ほど沈黙した。
そして。
肩を揺らして笑った。
「やはり、お前は面白い」
「褒められている気がしない」
「最大級に褒めている」
「全然安心できない」
その瞬間。
継承陣の光がさらに強く弾けた。
妖精たちが一斉に舞い上がる。
ルシアンが前に出る。
蒼銀の光が彼の足元に走った。
薄い結界がヴァレリアの前に展開される。
空気が一瞬で冷える。
「何をする気だ」
ルシアンの静かな声だった。
けれど、そこに迷いはない。
聖霊王は楽しそうに目を細める。
「守護者か」
「答えろ」
「ただ、継承を終えるだけですよ」
「信用できる理由がない」
「それは困りましたね」
全く困っていなさそうに精霊王が答える。
ヴァレリアがルシアンを見る。
「待て」
「ヴァル」
「悪意はない」
「根拠は」
「……勘だ」
「雑すぎる」
それでも、ルシアンは結界を消さなかった。
ただ、半歩だけ下がり、ヴァレリアの判断を尊重した。
聖霊王は、ほんの少しだけ愉快そうに笑う。
「よい関係ですね」
「今それを言う場面か?」
「大事なことですよ」
「話がずれている」
「よく言われます」
「自覚があるのか」
聖堂中が固まっている中で、会話だけが妙に普通だった。
聖霊王はゆっくり手を伸ばす。
白く乾いた指先が、ヴァレリアの額へ近づいた。
神官たちが息を呑む。
妖精たちが一斉に光を強める。
ヴァレリアは逃げなかった。
ただ、コバルトブルーの瞳で聖霊王を真っ直ぐ睨んでいた。
「変なことをしたら殴る」
「継承中にそれを言われたのは初めてです」
「光栄に思え」
「そうしましょう」
指先が、額に触れた。
その瞬間。
継承陣の光が爆発した。
音はなかった。
だが、聖堂そのものが白銀の光に呑まれる。
神官たちの悲鳴。
貴族たちのざわめき。
妖精たちが空へ舞い上がる羽音。
そのすべてが遠くなった。
ヴァレリアの中で何かが開く。
扉。
境界。
裂け目。
言葉にできないもの。
けれど懐かしい。
戦場の匂いではない。
死の気配でもない。
もっと遠い。
もっと古い。
誰かが、そこからこちらを見ている。
ヴァレリアは歯を食いしばった。
「気色悪い」
聖霊王が笑った気配がした。
「率直ですね」
「褒めるな」
光がさらに強くなる。
そして。
異変は、ヴァレリアだけでは終わらなかった。
聖霊王の灰白色の髪に銀の光が走る。
乾いた髪が絹糸みたいに輝き始める。
深く刻まれていた皺が薄れていく。
痩せた手が白く整った指先へ変わっていく。
濁っていた瞳が澄んだ灰銀へ変わる。
古びた外套が光にほどけ、白銀の衣へ変わっていく。
まるで。
古い神話が、目の前で本来の姿を取り戻していくみたいだった。
聖堂中が、完全に言葉を失った。
そこに立っていたのは、もう老人ではなかった。
長い銀白の髪。
透き通る灰銀の瞳。
白銀の衣。
人間離れした美貌。
聖霊王。
ノルヴァル。
その名が、誰の口からも出ないまま聖堂全体へ広がっていくようだった。
「……おや」
本人だけが、少し不思議そうに自分の手を見ている。
ヴァレリアは黙って見上げた。
数秒。
そして、言った。
「誰だ、お前」
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