読切短編 手を振る朝に
十年間、私は七時二十二分のホームで、彼女に手を振り続けた。
振り返りはなかった。それでも私は確信していた。彼女は気づいている。ただ恥ずかしいのだ、と。私は、誰かに見られているという感覚を、ずっと欲しがっていた。
最初に気づいたのは入社一年目の冬だ。向かいのホームに、紺色のコートを着た女性が現れた。長い髪が風に揺れ、まっすぐに前を向いていた。その静けさが、なぜか視界に引っかかった。
翌日も、その次の日も、彼女はいた。七時二十二分に、同じ場所に立って、同じ方向を見ていた。私は試しに右手を上げた。
反応はなかった。
だから私は毎朝、振った。雨の日も、二日酔いの朝も、昇進した日も、父が死んだ直後の朝も。彼女は必ずそこにいて、前を向いていた。私は彼女の存在を、一日の錨のように使っていた。
三年目に気づいたことがある。彼女の視線は、私のいる方向を向いていながら、私を通り抜けていた。焦点がない、そんな気がした。しかし私はその観察を、すぐに打ち消した。彼女の目は、どこか遠くの音を探しているようにも見えた。遠いのだ、ホームが違うのだから、と。
五年目には、もはや確認しなくなっていた。振ることが、朝の呼吸になっていた。彼女は一度も、掲示板や電光表示に視線を落としたことがなかった。
七年目の秋、一度だけ同じホームに立つ機会があった。乗り換えの都合で、普段と反対側に並んだ。そのとき向かいのホームに見えた自分の定位置は、ひどく遠く、小さかった。彼女の目にはどう映っているのか、と思った。しかし答えを出す前に電車が来た。
そして十年目の、三月のある朝。
彼女が手を振った。
初めてだった。まっすぐに、こちらへ向けて、大きく。私の心臓が跳ねた。十年分が一瞬に圧縮されて、目の奥が熱くなった。私も振り返した。大きく、何度も。その仕草が、誰かに届いたのだと、初めて思った。電車が来て、扉が閉まっても、私はその場から動けなかった。
翌朝、彼女はいなかった。
その次の朝も。
一週間が過ぎた頃、ふと視線を上げたとき、ホームの壁に目が止まった。新しく貼られたポスターだった。
白地に、シンプルな文字で書かれていた。
――視覚に障害のある方が、このホームを毎日ご利用されています。声かけや、乗降のサポートにご協力をお願いします――
私は七時二十二分のホームで、次の電車を待った。
右手は、まだ空中にあった。今度は、届かない場所に向けて。




