表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
44/44

第44話 三つの騎乗灯

 南の見張りが「灯が三つ」と告げた瞬間、焚き火の周りの空気は一気に冷えた。


 夜の集落は、ついさっきまで生き延びた安堵に包まれていたはずだった。薄い汁の匂い、木椀の触れ合う音、遠くで家畜を繋ぎ直す物音。どれも小さく、慎ましいものだ。だが今は、その全部がぴたりと止まっている。


「どこまで来てる」


 ゼノンが立ち上がりながら問うと、集落の長は息を切らしたまま答えた。


「南の街道を外れて、こちらへ向かう細道へ入りました。灯の高さからして騎馬です。馬車じゃない。進み方が速い……!」


 セラフィナの顔から、かすかに残っていた疲れの色が消えた。


「三騎、夜間進軍、街道を外す」

「……観測、審査、護衛の組み合わせね」


 ミラが不安そうに聞く。


「それって、やっぱり中央?」


「ええ」

 セラフィナは即答した。

「しかも“様子見”じゃない。何かを確かめに来てる」


 集落の人々のあいだから、押し殺した悲鳴みたいな息が漏れた。


 当然だ。

 教会の上位側が、夜の辺境へ、三騎だけで、最短距離で来る理由など一つしかない。救いではない。確認だ。異変の痕跡を嗅ぎつけ、必要ならその場で処理するための動きだ。


 ゼノンは舌打ちしそうになるのを抑えた。


「予想より早いな」


「総監が消えたのよ」

 セラフィナは低く返す。

「早くて当然。むしろ夜明けまで猶予があるだけましだと思って」


 その言い方に冗談はなかった。


 ゼノンは一瞬だけ目を閉じ、考える。


 逃げるか。

 隠れるか。

 迎え撃つか。


 どれも最悪だ。

 だが、その最悪さの種類が違う。


「今から全員で逃げたら?」


 ミラが言う。


「足跡で追われるし、集落が空なら余計に怪しまれる」

 ゼノンは即座に切る。

「中途半端に散るのが一番まずい」


 セラフィナも頷いた。


「同意見。ここは“何も起きていない場所”に見せるしかない」

「少なくとも第一印象で、深層絡みの異変だと悟らせないこと」


 そう言うと、彼女は一気に動き始めた。


「長」

「はい!」


「谷や崩聖堂の話は誰もするな。鐘の音も地下も禁句」

「湧き水は“昨日より少し戻った”。それ以上は言わない」

「病人が減ったのは休養と教会の浄化剤が遅れて効いたことにする」


 長が青い顔で何度も頷く。


「分かりました……!」

「皆にも徹底させます!」


「あと、崩聖堂へ続く道に詳しい者は黙らせて」

「聞かれても“近づかない場所です”で通して」


 セラフィナの声は冷静だった。

 その冷静さが、かえって集落の人々を動かした。恐怖で固まる暇もなく、皆が散っていく。鍋を片づける者。余計な足跡を消す者。水桶の数を整える者。家の前に積んだ薬草を隠す者。


 “普通の辺境の夜”を作るための、歪な準備が始まった。


 ゼノンはそのあいだに、自分の腕を見下ろす。


 灰銀の細い線は、まだ薄く皮膚の内側に残っていた。普段なら袖で隠れる。だが近くで見られれば、普通の傷痕ではないと分かるかもしれない。


 セラフィナがすぐに気づいたらしい。腰の小袋から灰色の粉を取り出し、無言でゼノンの腕を取った。


「動かないで」


「なんだ、それ」


「巡検用の偽装粉」

「流れの痕を鈍く見せる」


 そう言って粉を擦り込むと、灰銀の線は確かに少しだけくすんだ。完全に消えはしない。だが、ぱっと見ではただの古い火傷痕に近くなる。


「便利だな」


「本当は、こういう使い方をしたくないのだけれど」


 珍しく本音が混じっていた。


 ミラがすぐ隣へ寄る。


「ゼノンさん、顔も少し疲れて見える」


「疲れてるからな」


「そうじゃなくて、もっと普通の旅人っぽく……」


 言いながら、彼女は焚き火の灰を少しだけ指で取り、ゼノンの頬へ軽くつけた。ゼノンが嫌そうな顔をすると、ミラは真剣な顔で言う。


「きれいすぎると怪しい」

「今のゼノンさん、なんか……静かすぎて逆に怖いもん」


 それは自分でも少し分かっていた。


 上位座から戻ってから、世界の輪郭がまだ近すぎる。人の気配も、祈りの残り香も、以前より手前で分かってしまう。そのせいで表情が薄くなっているのかもしれない。


「……好きにしろ」


 ぶっきらぼうにそう言うと、ミラは少しだけ安心したように頷いた。


 集落の外れへ移動するころには、南からの灯はもう肉眼ではっきり見える位置まで来ていた。


 三つ。

 等間隔。

 無駄な揺れがない。


 馬も乗り手も訓練されているのだと分かる進み方だった。先頭は灯を低めに掲げ、中央の一騎だけがほとんど光を揺らさない。護衛と観測役、そのあいだに主役がいる布陣だ。


 ゼノン、セラフィナ、ミラ、集落の長が、入口近くで迎える形になる。

 ハルトは少し後ろ。集落の人々はさらに奥の家影に散らばり、必要以上に出てこない。


 やがて三騎は、音もなく止まった。


 馬は黒。

 鞍も装備も簡素だが質がいい。

 鈴も飾りもなく、ただ移動のためだけに仕立てられている。乗り手たちは皆、白と灰を基調にした外套を羽織っていた。辺境の神官服ではない。刺繍は少ないのに、見る者が見れば一目で“上位”と分かる仕立てだ。


 先頭の騎手が降りる。


 女だった。

 三十前後。背は高くない。だが立ち姿に迷いがなく、顔立ちも整っている。問題は目だ。灰色の瞳が、集落も人もまとめて“対象”として見ていた。嫌な目だった。セラフィナとも違う。もっと乾いている。


 続いて二人目が降りる。

 痩せた男。片眼鏡をかけ、手には細い金属筒を持っている。観測役だろう。最後の一人は無言のまま馬上に残る。兜はないが、神官というより騎士だ。腰の剣に手を置き、いつでも抜けるようにしていた。


 女はゆっくりと集落を見渡し、それから一歩前へ出る。


「中央聖教会、封鎖管理局臨時監査班」


 落ち着いた声だった。


「夜分の立ち入りを失礼します」


 言葉は丁寧だ。

 だが断りではない。告知だ。


 集落の長が震える声で頭を下げる。


「よ、ようこそ……このような辺境まで……」


「歓迎は不要です」

 女はあっさり切る。

「こちらは数点、確認事項があって来ました」


 その灰色の目が、湧き水の方角を一瞬見た。

 次に病み上がりの集落の空気を確かめるように止まり、最後にゼノンへ向く。


 鋭い。

 だがそこで終わらなかった。


 女の視線は、さらに横のセラフィナへ移る。

 ほんの一拍。

 それだけで、ゼノンには分かった。


 見抜かれた。


「……第二巡検班補佐、セラフィナ」


 女が静かに言う。


「なぜあなたがここにいるのですか」


 集落の空気が一瞬で凍りつく。


 セラフィナはフードを深く被ったまま、顔色一つ変えなかった。

 だがゼノンには、その肩の筋肉がほんのわずかに張ったのが分かった。


「巡検中です」

 セラフィナは淡々と返す。

「北方の水脈異常を追っていました」


「総監アルベリウスとの定時接続が昨夜途絶えました」


 女の言葉は、刃みたいにまっすぐだった。


「最後の観測点が、この辺境第三区画に重なっています」


 ミラの指先が、ゼノンの袖をぎゅっと掴む。

 集落の長はもう声も出せない。


 女はそこで、ようやく小さく息を吐いた。


「ですから」

「説明していただきます、セラフィナ」

「それと――」


 灰色の瞳が、今度はまっすぐゼノンを射抜く。


「そちらの旅人にも」


 その一言で、夜の温度がまた一段下がった気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ