2-9 マリアンヌ嬢がかわいい
第二章最後の話です!
ちょっといつもより長めです。
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放課後、俺は図書館に来ていた。ここ最近の日課となっている放課後の図書館通いを、俺はかなり気に入っている。
ベアステラ王国立学園高等部の図書館は、書物の傷みを軽減するために窓が少なく、天井の灯りも魔力灯になっている。こんな広い建物に、蛍光灯がわりに魔力灯を配置できるなんて、さすが国が出資者の王国立学園である。
きっと今、俺のピアスは紅く変わっているんだろうな。
俺は柔らかな灯りを放つ魔力灯を見ながら、思わず自分の右耳のピアスを触った。
思えば、殿下からあの突拍子もない話を聞いてから数日が経った。
殿下は俺のことを間違いなくこの国の第二王子だと言っていたが、あれから特にその話題には触れられていない。
俺としては、全く自覚がないのだから、何もないのは願ってもないことなのだが、本当にそれでいいのだろうか?
「いや、いいんだろうな」
この国にはすでに、クリストファー第一王子という立派な後継者がいる。たった一人の王位継承権を持つものとして、立派に王子としての政務も果たしているはずだ。
そんな中で、突然第二王子なんかが出てきてしまっては混乱するだろうことは、俺にだってわかる。
だから、このままでいいのだ。たとえ俺が本当に第二王子という立場を持つ者だったとしても、現状、殿下さえ何も言わなければ分からないのだから。
俺は、考えていたことを敢えて振り切って、違うことを考えることにする。
そういえば、俺はなぜ、母の記憶が無いのだろうか?
スコット家の面々は母のことをしっかりと覚えているのに、なぜ俺だけが覚えていないのだろう?
唯一の肉親だった母を亡くしたことによるショックで忘れてしまったのだろうか?それにしては、忘れ方がおかしくはないか?誰かが母の話をしていたら、その内容を認識できなくなるような、そんな記憶喪失があるだろうか?
「これも、考えても仕方のないことだな」
記憶のない俺にわかることはない。だが、少し母のことについて知りたくなった俺は、外国の本が並べられている本棚に向かった。
母の生国だというセインス国は、ベアステラ王国のある大陸のさらに北、海を隔てた別の大陸に存在するらしい。
ベアステラからは遠すぎるため、両国の国交もない。旅人でさえ、この国に来たことがあるという話も聞かないが、いくつかの貿易品は流れてきているそうだ。その中に、セインス国の本もあるかもしれない。
セインス国からの貿易品は希少で、必ず他国を経由していることもあり、どれも高値で取引される。そのため、セインス国の本は庶民用の図書館にはないだろうが、元貴族用の学校である王国立学園の図書館ならば、原本はなくとも写し程度ならあるかもしれない。
それに、セインス国からの本でなくとも、セインス国について書かれている本を読んだっていい。きっと、俺が知っている以上の情報がそこには書かれているだろう。
本棚の間を移動しながら、何かいい本はないかと探す。すると、本棚の一角に、セインス国関連の本がまとめられているところを見つけた。
思わず手に取り、開いてみる。どうやらこの本は、セインス国の品を輸入する商人が書いたもので、同国の特産品について書かれているようだ。
次に手に取った本は、物語だった。セインス国の童話を、この国の言葉に翻訳した物らしい。
その隣にあった本は、背表紙の文字が読めなかったが、先ほど見た童話の原文のようだった。美しい挿絵がついていて、ベアステラの一般的なアートスタイルとは異なるその絵は、スコット家で様々な絵画を観てきた俺の好奇心を刺激した。
他に挿絵のついた本はないかと、読めない背表紙の本の中から一冊選んで手に取ろうとした時、
『あっ』
女生徒の手が自分の手にぶつかった。
驚いて、思わず女生徒の方を見ると、真っ黒な黒曜石のような瞳と目が合う。
ピンクブロンドのたおやかな巻き髪に、陶磁器のように白く滑らかな肌、軽く見張られた漆黒の眼は見たこともない高価な宝石のようで、こんなに美しい人を、俺は初めて見た。
そして、彼女がかなり俺に近づいていたことに驚く。突然至高の芸術品のような顔が至近距離にあれば、誰だってここは夢かと錯覚するだろう。
彼女の方も意図せずこちらに近づき過ぎていたようで、小さな可愛らしい悲鳴をあげ、のけぞる様に後ずさった。しかし、重心が崩れたのか、後ろに倒れそうになる。
「危ない!」
思わず手を伸ばし、彼女の背中を支えた。
華奢な彼女は想像以上に軽く、簡単に引き寄せられる。身体が密着し、先程同様、お互いの顔が至近距離で止まる。彼女からふわりと、花の様な良い香りがした。
彼女が目を瞑っているのをいいことに、じっと見つめてしまう。頭から爪の先まで丁寧に磨かれ手入れされた外見と、優雅な所作から、かなり高位のご令嬢だと察する。
察した上で、俺は思わず心の中で感嘆する。高位貴族のご令嬢とは、こんなにも美しいものなのか、と。
彼女の長いまつ毛がふるりと震え、ゆっくりと瞼を開ける。
その動作さえ優雅で、本当にこの方は女神ではないかと思った。
彼女は漆黒の瞳をまっすぐに俺に向けてくる。観察されているのを感じていたが、一つも嫌な感じがしない。
彼女の表情は精巧な人形のようだったが、瞳から俺への純粋な興味が窺え、そこに人間味を感じたのかもしれない。
思わず俺も見つめ返し、数秒の時が流れた。
少ししてから、彼女は目線を外し、鈴の転がる様な愛らしい声でお礼を言ってきた。
「あの……ありがとうございます」
その瞬間、俺の身体に電流のような衝撃が走った。
かっ……かわいい………………
俺の脳内はその感情に埋め尽くされ、彼女から目が離せなくなる。
今、自分の腕の中にいる彼女を、どうにかして他人の手の届かないところに隠したい、彼女を自分のものにしたい気持ちでいっぱいになった。
そんな気持ちは初めてで、俺は戸惑う。
彼女が伏せた目をちろりと上げて、俺の顔を窺っているのに気づいた時、先程までの自分の邪な心が見透かされるのではないかと思い、瞬時に自分の体温が上がるのを感じた。
彼女をずっとこの腕の中に閉じ込めていたい思いと葛藤しながら、ことさらゆっくりと腕を外して彼女を立たせ、一歩後ろへ下がる。
恥ずかしくて、このまま逃げてしまいたいとも思っていたが、それ以上に彼女ともっといたくて。でも、どうすれば彼女に近づけるのかが分からず、俺はその場に立ち尽くしたまま、自分の邪念を見透かされない様に前髪で顔を隠した。
それから、彼女と何を話したかは、正直よく覚えていない。
とにかく目の前の彼女が可愛くて、眩しくて、なんとか会話を続けようと彼女の質問に答えて。そうすると、彼女からまた、あの可愛らしい声で反応が返ってきて。
彼女の表情は常に人形の様な完璧さで揺らぐことは少なかったが、声の調子が弾んだりするのを感じると嬉しくて、どうしたら彼女を楽しませられるかと考えるのも楽しかった。
しかもたまに、控えめな笑顔で相好を崩すのだ。
それを見せつけられるたび、俺は自分が恋に落ちていくのを感じていた。
そんな素晴らしい時間を過ごしていた俺だが、いつの間にか結構な時間が経っていたらしい。
クリストファー殿下に彼女と共に呼ばれ、「二人を合わせたかった」的なことを言われたが、もう彼の性格を知ってしまった俺からすれば、何を企んでいるのだろう?としか思えない。
学園の中庭のガゼボで、殿下に彼女、バレンティ公爵令嬢を婚約者だと紹介された時には、それはもう血の気が引いた。すぐに婚約は解消したと聞かされたが、殿下の婚約者になる様な方を自分のものにしたがっていたとは、本当に身の程知らずだ。
しかし殿下は、こんな身分も高くて美しくて可愛らしい女神のようなバレンティ公爵令嬢とただの平民の俺を、お似合いだと言うのだ。
しかも、俺なんかを紹介された彼女の方も顔色ひとつ変えることなく、とても優雅に挨拶をしてきた。人形のように整った顔に笑みを浮かべられれば、俺はもう、彼女から目が離せなくなる。
持てる精神力を全て使って、俺はなんとか挨拶を返した。
そんなことよりも、目の前に息づくの彼女の、ピンクのウェーブ髪がふわふわ揺れる様も、黒曜石の瞳が興味に光るところも、玉の様に白い頬が本当にほんのり紅潮する瞬間も全て、見逃さないように見つめることに必死だった。
うっかり凝視していたのがばれた時は目を逸らしたが、頭の中は全て彼女に乗っ取られてしまった。
思わず呟く。
「かわいい……!!」
俺の呟きを拾ったのか、彼女の目が丸くなる。
ますます可愛い。彼女は俺をどうしようというのだろうか?
俺たちを見て、クリストファー殿下がニヤニヤしている。
「やっぱりね。相性いいと思ったんだ」
そう言った殿下はガゼボの周りの結界を解き、動かない俺たちにやんわりと帰りを促した。
帰り際、まだぽーっとしている頭の俺に、殿下は耳打ちしてくる。
「君が王子に戻ったら、マリアンヌとの婚姻は約束された様なものだよ。……とりあえず、次の王妃のお茶会辺りで君のことを公にしないかい?」
頭の中がそれどころではなかった俺は、ぼんやりと頷いた。
それを見た殿下は満足気に頷いて、
「じゃあ、こちらでも準備を進めておくよ」
と言ってウインクした。
その後、ふわふわしたまま部活終わりのピーターと合流してスコット家に帰ってきた俺は、殿下の言葉を思い出して青くなるのだった。
第二章終了です!
ようやくマリアンヌと出会ってくれました。
第一章と第二章はダブル主人公の対となるお話なので、ようやくマリアンヌとルーカスの時系列が揃いましたね!
次はまた、幕間を挟んで第三章に続きます。
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