第一章‐16
救われて以来昨日ぶりに森の傍に歩いてきた。森を構成する木々は相変わらず長大で、太い。そしてここに来るまでに体力をかなり使った。全身から汗が噴き出していたのでバッグから布を取り出して拭う。今日もやはり太陽は燦々と輝いていた。
「そんなんじゃ見る前に倒れちまうぞ」
豪快に笑いながらスラッグは俺の背中を叩いて先に森の中へ。そんな彼は汗こそかいているものの、僅かであり体力の減少も見受けられない。恐るべし、筋肉。しかし俺は著しく体力が減少し、水分を必要としていたのでバッグから水筒を取り出す。モンストラクターの円柱状に成形したもので蓋には軟質の素材が栓として刺さっている。骨密度が高く保存容器として使い勝手がいいらしい。水を飲んで落ち着くとスラッグが説明を始める。
「今日はコウの安全を考慮して、小型区域で活動する事にする。ここで安全確保の術を覚えてもらう」
森では小型区域、中型区域、大型区域があり、それぞれの食物連鎖は独立していて互いに行き来する事はないらしい。森を形成するほとんどの木には地上から十メートルはあろうかという位置にチャージャーが備え付けられ、傍には木に馴染むように加工された足場が設置されていた。スラッグは見ていろ、と言ってチャージャーのペダルに足をかけてグリップを勢いよく引いた。すると想定外のスピードでスラッグが視界から消え、上を向くと足場の上に移動していた。速すぎる。
「思ったより巻き取りが速くて驚いたよ」
「このくらいじゃないと実用に耐えないからな、仕方ない」
降りてきたスラッグは両手を広げてしょうがないとおどける。降下スピードは重力頼りで安心した。
「コウも試せ。森に慣れるための第一歩だ」
そうは言うが、巻き取りの勢いを見せられてすんなりといけるわけがない。あんなに小さな機械で時速百キロ(誇張あり)級のスピードを出せるとは思わなかったのだ。
安全にまっすぐ巻き取られるのだろうか。安全に止まる事ができるのだろうか。不安で仕方がない。
「ここでは勢いが大事だ。時間をかければかけるほど、恐怖が寄り集まって動けなくなる。俺を信じろ。こんなところで死なせるわけにはいかないし、怪我もさせない。俺はコウを痛めつけようとハンターにさせるわけじゃない。強く頑丈で勇敢なハンターにしたいんだ。最も最適で安全にな」
いつまでもグリップを引かない俺に、優しい言葉をかける。彼はどこまでも優しく、厳しく俺の身を案じつつも危険な事をさせようとする。しかしその危険は誰もが経験していて、誰もが突破するべき事だ。そして気付く。この装置自体は危険なのではない。誰もが毎日扱うこの道具は当たり前の物であり、安全に使えている。危険なものでは決してなくそして使用者に共通するだろう事は道具に対する信頼だ。道具が問題なく使えると認識しているからこそ誰もが安全に使える。しかし、今の俺は道具に対して不信感を抱いている為に、正しく扱えずに事故を起こす。そうさせないために、スラッグは自身を信じさせ道具に対する恐怖や不信を取り除こうとしたのだ。流石にこれで躊躇うなんてないだろう。
「じゃ、勢いに任せてっ」
一瞬だった。巻き取り機は瞬時にワイヤーを巻いて俺を上へと移動させた。グリップ部分がストッパーに当たって停止、スピードは消し止められる。しかし体にかかる重力はどうしようもない。グリップを握っていた腕が特にものすごく、痛む。
「な、安全だろ」
筋肉で覆われたお前ならな、と言いたい気分だ。確かに怪我はしなかったが、痛みは伴った。なかなかにスリリングな木登りである。
「コウは木の上にそのまま待機していてくれ、周辺に獲物がいないか探してくる」
スラッグは周囲を見渡しながら俺が登っている木から離れていく。下にいても、木の間隔が空いているから視界は悪くなかったが、上から見渡すと何倍も広く森を見る事ができる。獲物を探すスラッグを眺めていると下から声を掛けられる。スラッグとは違う方向からだ。
「おーい、新入り―」
真下だった。そこには一人の男がいて、見覚えはなかったが声は聞いた事がある。
男はチャージャーを使って俺と同じ場所に登ってきた。
「顔を合わせた訳じゃないから分からないかもしれないけれど、俺はスナール。君をスラッグが助ける前、一緒に狩りをしていた」
あのとき、スラッグが話していた誰かというのは今目の前にいるスナールだったわけか。
「こちらとしては、初めまして。コウ、です。スラッグに世話になっています」
「そう固くなりなさんな。ここにいるということはヘリオスという家族に加わったんだ。もっと馴れ馴れしくしていいんだぜ」
俺が差し出した手を握り返し、肩をバンバン叩く。良かった、ここでも握手の文化はあった。だが、ヘリオスの男は誰もが体育会系なのだろうか。叩かれた肩が痛い。スナールもまた、スラッグほどではないが筋肉質な体を持った戦士の風体をしている。身長は俺とあまり変わらないくらいだ。
「そう言うのなら馴れ馴れしくしないと失礼だ。迷惑をかけていくと思うけれどよろしく頼むよ。多分俺はずっとヘリオスに住んでいくだろうから」
この世界に来たばかりで住んでいたであろう場所まで帰る方法も探してすらいないが、もう帰る事はできないのだろうとほとんど諦観していた。現状、過去の明確な記憶がない事でホームシックは全く湧かず、強く帰りたいという欲求は特にない。精神が不安定になるのではないかと少し思ったのだが、この地で生活の基盤ができつつある事でむしろ安心しきっている自分がいた。
「迷惑をかけてこそ絆は生まれていくってものさ。スラッグと俺も互いに迷惑を掛けあい、喧嘩して、そして助け合った。俺達はそうして生きてる。コウもそこに加わるだけだ」
スナールもまた、俺を歓迎していた。挨拶が終わるとスナールは忙しなく周りを見始める。
「スラッグは……ああ、獲物を探しているのか。それをコウは眺めていると」
「そうだね。俺は狩りについて何も知らないから、実際に見なきゃどういうものかイメージしづらい」
知識上の過去では、狩りというものは一般的なものではなかったはずだ。だからか、胸には高揚感が湧いている。新鮮な全く新しい事をこれから学んでいくのだと思うと楽しくてたまらないのだ。ここでは太陽武器という、知識上に存在しない明らかに独自規格な特殊武器もその要因の一つだ。まだほんのいくつかしか知らないが、スラッグの部屋にはまだまだたくさんの道具や武器がずらりと並べられていた。今後、それらを余す事なく知っていきスラッグと共にモンストラクターを狩って生計を立てていく。とても面白そうな生活だ。死にそうになった経験などもはやどうでもいい恐怖だった。
「コウが微塵も襲われた事を苦にしてない事に安心したぜ。いくらモンストラクターを仕留める術が確立してるって言っても、死ぬときは死ぬ。襲われた直後のお前、信じられないくらい呆然としてたからな。数日は恐怖で家から出られなくなったって誰も責めないだろう。だがコウは昨日の今日であっさりこの場にいやがる。肝っ玉のでけぇ男だ。スラッグの家に住む事になったんだろ、あいつの考えに納得だぜ」
とてつもなく過大評価されて驚く。俺はそんなに大した人間でもないのに、その言葉だけだと俺は異常に精神力の強い戦士みたいだ。実際は記憶喪失のひょろくて体力のない男だというのに。ふとスラッグの方を見る。変わらず周囲を見渡しながら歩いていた。そして急に、走りだした。獲物を見つけたのだ。
スラッグはうまく誘導して小型のモンストラクターを俺達が登っている木の近くまで寄せる。その逃げているモンストラクターは昨日エッジスコナーの眠りを邪魔した、何故か大型区域にいた因縁の種類だった。茶色くふわふわした毛に覆われた四肢の動物はずんぐりしているが足は速い。とは言っても人間であればすぐに追いつける速さだ。スラッグはいともたやすく手掴みで捕まえた。何のための太陽武器だというのか。スラッグは捕まえたモンストラクターを掲げて見せる。あの種類は初見の時も思ったが、危機意識というものが著しく欠けているらしい。捕まってからは逃げるそぶりを見せず、黙って体を垂らしていた。




