第1話 恩知らずの幼馴染
モニター三台、スタンドに固定されたiPhone、ゲーミングヘッドホン、コンデンサーマイク、オーディオインターフェース――それらが雑然と並ぶ部屋。
「え? ぼ、僕をクビにするって……?」
僕は思わず聞き返していた。
金色に染めた長い髪を苛立たしげにかき上げ、僕の幼馴染――結衣が目を細める。
「そうよ。何か文句ある?」
「いや、だって……今までずっと、結衣のためにやってきたのに……」
「はあ? 何その言い方。翼、私を嫌な女にしたいわけ?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
「単にお金目当てだったんでしょ。私の収益からあんたが持ってく取り分、どれだけだと思ってんの?」
一割って、そんなに多かったのだろうか。
そもそも取り分を渡すと言い出したのは結衣の方で、僕は一度断ったはずだった。
確かに一割とはいえ、トップクラスのVTuberにまで上り詰めた結衣の収益からすれば、決して小さな額ではないが……。
「僕の貢献は、その額に見合ってないってこと? 底辺だった頃から、色々と手伝ってきたじゃないか」
「それが何か特別なの? 誰にだってできることでしょ。それに、その分のお金はちゃんと払ってきたでしょ」
確かに、僕が何か大したことをしたわけじゃない。
配信のセッティング、案件やコラボの窓口、動画編集、炎上対策、企画出しやスケジュール管理――その程度のことだ。
見方によっては、裏方としての基礎的な作業ばかりだったかもしれない。
でも、右も左も分からなかった頃の結衣を支え続けたことには、何かしらの意味があったはずだ。
「私、あなたみたいなヒモ男が一番嫌い」
「ヒ、ヒモって……」
「そうじゃない? 実際に稼いできたのは、全部私なんだから。ただ私の幼馴染ってだけで、どうにかなると思ってたんでしょ? 残念ね」
結衣が薄く笑い、スマホの画面を突きつけてきた。
そこには、ディスコのチャット履歴が表示されていた。
「私、これからはこの方にプロデュースしてもらうから」
「え……?」
相手は、男性VTuber界隈では知らぬ者のない有名人だった。
「いつも口先だけのあんたと違って、この人は個人勢なのに、あの激戦区の男性VTuber界で売れてるの。ノウハウを知り尽くしてるってことよ」
「い、いや、男性と女性のVTuberじゃ結構違うんだけど……」
「今、あの方を馬鹿にしてるの? 呆れた。あのね、あの方が私とコラボするだけで、リスナーが一気に流れ込んでくるんだから! あんたなんかとは、役に立つ次元が違うのよ!! それにね――」
結衣は頬を赤らめ、両手をそっと添えた。
まるで少女漫画から抜け出してきたヒロインのように。
「中の人もすっごくイケメンなの!」
「ちょ、ちょっと待って。まさか……」
僕は生唾を飲み込んだ。
睡眠時間を削ってまで、ずっと陰から結衣の夢を支えてきたのは――彼女が、僕の初恋だったからだ。
「直接会ったのか、その人と……?」
「もちろんよ。直接会ったこともない相手に任せられるわけないじゃない。あー、また会ってデートしたいな!」
「デ、デート……?」
「あ、このこと、どこかでバラしたらただじゃおかないからね! しかも、あの人も私に気があるっぽいし?」
最近、急に東京へ行くと言い出したのは、そういうことだったのか。
喉の奥がじわりと熱くなる。
僕は掠れた声で尋ねた。
「……急に金髪に染めたのも、その人のため?」
「まあ、そうね! あの方、金髪キャラが好きだって言うから、そのキャラに寄せたちょっとエッチなコスプレ写真を送ったの。そしたら、すっごく喜んでくれたの!」
そうか。
僕の初恋は、とうの昔に終わっていたんだ。
僕は深く息を吐き出して、席を立った。
「分かった。じゃあこれからは、結衣の配信には一切関わらないよ」
「当然でしょ。幼馴染だから私の正体を知ってるだけでも特権なんだからね?」
「……そうだな」
別に僕と結衣は付き合っていたわけでもない。
ただ、僕が一方的に好きだっただけだ。
こういうのってBSSって言うんだっけ。
想像していたより、ずっと胸が痛かった。
(どうせここまで壊れたんだ。ここで、きっぱり終わらせよう)
このまま幼馴染として顔を合わせ続けたところで、僕が辛いだけだ。
それなら、ここでけじめをつけて、赤の他人として過ごした方がいい。
正直、結衣が他の男とイチャイチャしている話なんて、耳に入れたくもない。
それに、いつまでも「もしかして」なんて、くだらない未練を抱き続けそうだった。
「一つだけ言っておく」
「何?」
結衣は僕の言葉なんて興味なさげに、爪を整えていた。
「僕、実は結衣のこと昔から好きだったんだ」
「……は?」
ポトッ、爪やすりが床に落ちた。
結衣はガタッと立ち上がり、吊り上がった目で僕を睨みつけた。
「いつから!?」
「たぶん小学生の頃から」
「はあ!? じゃあ私をそういう目で見ながら、今までそばにいたってこと!?」
「……ああ」
「キモい!!」
結衣が乱暴に僕の背中を押し始めた。
「キモいキモいキモい!! 何それ!? じゃあ今まで私を手伝ってくれたのも、VTuberとワンチャンどうにかしようと思ってたからなのね!?」
「い、いや、違――」
あながち間違いとも言い切れなかった。
結局、僕は結衣と付き合いたかったのだから。
でも、結衣の夢を応援したかった気持ちまでが嘘だったわけじゃない。
僕が言いかけたまま口をつぐむと、結衣はさらに声を荒らげた。
「あんたみたいなキモオタと幼馴染なのが一生の恥よ!! 私ともう二度と関わらないで!! 学校でもどこでも顔見せないで!! 話しかけないで!!」
「わ、分かった……」
「あと鍵も返して! 今まで信じて合鍵も渡してたのに!! まさか私が寝てる間に変なことしてないでしょうね!?」
「それだけは絶対にない」
「あんたの言うことなんて一つも信じられない! 後で病院に行って隅々まで検査してもらうから!! 男はタダで女を助けたりしないってあの方も言ってたけど、こういうことだったなんて!!」
もしかすると、結衣も僕に少しは好意を持ってくれているんじゃないか――そんなふうに思ったこともあった。
けれど今日、それが完全な思い違いだったと分かった。
僕は合鍵をポケットから取り出して、結衣に渡した。
結衣は汚物でも見るように眉をしかめ、ティッシュを一枚引き抜いて、そのティッシュ越しに合鍵をつまみ取った。
「もう出て行って! 私の正体、ネットにバラしたら本気で訴えるから!!」
「……分かった。もう二度と関わらないから」
僕は結衣の部屋を出る直前、振り返らずに呟いた。
「さよなら」
◇
家に帰り着いた。
早く自分の部屋に行って横になりたかった。
たぶん今夜は、枕を濡らすことになる。
あらかじめ替えのカバーを出しておいたほうがいいかもしれない。
そんなことを考えていると、ちょうど帰宅したばかりの父さんが声をかけてくる。
「今日も結衣ちゃんの仕事手伝ってきたのか?」
「……ううん。たぶん結衣とは二度と会わないと思う」
「え? なんで? 喧嘩でもしたのか?」
「まあ、喧嘩と言えば喧嘩なんだけど……結衣に、好きな男ができたみたいだし」
「あ、ああ……」
父さんはVTuberのことをよく知らないし、結衣が具体的に何をしているのかまでは知らない。
収益が急激に増えたのも、ここ最近のことだ。
ただ、僕が結衣に片思いしていることと、結衣の仕事に深く関わっていることだけは知っている。
だから何があったのか、だいたい察しがついているのだろう。
父さんが僕の背中をポンポンと叩きながら、ぎこちなく笑った。
「なんだ、女なんて星の数ほどいるぞ!」
「バツイチの父さんが言うことじゃないよ」
「うっ……こいつ、人の痛いところを。とにかく! 無駄に思い悩むなってことだ」
「分かってるよ」
それが思い通りにいかないから問題なんだけど。
「あ、そういえば聞いたか?」
「何を?」
「隣に新しく引っ越してくるって」
「初耳だけど」
「なんでも、そこの家にはお前と同い年の女の子もいるらしいぞ?」
……だからなんだっていうのか。
ラブコメ漫画じゃあるまいし、ただ隣に同い年の女の子が越してきたくらいで、何かが起きるわけがない。
「もしかしたら新学期に同じクラスになって、ものすごい美少女かもしれないぞ?」
「そんな偶然、あるわけないよ」
父さんは、たまに本気で漫画みたいなことを言う。
「とにかく、今日は料理する気分じゃないから。ウーバーかピザでも頼んでよ」
「えーっ」
「えーっ、じゃないよ」
「じゃあ父さんと久しぶりに美味いものでも食べに行こうか? 回らない寿司とか」
たぶん、父さんなりに僕を元気づけようとしてくれているんだろう。
ここは素直に甘えようか。
もしかしたら本当に気晴らしになるかもしれないし。
「分かった。でもお酒は禁止だからね」
「えーっ」
「父さん、一度飲み始めたら加減を知らないじゃないか。父さんをおぶって帰るのは嫌だよ」
ふたりで笑いながら、玄関を出る。
そして、新しく引っ越してきたという隣の表札に、ちらりと目をやった。
――水田
この時の僕には知る由もなかった。
まさか、この家と深く関わることになるとは——。




